発売日: 1983年8月
ジャンル: シンガーソングライター、ソフトロック、バロックポップ
概要
『Trouble in Paradise』は、ランディ・ニューマンが1983年に発表した7作目のスタジオアルバムであり、
1980年代における彼の音楽的方向性を決定づけた、成熟と洗練の極みに達した作品である。
本作では、引き続き辛辣な社会風刺を基盤に据えつつも、
よりポップでアクセスしやすいサウンドにシフト。
プロデューサーにはライル・マイヤーズを迎え、バックにはスティーヴ・ルカサー（TOTO）、マイケル・マクドナルド、ドン・ヘンリーら
ウェストコーストの一流ミュージシャンが多数参加している。
レーガン政権下、表面上は豊かさを謳歌しながらも、
実際には深い社会格差と倫理的退廃が進行していたアメリカ。
『Trouble in Paradise』は、その”楽園に潜む問題（Trouble in Paradise）”を、
優美なメロディと鋭い歌詞で、痛烈に描き出している。
全曲レビュー
1. I Love L.A.
アルバムを代表する明快なポップアンセム。
一見ロサンゼルス賛歌のようでありながら、
実は都市の空虚さや表層的な華やかさへの皮肉が巧妙に織り込まれている。
2. Christmas in Capetown
南アフリカのアパルトヘイト政策を背景にした、重いテーマの曲。
クリスマスの祝祭と暴力的な現実のギャップが、冷徹に描かれる。
3. The Blues (with Paul Simon)
ポール・サイモンとのデュエットによるスムースなナンバー。
人間関係の倦怠と疎外感を、軽やかなサウンドに乗せて表現している。
4. Same Girl
ドラッグ中毒に陥った女性への繊細なラブソング。
優しいメロディに潜む痛切な哀しみが胸を打つ。
5. Mikey’s
無邪気な子どもたちの視点を借りて、大人社会の欺瞞を浮き彫りにする。
屈折したユーモアが絶妙な効果を生んでいる。
6. My Life Is Good
自慢話に酔う”勝ち組”男の独白をパロディ化。
アメリカ的成功信仰を辛辣に風刺する、痛快なナンバー。
7. Miami
フロリダのリゾート地を舞台に、経済格差と虚栄心を描く。
軽やかなサウンドとは裏腹に、歌詞は鋭く刺さる。
8. Real Emotional Girl
ナイーヴな女性像を、優しくも微妙に皮肉交じりで描いたバラード。
短い曲ながら、情感に満ちた一編である。
9. Take Me Back
別れた恋人への切ない未練を歌ったメロディアスなバラード。
ニューマンらしい、人間くさい弱さがにじみ出る。
10. There’s a Party at My House
狂騒的なパーティ文化をコミカルに描くナンバー。
享楽の裏に潜む空虚感をさりげなく示している。
11. I’m Different
社会からの疎外感と、アイデンティティへの渇望を、ひねくれたユーモアで表現。
孤独と希望が交錯する、隠れた名曲。
12. Song for the Dead
アルバムを締めくくる、重厚なレクイエム。
歴史の犠牲者たちへの祈りを、荘厳なトーンで描く。
総評
『Trouble in Paradise』は、ランディ・ニューマンがポップミュージックの表現力を極限まで押し広げたアルバムである。
軽やかなメロディ、心地よいサウンド、耳馴染みの良いコーラス。
しかし、その下に隠されたのは、アメリカ社会への深い不信、
そして人間の滑稽さ、哀しみへの鋭い洞察である。
「I Love L.A.」のような祝祭感あふれる曲でさえ、
その実、都市文明の虚無を鋭く描いているというこの二重構造。
それはニューマンにしか成し得ない、極めて高度な表現なのだ。
商業的な成功と芸術的な誠実さを絶妙なバランスで両立させた本作は、
彼のディスコグラフィの中でも、もっとも洗練され、もっとも苦く、もっとも美しいアルバムのひとつである。
おすすめアルバム
- Randy Newman / Little Criminals
社会風刺とポップセンスの絶妙な融合を味わえる先行作。 - Steely Dan / Gaucho
都会的な洗練と、冷ややかな皮肉を極めたアルバム。 - Donald Fagen / The Nightfly
80年代アーバンポップの金字塔。
成熟した哀愁を感じたい人におすすめ。 - Warren Zevon / The Envoy
社会批評とブラックユーモアが交錯する名作。 - Tom Waits / Swordfishtrombones
異化されたポップサウンドでアメリカ社会の影を描いた傑作。
歌詞の深読みと文化的背景
『Trouble in Paradise』に通底するテーマは、
「豊かさの裏側に潜む空虚」と「自己欺瞞」である。
レーガン政権下のアメリカ――
表面上は経済が活況を呈し、国全体が”強く”、”誇らしく”見えた時代。
しかし、その実態は、社会格差の拡大、倫理観の崩壊、個人主義の暴走だった。
ニューマンは、その時代精神を真正面から、しかし説教臭さを一切交えずに、
ポップソングのフォーマットの中で描ききった。
「My Life Is Good」に象徴されるように、
人々は成功に酔い、自分を特別だと信じたがっている。
「Christmas in Capetown」では、グローバルな不正義さえも、個人の幸福の影で忘れ去られる。
『Trouble in Paradise』は、単なる80年代ポップアルバムではない。
それは、「楽園」の仮面を剥ぎ取り、
その下に潜む人間の欲望と孤独を、鋭く、そして美しく描き出した傑作なのである。
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