
発売日:2017年8月4日
ジャンル:Singer-Songwriter / Piano Rock / Orchestral Pop / Americana
概要
Dark Matterは、Randy Newmanが2017年に発表したスタジオ・アルバムである。オリジナル曲を中心とするアルバムとしては2008年のHarps and Angels以来9年ぶりで、長年映画音楽でも活動してきたNewmanらしく、ピアノ主体の小さな歌から大規模なオーケストレーションまでが一枚に同居する。プロデュースはMitchell Froom、Lenny Waronker、David Boucherが担当した。70歳代に入ったソングライターが過去を静かに振り返るだけの作品ではなく、宗教、科学、人種、政治、歴史、家族、死といった大きな題材へ皮肉と物語を使って踏み込んでいる。
Newmanの作詞では、歌詞の「私」を本人と同一視できないことが以前から重要だった。本作でも「The Great Debate」の宗教家や科学者、「Putin」の誇張された権力者像のように、人物を演じながらその価値観を内側から風刺する曲が多い。一方、「Wandering Boy」「Lost Without You」ではその距離が縮まり、老いと家族をめぐる感情が静かに現れる。この風刺と親密さの往復がDark Matterの大きな特徴である。音楽もニューオーリンズR&B、ミュージカル、ブルース、カントリー、映画音楽的なオーケストラを行き来し、アメリカのポピュラー音楽そのものを材料としている。
全曲レビュー
1. 「The Great Debate」
8分を超える冒頭曲は、科学と宗教をめぐる論争を一種のミュージカルとして組み立てる。ゴスペル風の合唱、ピアノ、オーケストラが次々に現れ、科学者と信仰を語る側の主張が舞台上の登場人物のように交錯する。Newman自身の意見を説明文として歌うのではなく、それぞれの声を意図的に誇張することで、人が事実だけではなく感情や共同体によって信念を選ぶ様子まで風刺している。曲調まで立場ごとに変えるため、議論そのものを音楽劇として聞かせる異例のオープニングだ。
2. 「Brothers」
John F. KennedyとRobert F. Kennedyを登場人物にした架空の会話を通じ、政治史を奇妙な喜劇へ変える。キューバをめぐる話題と歌手Celia Cruzへの執着が並置され、国家的な問題と個人的な欲望の境界が崩れていく。Newmanは歴史上の人物を英雄として再現するのではなく、権力者にも俗っぽい衝動があるという設定で人間の小ささを見せる。ゆったりしたピアノとオーケストラが上品に響くほど、歌詞の馬鹿馬鹿しさが際立つ。
3. 「Putin」
Vladimir Putinを、圧倒的な力と自己愛を持つ漫画的な指導者として描いた風刺曲である。力強いピアノと男性的なリズムの上に「Putin Girls」の女性コーラスを置き、権力者を称賛するプロパガンダそのものをショーの形式へ変える。NewmanがPutin本人の内面を事実として説明しているのではなく、強さを演出する政治的イメージを極端に拡大したキャラクターとして描いている点が重要だ。陽気な音楽ほど権力への皮肉が鋭く聞こえる。
4. 「Lost Without You」
大掛かりな社会風刺から離れ、家族と死を扱う静かな曲へ移る。死を目前にした人物と、その周囲にいる家族の関係を描き、「あなたなしでは生きられない」という言葉が愛情であると同時に残される側の恐怖として響く。Newmanの歌は技巧的ではなく、年齢を重ねたざらついた声がピアノの上にほとんど無防備に置かれる。そのため感情を過剰に盛り上げる必要がなく、言葉の間にある沈黙まで曲の一部になる。
5. 「Sonny Boy」
ブルース・ミュージシャンSonny Boy Williamsonをめぐる複雑な名前と歴史を題材にし、アメリカ音楽史そのものを歌へ取り込む。Sonny Boy Williamsonを名乗った人物が複数存在したという事実を背景に、名声、模倣、所有権といった問題がユーモラスに浮かび上がる。演奏にもブルースの語法が使われるが、Newmanは単なる敬意表明にはせず、音楽産業が伝説を作る過程まで皮肉な視線で眺める。歴史研究とキャラクター・ソングが同居したような一曲である。
6. 「It’s a Jungle Out There (V2)」
テレビドラマ『Monk』のテーマとして知られる曲を新たな形で収録している。病原菌、犯罪、社会的不安が至るところに存在するという語り手の恐怖を、軽快なピアノとスウィング感のある演奏へ乗せることで、神経質さそのものを笑いへ変える。世界は危険だという主張を真顔で証明するのではなく、何もかも怖がる人物の視点を極端に押し出すのがNewmanらしい。重い題材が続く本作に短く機敏な変化をつける。
7. 「She Chose Me」
恋愛を扱った小さなピアノ・バラードで、社会や歴史を扱う曲とは対照的に、驚くほど単純な言葉を選んでいる。語り手が強調するのは自分の魅力ではなく、「彼女が自分を選んだ」という事実への驚きであり、そこに喜びと自己評価の低さが同時ににじむ。ストリングスは感情を大きくするものの、旋律自体は素朴で、Newmanの不完全な声がかえって説得力を持つ。皮肉をほぼ外したことで、アルバム後半の温度を大きく変える曲だ。
8. 「On the Beach」
海辺という開けた場所を題材にしながら、音楽には静かな孤独が漂う。ピアノを中心にゆったりと進み、Newmanは風景を大げさに美化せず、その場所にいる人物の小ささが見えるような距離で歌う。前半の登場人物たちが自分の信念や権力を声高に語っていたのに対し、ここでは説明されない感情の方が重要になる。終盤に向けて、アルバムを公的な世界から個人の記憶へ移していく一曲である。
9. 「Wandering Boy」
離れていった息子を思う父親の視点から書かれ、アルバムでも特に親密な曲である。相手がどこにいるのか、どんな暮らしをしているのかを思いながら、語り手は完全な和解や再会を物語として用意しない。Newmanのピアノと低い声は必要最低限で、オーケストラによる劇的な演出より言葉の重さを優先する。政治家や歴史的人物を自在に操ってきたアルバムが、最後に一人の親の無力さへたどり着くことで強い余韻を残す。
総評
Dark Matterの面白さは、Randy Newmanが「大きな問題」を大きな言葉だけで説明しないところにある。科学と宗教なら論争をミュージカルにし、政治なら権力者を漫画的な人物に変え、音楽史ならSonny Boy Williamsonという名前の混乱から語り始める。登場人物に問題のある発言をさせ、その人物自身の矛盾を聞き手に発見させる方法は初期から続くNewmanの得意技である。そのため歌詞の一節だけを作者本人の主張として読むと、本作の風刺はかなり見えにくくなる。
音楽面では、映画音楽家として長く活動してきた経験が大きく生きている。「The Great Debate」では複数の人物と場面をオーケストレーションだけでも描き分け、「Putin」ではコーラスを政治的な舞台装置として使う。一方で後半になると、ピアノと声を中心にした小さな曲が増える。巨大な編成を使える作曲家が、必要な場面では意図的に何も足さないため、「Lost Without You」や「Wandering Boy」の弱い声がかえって大きく聞こえる。
アルバム前半と後半の差も重要だ。前半では科学者、大統領、独裁的な指導者といった公的な人物が登場し、人間がどれほど自信満々に世界を説明するかが笑いの対象になる。ところが後半では、愛する人の死や、誰かに選ばれた喜び、離れた家族への心配など、理屈では処理できない感情が中心になる。社会風刺と私的なバラードは別々の要素に見えるが、「人間は自分が思うほど合理的でも強くもない」という視点ではつながっている。
9曲と比較的短い作品ながら、一曲ごとの構成や題材はかなり幅広い。特に長い「The Great Debate」は聴き手を選び、Newman独特の語り手と作者の距離に慣れていないと、歌詞の意図をつかみにくい場面もある。しかし、簡単な答えを提示しないこと自体がこの作家の強みでもある。Dark Matterは老成したシンガーソングライターの回顧録ではなく、政治や宗教をまだ笑いの対象にしながら、老いによって身近になった喪失には装飾を減らして向き合う作品である。その二つの声が同居することで、後期Randy Newmanの作家性が鮮明に見える。
おすすめアルバム
Harps and Angels by Randy Newman
2008年の前作。ニューオーリンズ風のピアノやオーケストラを使い、政治、宗教、老いを辛辣なユーモアで扱う。Dark Matterの社会風刺と晩年の内省がどこから続いているかを確認しやすい。
Sail Away by Randy Newman
1972年作。美しいピアノとオーケストレーションの裏で、奴隷制、宗教、アメリカ社会を問題のある語り手に語らせる。Dark Matterを理解するうえで重要な「作者と主人公を分ける」作詞法の代表例である。
Good Old Boys by Randy Newman
1974年作。アメリカ南部の人種、貧困、政治を複数の人物の視点から描き、偏見を単純な善悪へ整理しない。歴史とフィクションを混ぜながら社会を見るDark Matterの方法と深くつながる。
Life’ll Kill Ya by Warren Zevon
2000年作。死や老いが現実味を帯びる中で、乾いたユーモアと簡潔な歌を共存させている。Newmanとは語り口が異なるが、笑いを失わずに死や人間の弱さへ向き合う後期作品として響き合う。
I Love Everyone by Lyle Lovett
1994年作。カントリー、ジャズ、ゴスペルなどアメリカ音楽の語法を使いながら、奇妙な人物と乾いたユーモアを短い物語へまとめている。Newmanほど政治的ではないが、洗練された編曲とひねった語り手を両立する作曲法を比較できる。

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