
発売日:1996年6月
ジャンル:ネオ・サイケデリア、サイケデリック・フォーク、ローファイ、ガレージ・ロック、フォーク・ロック
概要
Thank God for Mental Illness は、アメリカのサイケデリック・ロック・バンド、The Brian Jonestown Massacreが1996年に発表したスタジオ・アルバムである。バンドの膨大なディスコグラフィの中でも、特にアコースティックでローファイな質感が強く表れた作品であり、同年に発表された他の作品、たとえば Their Satanic Majesties’ Second Request や Take It from the Man! と比較しても、より内省的で、荒削りで、フォーク寄りのアルバムとして位置づけられる。
The Brian Jonestown Massacreは、Anton Newcombeを中心に1990年代前半のサンフランシスコで活動を本格化させたバンドである。バンド名からも分かる通り、The Rolling StonesのギタリストBrian Jonesへの敬意と、アメリカのカルト的事件であるJonestown Massacreを組み合わせた挑発的な名称を持つ。音楽的には、1960年代のサイケデリック・ロック、ガレージ・ロック、フォーク・ロック、シューゲイズ、ドローン、東洋的な旋法、ローファイ録音を混ぜ合わせ、1990年代のオルタナティヴ・ロックの流れとは異なる地下的なサイケデリック美学を築いた。
本作の重要性は、The Brian Jonestown Massacreの多面性の中でも「壊れやすいフォーク的側面」を最も直接的に示している点にある。彼らはしばしば、The Rolling Stones、The Velvet Underground、The Jesus and Mary Chain、Spacemen 3、13th Floor Elevators、Love、The Byrdsなどの影響を受けたバンドとして語られるが、Thank God for Mental Illness では、激しいガレージ・ロックの衝動よりも、部屋の中で鳴らされるアコースティック・ギター、粗い録音、孤独な声、酩酊したような空気が中心に置かれている。
アルバム・タイトルの Thank God for Mental Illness は、非常に挑発的でありながら、The Brian Jonestown Massacreらしい逆説を含んでいる。精神的不安定さ、逸脱、過剰な感受性、社会的な不適合を、単なる破滅としてではなく、創造性や表現の源泉として扱うような響きがある。ただし、本作は精神疾患を単純に美化する作品ではない。むしろ、孤独、依存、愛の失敗、記憶の痛み、世界とのずれといったテーマを、ローファイな音響の中にそのまま閉じ込めた作品である。美しいメロディがある一方で、その背後には不安定な精神状態や、現実から少し外れたような感覚が漂っている。
音楽的には、アコースティック・ギターの反復、簡素なパーカッション、ハーモニカ、素朴なメロディ、ざらついたヴォーカルが中心である。豪華なスタジオ・プロダクションではなく、むしろ録音の粗さそのものが作品の質感になっている。これは1990年代のローファイ文化とも結びつく。Sebadoh、Guided by Voices、Pavementなどが見せた、完成度よりも瞬間のリアリティを重視する感覚と共通する部分がある。ただし、The Brian Jonestown Massacreの場合、そのローファイ感はインディー・ロック的な脱力だけでなく、1960年代サイケデリック・フォークの亡霊を呼び戻すための装置として機能している。
本作はまた、Anton Newcombeのソングライターとしての裸の姿を捉えた作品でもある。後年のThe Brian Jonestown Massacreには、より厚みのあるサイケデリック・サウンドや、ドローン的な反復、エレクトロニックな要素も現れるが、ここでは比較的簡素な楽曲構造の中に、彼のメロディ感覚、皮肉、傷つきやすさ、混乱が表れている。バンドのカルト的なイメージや混沌とした逸話を抜きにしても、Thank God for Mental Illness は優れたサイケデリック・フォーク/ローファイ・ロック作品として聴くことができる。
全曲レビュー
1. Spanish Bee
オープニング曲「Spanish Bee」は、本作の雰囲気を決定づける重要な楽曲である。アコースティック・ギターの素朴な響きと、どこか異国的な旋律感が組み合わされ、タイトル通りスペイン風、あるいは地中海的な乾いた空気を感じさせる。The Brian Jonestown Massacreのサイケデリック性は、必ずしも派手なエフェクトや長大なギター・ソロだけで成り立つわけではない。本曲のように、簡素なコード進行と声の揺れだけで、現実から少しずれた感覚を作り出すことができる。
歌詞は、明確な物語を語るというより、感情の断片やイメージを重ねる形で進む。蜂というモチーフは、小さく不安定に飛び回る存在であり、甘さと刺す痛みを同時に持つ。これはアルバム全体の性格とも重なる。美しいメロディの中に、どこか危うい痛みが潜んでいる。
音楽的には、ローファイな録音が大きな役割を果たしている。音の粗さは欠点ではなく、むしろ部屋の中で鳴っているような近さを生む。リスナーは完成されたスタジオ作品を聴いているというより、誰かの私的な記録に立ち会っているような感覚を得る。アルバムの入口として、本作が内向的で、手触りのあるサイケデリック・フォーク作品であることを強く示している。
2. It Girl
「It Girl」は、1960年代的なポップ感覚と、The Brian Jonestown Massacre特有の皮肉が交差する楽曲である。タイトルの「It Girl」は、時代の象徴となる魅力的な女性、流行の中心にいる人物を指す言葉であり、華やかさや偶像性を含んでいる。しかし本曲では、その言葉が単純な憧れとしてではなく、距離感や不信を含んだ視線の中で響く。
音楽的には、簡素なアコースティック・ロックとして成立しているが、メロディには非常に強いフックがある。The Brian Jonestown Massacreの魅力は、粗い録音や混沌としたイメージの裏に、実は非常にポップなメロディ感覚が存在する点にある。本曲もその例で、飾り気は少ないが、歌の輪郭は明確である。
歌詞のテーマは、魅力的な人物への接近と、その裏にある空虚さの認識として読める。理想化された女性像、ポップ・カルチャーが作り出す偶像、恋愛対象としての幻想が、曲の中で少しずつ崩れていく。The Rolling Stones的な女性像への皮肉や、The Velvet Underground的な都市の退廃感とも接点がある。短い曲ながら、本作における愛と幻滅のテーマをよく表している。
3. 13
「13」は、タイトルからして不吉さや思春期的な不安定さを想起させる楽曲である。数字の13は西洋文化において不運の象徴として扱われることが多く、同時に若さや境界の年齢を連想させることもある。本曲では、その曖昧な不吉さが、ローファイなフォーク・ロックの形で表現されている。
音楽的には、シンプルなギターとヴォーカルを中心にした作りで、過剰な装飾はない。だからこそ、Anton Newcombeの声の揺れや、録音のざらつきが強く印象に残る。The Brian Jonestown Massacreのローファイ作品において、音の不完全さは心理状態の不安定さと直結している。綺麗に整えられていない音だからこそ、歌の中にある弱さや危うさがそのまま伝わる。
歌詞は、若さ、破滅への予感、制御できない感情を示唆している。明確に説明されるよりも、曖昧なまま残されることで、聴き手は曲全体の空気から不安を感じ取ることになる。アルバム序盤において、「Spanish Bee」や「It Girl」の持つ軽やかなサイケデリック感に、より暗い影を加える役割を果たしている。
4. Ballad of Jim Jones
「Ballad of Jim Jones」は、アルバムの中でも特にタイトルが重い意味を持つ楽曲である。Jim Jonesは、人民寺院の指導者として知られ、1978年のジョーンズタウン集団死事件と結びつく人物である。The Brian Jonestown Massacreというバンド名自体がこの事件を想起させるため、本曲はバンドの名前と直接的に響き合う重要な楽曲である。
「Ballad」という形式は、本来、物語を歌う民謡的な形式を意味する。本曲では、歴史的な悲劇やカルト的な支配のイメージが、素朴なフォーク・ソングの形で提示される。この対比が重要である。大規模な悲劇や狂気を、派手なロック・サウンドではなく、あえて簡素な語りの形式で扱うことで、逆に不気味さが増している。
音楽的には、アコースティックな響きが中心で、曲そのものは過剰に劇的ではない。しかし、その抑制された音が、歌詞のテーマと結びつくことで強い緊張を生む。The Brian Jonestown Massacreのサイケデリアは、単に幻覚的で美しいだけではなく、カルト、狂信、集団心理、破滅のイメージにも接続している。本曲はその暗い側面を端的に示す一曲である。
5. Those Memories
「Those Memories」は、タイトル通り記憶をテーマにした楽曲である。本作全体には、過去の恋愛、失われた感情、消えない傷のようなものが繰り返し現れるが、本曲ではそれが比較的直接的に表現されている。記憶は単なる懐かしさではなく、現在の自分にまとわりつくものとして描かれる。
音楽的には、柔らかなフォーク調の曲であり、アコースティック・ギターの響きが中心にある。メロディは素朴で、過度な展開はない。その簡素さが、記憶の断片のような感覚を強めている。完成されたドラマではなく、ふとした瞬間に頭をよぎる過去の断片として曲が存在している。
歌詞では、過去を忘れられない状態、あるいは忘れようとしても戻ってくる感情が示唆される。The Brian Jonestown Massacreの音楽における「記憶」は、甘美であると同時に有害である。美しいものとして保存される一方で、それに縛られることで現在が歪んでいく。本曲は、本作のローファイな親密さと、心理的な痛みが結びついた重要な小品である。
6. Stars
「Stars」は、アルバムの中でも詩的で開放的なイメージを持つ楽曲である。星というモチーフは、遠さ、憧れ、孤独、夜、宇宙的な広がりを連想させる。The Brian Jonestown Massacreのサイケデリック性は、外へ広がる宇宙的な感覚と、内側へ沈む心理的な感覚の両方を持っている。本曲では、その二つが静かに交差している。
音楽的には、シンプルなフォーク・ロックの構造を持ちながら、メロディには淡い浮遊感がある。派手なエフェクトを使わずとも、声とギターの揺れによって、夜空を見上げるような感覚が生まれる。ローファイ録音の粗さは、星の輝きのような透明感とは対照的だが、その対比が曲に独特の味わいを与えている。
歌詞は、遠くにあるものへの憧れ、手の届かない存在、孤独の中で見上げる光といったテーマを含んでいる。The Brian Jonestown Massacreの音楽では、救済はしばしば遠くにある。星は見えるが触れられない。この距離感が、曲全体に静かな悲しみを与えている。
7. Free and Easy, Take 2
「Free and Easy, Take 2」は、タイトルの通り、自由で気楽な雰囲気を持ちながら、同時に録音の生々しさを感じさせる楽曲である。「Take 2」という表記は、完成品というよりも録音の過程をそのまま見せるような感覚を与える。これは本作のローファイ美学と非常に相性がよい。完璧に磨かれた演奏ではなく、その場で鳴った音の手触りが重視されている。
音楽的には、軽快なアコースティック・グルーヴが中心で、どこか酒場のフォーク・ソングのような親密さがある。The Brian Jonestown Massacreの持つ60年代的な感覚は、サイケデリック・ロックだけでなく、フォークやブルースの土臭さにも根ざしている。本曲はその側面をよく示している。
歌詞のテーマは、タイトル通り自由さや気楽さを連想させるが、実際にはその自由が完全な幸福として響くわけではない。むしろ、社会の規範や人間関係の重さから一時的に逃れるような軽さである。自由であることは、同時に孤独であることでもある。本曲の脱力した雰囲気の背後には、そのような曖昧な感覚が残る。
8. Down
「Down」は、タイトルからも分かる通り、沈み込む感覚を持つ楽曲である。精神的な落ち込み、関係性の下降、社会的な位置からの脱落など、複数の意味を含む言葉である。本作のタイトルが示す精神的不安定さのテーマとも直接的に結びつく。
音楽的には、比較的暗く、沈んだ雰囲気を持つ。アコースティック・ギターの反復が曲に単調な重みを与え、ヴォーカルには諦めに近い感情が漂う。華やかなサイケデリアではなく、部屋の隅で鳴っているような孤独なフォーク・ロックである。
歌詞では、何かが下がっていく、あるいは自分が落ちていく感覚が表現されていると読める。The Brian Jonestown Massacreの音楽における下降は、単なる絶望ではなく、地下へ潜るような運動でもある。表面的な世界から離れ、より暗く、個人的で、歪んだ場所へ向かう。この曲は、アルバム中盤においてその内向的な方向性を強めている。
9. Cause I Love Her
「Cause I Love Her」は、タイトルの直接性が印象的なラヴソングである。ただし、The Brian Jonestown Massacreにおける愛は、安定した幸福として描かれることは少ない。ここでの愛は、執着、痛み、理由にならない理由、説明できない感情として存在している。「彼女を愛しているから」という言葉は単純だが、その単純さゆえに逃れられない感情の強さを示している。
音楽的には、素朴なメロディと簡素な演奏が中心で、歌の感情が前面に出ている。ローファイな録音は、愛の告白を美しく整えるのではなく、未整理のまま残す。声の粗さや演奏の揺れが、むしろ感情のリアリティを強めている。
歌詞では、愛する理由を説明することよりも、愛しているという事実そのものが強調される。これはロックやフォークのラヴソングにおいて古典的な主題であるが、The Brian Jonestown Massacreの場合、そこに依存や不安定さが混ざる。愛は救済であると同時に、精神をさらに揺さぶるものでもある。本曲は、本作の中で最も素朴な愛の表現の一つである。
10. Too Crazy to Care
「Too Crazy to Care」は、アルバム・タイトルとも強く響き合う楽曲である。「気にするには狂いすぎている」という意味のタイトルは、社会的な規範や評価、他者の判断から逸脱した状態を示している。これはThe Brian Jonestown Massacreのバンド像とも重なる。彼らは洗練された商業的成功よりも、過剰な創作、混沌、自己破壊的なエネルギーによって語られてきた。
音楽的には、軽さと投げやりな雰囲気が同居している。明るく聴こえる部分もあるが、その背後には諦めや冷笑が感じられる。ローファイな録音は、タイトルにある無頓着さをそのまま音にしているようでもある。きれいに整えることを拒む音作りが、曲の主題と一致している。
歌詞では、社会的な常識や感情の整理から離れた人物像が描かれる。気にしないという態度は自由にも見えるが、同時に深い疲弊の表れでもある。あまりにも傷つき、あまりにも混乱しているために、もう気にすることができない。そのような心理状態が、本曲の軽薄さの裏に潜んでいる。
11. Talk-Action=Shit
「Talk-Action=Shit」は、タイトルからしてThe Brian Jonestown Massacreらしい攻撃性と皮肉が表れている。言葉だけで行動が伴わないものは無価値である、という非常に直接的なメッセージを持つタイトルである。本作の多くの曲が内省的で曖昧なイメージを持つ中、この曲は比較的明確な批判性を持っている。
音楽的には、短く鋭いフォーク・ロック的な曲であり、言葉のリズムと演奏の荒さが噛み合っている。The Brian Jonestown Massacreの反権威的な姿勢、インディペンデントな感覚、周囲への不信が凝縮されている。録音の粗さも、ここでは攻撃性として機能している。
歌詞のテーマは、口先だけの人物や、空虚な態度への批判として読める。1990年代の音楽シーンにおいて、オルタナティヴやインディーが商業化していく中で、The Brian Jonestown Massacreはしばしばその外側に立つ存在だった。本曲は、そうした外部者としての苛立ちを短く吐き出したような楽曲である。
12. True Love
「True Love」は、タイトルだけを見ると非常に普遍的なラヴソングのように見える。しかしThe Brian Jonestown Massacreの文脈では、「真実の愛」という言葉はどこか疑わしく、壊れやすいものとして響く。本作における愛は、しばしば執着や記憶、失望と結びついているため、この曲のタイトルも単純な幸福としては受け取れない。
音楽的には、穏やかでメロディアスなフォーク・ソングであり、アルバム後半に静かな感情の中心を作る。演奏は簡素で、歌の輪郭がよく見える。ローファイな質感は、愛の不完全さをそのまま示しているようでもある。美しく整えられたラヴソングではなく、少し傷んだ記録としてのラヴソングである。
歌詞では、真実の愛を求める感情、あるいはそれを失った後の痛みが感じられる。The Brian Jonestown Massacreの歌詞はしばしば断片的だが、その断片性がむしろ愛の不確かさを表している。愛は明確な答えではなく、記憶と欲望の間で揺れるものとして描かれる。本曲は、本作の繊細な側面を示す重要曲である。
13. Sound of Confusion
「Sound of Confusion」は、タイトル通り混乱の音を示す楽曲である。これはThe Brian Jonestown Massacreというバンドの本質をよく表す言葉でもある。彼らの音楽は、1960年代の参照、ローファイな録音、サイケデリックな揺らぎ、フォーク的な素朴さ、ガレージ・ロックの粗暴さが混ざり合い、整然としたジャンル分類を拒む。
音楽的には、アルバム終盤にふさわしい、やや荒れた空気を持つ。メロディはあるが、録音の質感や演奏の揺れが混乱の感覚を強めている。タイトルはSpacemen 3の作品を連想させるものでもあり、The Brian Jonestown Massacreが受け継いだネオ・サイケデリアの系譜を意識させる。ドローン的な反復や、精神状態そのものを音にする感覚は、Spacemen 3やThe Velvet Undergroundの流れとも接続している。
歌詞は、混乱を整理するのではなく、混乱した状態そのものを鳴らす方向に向かっている。The Brian Jonestown Massacreにおいて、混乱は失敗ではなく、表現の素材である。本曲は、アルバム全体に漂っていた精神的不安定さ、愛の痛み、記憶の断片を、より直接的なタイトルでまとめる役割を持っている。
14. Arkansas Revisited
ラストを飾る「Arkansas Revisited」は、本作の中でも特に長く、組曲的な性格を持つ楽曲である。タイトルは「再訪されたアーカンソー」を意味し、アメリカ南部、旅、記憶、フォーク・ミュージックの土着性を連想させる。アルバム全体がローファイなサイケデリック・フォークとして進んできた後、この曲ではその世界がより広いアメリカーナ的な風景へ接続される。
音楽的には、複数の断片が連なっていくような構成を持ち、通常のロック・ソングというより、録音された旅の記録、あるいは崩れかけたフォーク組曲のように響く。アコースティック・ギター、素朴な歌、反復するフレーズが積み重なり、ひとつの明確なクライマックスへ向かうというより、時間の中を漂う。これはアルバム全体のローファイ美学を拡張した終曲である。
歌詞やタイトルの示すテーマは、過去への再訪、アメリカ的な土地の記憶、失われた場所へのまなざしである。The Brian Jonestown Massacreはしばしば英国的な60年代ロックへの憧れで語られるが、本曲ではアメリカのフォーク、カントリー、南部的な空気も感じられる。アルバムの最後にこの曲が置かれることで、本作は単なる個人的な精神状態の記録にとどまらず、アメリカの地下音楽、フォーク伝統、サイケデリックな放浪感へと広がっていく。
総評
Thank God for Mental Illness は、The Brian Jonestown Massacreの作品群の中でも、特にローファイでアコースティックな側面を強く示したアルバムである。派手なサイケデリック・ロックの音響や、ガレージ・ロックの爆発力を期待すると、本作は非常に地味に感じられるかもしれない。しかし、その地味さこそが本作の本質である。ここにあるのは、巨大な音の壁ではなく、ざらついた部屋鳴り、揺れる声、簡素なギター、傷ついたメロディである。
アルバム全体を貫くテーマは、精神的不安定さ、愛の失敗、記憶、孤独、社会とのずれである。「Spanish Bee」や「Stars」には詩的な浮遊感があり、「Ballad of Jim Jones」にはカルト的な不穏さがある。「Those Memories」や「True Love」では過去の感情が静かに残り、「Too Crazy to Care」や「Talk-Action=Shit」では自己防衛的な投げやりさや批判性が現れる。そして「Arkansas Revisited」では、個人的な混乱がアメリカーナ的な放浪感へ広がっていく。全体として本作は、整った物語ではなく、精神状態の断片を並べたようなアルバムである。
音楽的には、1960年代のフォーク・ロックやサイケデリック・フォークの影響が色濃い。The ByrdsやLoveのメロディ感覚、The Velvet Undergroundのローファイで危うい空気、Spacemen 3的な意識の揺らぎ、さらに古いアメリカン・フォークの素朴さが混ざり合っている。ただし、The Brian Jonestown Massacreはそれらを単に再現するのではなく、1990年代のインディー/ローファイ的な感覚で再解釈している。過去の音楽への憧れと、当時の地下的な録音文化が結びついている点が重要である。
本作の録音の粗さは、聴き方によっては欠点にもなり得る。しかし、このアルバムにおいては、粗さが作品の核心になっている。音が荒いからこそ、歌が近く感じられる。演奏が完全に整えられていないからこそ、精神の揺れが伝わる。ローファイとは単に低予算という意味ではなく、磨き上げられた商業的な音からこぼれ落ちるものを保存する方法でもある。本作は、その意味でローファイ・サイケデリック・フォークの重要な記録である。
歌詞面では、明確なストーリーテリングよりも、断片的なイメージと感情の揺れが中心である。愛、記憶、狂気、批判、孤独が繰り返し現れるが、それらは整理されたメッセージとして提示されるのではなく、半ば即興的な言葉として残されている。これはAnton Newcombeの作風の特徴でもある。彼の音楽は、完璧に構築された作品というより、過剰な創作衝動の中から生まれた記録として響く。そのため、聴き手は歌詞を論理的に解釈するだけでなく、声の質感、言葉の投げ出され方、曲の空気から意味を感じ取る必要がある。
日本のリスナーにとって本作は、The Brian Jonestown Massacreの入門としては少し特殊な位置にある。よりバンドらしいサイケデリック・ロックの厚みを求めるなら、Their Satanic Majesties’ Second Request や Take It from the Man! の方が分かりやすい。一方で、Anton Newcombeのソングライティングの核、つまりアコースティックなメロディ、ローファイな親密さ、傷ついた感情の表現を理解するには、Thank God for Mental Illness は非常に重要である。
また、本作は1990年代のアメリカ地下ロックの文脈でも興味深い。グランジやオルタナティヴ・ロックが商業的に拡大していく中で、The Brian Jonestown Massacreはより古いサイケデリック・ロックやフォークに接続しながら、ローファイな方法で独自の音楽を作っていた。これは、当時の主流ロックとは別の時間軸を生きるような行為である。1960年代の亡霊を呼び戻しながら、1990年代の地下文化の中で鳴らす。そのねじれた時間感覚こそが、The Brian Jonestown Massacreの魅力である。
総じて Thank God for Mental Illness は、美しく整った名盤というより、壊れかけた感情と過去の音楽の残響が同居する、危うく親密な作品である。サイケデリック・ロックの派手な側面ではなく、孤独な部屋の中で鳴るフォークとしてのサイケデリアを記録している。The Brian Jonestown Massacreの混沌、繊細さ、皮肉、ロマンティシズムを理解するうえで欠かせない一枚であり、ローファイ・サイケデリック・フォークの重要作として評価できるアルバムである。
おすすめアルバム
1. The Brian Jonestown Massacre – Their Satanic Majesties’ Second Request
同じ1996年に発表された作品で、The Brian Jonestown Massacreのサイケデリック・ロック志向がより明確に表れたアルバムである。The Rolling Stonesの Their Satanic Majesties Request を意識したタイトル通り、1960年代サイケデリアへの参照が濃く、東洋的な響きやドローン感も含まれている。Thank God for Mental Illness のフォーク的側面と対比することで、バンドの幅広さが理解できる。
2. The Brian Jonestown Massacre – Take It from the Man!
ガレージ・ロック色が強い作品であり、The Rolling StonesやThe Kinks、初期The Whoなどの影響を感じさせる荒々しいロックンロールが中心である。Thank God for Mental Illness の内省的でアコースティックな質感とは対照的に、こちらはより電気的で攻撃的なバンド・サウンドを楽しめる。1996年のThe Brian Jonestown Massacreの創作量と多面性を知るうえで重要な一枚である。
3. The Velvet Underground – The Velvet Underground
ローファイな親密さ、フォーク的な静けさ、都市的な孤独を結びつけた作品として、本作との親和性が高い。派手な実験よりも、簡素な演奏と生々しい声によって深い感情を表現している点が共通する。The Brian Jonestown Massacreの内省的な側面を理解するうえで、重要な参照作品である。
4. Spacemen 3 – The Perfect Prescription
ネオ・サイケデリア、ドローン、ミニマルな反復、薬物的な浮遊感を結びつけた重要作である。Thank God for Mental Illness の「Sound of Confusion」に見られるような混乱や意識の揺らぎを、よりドローン的で催眠的な形で体験できる。The Brian Jonestown Massacreが受け継いだサイケデリックな地下性を理解するために有効なアルバムである。
5. Love – Forever Changes
1960年代サイケデリック・フォーク/バロック・ポップの名盤であり、美しいメロディの背後に不安や破滅の感覚が漂う点で、本作と深く通じる。音作りはより洗練されているが、明るいフォーク・ロックの表面に不穏な精神性が潜む構造は共通している。The Brian Jonestown Massacreのフォーク的サイケデリアを歴史的に理解するうえで重要な一枚である。

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