1. 歌詞の概要
「Sugar Mice(シュガー・マイス)」は、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンド、マリリオン(Marillion)が1987年に発表した4枚目のスタジオ・アルバム『Clutching at Straws』に収録されたバラードであり、フィッシュ(Fish)在籍時代の中でも特に感情表現に優れた作品として知られる。楽曲は、経済的・社会的な困難に直面した一人の男が、自己破壊の淵に立たされながら、愛する者たちとの関係を見つめ直すという、極めて個人的かつ社会的なテーマを含んでいる。
歌詞の語り手は、アメリカのバーで孤独に酒をあおる労働者の男であり、仕事を失い、家族と離れ離れになり、自分の存在価値を見失いつつある状態にある。彼は電話を通じて妻に謝罪し、自分の無力さ、過ち、そしてそれでもなお残っている家族への愛を語る。その姿は、時代に取り残された“普通の男”の縮図として描かれ、切なく、痛ましく、そして静かに美しい。
タイトルの「Sugar Mice(砂糖菓子のネズミ)」は、イギリスで子ども向けに売られていた砂糖菓子を指しており、「壊れやすく、儚い存在」の象徴である。語り手は自分たちを「壊れてしまったシュガー・マイス」と形容し、社会の中で傷つきながら生きる者の悲哀を詩的に表現している。
2. 歌詞のバックグラウンド
『Clutching at Straws』は、アルコール依存や鬱、芸術と現実の間で苦悩する芸術家の姿を描いたコンセプト・アルバムであり、「Sugar Mice」はその中でも特に内省的な楽曲である。フィッシュは、スコットランド出身の労働者階級の出身であり、自身の父親や親戚たちが炭鉱夫や建設労働者として働いていた現実を背景に、この曲を通して“労働者の孤独”を極めてリアルに描き出している。
また、当時のイギリスではサッチャー政権下での急激な経済構造改革が進み、多くの地方労働者が職を失っていた。フィッシュはその社会的状況を背景に、自分たちの居場所を失い、崩壊していく家庭と男性のプライドを、個人の視点から描いた。
この曲は、1987年にシングルとしてリリースされ、UKチャートで22位を記録。商業的成功というよりは、その感情の深さと誠実さにより、今なおファンの間で高く評価されている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Sugar Mice」の象徴的な歌詞の一部と和訳を紹介する(出典:Genius Lyrics)。
“I was flicking through the channels on the TV / On a Sunday in Milwaukee in the rain”
「ミルウォーキーの雨の中、日曜のテレビをぼんやり眺めてた」
(孤独と虚無を象徴する冒頭)
“Trying to piece together conversations / Trying to find out where to lay the blame”
「過去の会話を思い出してみたり / 誰のせいだったのかを考えてみたり」
“But when it comes right down to it / There’s no use trying to pretend”
「でも結局 / ごまかしても意味がないんだ」
“For when it gets right down to it / There’s no one here that’s left to blame”
「誰のせいでもない / もうここには誰も残っていないんだ」
“Do you remember me / I was the one who burned your name into my arm”
「僕のことを覚えてる? / 君の名前を腕に焼きつけたのは僕だよ」
“But love lies bleeding in the bedroom / And the wounds are growing worse”
「愛は寝室で血を流していて / 傷はどんどん深くなっていく」
“‘Cause I never meant to hurt you / No, I never meant to do you wrong”
「君を傷つけるつもりなんてなかった / 間違えるつもりなんてなかったんだ」
“We’re just sugar mice in the rain”
「僕たちはただの砂糖菓子のネズミ / 雨の中じゃ溶けてしまうだけなんだ」
この最後のラインは、人生の儚さ、弱さ、そして抗いがたい運命を詩的かつ感動的に表現しており、マリリオンの中でも最も印象的な一節として語り継がれている。
4. 歌詞の考察
「Sugar Mice」は、感情的にはラブソングでありながら、社会的には“労働者階級の挫折”というテーマを内包している複層的な楽曲である。語り手は、自分が“家族のため”に働きに出たつもりが、気づけば家庭からも社会からも疎外され、アルコールに逃げながら生きている。
歌詞の中には、夫として、父として、男としてのプライドと自己嫌悪が複雑に絡み合っており、それを「雨に溶けるシュガー・マイス」という比喩で表現するセンスは、フィッシュの詩人としての真骨頂と言える。
“シュガー・マイス”とは壊れやすい幸福、脆い愛、崩れていくアイデンティティの象徴であり、それでも語り手は最後に「君を傷つけたくなかった」と繰り返すことで、後悔と償いの気持ちを静かに伝えている。
この楽曲が心を打つのは、その語り口が決して大仰にならず、誠実で、弱さを隠さないところにある。彼はヒーローではなく、誰にでもなり得る“ひとりの男”であり、その普遍性こそが「Sugar Mice」を永遠のバラードたらしめている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “The Final Cut” by Pink Floyd
戦争帰還兵と家族のすれ違いを描いた、社会的・個人的に深いバラード。 - “A Better Man” by Thunder
自分の過ちと向き合いながら、立ち直ろうとする男の物語。 - “Fugazi” by Marillion
内面の葛藤と現実との乖離をより狂気的に描いた、フィッシュ時代のマリリオンを代表する一曲。 - “Father and Son” by Cat Stevens
父親と息子、それぞれの立場からの葛藤を描いた対話形式の名曲。 - “Misplaced Childhood”(アルバム全体)by Marillion
「Sugar Mice」の感情表現と地続きにあるコンセプチュアルな作品。
6. 失われた“男性性”と癒えない社会の傷
「Sugar Mice」は、サッチャー時代のイギリスで“役割”を失った労働者階級の男性を象徴する歌でもある。近代化、グローバル化の波の中で、自分の存在意義を見出せず、酒と孤独に沈んでいく男たち。その姿は、80年代イギリスの社会問題そのものであり、同時に“家庭を支えるべき存在”としての男が崩壊していく過程でもあった。
その意味で「Sugar Mice」は、失恋の歌ではなく、“時代の喪失”を歌った作品である。愛も、家族も、仕事も、すべてが手の中で溶けていく。そして、語り手はそれを止める術を持たず、ただ電話口で「ごめん」としか言えない――その無力さが、逆に人間の切なさと美しさを際立たせている。
マリリオンの「Sugar Mice」は、愛と喪失、社会と個人、誇りと後悔といった、複雑な感情を静かに、しかし深く掘り下げたバラードである。その優しさ、弱さ、誠実さは、聞くたびに心の奥底を震わせる。フィッシュの筆致は詩であり、物語であり、そして時代の証言である。私たちは皆、雨の中に置き去りにされた“砂糖のネズミ”なのかもしれない――そんな問いをそっと差し出すこの曲は、今もなお、確かなリアリティを伴って響いている。
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