発売日: 1991年10月14日(米国未発売)
ジャンル: オルタナティブ・ポップ、シンセポップ、アート・エレクトロニカ
『Queer』は、Thompson Twinsが1991年にリリースした最後のスタジオ・アルバムであり、
彼らの音楽的旅路における最終章にして最も異色の作品である。
1980年代のポップスターとしての華やかな時期から遠く離れ、
トム・ベイリーとアラナ・カリーの2人は“Thompson Twins”という名前のもと、
時代の変化に鋭敏に反応しながら、エレクトロ/オルタナ的音響へと踏み込んでいく。
本作のスタイルは、打ち込み主体のクールなサウンドと、90年代的なミニマリズム、
そしてサンプリングやトリップホップ的手法を取り入れた**“脱構築されたポップ”**である。
アルバムタイトル「Queer」は、“奇妙な”という意味だけでなく、
ノーマル/非ノーマルの境界を問い直す政治的・美学的なコンセプトとして機能している。
80年代のポップにあった「整った美しさ」から離れ、
ズレや異物感を前面に出した表現へとシフトした姿勢は、
結果的に“Thompson Twinsの終幕”としても、“未来への入口”としても読める。
全曲レビュー
1. Come Inside
トリップホップを思わせる遅いビートに、官能的で冷ややかなヴォーカルが乗る。
オープニングからして従来のThompson Twinsとは一線を画すサウンド。
スリムでクール、だがどこか張り詰めた緊張感が漂う。
2. Flower Girl
タイトルとは裏腹に、エレクトロ・インダストリアル風のビートが重苦しく響く。
美しさのなかに毒を仕込むような構成で、音のミステリーが展開する。
3. Queer
アルバムのタイトル曲にしてコンセプトの中核。
ジェンダーや社会的異端性を示唆するリリックが、ミニマルなビートの中でリフレインされる。
不協和と快楽が混在する、不思議な高揚感。
4. Groove On
ダンサブルでありながら、グルーヴそのものが“疑わしいもの”として描かれているような印象。
従来のポップ感覚を皮肉るようなメタ構造。
5. Strange Jane
アンダーグラウンドな都市の風景と、名前のない不安を描くようなリリック。
静かに語るようなヴォーカルが、耳元でささやく。
6. Flesh and Blood
“肉と血”という直喩的タイトルの通り、生々しさと官能が強調される。
ベイリーのヴォーカルが内的で囁くように響き、打ち込みの音像と対比をなす。
7. The Saint
宗教的イメージを下敷きにした、神秘的かつ破壊的な楽曲。
神聖と不穏が重なり合う、90年代的な“スピリチュアル・ノイズ”の萌芽が感じられる。
8. Wind It Up
アシッド・ハウスやアンダーワールドを思わせるような反復型ビート。
ヴォーカルはほとんど装飾として機能し、リズムとテクスチャが前面に出る。
9. Strange Jane (Reprise)
5曲目の変奏曲。ドローン的な持続音と、エフェクト処理された声が絡み合う。
アルバムの中でもっとも抽象的なトラックで、実験性が際立つ。
10. Come Inside (Feedback Max Mix)
オープニング曲のリミックス版。クラブ志向のリズムが強化され、
本作が持っていた“異物感の快楽”がより露骨に引き出されている。
総評
『Queer』は、Thompson Twinsという名前での活動の終焉にして、もっとも“音楽的に自由だった瞬間”である。
ポップスターの衣を脱ぎ捨て、名声の重さもヒットの公式も脇に置き、
“今、自分たちが鳴らしたい音”に忠実であろうとした結果、
生まれたのは脱構築された、アイデンティティと音響の冒険だった。
本作は商業的にはまったく成功せず、アメリカではリリースすらされなかった。
だが1990年代以降のエレクトロニカ、IDM、トリップホップなどの隆盛を先取りしていたとも言え、
時代が追いつけなかった傑作として、いまなお評価を待つアルバムでもある。
『Queer』は、かつての“MTVポップ”の記憶を持つすべてのリスナーに、
その音楽がいかに変容しうるかを問い直す静かでラディカルな声明なのだ。
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