1. 歌詞の概要
「Nothing Even Matters」は、Lauryn Hillのソロアルバム『The Miseducation of Lauryn Hill』に収録された一曲で、D’Angeloとのデュエットという形で届けられる、官能的かつ深淵なラブソングである。
この曲が描いているのは、世界のすべてが霞んでしまうほどに深い愛の状態。社会的地位や外の騒がしさ、物質的な欲望さえも無意味に感じられてしまうほど、ふたりの間に流れる愛がすべてを満たしているという感覚だ。
静かでしっとりとしたトーンで語られるその感情は、激しさよりもむしろ静けさの中に燃える熱を思わせる。
タイトルの「Nothing Even Matters(もう他のことなんて、どうでもいい)」は、恋愛の絶対的な没入感を見事に言い表している。これは単なる恋愛の歌ではなく、現実を超越した“魂の一致”とも言うべき境地を歌った作品なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
この曲は、90年代ネオソウルの黄金時代を象徴するふたり、Lauryn HillとD’Angeloの共演によって生まれた。
Hillは当時、Fugeesの解散後に自身の音楽的・精神的アイデンティティを再構築している時期であり、一方のD’Angeloもアルバム『Brown Sugar』で注目され、ソウルミュージックの再興を牽引する存在だった。
そんなふたりが共に作り上げたこの曲は、プロダクションにおいても極めてミニマル。ドラムのないアレンジ、空間を大切にした音作り、穏やかなピアノの響き――すべてが「語り合い」や「共鳴」というテーマに収束している。
この曲の魅力は、その音楽的静謐さと、ふたりの歌声の“交差”にある。Laurynの伸びやかながら抑制されたボーカル、D’Angeloの柔らかく深みのある声。それぞれが溶け合いながらも、決して同化せず、個としての存在感を保っている。
それはまるで、ふたりの魂が隣り合いながら寄り添うような感覚なのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下は「Nothing Even Matters」の印象的な一節である。出典はgenius.comより。
Now the skies could fall
たとえ空が崩れ落ちようともNot even if my boss should call
上司から呼び出されたとしてもThe world it seems so very small
世界はあまりにちっぽけに見える‘Cause nothing even matters at all
だって、もう他のことなんてどうでもいいからSee I don’t need no alcohol
お酒なんて必要ないYour love makes me feel ten feet tall
あなたの愛だけで、私は空高く舞い上がれるAnd nothing even matters at all
もう、本当に他のことなんて意味をなさない
このように、歌詞全体を貫いているのは、「あなた」という存在だけがすべてを満たしてしまうという、深い没入と完全な信頼である。
4. 歌詞の考察
「Nothing Even Matters」の核心にあるのは、“愛による世界からの切断”である。
Lauryn Hillはここで、現実世界での喧騒や責任、プレッシャーといったものすべてが、あるひとつの関係性によって意味を失う感覚を描き出している。
これは自己喪失ではなく、むしろ自己の完全な開示と充足である。すべてが「どうでもよくなる」というのは、無関心や諦めではなく、最も大切なものを見つけたという感情の裏返しだ。
「上司からの呼び出し」や「アルコール」といった俗世的なアイテムを排除しながら、Hillはその代わりに“愛の中にすべてがある”という逆説的な豊かさを歌っている。
また、D’Angeloとの掛け合いは、ふたりの視点が一致していることを表しており、この楽曲が独白ではなく“対話”として成立していることを印象づける。
それぞれのパートにおいて「Nothing even matters」というリフレインが繰り返されるたびに、その言葉はただのフレーズではなく、ふたりの世界にしか存在しない“真理”として響くのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Send It On by D’Angelo
同じくミニマルでスピリチュアルな愛の表現を追求した一曲。沈黙の中に熱を感じさせるサウンドが共通している。 - Brown Skin by India.Arie
身体的魅力と精神的結びつきを自然に織り交ぜたラブソングで、優しくも力強い情熱が漂っている。 - Sweetest Thing by Lauryn Hill
Hillが映画『Love Jones』のサウンドトラックに提供した曲で、愛に対する微細な感情を美しく描写している。 - Untitled (How Does It Feel) by D’Angelo
愛の肉体性と精神性を大胆に、そして繊細に描いた名曲。濃密な空気感が「Nothing Even Matters」と地続きに感じられる。 - I’m Yours by Sade
存在のすべてを委ねる愛の静謐な表現。成熟したソウルの感触と包容力が魅力。
6. 無音の中の豊かさ ― ネオソウルの静けさが語るもの
「Nothing Even Matters」は、1990年代後半に勃興した“ネオソウル”というジャンルの美学を象徴する作品のひとつである。
商業主義とは一線を画した、アーティスト個人の誠実な表現。その中心には、音を詰め込むのではなく、“余白”を活かすという美学がある。
この楽曲では、リズムトラックすら省かれている。沈黙の中に流れる緊張感。そしてその静けさに身を委ねることで初めて聴こえてくる、ふたりの息遣いや感情の振動。
それは、現代のラブソングがしばしば持つ“説明的”な表現を排し、愛という感情の核心に静かに触れることに成功している。
結果として、「Nothing Even Matters」は、単なる美しいラブソングにとどまらず、親密さとは何か、つながりとは何かを静かに問いかける作品となっているのだ。
まさに「静寂の中にすべてがある」ことを証明するような名曲である。
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