
発売日: 1998年7月27日(UK)
ジャンル: パブロック、ファンク、トーキング・ブルース、オルタナティブ・ポップ
老いてなお、語るべきことがある——愛と死のあいだで笑う“Mr. Love Pants”の逆襲
『Mr. Love Pants』は、Ian Dury & The Blockheadsが1998年にリリースしたスタジオ・アルバムであり、
実に18年ぶりにオリジナルメンバーとの連名で制作された、奇跡の再結集作品である。
Duryはこの時すでに癌との闘病中でありながら、
その声と筆致は衰えるどころかむしろ円熟味を増し、言葉とリズムの切れ味はかつてなく鋭い。
Blockheadsの演奏陣も健在で、ファンク、ジャズ、ポップ、ブルースを自在に横断する演奏は、
Duryの語りと対等な会話を交わすように機能している。
「愛」と「性」、そして「老い」や「死」すらも対象にしたユーモアと毒舌。
それらを通じて語られるのは、“老いた男の尊厳と欲望”という、音楽ではあまり語られないテーマである。
全曲レビュー
1. Jack Shit George
愉快でナンセンスなネーミングと裏腹に、人生の諦念としたたかさがにじむ一曲。
言葉遊びの連打とタイトなファンク・リズムが融合し、開幕からDury節が炸裂する。
2. The Passing Show
死や老いをテーマにしながらも、しんみりさせず、むしろ軽やかなテンポで“人生のショー”を描く。
回顧録的でもあり、劇場的でもある語りが印象的。
3. You’re My Baby
ロマンティックかつ陽気なラブソング。
トーンは軽くとも、年齢を重ねた者が発する“君は僕のベイビーだ”という言葉には、独特の説得力が宿る。
4. Honeysuckle Highway
ジャズとスウィングを感じさせるナンバー。
タイトルの甘さとは裏腹に、性愛や快楽に対するDuryの飄々とした距離感がにじむ。
5. Itinerant Child
自らの生い立ちを投影したような、移動し続ける魂=“放浪児”の物語。
哀愁を帯びたベースラインと、語り口の妙が胸に残る。
6. Geraldine
女性名がタイトルの楽曲にしては珍しく、女性の力強さや神秘性を称えるような詩的構成。
レゲエ風のリズムと、優しいハーモニーが心地よい。
7. Cacka Boom
擬音語がタイトルに採用された、まさに“言葉と音の遊び場”。
アブストラクトな語りとファンキーなアンサンブルが交錯する、不思議な高揚感を生む。
8. Bed o’ Roses No. 9
“九番目の薔薇のベッド”というシュールなイメージで、性愛と夢想のあいだを往復する。
大人の色気と諧謔が共存する異色のスロージャム。
9. Heavy Living
人生の重みと快楽の代償をユーモラスに描いたブルージーなトラック。
老いてなお“生きすぎること”への渇望と自嘲が垣間見える。
10. Mash It Up Harry
Blockheadsらしいジャム感覚が炸裂するアルバム終盤のキラートラック。
Harryという男を主人公に、暴力や怒りを陽気に消化するストリート・バラッド的構成。
総評
『Mr. Love Pants』は、Ian Duryという語り手が、“老い”や“死”をも笑い飛ばす知恵とユーモアを獲得したことを示す作品である。
彼の言葉は、若い頃よりもはるかに含蓄と皮肉に満ち、
Blockheadsの演奏もまた、円熟したファンクとロックの間で柔軟にうねる。
セクシャルでユーモラスで、でもどこかしんみりと切ない。
このバランス感覚は、Ian Duryが70年代から一貫して磨き上げてきたものだが、
ここではそれが“衰えを逆手に取った強さ”として花開いている。
これは単なる復活作ではない。
むしろ“衰えた男のリアルを語る、新たな語り口の発明”なのだ。
おすすめアルバム
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Ian Dury & The Blockheads – New Boots and Panties!! (1977)
Duryの原点。語りとロックが出会った革命的デビュー作。 -
The Blockheads – Staring Down the Barrel (2009)
Dury亡き後も続いたバンドの活動。老練さがにじむ熟成ロック。 -
Leonard Cohen – I’m Your Man (1988)
年齢とユーモア、哀愁を兼ね備えた歌詞とアレンジの極北。 -
Tom Waits – Mule Variations (1999)
年を重ねた声と語りが生むグルーヴ。Duryと通じるアメリカの語り手。 -
Kevin Ayers – The Unfairground (2007)
英国的な皮肉とサイケの残り香。老境のアーティストによる滋味あふれる一作。
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