
発売日:1981年9月
ジャンル:ニューウェイヴ、ファンク・ロック、ポストパンク、パブ・ロック、レゲエ、ダブ、カリビアン・ポップ
概要
Ian DuryのLord Upminsterは、1981年に発表されたソロ名義のアルバムであり、The Blockheadsとの活動で築いた英国ニューウェイヴ/パブ・ロックの鋭いユーモアと、カリブ海的なリズム感覚、ファンク、レゲエ、ダブの要素を結びつけた異色作である。Ian Duryは、1970年代後半の英国ロックにおいて特異な位置を占める存在だった。パンク以後の時代に登場しながら、彼の音楽は単純なパンク・ロックではなく、ミュージックホール、パブ・ロック、ファンク、ジャズ、レゲエ、ロンドンの下町的な言葉遊び、障害者としての身体性、労働者階級文化を複雑に混ぜ合わせたものだった。
1977年のNew Boots and Panties!!は、Ian Duryの代表作として広く知られている。そこでは「Sex & Drugs & Rock & Roll」「Wake Up and Make Love with Me」「Sweet Gene Vincent」などを通じて、彼の言葉のリズム、毒気のあるユーモア、The Blockheadsの高度な演奏力が見事に結びついていた。その後、1979年のDo It Yourselfでは、より洗練されたファンク/ニューウェイヴ的な方向へ進んだが、商業的・創作的な緊張の中でDuryとThe Blockheadsの関係は変化していく。Lord Upminsterは、その後に制作されたアルバムであり、従来のThe Blockheads作品とは異なる環境で生まれたことが重要である。
本作の最大の特徴は、ジャマイカ録音とSly Dunbar、Robbie Shakespeareの参加である。Sly & Robbieは、レゲエ、ダブ、ファンク、ポップスを横断して活躍したリズム・セクションであり、Grace Jones、Black Uhuru、Peter Toshなどの作品でも重要な役割を果たした名コンビである。彼らの参加によって、Lord Upminsterは、Ian Duryの英国的な言語感覚と、ジャマイカの重く粘るリズムが交差する作品となった。これは単なる英国ニューウェイヴ歌手によるレゲエ風アルバムではなく、Duryの言葉のリズムとSly & Robbieのグルーヴが、互いに異なる文化的背景を持ちながらぶつかり合うアルバムである。
アルバム・タイトルのLord Upminsterは、Duryらしい階級的な皮肉と自己演出を含んでいる。Upminsterはロンドン東部郊外の地名であり、「Lord」という貴族的な称号と組み合わされることで、下町的・郊外的な感覚と英国階級制度へのからかいが同時に生まれる。Ian Duryの歌詞には、しばしばこうした階級的な言葉遊びが現れる。彼は自分を高貴な存在として飾るのではなく、むしろ偽の貴族、路地裏の語り部、酒場の詩人、身体に傷を抱えた道化として登場する。その自己像が、本作のタイトルにも反映されている。
1981年という時代背景も重要である。英国ではポストパンク、ニューウェイヴ、2トーン、レゲエ、ファンク、エレクトロ・ポップが入り混じり、ロックの形が大きく変化していた。The Clashはレゲエやダブを取り込み、Talking Headsはファンクとアフロビートへ向かい、Grace JonesはSly & Robbieとともにニューウェイヴとレゲエを融合していた。Ian Duryもまた、本作で英国ロックの枠を超え、よりリズム重視の国際的な音楽へ接近している。ただし、Duryの場合、その接近は洗練された都会的クールネスだけではなく、猥雑で、滑稽で、言葉のひっかかりに満ちたものだった。
本作は、ヒット曲「Spasticus Autisticus」を含むことでも知られる。この曲は、Dury自身の障害者としての経験と、国際障害者年に対する怒りを背景にした挑発的な楽曲である。タイトルや歌詞は非常に強烈で、現代の感覚では慎重に扱う必要があるが、その意図は障害者を侮辱するものではなく、むしろ社会が障害者を同情や慈善の対象として扱う偽善を暴くものだった。Duryは、自らの身体とアイデンティティを、被害者的な静けさではなく、怒り、ユーモア、攻撃性、リズムによって表現した。この曲は、本作の中でも最も政治的で、最もDuryらしい楽曲である。
Lord Upminsterは、Ian Duryの代表作としてNew Boots and Panties!!ほど広く称賛される作品ではない。The Blockheadsとの緊密なアンサンブルを期待すると、本作はやや散漫に感じられる部分もある。しかし、Sly & Robbieのリズム、カリビアンな音響、Duryの言葉の毒、英国的な階級ユーモア、障害者としての自己主張が混ざり合った本作は、彼のキャリアの中でも独自の位置を占めている。これは完成された名盤というより、Duryが自分の声を別のリズム環境へ投げ込み、その摩擦から新しい表現を引き出そうとしたアルバムである。
全曲レビュー
1. Funky Disco Pops
アルバム冒頭を飾る「Funky Disco Pops」は、タイトルからしてIan Duryらしい軽妙さと皮肉が漂う楽曲である。ファンキー、ディスコ、ポップスという、1970年代末から80年代初頭にかけて大衆音楽を席巻した語彙を並べながら、Duryはそれを単なる流行の模倣ではなく、自分流の言葉遊びとリズム感覚の中へ取り込んでいる。
音楽的には、Sly & Robbieの参加がもたらすリズムの粘りが重要である。ドラムとベースは、The Blockheadsの硬質でジャズ・ファンク的な演奏とは異なり、より低く、揺れを持ち、身体の奥で響くような感触を持っている。そこにDuryの語るようなヴォーカルが乗ることで、英国の酒場的な言葉とジャマイカ的なグルーヴが不思議に接続される。
歌詞は、ダンス・ミュージックへの接近と、それに対する距離感を同時に含んでいる。Duryはディスコやファンクを素直に賛美するだけではなく、その言葉の表面を転がしながら、ポップ・ミュージックが持つ商業性や軽薄さもからかっている。だが、同時に彼はリズムの快楽を否定していない。むしろ、身体を動かす音楽に対する深い理解があるからこそ、タイトルの冗談が成立している。
アルバムの導入として、この曲はLord Upminsterの方向性を明確に示している。ここではギター・ロックの力強さよりも、リズム、言葉、滑稽な態度が中心にある。Duryはロックスターというより、グルーヴの上で話し、笑い、挑発する語り部として登場する。
2. Red Letter
「Red Letter」は、やや落ち着いた雰囲気を持つ楽曲であり、Ian Duryの言葉のリズムとメロディ感覚が比較的穏やかな形で表れている。タイトルの「Red Letter」は、特別な日、重要な印、あるいは赤字で記された警告や強調を連想させる。Duryの歌詞では、こうした日常的な言葉がしばしば複数の意味を帯びる。
音楽的には、レゲエやダブの影響を含みつつ、過度に深いダブ処理へ向かうわけではない。リズムはゆったりとし、ベースが曲の底を支える。Duryのヴォーカルは歌うというより、言葉をリズムの上に置いていくような感覚が強い。この独特の語り口は、彼が単なる歌手ではなく、言葉の演者であることを示している。
歌詞のテーマは、特別な知らせ、関係の変化、あるいは何かが記憶に刻まれる瞬間として解釈できる。Duryの表現はしばしば説明を避け、断片的な言葉の響きや語呂によって意味を生む。この曲でも、言葉は一つの物語へきれいに収束するというより、聴き手に小さな印象を残していく。
本作の中では、「Funky Disco Pops」の軽快な導入を受け、よりニュアンスのあるリズムと言葉の世界へ入っていく役割を持つ。Ian Duryの音楽におけるファンクやレゲエは、単なる伴奏スタイルではなく、言葉を転がすための土台であることが、この曲からも分かる。
3. Pardon
「Pardon」は、謝罪、許し、聞き返し、あるいは礼儀的な言葉をめぐる楽曲である。Ian Duryは、英国英語の日常表現や階級的な口調を音楽の中で非常に巧みに使うアーティストだった。「Pardon」という言葉は上品にも聞こえるが、使い方によっては皮肉、挑発、距離の取り方にもなる。
音楽的には、リズムが大きな役割を担っている。Sly & Robbieの演奏によって、曲にはレゲエ/ファンク的な粘りがあり、Duryの言葉がその上を跳ねる。The Blockheads時代のDuryは、Chaz Jankelのファンク・センスやNorman Watt-Royのベースによって強烈なグルーヴを得ていたが、本作では別種の余白と重心がある。
歌詞の主題は、謝罪や許しの言葉が本当に意味を持つのかという疑問として読むことができる。Duryは、丁寧な言葉の裏にある欺瞞や、社会的な礼儀が隠す攻撃性を見抜く作詞家である。「Pardon」という柔らかい言葉も、彼の手にかかると、単なるマナーではなく、階級、権力、関係性のズレを示す道具になる。
この曲は、本作におけるIan Duryの英国的な言語感覚をよく示している。ジャマイカのリズムを取り入れていても、Duryの核にあるのはロンドンの言葉、下町の言い回し、階級社会への皮肉である。その組み合わせが、Lord Upminsterを単なるカリビアン風アルバムにしていない。
4. Delusions of Grandeur
「Delusions of Grandeur」は、「誇大妄想」を意味するタイトルを持つ楽曲であり、Ian Duryの自己皮肉と階級風刺が強く表れた一曲である。アルバム・タイトルLord Upminster自体が偽の貴族性をまとっていることを考えると、この曲はそのテーマをさらに露骨に展開している。
音楽的には、軽快さと不穏さが同居している。グルーヴは比較的安定しているが、Duryのヴォーカルには演劇的な誇張があり、語り手が自分の大物ぶりを滑稽に演じているように響く。彼は自分を本物の権威として見せるのではなく、権威の身振りそのものを茶化す。
歌詞のテーマは、自己肥大、階級的な見栄、成功への妄想、そしてそれを笑う視点である。Duryは労働者階級文化の言葉を使いながら、英国社会の上昇志向や見せかけの上品さを巧みにからかう。「Lord」を名乗るUpminsterの男は、本物の貴族ではなく、郊外の道化である。その道化性こそがDuryの魅力である。
この曲は、Ian Duryのユーモアが単なる冗談ではなく、社会構造への批評として機能していることを示す。彼は自分自身も笑いの対象に含めながら、権威、名声、成功への幻想を解体する。Lord Upminsterという作品の自己演出的な側面を理解するうえで重要な楽曲である。
5. Yes & No (Paula)
「Yes & No (Paula)」は、関係の曖昧さ、決断不能、男女間の駆け引きのようなテーマを思わせる楽曲である。タイトルの「Yes & No」は、肯定と否定が同時に存在する状態を示し、括弧内の「Paula」は具体的な人物名として、曲に私的な空気を与えている。
音楽的には、リラックスしたグルーヴの上でDuryが言葉を置いていくタイプの曲である。強いサビで押すというより、語りとリズムの反復によって空気を作る。Sly & Robbieの演奏は、こうした曖昧な感情を支えるのに適している。ベースは地面を作り、ドラムは細かい揺れを加える。
歌詞のテーマは、はっきりしない関係、答えの出ない会話、あるいは相手の態度に振り回される語り手として読める。Ian Duryのラヴ・ソングは、甘い感傷よりも、身体性、滑稽さ、不器用さ、言葉の行き違いが前面に出ることが多い。この曲でも、YesとNoの間を揺れる関係が、ユーモラスかつ少し苦いものとして描かれている。
本作の中では、政治的・社会的な強い曲の合間に、Duryの人間関係に対する観察眼を示す役割を持つ。彼は社会を風刺するだけでなく、個人同士の小さなずれや会話の不器用さも鋭く捉える作詞家である。
6. Dance of the Screamers
「Dance of the Screamers」は、タイトルからして騒がしく、演劇的で、少し不気味な楽曲である。叫ぶ者たちの踊りという表現は、パンク以後の群衆、メディアの騒音、都市の混乱、あるいはDury自身のステージ上の猥雑なエネルギーを連想させる。
音楽的には、ダンス可能なリズムを持ちながら、曲の印象は単純に陽気ではない。Sly & Robbieのリズムは安定しているが、Duryの言葉と声がそこにひねりを加え、どこかグロテスクな祝祭感を生む。Ian Duryの音楽には、踊れるが不穏、笑えるが痛いという二重性が常にある。この曲はその性質をよく示している。
歌詞のテーマは、叫び、群衆、表現、混乱として読める。Screamersは、単に大声を上げる人々かもしれないし、社会の中で声を奪われた者たちが叫び出す姿かもしれない。Duryは、きれいに整えられたポップ・ソングの言葉よりも、身体から出る叫びや、下品で混乱した声に価値を見出すアーティストである。
この曲は、アルバムにダンス性と不穏な祝祭性をもたらしている。Lord Upminsterはカリブ海的なリズムを取り入れているが、それを楽園的なイメージだけで使っているわけではない。Duryの世界では、踊りはしばしば叫びと隣り合わせである。
7. Girls Watching
「Girls Watching」は、タイトルの通り、女性を見ること、視線、欲望、観察をめぐる楽曲である。Ian Duryの作品には、性的な視線や下世話なユーモアがしばしば登場するが、それは単なる男性的な誇示ではなく、しばしば自分自身の滑稽さや不器用さを含んでいる。
音楽的には、軽快でリズミカルな曲であり、Duryの語り口が曲の中心にある。彼のヴォーカルは、きれいに歌い上げるのではなく、観察したものを次々に言葉へ変換していく。リズムはゆるく、街角の視線や動きを音にしたような印象を持つ。
歌詞のテーマは、見ることと見られることの関係である。女性を眺める語り手は、同時に自分の欲望や滑稽さもさらしている。Duryの性的ユーモアは、時に粗野で、現代的な感覚では距離を置いて聴く必要もあるが、その中には英国のパブ文化やミュージックホール的な下世話さがある。彼は欲望をきれいに飾らず、むしろ不器用で少し情けないものとして提示する。
本作の中では、Duryの世俗的で猥雑な側面を示す曲である。社会批評や障害者としての怒りだけでなく、彼の音楽には、街角の冗談、性的な視線、酒場の会話のような感覚が不可欠である。
8. Wait for Me
「Wait for Me」は、アルバムの中で比較的感情的な側面を持つ楽曲である。タイトルは「待っていてくれ」という呼びかけであり、Duryの作品にしては素直な情感を含んでいる。ただし、彼の歌では、こうした情感もどこか不器用で、まっすぐなラヴ・ソングにはなりきらない。
音楽的には、ゆったりしたリズムの上に、やや哀愁を帯びたメロディが乗る。Sly & Robbieのベースとドラムは、曲に柔らかな重心を与えている。Duryの声は、滑らかではないが、そのざらつきが曲の感情を支えている。彼の歌唱は美声ではなく、むしろ身体の痕跡や人生の傷を含んだ声である。
歌詞のテーマは、距離、遅れ、関係の維持への願いとして読める。待っていてほしいという言葉には、自分が遅れている、自分が完全には相手に追いつけないという感覚がある。これは個人的な恋愛にも、Dury自身の身体的・社会的経験にも重ねて聴くことができる。彼の音楽には、常に標準的な速度や姿勢から外れた身体の感覚がある。
この曲は、Lord Upminsterの中で比較的静かな表情を見せる。Duryの毒やユーモアだけでなく、脆さや人間的な願いが表れる瞬間として重要である。
9. The Body Song
「The Body Song」は、Ian Duryにとって非常に重要な主題である身体を直接扱う楽曲である。Duryは幼少期にポリオを患い、その後の人生を障害とともに生きたアーティストである。そのため、彼にとって身体は単なる快楽や欲望の器ではなく、社会的な視線、制限、痛み、誇り、怒り、ユーモアのすべてが刻まれた場所だった。
音楽的には、リズムが身体性を強く支えている。Sly & Robbieのグルーヴは、身体を抽象的な概念ではなく、揺れ、重み、動きとして感じさせる。Duryの声は、身体について語るときに特に説得力を持つ。彼は身体を理想化せず、壊れたもの、滑稽なもの、性的なもの、政治的なものとして扱う。
歌詞のテーマは、身体の現実である。美しく整った身体だけが価値を持つのではなく、歪み、傷、癖、制約を持つ身体にもリズムがある。Duryの音楽は、そうした身体を隠すのではなく、むしろ前面に出す。これは後に続く障害者表象や身体論的なポップ表現を考えるうえでも重要である。
「The Body Song」は、「Spasticus Autisticus」へ向かう前段としても機能する。アルバム後半で身体というテーマが明確になり、次曲でそれがより政治的・挑発的な形で爆発する。Duryのキャリア全体を理解するうえで、重要な位置にある楽曲である。
10. Lonely Town
「Lonely Town」は、都市の孤独を扱う楽曲である。Ian Duryの音楽には、ロンドンの下町的なざわめき、人々の会話、酒場の空気、通りのユーモアが多く含まれているが、その裏にはしばしば孤独がある。街は人であふれていても、個人は孤立する。この曲はその感覚を表している。
音楽的には、ゆるやかなレゲエ/ポップ的なリズムがあり、暗さを過度に強調しない。Duryは孤独を重苦しいバラードとしてではなく、街のリズムの中に紛れ込ませる。そこに彼らしいリアリズムがある。孤独は劇的な悲劇ではなく、日常の中に普通に存在する。
歌詞のテーマは、街の中での孤立、関係の欠如、共同体への渇望として読める。Ian Duryはしばしば社交的で猥雑な人物像を演じるが、その背後には、社会の中心から外れた人間の孤独がある。彼のユーモアは、孤独を覆い隠すためではなく、孤独を生き延びるための技術として機能している。
この曲は、Lord Upminsterの中で都市的な哀愁を担う。カリブ海的なリズムと英国的な孤独が同居し、本作ならではの混合感を作っている。
11. Trust Is a Must
「Trust Is a Must」は、信頼の必要性をテーマにした楽曲である。タイトルは韻を踏んだスローガンのような響きを持ち、Ian Duryらしい語呂の良さがある。彼の作詞では、意味だけでなく、言葉の音の転がりが非常に重要である。この曲名も、簡単なフレーズながら耳に残る。
音楽的には、リズムが安定しており、Duryの言葉がその上で軽く跳ねる。ファンク、レゲエ、ポップの中間にあるような感触で、曲は過度に重くならない。信頼というテーマは深刻になり得るが、Duryはそれを説教臭くせず、リズムと語呂の中に置いている。
歌詞のテーマは、信頼なしには関係も社会も成立しないという非常に基本的なものだが、Duryの文脈では、そこに皮肉も含まれる。彼は社会の偽善や見せかけを鋭く見ているため、信頼が必要だと言うとき、それは信頼が簡単には得られない世界を前提にしている。タイトルの単純さの裏には、不信に満ちた社会への批評がある。
本作の中では、Duryのスローガン的な作詞の魅力を示す曲である。彼は複雑な詩を書くこともできるが、短い言葉をリズムと結びつけ、人々の口に残るフレーズへ変える才能にも優れていた。
12. Spasticus Autisticus
「Spasticus Autisticus」は、Lord Upminsterの中で最も重要で、最も議論を呼ぶ楽曲である。Ian Dury自身の障害者としての経験、国際障害者年への批判、社会の同情や慈善の偽善に対する怒りが凝縮された曲であり、彼のキャリア全体の中でも特に強烈な政治的表現である。
タイトルと歌詞には、現代では差別語として受け取られる言葉が含まれている。そのため、この曲を扱う際には注意が必要である。ただし、Duryの意図は障害者を嘲笑することではない。彼自身が障害者として生きてきた経験をもとに、社会が障害者を「かわいそうな存在」「慈善の対象」として扱う態度に対し、過激な自己名乗りと攻撃的なユーモアで反撃している。曲は、社会から与えられる同情を拒否し、自分自身の身体と言葉を取り戻す行為として機能している。
音楽的には、Sly & Robbieの重いグルーヴが非常に効果的である。リズムは強く、反復的で、Duryの挑発的な言葉を支える。曲のコール・アンド・レスポンス的な構造は、まるで行進、抗議、祝祭が一体化したような効果を生む。ここでのダンス性は単なる娯楽ではなく、政治的な身体表現である。
歌詞では、障害者としての怒りが、卑屈さではなく、誇示と挑発によって表現される。Duryは自分をきれいに整えた被害者として差し出さない。むしろ、社会が見たくない身体、聞きたくない言葉、扱いに困る存在として自らを前面に出す。この態度は、パンク以後の反抗精神とも通じるが、Duryの場合はそれが自らの身体経験と不可分である点が決定的に重要である。
「Spasticus Autisticus」は、発表当時から放送禁止や論争を呼んだが、現在ではIan Duryの最も重要な楽曲の一つとして評価されることが多い。障害者表象、ポップ・ミュージックにおける身体政治、ユーモアと怒りの関係を考えるうえで、非常に重要な作品である。Lord Upminsterというアルバムは、この曲の存在によって、単なるリズム実験作ではなく、Duryの身体と社会への怒りを刻んだ作品となっている。
総評
Lord Upminsterは、Ian Duryのキャリアの中で、代表作New Boots and Panties!!とは異なる角度から彼の個性を示すアルバムである。The Blockheadsの緊密でジャズ・ファンク的な演奏に支えられた初期作品と比べると、本作はよりカリビアンで、レゲエ/ダブ的なリズム感覚が強い。Sly DunbarとRobbie Shakespeareの参加によって、Duryの言葉は新しい土台を得ている。彼のヴォーカルは、英国のパブや下町の言葉から生まれたものだが、本作ではそれがジャマイカのリズムの上で異なる響きを持つ。
アルバム全体は、必ずしも均整の取れた傑作ではない。楽曲によって完成度には差があり、The Blockheads時代のような鋭い一体感を期待すると、やや散漫に聴こえる場面もある。しかし、その散漫さは、Duryが異なる音楽的環境に自分の言葉を投げ込んだ結果でもある。Lord Upminsterは、完成度の高さだけでなく、摩擦と違和感を含めて評価すべき作品である。
本作の中心には、身体、階級、欲望、孤独、信頼、自己演出がある。アルバム・タイトルのLord Upminsterに象徴されるように、Duryは自分を偽の貴族、郊外の道化、下町の語り部として演出する。その一方で、「The Body Song」や「Spasticus Autisticus」では、自らの身体をめぐる政治的な問題に正面から向き合う。彼のユーモアは、単なる笑いではない。笑いによって社会の偽善を暴き、自分の弱さや痛みを他人に管理させないための武器である。
音楽的には、Sly & Robbieのリズムが本作に独自の重心を与えている。The BlockheadsのNorman Watt-RoyやChaz Jankelが作る切れ味のあるファンクとは異なり、ここでのグルーヴはより太く、ゆるく、低く沈む。Duryの言葉はその上で、時に滑稽に、時に攻撃的に、時に脆く響く。英国的な言葉のリズムとジャマイカ的なリズム・セクションの組み合わせは、当時のニューウェイヴ以降の音楽的越境の一例としても興味深い。
特に「Spasticus Autisticus」の重要性は大きい。この曲は、本作の評価を決定づけるだけでなく、Ian Duryというアーティストの本質を強く示している。彼は障害を感傷的に語るのではなく、攻撃的な言葉とダンス・グルーヴによって、社会の視線に対抗した。これはポップ・ミュージックにおける身体表現として非常に独自であり、現在でも議論の価値がある。
日本のリスナーにとってLord Upminsterは、Ian Duryを「Sex & Drugs & Rock & Roll」の人としてだけでなく、ポストパンク期のリズム実験、階級ユーモア、障害者としての自己表現を行ったアーティストとして理解するために重要なアルバムである。聴きやすさという点ではNew Boots and Panties!!が入口として適しているが、Duryの表現の広がりや危うさを知るには、本作が持つ異質な魅力は見逃せない。
総合的に見て、Lord Upminsterは、Ian Duryが自分の言葉、身体、階級意識を、ジャマイカのリズムと出会わせたアルバムである。成功と失敗、ユーモアと怒り、ダンスと政治、猥雑さと知性が同居している。整った名盤ではないが、Ian Duryというアーティストの核心にある「扱いにくさ」を強く刻んだ、重要な作品である。
おすすめアルバム
1. Ian Dury – New Boots and Panties!!(1977年)
Ian Duryの代表作であり、彼の言葉遊び、下町的なユーモア、身体性、The Blockheadsの鋭い演奏が最も鮮烈に結びついたアルバムである。「Sex & Drugs & Rock & Roll」「Wake Up and Make Love with Me」「Sweet Gene Vincent」などを収録し、Duryの基本的な魅力を理解するために欠かせない。
2. Ian Dury & The Blockheads – Do It Yourself(1979年)
New Boots and Panties!!の粗さから一歩進み、より洗練されたファンク/ニューウェイヴ的なサウンドへ向かった作品である。The Blockheadsの演奏力が前面に出ており、Duryの言葉とタイトなグルーヴの関係を深く味わえる。Lord Upminsterとの比較で、リズムの質感の違いが明確になる。
3. Grace Jones – Nightclubbing(1981年)
Sly & Robbieが深く関与した、ニューウェイヴ、レゲエ、ダブ、ファンクを融合した重要作である。Lord Upminsterと同じ時代に、ジャマイカのリズム・セクションがどのように国際的なポップ/ニューウェイヴの文脈で機能したかを理解するうえで非常に参考になる。
4. The Clash – Sandinista!(1980年)
パンク以後の英国バンドが、レゲエ、ダブ、ファンク、ヒップホップ、ワールド・ミュージックへ大胆に接近した大作である。Ian Duryとは表現の方向性が異なるが、1980年前後の英国ロックがジャンル横断的になっていく流れを理解するうえで重要な関連作である。
5. Sly & Robbie – Raiders of the Lost Dub(1981年)
Sly DunbarとRobbie Shakespeareのリズム・セクションとしての個性を理解するために有効なダブ作品である。Lord UpminsterでDuryの言葉を支えた低音、余白、反復、リズムの重心が、より純粋な形で確認できる。レゲエ/ダブ側から本作を聴き直すための関連作として重要である。

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