1. 歌詞の概要
「Lipgloss(リップグロス)」は、1993年にリリースされたPulp(パルプ)のシングルであり、1994年のアルバム『His ’n’ Hers』の冒頭を飾る楽曲である。
一聴して強烈にキャッチーなポップソングだが、そのリリックはきわめて鋭く、女性の自己喪失、男たちの裏切り、恋愛の終焉とその後の“見られること”への執着といったテーマが、Jarvis Cocker(ジャーヴィス・コッカー)ならではの視線で描かれている。
物語の主人公は、かつて「彼と一緒にいた時はとても綺麗だった」と語られる女性。彼に捨てられた今、彼女はリップグロスを塗り、鏡の前で自分を整えながら、かつての“女としての存在感”を必死に保とうとしている。
だがそれは、真の自信や自立ではなく、過去の自分への執着と、自尊心の断片をかき集める儀式のようにも見える。
この曲は、そうした「愛されていたときの自分」と「今の自分」のギャップを、痛烈な言葉とともに描き出す。
その視線は時に冷酷で、時に親密で、“女であること”と“見られること”の関係性を問い直すポップソングとして、非常に挑発的な意味合いを持つのである。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Lipgloss」は、Pulpが本格的にメジャーシーンに足を踏み入れた転機の楽曲であり、UKインディーチャートで好調な動きを見せたことで、彼らのブリットポップ期への扉を開いた曲でもある。
この時期のジャーヴィス・コッカーは、自身のフェミニズム的視点を音楽に落とし込むことに関心を寄せており、恋愛によって「役割」や「自我」を規定されてしまう女性たちの物語を、皮肉と共感を交えて描くことが多かった。
「Lipgloss」はその典型であり、ミューズを失った女性の喪失感を、恋愛の視点ではなく、“社会の中の女性”として描いた点において、他のラブソングとはまったく異なる角度を持っている。
音楽的には、Candida Doyleのキーボードによる軽快でグラマラスなイントロと、Nick Banksの鋭いドラムが、楽曲全体を前のめりなテンポで牽引する。そのポップさとは裏腹に、内包されている内容は極めてシリアスで辛辣である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Lipgloss」の印象的な歌詞を抜粋し、和訳を添える。
No wonder you’re looking thin
When all that you live on is lipgloss and cigarettes
そりゃあ痩せても見えるよね
だって君が生きてるのは、リップグロスとタバコだけだもの
And scraps at the end of the day
When he’s gone away
彼が出て行ったあとに残るのは
一日の終わりの残りかすだけ
And he don’t come back
‘Cause he don’t feel the same
彼は戻ってこないよ
だって、もう気持ちが変わってしまったから
And you said: “What about me?”
“Well, what about me?”
君は言ったよね、「私のことは?」って
でもね――「僕のことはどうなんだ」って言いたいよ
(歌詞引用元:Genius – Pulp “Lipgloss”)
4. 歌詞の考察
「Lipgloss」は、Pulpの楽曲群の中でもとりわけ**“女”と“社会”の関係性に切り込んだ問題作である。
リップグロス――それはこの曲において、「女性らしさを保つための最後の防衛線」として機能している。
彼が去った後も、彼女はリップグロスを塗り続ける。それは彼のためではなく、“もう失いたくない何か”のため**だ。
ここには、「男性に愛されている時こそが“女として価値がある”」とされる社会的メッセージに対する皮肉が込められている。
また、「私のことはどうでもいいの?」と問いかける彼女に対し、「君だけじゃない、僕も傷ついてるんだ」と返すような語り手の言葉には、ジェンダーの不均衡と、それを見て見ぬふりする自我の矛盾が滲む。
さらに興味深いのは、語り手が必ずしも“彼女の味方”ではない点である。
彼女の状況を観察しながらも、どこか突き放した態度を取り、同情や慰めではなく、容赦ない現実を突きつけるような語り口が採用されている。
この不完全な共感こそが、Pulpの真骨頂であり、楽曲をただの“哀しい女の歌”で終わらせない理由でもある。
「Lipgloss」は、恋愛の中で“失われていく個”の姿を、ポップなサウンドに乗せて暴いた異形のラブソングである。
そしてそれは、90年代イギリスにおいて、ポップソングが社会を語りうるという可能性を改めて提示した楽曲でもあった。
(歌詞引用元:Genius – Pulp “Lipgloss”)
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Underwear by Pulp(from Different Class)
性的関係における無力さや不安を描いたバラード。「見られること」「脱がされること」をめぐる感情の複雑さが共通。 - Glory Box by Portishead
“女性であること”に疲れた主人公の声が響くトリップホップの名曲。性と主体性の交錯。 - Dress by PJ Harvey
服を着ることで自分を演出する女性の物語。ジェンダーと演技性の関係が「Lipgloss」と通じる。 - Girls & Boys by Blur
性的混乱と快楽の表層を軽快なダンス・ビートに乗せた皮肉の効いたブリットポップ。
6. ポップに装った告発――“女らしさ”という仮面の下に
「Lipgloss」は、単なる失恋ソングではない。
それは、「女性であること」「見られること」「愛されること」のあいだに揺れるアイデンティティの物語であり、
同時にそれを鋭く見つめるもう一つの視線=ジャーヴィスの眼差しによって成立している。
女性たちは、誰かに見られ、評価され、そこに自分の存在価値を預けてしまう。
その構造を痛烈に描いたこの曲は、90年代ポップの中で異彩を放ちながら、今なお**“フェミニズム・ポップの隠れた金字塔”**として聴き継がれている。
リップグロスを塗る彼女の姿は、私たちすべての中にある「取り繕い」や「演技」の象徴かもしれない。
だがPulpは、そうした仮面の裏にある声を、音楽という形で静かに引き出してくれたのだ。
そこには冷たさと優しさ、観察と共感が同居している――だからこそ「Lipgloss」は、今も色褪せない。
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