発売日: 1992年6月2日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、パワー・ポップ、フォーク・ロック
概要
『It’s a Shame About Ray』は、The Lemonheadsが1992年に発表した5作目のスタジオ・アルバムであり、
同時にエヴァン・ダンドゥ率いるバンドが世界的な注目を集めた決定的ブレイク作である。
疾走感あふれるギター・ポップ、エヴァンの繊細かつ不安定なボーカル、
そして失われゆく青春を切り取るようなリリックが、完璧なバランスで共存したこの作品は、
90年代オルタナティヴ・ロックの象徴的アルバムのひとつとして、今なお高く評価されている。
前作『Lovey』で見せたフォーキーな感覚はより洗練され、
本作では2分台のショートソング群による“情景の断片”としての楽曲構成が、
一層The Lemonheadsの個性を際立たせている。
なお、アルバムの後期プレスには、The Simon & Garfunkel「Mrs. Robinson」のカバーが追加収録され、
映画『卒業』の記憶とともに広くラジオヒット。
これがアルバムの人気と商業的成功を後押しすることとなった。
全曲レビュー
1. Rockin Stroll
アルバムの幕開けを飾る疾走ナンバー。
子どものベビーカー(Stroll)をテーマにしながらも、
どこか成人としての“戻れなさ”を感じさせるノスタルジックな開幕。
2. Confetti
恋愛と記憶のすれ違いを描く、フォーキーで浮遊感ある楽曲。
“紙吹雪”というタイトルが象徴するように、儚く散っていく感情がにじむ。
3. It’s a Shame About Ray
本作のタイトル・トラックにして代表曲。
“レイがどうなったかは誰も話したがらない”という印象的なリリックが、
失われた青春や疎外された誰かへのメタファーとして心に残る。
メロディ、詞、演奏すべてが短く、美しく、どこか切ない。
4. Rudderless
“舵のない船”というタイトルの通り、方向性を見失った若者の心象を描く。
サビで一気に広がるギターの音像が、不安と開放の両面を持つエモーショナルなピーク。
5. My Drug Buddy
エヴァンの個人的体験をもとにしたとされる楽曲で、
薬物依存と恋愛関係の境界が曖昧に描かれる。
穏やかなテンポと美しいコード進行が、危うさと優しさを同時に映し出す名曲。
6. The Turnpike Down
州間高速道路(ターンパイク)を舞台にした、ロードムービー的楽曲。
どこか焦燥感を孕みながらも、ギター・リフは軽やかで逃避願望のような感覚がある。
7. Bit Part
「君の人生のちょい役でいい」と歌う、印象的に短いラブソング。
メロディと詩のミニマリズムが美しく、名曲とは長さに比例しないことを証明する1分台の傑作。
8. Alison’s Starting to Happen
アルバムの中では比較的アップテンポでポップな印象の楽曲。
少女アリソンの変化を見つめる視点が、成長の切なさと愛しさを同時に浮かび上がらせる。
9. Hannah & Gabi
ピアノを主体にした、ダンドゥにとっては異色の静謐なバラード。
“僕の最後のお願いに応えてくれるなら”という一節が、別れと希望を内包した手紙のような一曲。
10. Kitchen
内面の混乱と日常の交差を描く短い一曲。
タイトルが示すように、“キッチン”という極めてプライベートな空間での焦燥や感情の噴きこぼれが印象的。
11. Ceiling Fan in My Spoon
奇妙なタイトルを持つ、実験的でサイケな空気感のあるトラック。
空間感覚が歪んだようなミックスと、内省的な語りが不思議な余韻を残す。
12. Frank Mills(『Hair』よりカバー)
ミュージカル『Hair』の楽曲をアコースティック・カバー。
元曲の自由で儚いムードを尊重しつつ、エヴァンのボーカルが一層のナイーヴさを加える。
13. Mrs. Robinson(ボーナストラック)
Simon & Garfunkelの名曲を、パンク調で大胆にアレンジしたヒット・カバー。
映画『卒業』と同じく、若さの不安定さと抗いようのない現実が交差する名演。
原盤には未収録だが、後の再発盤には必ず収録される定番。
総評
『It’s a Shame About Ray』は、The Lemonheadsのキャリアにおいて**音楽的にも精神的にも“最も完成された瞬間”**をとらえた傑作である。
フォーキーでメロディアス、だが決して甘くはなく、
そこには不安定な若さ、依存、別れ、曖昧な感情が繊細に描かれている。
そのすべてを、エヴァン・ダンドゥは2分前後の短い楽曲の中で鮮やかに言い切ってしまう。
また、楽器の音像はオルタナとパワー・ポップの中間地点にあり、
90年代初頭のアメリカン・ギター・ロックの模範のようなバランス感覚を示している。
これは、ノイズに頼らず、感情に忠実な“叙情的オルタナ”のひとつの完成形でもある。
おすすめアルバム
- Teenage Fanclub『Bandwagonesque』
同時期のUKギターポップ。甘さと切なさが共通。 - Buffalo Tom『Let Me Come Over』
ボストン・シーンの同胞。エモーショナルなオルタナティヴ・ロックの秀作。 - Matthew Sweet『Girlfriend』
ポップとロック、感傷と疾走感を兼ね備えた名盤。 - Paul Westerberg『14 Songs』
The Replacements後のソロ作。エヴァンとも共振する“壊れかけた大人の歌”。 -
Jellyfish『Spilt Milk』
よりポップ寄りだが、メロディに対する誠実な態度が共通する。
ファンや評論家の反応
本作はリリース直後から高い評価と強い支持を獲得し、
「Rudderless」「My Drug Buddy」などはMTVでのヘビーローテーションを獲得。
Rolling StoneやSpin誌では年間ベストに選出されるなど、90年代オルタナの象徴作として記憶されるようになる。
特に「It’s a Shame About Ray」は、**“主人公が登場しない名曲”**として、今も多くのリスナーの心に残っている。
そして何よりこのアルバムは、自分でも説明できない感情がある時に、そっと寄り添ってくれる一枚として、
静かに、でも確かに、聴かれ続けている。
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