
1. 歌詞の概要
「Gun Has No Trigger」は、Dirty Projectorsが2012年にリリースしたアルバム『Swing Lo Magellan』のリード・シングルであり、リリース当初からその極限まで削ぎ落とされた構成と、重層的な意味を持つ詩世界によって高い注目を集めた楽曲である。曲名の直訳は「引き金のない銃」。つまり“撃つことができない銃”という逆説的なイメージが、楽曲のテーマのすべてを内包している。
この曲は、個人が巨大な力や制度に立ち向かおうとする時の無力さ、そして言葉を持ちながらも「行動できない」という現代人特有の“沈黙”を、鋭く告発している。語り手は、誰かを撃とうとしているわけではない。むしろ、“撃てないこと”による苦しみ、または“撃つべきか否か”という倫理的な葛藤のなかに立たされている。
全編を通して繰り返されるのは、強く、しかし抑制された怒り。そしてそれは、個人の激情ではなく、“沈黙の群衆”に向けた問いかけであり、ポスト・インターネット時代のアイロニーを鋭利に切り取った現代詩でもある。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Gun Has No Trigger」は、『Swing Lo Magellan』の制作初期に書かれた楽曲であり、他の複雑な構成の楽曲群とは異なり、非常にミニマルなアプローチで構成されている。ドラムマシンのシンプルなビート、うねるようなベースライン、そしてデイヴ・ロングストレスの淡々としたリード・ヴォーカル。背景で繰り返される女性コーラスが宗教的な響きを帯びるなか、まるで“予言の書”のように、ロングストレスの声は一節一節を丁寧に刻んでいく。
この曲は、Occupy Wall Street運動やアラブの春など、世界中で市民による反抗の機運が高まっていた時期に書かれたとされており、「声を持ちながら、なぜ我々は動けないのか」というテーマに対する芸術的応答でもある。
ロングストレス自身もこの楽曲について、「この曲は“倫理的無力さ”を描いている。銃はある。でも引き金がない。それが僕らの今だ」と語っている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
“When you’re standing on the top
Of some mountain
And you see all of the world below”
ある山の頂に立って
眼下に広がるすべての世界を見渡すとき“You can act like
You’re in a movie
‘Cause what you see
Isn’t what you know”
映画の主人公みたいに振る舞えるさ
だって君が見ているそれは
君が知っている世界とは違うから“And the gun has no trigger”
そしてその銃には、引き金がない“If you had only known
What the future holds
When you’d asked for a vision”
もし君が未来を知っていたら
あのとき「ビジョンをくれ」と叫ぶことはなかったはず
引用元:Genius Lyrics – Gun Has No Trigger
これらの詩は、現実世界の“不確かさ”と“自己の感情の誤認”を鋭く突いている。眼前にある風景は、真実ではない。君が望んだビジョンは、もしかすると「見るに堪えないもの」だったのかもしれない。
4. 歌詞の考察
「Gun Has No Trigger」が突きつけてくる問いは、非常にシンプルで、だからこそ深い。「僕らは力を持っているのか?」「その力は、正しく使えるものなのか?」「それ以前に、行動する意志はあるのか?」
この曲のタイトルは、そのすべてを象徴している。「銃」という強いイメージがあるにも関わらず、「引き金がない」ことによってその暴力性は無力化される。これは“制御された攻撃性”ではなく、“自らの行動を放棄した状態”として描かれている。つまり、語り手は「言いたいことがあるのに、言えない/言わない」ことの恐ろしさを見ているのだ。
また、冒頭の「山の上に立って世界を見渡す」という描写は、一見啓示的でありながら、「何も理解していない」という現実に気づく瞬間を象徴している。これは、“すべてが見えるようで、何も見えていない”という、情報過多時代の私たちの知覚そのものを風刺しているとも読める。
その上で、この曲は決して絶望に終わらない。コーラスはまるで賛美歌のように広がり、語り手の声も怒鳴るのではなく“預言者のような静けさ”を持っている。それは、無力さを告発することによって、「行動のきっかけ」を作ろうとする試みであり、音楽を通じた“倫理の再起動”と呼べるものなのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- The National Anthem by Radiohead
政治的混乱と個人の狂騒を音で描き切った名曲。群衆の無言の叫びを感じさせる。 - Take a Look Around by Mondo Grosso feat. Ryuichi Sakamoto
社会と自己、怒りと祈りの交差点を静かに見つめる構成が「Gun Has No Trigger」と通じる。 - Come to Life by Arcade Fire
混乱の時代に立ち向かおうとする感情を、光と影の中で歌い上げたモダン・アンセム。 - The Wilhelm Scream by James Blake
自分の中にある“引き金のない葛藤”を、ループとミニマルな構成で表現した精神のスケッチ。
6. 無力さに声を与える“現代の予言歌”
「Gun Has No Trigger」は、Dirty Projectorsがリスナーに対して突きつけた、“言葉なき時代にどう歌うか”という問いへのひとつの応答である。ここにあるのは、絶望ではなく“知性と感情の葛藤”であり、“行動できない私たち自身”を鏡のように映し出す楽曲なのだ。
その構成は驚くほど簡素でありながら、聴けば聴くほど意味の奥行きが現れる。引き金を持たない銃。それは無意味なのか、それとも希望なのか。その判断は、リスナー一人ひとりの“沈黙”のなかに委ねられている。
Dirty Projectorsはここで、「黙っていることもまた、政治的な行動だ」と静かに語っているようでもある。そしてその沈黙の重さこそが、この時代のもっとも鋭利なメッセージなのかもしれない。
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