
1. 歌詞の概要
「Kill V. Maim」は、カナダのアーティスト**Grimes(グライムス)**が2015年にリリースしたアルバム『Art Angels』に収録された代表曲のひとつであり、暴力性・性・ジェンダー・SF的世界観がハイパーポップに爆発する“アート・アグレッション”の結晶である。この楽曲は、Grimesの作品のなかでもとりわけエネルギッシュで攻撃的なトーンを持ち、タイトルが示すとおり、「殺す(Kill)」と「傷つける(Maim)」という破壊の動詞が象徴的に用いられている。
その一方で、単純なバイオレンスの賛美ではなく、自己表現のための“破壊”=既存の価値観を壊す行為としての暴力性を、美学とパフォーマンスの域にまで昇華している。Grimes自身はこの曲を“バンパイアになったアル・パチーノのような存在”の視点で書いたと語っており、これはまさに性別や道徳、人間性といったあらゆる枠組みを逸脱する“狂気のキャラクター”による語りである。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Kill V. Maim」は、Grimesの創作史における大きな転換点を示すアルバム『Art Angels』に収録されており、セルフ・プロデュース、セルフ・エンジニアリング、セルフ・アレンジによる完全なDIYアルバムとして制作された。彼女はそれまでの『Visions』で確立したドリーミーで繊細なスタイルを脱し、より攻撃的でカラフルで、ポップでありながらハードな世界観を全面に打ち出した。
この曲に登場する主人公は、Grimes自身の中にある複数の人格の一部のような存在で、インタビューでは「マフィアの一員で、バンパイアで、性別も流動的」という設定だと語っている。これはまさにポスト・ジェンダー、ポスト・ヒューマン的な自己像であり、彼女の創作世界における“アートとしての暴力”を具現化している。
ライブでもこの曲は定番であり、Grimesのエネルギーとカリスマ性が最大限に発揮される瞬間となっている。全体としては、フェミニズム的反骨精神と、音楽を通じた権力構造への挑戦が根底に流れており、単なるサウンド体験を超えたパフォーマティブな“現代の戦闘歌”として機能している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Grimes “Kill V. Maim”
I’m only a man
Do what I can
私はただの“男”よ
できることをするだけ
They gave me a life
That’s not what I want
彼らがくれた人生
そんなもの、私の望んだものじゃない
ここでは、語り手が自らを「男」だと名乗っているが、それはジェンダーをアイデンティティの根拠とせず、役割や構造として捉えていることを示している。与えられた“人生”への拒否は、従来の社会的期待や性役割への抗議でもある。
I got in a fight, I was indisposed
I was in over my head, then I got chose
戦っていた、でも不安定だった
手に負えなかったけど、選ばれたのよ
これは、カオスの中で力を得た存在が語る反英雄的な叙述であり、“選ばれる”という言葉には、暴力や犠牲を経て何かを体得したキャラクターの進化が込められている。
B-E-H-A-V-E
Arrest us!
行儀よくしなさいって?
逮捕してみなさいよ!
このリフレインは、権威への反抗、命令への冷笑、そして自身の行動原理を誰にも制御させないという姿勢を象徴している。これこそGrimesが表現する“ポップと暴力の統合”であり、攻撃性をユーモアとスタイルで包む美学の核である。
4. 歌詞の考察
「Kill V. Maim」は、ジェンダー、暴力、パフォーマンス、美学といった複数の概念を複層的に交差させた“ポスト・ポップ・オペラ”とも呼べる作品である。その歌詞は非常に断片的で、明確なストーリーラインを持たないが、それゆえにリスナーの中で無数の物語を生み出すことができる構造となっている。
Grimesはこの曲で、“怒り”や“反抗”といった感情を音楽的カタルシスとしてではなく、構造的な転覆装置として提示している。たとえば、主人公が“男”として語ることで、ジェンダーの安定性が揺らぎ、社会的に与えられた“ふるまい(behave)”を拒絶することで、従来の“女性像”を脱構築している。
また、サウンドにおいてもこの楽曲は爆発的で、クラブミュージック的なビートとインダストリアルな質感、そしてハイピッチな声色の切り替えによって、まさに一人の人間の中に複数の人格が共存しているような印象を与える。それはサイボーグ的でもあり、女神的でもあり、モンスター的でもある。
つまり、「Kill V. Maim」は、ポップミュージックの枠組みを破壊しつつ、新たな表現の地平を切り拓く、“多面体としての自己”の宣言なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Flesh Without Blood” by Grimes
『Art Angels』のリード曲で、恋愛と裏切りをカラフルかつ攻撃的に描いたフェミニズム・ポップ。 - “How’s That” by FKA twigs
身体性と神秘性を融合したエレクトロR&B。感情の表現が物理性に直結するスタイル。 - “Venus Fly” by Grimes ft. Janelle Monáe
怒りと自己表現を祝祭化したパワートラック。女性の力をアートで昇華する試み。 - “Stupid Girl” by Garbage
90年代オルタナティブ女性像を象徴する曲。反抗、誇り、孤独が交錯する。
6. “私は支配されない”──ポップと暴力の祝祭
「Kill V. Maim」は、Grimesが自らのアートビジョンを完全にコントロールし、暴力性すらも美学と化した作品である。その暴力は他者への攻撃ではなく、制度・規範・性別・言語への攻撃であり、それによって自らの表現領域を広げるための手段として用いられている。
これは、ポップでありながらもラディカルであり、フェミニズムでありながらも制限のない、まさに21世紀的自己解放の讃歌である。そこにあるのは怒りではなく、変幻自在の“パワー”そのものだ。
「Kill V. Maim」は、ポップの皮をかぶったカミソリのような作品。自分の声で世界を切り裂くための、破壊と美の祝祭である。
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