発売日: 1996年10月1日
ジャンル: グランジ、ハード・ロック、パンク・ロック、ライヴ・アルバム
叫びは“生”にあった——Nirvana、その剥き出しの瞬間を刻んだ“轟音の記録”
『From the Muddy Banks of the Wishkah』は、Nirvanaが1996年にリリースした初の公式ライヴ・アルバムであり、1989年から1994年にかけて行われたライヴ・パフォーマンスから選び抜かれた録音によって構成された、“Nirvanaのステージ上の真実”を克明に映し出した作品である。
アルバムタイトルの「Wishkah」は、ワシントン州アバディーンを流れる川の名前であり、Kurt Cobainが育った町と彼の死後に遺灰が撒かれた場所という、象徴的な二重の意味を持つ。
それはまるで、Cobainの生と死、静けさと轟音、芸術と衝動の交差点を示す地図のようでもある。
本作は、1994年の『MTV Unplugged in New York』で見せた内省的な側面とは真逆の、“激しく、汗とノイズにまみれたNirvanaの現場”を切り取った記録であり、彼らのライヴにおける荒削りなエネルギーと、観客との生々しい距離感がそのまま封じ込められている。
全曲レビュー
1. Intro
ライヴのざわめきとともに、ステージに立つまでの緊張と高揚が伝わってくる短いSE。
2. School
デビュー作『Bleach』からの一曲。「No recess!」という絶叫がフロアを突き抜ける、爆発的なオープニング。
3. Drain You
『Nevermind』の隠れたライヴ定番。音が荒れ狂いながらも、メロディの芯はブレない。 “グランジ・ポップ”の真髄。
4. Aneurysm
ライヴでこそ真価を発揮するカルト・クラシック。愛と吐き気を同居させたような、Nirvana的エモーションの極致。
5. Smells Like Teen Spirit
観客の熱狂とともに放たれる、“90年代の国家”とも言うべき一曲。 スタジオ版よりも荒々しく、混沌のなかに光る。
6. Been a Son
短くも鋭い、Cobainのフェミニズム視点が表れた一曲。怒りと哀しみが弦に滲む。
7. Lithium
クリーンから歪みへのダイナミクスが生々しい。感情の断裂と再構築がそのまま演奏に現れる。
8. Sliver
子ども時代の不安と愛情飢餓を軽やかに歌う、Nirvana流“毒入りホームソング”。
9. Spank Thru
初期音源『Sub Pop 200』から。Nirvanaの原点が垣間見える、混沌とセックスの歌。
10. Scentless Apprentice
グランジとノイズ・ロックの境界線をぶち破るような咆哮。Cobainの声が“叫び”を超えて“音そのもの”になる瞬間。
11. Heart-Shaped Box
『In Utero』からの名曲。スタジオ版よりも刺々しく、感情の傷口がそのまま晒される演奏。
12. Milk It
不協和とリズムの揺らぎが異様なテンションを生む。これは音楽というより“爆発”に近い。
13. Negative Creep
『Bleach』からの凶暴なグラインド。Kurtの“嫌われ者”としての自己認識が生々しく迫る。
14. Polly
スタジオでは静謐だったこの曲も、ライヴでは張り詰めた緊張と冷たさがより際立つ。
15. Breed
ミディアムテンポながら、演奏は獣のように暴れる。反復するフレーズが観客の身体を揺らす。
16. Tourette’s
タイトル通りの爆発的ノイズ。言葉にならない衝動と狂気のカタマリ。
17. Blew
ラストを飾るのは『Bleach』のオープナー。ベースラインがすべてを引きずり込み、Nirvanaというバンドの重力を象徴するような演奏。
総評
『From the Muddy Banks of the Wishkah』は、スタジオ録音ではけっして捉えきれない、“生のNirvana”のむき出しの断片を編んだ記録映画のようなアルバムである。
そこにはミスも、暴走も、荒れた声もすべて含まれているが、だからこそ“命が鳴っている”と感じさせる圧倒的な熱量がある。
Kurt Cobainという人間の叫びは、音楽の枠に収まらなかった。
彼が最後まで求めた“誠実さ”とは、もしかするとこのアルバムのような、“何も隠さない”という姿勢だったのかもしれない。
『Unplugged』がNirvanaの“静”を極めたのだとすれば、『Wishkah』はその“動”を燃え尽きるまで刻んだ記録。
叫びも音割れも、そのままが尊い。
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