発売日: 1993年3月1日
ジャンル: オルタナティブ・ロック、ドリームポップ、ポップ・ロック
『Everybody Else Is Doing It, So Why Can’t We?』は、アイルランド出身のバンド The Cranberries が1993年に発表したデビュー・アルバムであり、
ドロレス・オリオーダンの透明感ある歌声と、メロウで陰影あるサウンドが織りなす“90年代的郷愁”の原点となった作品である。
バンドは当時まだ若く、複雑な社会批評よりも、恋愛、孤独、希望といったパーソナルな感情を主題にしていた。
それが、UKのブリットポップ前夜において、やや非現実的で夢見がちな音楽として強く印象を残した所以である。
本作のプロデューサーは Stephen Street(The Smiths、Blur)であり、その影響は明白に音に現れている。
ストリートによるミキシングは非常に空間的で、ドロレスのヴォーカルに深いリバーブと余白を与えることで、
まるで“現実の中の夢”のような雰囲気を形成している。
メロディは決して派手ではなく、ギターは囁くように鳴り、リズムは穏やかに流れる。
しかし、その“抑制された感情”の中にこそ、心の震えがある。
リリース当初は商業的に大きな注目を浴びたわけではなかったが、シングル「Linger」「Dreams」のヒットによってアメリカでもブレイク。
結果的に本作は全世界で600万枚以上の売上を記録し、The Cranberriesを90年代オルタナティブ・ロックの重要バンドへと押し上げた。
全曲レビュー
1. I Still Do
アルバムの幕開けを飾る、短くも詩的なトラック。
ギターのアルペジオと静かなストリングスが、まるで霧の中に佇むような情景を描く。
“まだ私はあなたを想っている”という繰り返しが、失われた愛を静かに告白する。
2. Dreams
The Cranberries の代表曲のひとつにして、90年代ドリームポップの金字塔。
浮遊感あるコード進行、恋の始まりの高揚感、ドロレスのファルセットが眩しく響く。
今なお色褪せない、“初恋の記憶”のような楽曲である。
3. Sunday
穏やかな週末の陰影と内省。
ポスト・スミス的なギターの響きと、抑制されたメロディが胸に残る。
“Sunday”という日常語が、ここでは無限の寂しさと交錯している。
4. Pretty
可憐さの裏にある自意識を描いたシンプルなナンバー。
曲名の“Pretty”にはどこか皮肉が込められており、美しさという社会的価値に対する複雑な感情が滲む。
5. Waltzing Back
アルバムの中でもややダークで不穏なトーンを持つ。
恋愛における支配・服従のテーマを、ワルツのようなリズムで包み込むのが印象的。
6. Not Sorry
自立を告げる小さな反抗。
“I’m not sorry”という繰り返しが、自分の感情を言葉にすることの強さを語っている。
7. Linger
本作最大のヒット曲であり、The Cranberriesの存在を世界に知らしめた名曲。
ストリングスとアルペジオ、そして“Do you have to let it linger?”という問いかけが痛切な余韻を残す。
許しと後悔が同居する、90年代ポップの奇跡的なバラード。
8. Wanted
前曲から一転、疾走感のあるギターポップ。
若者特有の焦燥と、感情の暴発がサウンドに表れている。
アルバムの中で数少ないロック的エネルギーを感じさせる瞬間。
9. Still Can’t…
揺れる心と距離感のメタファーを含んだ楽曲。
タイトルの“Still can’t”は明示的な答えを避けることで、より曖昧で普遍的な感情を浮かび上がらせている。
10. I Will Always
再び内省的なテンポへと戻るバラード。
誓いのように繰り返されるフレーズが、愛の終わりにも希望を残す。
11. How
情念が噴き出すような楽曲で、ドロレスのヴォーカルが怒りと痛みを伴って高まる。
「どうして?」というタイトルは、沈黙の中の叫びのように響く。
12. Put Me Down
エンディングを飾る儚く繊細なナンバー。
ギターの残響と語りかけるようなボーカルが、“終わりの時間”を優しく導く。
総評
『Everybody Else Is Doing It, So Why Can’t We?』は、The Cranberriesというバンドが最も純粋で、未加工な輝きを放っていた瞬間を封じ込めた作品である。
それは決して派手でも、社会的に鋭くもない。
だが、だからこそ10代〜20代の心の微妙な揺れや、世界との距離感、誰かを思い続けることの儚さを、より切実に語り得たのである。
ドロレス・オリオーダンのヴォーカルは、決して技巧的ではないが、その不完全さがむしろ誠実さを感じさせる。
ギターとベース、ドラムは常に余白を意識し、音と言葉が等しく呼吸している。
このアルバムには、“時代を超えて鳴り続ける静けさ”がある。
それは聴く者の感情と記憶をそっと撫で、誰にでもある“言葉にできない瞬間”に寄り添ってくれる。
まさにこのタイトルの通り——「みんながやってるんだったら、わたしたちにだってできる」——
そんな素朴で切実な願いを、音楽という形で提示した、90年代ポップ史における永遠の小さな奇跡である。
おすすめアルバム
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Cocteau Twins / Heaven or Las Vegas
浮遊感あるギターと幽玄なボーカルが共鳴するドリームポップの名盤。 -
Mazzy Star / So Tonight That I Might See
内省的なテンポと感情の陰影が近く、ドロレスとHope Sandovalの精神的共振が感じられる。 -
The Sundays / Reading, Writing and Arithmetic
澄んだ女性ボーカルとアコースティック寄りのネオアコサウンドが近似。 -
R.E.M. / Automatic for the People
内省的でメロディアスな構成、優しさと寂しさの共存。 -
Natalie Imbruglia / Left of the Middle
90年代後半の女性ボーカル・ポップとして、The Cranberriesの系譜にある作品。
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