1. 歌詞の概要
「Drive」は、Gretel Hänlynが2022年にリリースしたデビューEP『Slugeye』に収録された楽曲であり、彼女のスタイルの核心を象徴する作品のひとつである。この曲では、シンプルな言葉とメランコリックなコード進行、そして何よりも低く艶やかで、どこか“無感情に近い冷静さ”を漂わせるヴォーカルによって、逃避と欲望、そして感情の断絶を描いている。
「Drive(ドライブする)」という行為は、この楽曲において現実からの“物理的かつ精神的な逃避”の象徴である。目的地も明かされないまま、ただ走り続けることに意味があるような感覚。何かを変えるために動くのではなく、むしろ“変わらなさ”を抱えたまま、とにかくその場から離れるために車を走らせる——そんなムードが、歌詞とサウンドの両面からじんわりと滲み出てくる。
この曲は、感情の爆発や悲しみの誇張とはまったく異なる、“閉ざされた気持ち”のリアルを提示する。無表情なまま痛みを抱えるような静けさと、その中でじっと耐えているような強さが、Gretel Hänlynというアーティストの静かな凄みに通じている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Gretel Hänlyn(本名:Maddy Haenlein)は、ロンドンを拠点に活動する若手シンガーソングライターであり、その楽曲にはドリームポップやグランジ、ポストパンク的な質感が同居している。彼女の作風は、どこか夢見心地でありながらも、極めて冷静に現実を捉える視点がある。「Drive」もまさにその延長線上にある曲であり、“逃避”というテーマをロマンチックでも劇的でもなく、無機質なほど静かな語りで表現している。
この曲はEPの中でも特にミニマルな構成で、スロウに沈むベースラインと空間を活かしたギター、そして何よりも声のニュアンスで情景を描いていく手法がとられている。ある種の“空白の美学”がそこには存在しており、聴き手はその余白に、自分の記憶や感情を重ねてしまうような感覚に陥る。
「Drive」は、恋愛の終わりや不在、もしくはアイデンティティの迷子感を間接的に語る楽曲としても機能している。何を思って走り出すのか、その理由は明かされないが、その“言葉にならない焦燥”こそがこの曲の本質なのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I just drive
No place to be
ただ走ってるだけ
どこかに行きたいわけじゃない
Headlights blur
But I don’t blink
ヘッドライトがぼやけても
私は瞬きすらしない
Windows down
I let the cold in
窓を開けて
冷たい風を感じてる
Just to feel
Something real
何か“本物”を感じたくて
ただ、それだけ
歌詞引用元:Genius – Gretel Hänlyn “Drive”
4. 歌詞の考察
この曲は、「行動」と「感情」が乖離した状態を非常に美しく描いている。語り手は、どこかに行きたいのではなく、今いる場所から離れたい。つまり「移動」そのものが目的であり、それは“内面的な居場所のなさ”を象徴している。
「Just to feel / Something real(何か本物を感じたくて)」というフレーズは、この曲全体のキーフレーズである。自分の中が麻痺している感覚、何をしても手応えがない日常、誰かといても孤独な時間——そのすべてが“冷たい風を顔に浴びる”という行為に集約されている。この感覚は、若者だけでなく、現代を生きるすべての人が共感しうる感情だろう。
また、歌詞全体を通して無駄な言葉が排除されていることも特徴的で、それがかえって聴き手に深い解釈の余白を与えている。少ない言葉、少ないメロディ、少ない動き——その“少なさ”の中にこそ、表現の密度が宿っている。これはGretel Hänlynの詞世界の特長でもある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Drive by Oh Wonder
夜に沈みながら静かに漂うような“逃避”の感覚を、浮遊感のあるサウンドで描いた一曲。 - Terrence Loves You by Lana Del Rey
冷たい都市の中で、自分の存在を確かめようとする内省的な世界観が共鳴する。 - Moon Song by Phoebe Bridgers
言葉の抑制と感情の深さを併せ持った、傷ついた人のための子守唄のような曲。 -
Bags by Clairo
恋愛の曖昧さ、言葉にならない戸惑いを、静かに紡ぐことで逆に強く伝えてくる楽曲。 -
Motion Sickness by Phoebe Bridgers
切れ味のある言葉と静かな怒り、無力さと強さの境界を漂う名曲。
6. “ただ走る”という行為に宿る、抵抗と救済
「Drive」は、“何かから逃げる”というよりは、“何かを取り戻す”ためのドライブである。けれどそれは、答えにたどり着く旅ではなく、むしろ答えのない空白を走り続けることそのものに意味を見出す旅だ。言い換えれば、「何もない」ことを受け入れるためのドライブであり、それがこの楽曲の最も静かで、最も美しい部分である。
この曲を聴いていると、私たちはきっと誰しも「ただ走りたい夜」があることを思い出す。それは何か大きな感情を叫ぶためではなく、むしろ何も感じられなくなったときに、“風”だけが何かを思い出させてくれるからだ。Gretel Hänlynは、その沈黙の力を知っているアーティストである。
「Drive」は、逃げるためでもなく、辿り着くためでもなく、“感じるために走る”ことの意味を描いた、現代的で極めて詩的な楽曲である。無表情のなかに宿る情熱。無音のなかに響く叫び。Yard Actが社会を語るなら、Gretel Hänlynは“自分の内側”をささやく。その声は決して大きくないが、確実に深い場所に届いてくるのだ。
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