
発売年:1983年
ジャンル:ニューウェイヴ/ポップ・ロック/アート・ポップ/シンセ・ポップ
概要
Split Enzの『Conflicting Emotions』は、バンドのキャリア後期に位置する重要作であり、1970年代のアート・ロック的な実験性から、1980年代的なニューウェイヴ/ポップへと進んできた彼らが、さらに成熟したソングライティングへ到達したアルバムである。前作『Time and Tide』で大きな成功を収めた後に制作され、Neil FinnとTim Finnという二人の主要ソングライターの個性が、これまで以上に明確な形で並置されている。
Split Enzはニュージーランド出身のバンドとして、1970年代には奇抜な衣装、演劇的なステージング、複雑なアレンジを特徴とするアート・ロック集団だった。しかし1979年の『Frenzy』、1980年の『True Colours』以降は、ニューウェイヴ的な簡潔さとメロディの強さを前面に出し、国際的にも広く認知されるようになった。
『Conflicting Emotions』は、その流れの中でも特に内省的な作品である。タイトルが示す「相反する感情」は、アルバム全体の重要なキーワードとなっている。楽曲では愛情と不安、希望と倦怠、衝動と理性、親密さと孤立といった感情が同時に存在し、一つの結論へ簡単には収束しない。
音楽面でもその二面性は明確である。シンセサイザーや電子的なリズムを用いた80年代的なプロダクションがある一方で、Split Enz本来のピアノ、ギター、緻密なコーラス・ワークも残されている。ポップ・ミュージックとして親しみやすいが、構成やコード進行にはアート・ポップ時代から続く複雑さがある。
また、本作はバンド内部の変化を示す作品でもある。長年ドラマーを務めたMal Greenが前作後に離れたことで、リズム面ではドラム・マシンやより機械的なアプローチが目立つようになった。その結果、『Conflicting Emotions』には従来のSplit Enzよりも乾いた、冷たい質感が加わっている。
そして何より重要なのがNeil Finnの台頭である。「Message to My Girl」をはじめ、本作におけるNeilの曲は、後のCrowded Houseへ直接つながるメロディ感覚、内省的な歌詞、過剰に装飾しないポップ・アレンジをすでに備えている。一方、Tim Finnはより劇的で、心理的な緊張を伴う曲を提供しており、二人の違いがアルバムに豊かな陰影を与えている。
全曲レビュー
1. Strait Old Line
アルバムは「Strait Old Line」で始まる。鋭いシンセサイザーと引き締まったリズムによって、Split Enzの1980年代的な側面が強く打ち出された曲である。
タイトルは“straight old line”を思わせながら、綴りのずらしによってわずかな違和感を作っている。これはSplit Enzが得意としてきた、言葉遊びと意味のずれを利用する手法でもある。
歌詞では、ある決まった道筋や、既成の考え方に従うことへの違和感が感じられる。社会や人間関係の中で期待される「正しい振る舞い」と、自分自身の感情との間に緊張がある。
音楽もその感覚に対応している。一定のリズムで進みながら、コードやシンセサイザーの配置には落ち着かない感触があり、完全に明るいポップ・ソングにはならない。
アルバムのタイトル『Conflicting Emotions』が示すような、規則性と不安定さの共存を最初に提示する曲である。
2. Bullet Brain and Cactus Head
「Bullet Brain and Cactus Head」は、タイトルからしてSplit Enzらしい奇妙なイメージを持つ。
“Bullet Brain”と“Cactus Head”という二つの言葉は、鋭さ、痛み、刺激、思考の暴走などを連想させる。具体的な物語よりも、人物の心理状態や性格を誇張した比喩として機能している。
Split Enzは初期から、言葉を単純な意味だけでなく視覚的・音響的なイメージとして扱ってきた。この曲でも、タイトルの奇抜さそのものが楽曲のキャラクターを作っている。
サウンドはニューウェイヴ的で、リズムにはやや神経質な推進力がある。シンセサイザーの音色も乾いており、1970年代の豪華なアート・ロックというより、よりコンパクトで現代的な音作りになっている。
歌詞には対人関係の緊張や、簡単には理解し合えない人物同士の衝突が感じられる。アルバム全体の「相反する感情」というテーマを、やや風刺的な方向から表現した楽曲である。
3. Message to My Girl
「Message to My Girl」は、『Conflicting Emotions』を代表するだけでなく、Split Enzのキャリア全体でも特に高く評価されているNeil Finn作のラヴ・ソングである。
この曲の最大の特徴は、感情表現の直接性と抑制が同時に存在することにある。
タイトルは「恋人へのメッセージ」という極めて単純なものだが、歌詞は大げさな愛の宣言にはならない。相手への深い感情を認めつつ、それをどのように言葉へするべきか迷う心理が描かれている。
Neil Finnのソングライティングでは、愛情はしばしば「完全に安心できる状態」として描かれない。誰かを強く求めるほど、その関係を失うことへの不安も大きくなる。「Message to My Girl」にも、その二重性がある。
ピアノを中心としたアレンジは非常に簡潔で、Split Enzの他の曲に見られる奇抜なサウンド・アイデアを大幅に抑えている。そのためメロディと歌詞が前面に出る。
特にサビでは、メロディが大きく開きながらも、感情的な大仰さには向かわない。この節度は後のCrowded Houseにも受け継がれる。
Neil Finnが1980年代後半以降、世界的なソングライターとして評価されることになる理由を、すでに明確に示した一曲である。
4. Working Up an Appetite
「Working Up an Appetite」は、より軽快でリズミカルな楽曲である。
タイトルの“working up an appetite”は「食欲をつける」という日常的な表現だが、ここでは欲望や期待が徐々に高まることの比喩としても機能する。
Split Enzは深刻な心理を扱う一方、こうしたユーモラスで少し身体的な表現も得意としている。
音楽にはポップな軽さがあり、リズムの反復と短いフレーズによって前進する。シンセサイザーの使い方にも1980年代らしいファンク/ニューウェイヴ的な感覚がある。
歌詞では、何かを欲しがること、その欲望が次第に大きくなっていくことが扱われる。ただし単純な快楽肯定ではなく、「欲望そのものが自分を動かしている」という少し距離を置いた視点がある。
アルバム中盤へ向けてテンポを引き上げる役割を持つ一曲である。
5. Our Day
「Our Day」は、比較的穏やかな曲調を持つ作品である。
タイトルは「僕たちの日」「自分たちの時代」という意味を持ち、個人的な関係と、より広い意味での将来への期待の両方を連想させる。
歌詞には、いつか自分たちにも良い時が訪れるという希望がある。しかしSplit Enzらしく、その希望は完全な確信ではない。
未来への期待と、現在に対する不安が同時に存在する。そのため「Our Day」という肯定的なタイトルにも、どこか待ち続けているような切実さが残る。
サウンドはメロディを重視しており、シンセサイザーを使用しながらも冷たくなりすぎない。コーラスにはグループのポップ・センスがよく表れている。
本作のタイトルが示す「相反する感情」を、希望という側から描いた楽曲である。
6. No Mischief
「No Mischief」は、タイトルの「いたずらをしない」「問題を起こさない」という言葉に反して、どこか不穏な感触を持つ。
Split Enzの歌詞では、表面的には肯定的、あるいは無害に見える言葉の裏に別の意味が隠れることが多い。この曲も、何も問題がないと主張すること自体が、逆に問題の存在を示唆しているように聞こえる。
音楽は比較的コンパクトで、リズムとヴォーカルの掛け合いを中心に進む。
80年代のシンセ・ポップ的な質感を持ちながら、コード進行や細かなアレンジにはSplit Enzらしいねじれがある。
歌詞では、自分自身の行動を正当化しようとする心理や、周囲との微妙な緊張感が感じられる。軽い表面の下に複雑な感情を隠す、本作らしい一曲である。
7. The Devil You Know
「The Devil You Know」は、英語のことわざ“The devil you know is better than the devil you don’t”を連想させるタイトルである。
これは「知らない危険より、知っている危険のほうがまし」という意味であり、変化を恐れて不完全な状況にとどまる人間心理を表す。
歌詞では、人間関係や生活の中で、問題があると理解しながらもそこから離れられない感覚が中心となっている。
これは『Conflicting Emotions』というアルバムのテーマと非常に相性がよい。理性的には状況を変えるべきだと分かっていても、感情的には慣れたものを手放せない。相反する二つの判断が同時に存在するからである。
音楽はダークなニューウェイヴ的質感を持ち、シンセサイザーの冷たさが歌詞の心理を補強する。
Split Enzのポップな側面とは別に、彼らが持つ少し不穏で演劇的な感覚を残した曲でもある。
8. I Wake Up Every Night
「I Wake Up Every Night」は、タイトル通り夜中に何度も目を覚ます状態を扱う。
睡眠の断絶は、不安や精神的な緊張の非常に具体的な表現である。何かが気になって眠り続けることができず、同じ思考が頭の中を回り続ける。
Split Enzの後期作品では、外向的な奇抜さよりも、このような内面的な不安が徐々に重要になっている。
音楽も神経質な反復を持ち、安定しているようで完全には落ち着かない。ドラム・マシン的な正確さと、人間の心理的不安定さの対比も印象的である。
夜というモチーフは、孤独や自己対話と結びつく。昼間には抑えられていた感情が、静かな時間になると再び表面化する。
アルバム後半の内省性を深める重要曲である。
9. Conflicting Emotions
タイトル曲「Conflicting Emotions」は、アルバム全体のテーマを最も直接的に提示する作品である。
“conflicting emotions”とは、そのまま「相反する感情」を意味する。誰かを愛しながら腹を立てる、前へ進みたいと思いながら過去に戻りたい、安心したいのに刺激を求める。人間の感情が単純な一方向へ整理できないことが主題となっている。
Split Enzのキャリアそのものも、このタイトルと重ねることができる。
バンドは1970年代の奇抜なアート・ロックから、80年代のポップ・バンドへ変化してきた。しかし本作ではそのどちらか一方を完全に捨てることができない。
複雑な音楽性と大衆的なメロディ、実験とポップ、Tim FinnとNeil Finnという二人の作家性が同じ作品内でせめぎ合っている。
音楽的にも、明るさと陰りが同居する。メロディは親しみやすい一方、コードの響きには落ち着かなさがあり、曲が単純な解決へ進むことを避ける。
タイトル曲として、作品全体の心理的構造を象徴する一曲である。
10. Bon Voyage
アルバムを締めくくる「Bon Voyage」は、タイトル通り「良い旅を」という別れの言葉を持つ。
この言葉には明るさがある一方、別れそのものの寂しさも含まれる。旅立つ人物を送り出すということは、その人物がここからいなくなることを意味する。
『Conflicting Emotions』の最後にこの曲が置かれていることは象徴的である。
アルバム全体を通して、関係や心理の不安定さ、変化への戸惑いが描かれてきた。その最後に「Bon Voyage」と言うことで、最終的には変化を受け入れ、誰か、あるいは自分自身を次の場所へ送り出すような感覚が生まれる。
音楽も終曲らしい余韻を持ち、劇的な大団円ではなく、少し距離を置いた別れとして終わる。
Split Enzがキャリア終盤へ近づいていたことを考えると、後から振り返っても意味深いタイトルである。
総評
『Conflicting Emotions』は、Split Enzのディスコグラフィーの中でも、派手なヒット曲や視覚的な奇抜さより、成熟したソングライティングと心理的な陰影を重視したアルバムである。
『True Colours』では、「I Got You」に代表される強いニューウェイヴ・ポップが前面に出ていた。『Time and Tide』では、より大きなスケールとドラマティックな構成が加わった。それに対して『Conflicting Emotions』は、やや内向きの作品である。
最大の特徴は、Tim FinnとNeil Finnという二人のソングライターの違いが、アルバムの個性そのものになっている点にある。
Tim Finnの楽曲には、Split Enz初期から続く演劇性、心理的な緊張、奇妙な言葉遣いが比較的強く残る。一方Neil Finnは、より簡潔なメロディと自然な感情表現へ向かっている。
「Message to My Girl」はその決定的な例である。
Neilは複雑なアレンジを使わなくても、コード、メロディ、数行の歌詞によって深い感情を表現できる。この能力は後のCrowded Houseでさらに完成され、「Don’t Dream It’s Over」「Better Be Home Soon」「Weather with You」などへつながっていく。
その意味で『Conflicting Emotions』は、Split Enzの終盤を記録すると同時に、Crowded Houseの始まりを予告する作品でもある。
音響面ではMal Green不在の影響も大きい。
Split Enzはもともと演奏者同士の細かなアンサンブルを特徴としていたが、本作では電子的なリズムの比重が高まり、より機械的な質感が生まれている。
これは1983年という時代背景とも関係する。
当時のポップ・ミュージックでは、ドラム・マシン、シーケンサー、デジタル・シンセサイザーなどが急速に一般化していた。New Order、Eurythmics、The Human Leagueなどが電子的なリズムをポップの中心へ持ち込み、ロック・バンドもそれに対応する必要があった。
Split Enzも本作でそうした時代の変化を取り込んでいる。
ただし、完全なシンセ・ポップへ移行したわけではない。ピアノ、ギター、コーラス、複雑なコード進行など、従来のバンドらしさも残されている。この「生演奏と電子性」のせめぎ合いも、タイトル通りの相反性を生んでいる。
歌詞面では、恋愛だけでなく、社会との関係や自分自身の心理状態が重要である。
「Message to My Girl」では愛情を伝えることの難しさ、「The Devil You Know」では変化への恐れ、「I Wake Up Every Night」では不安、「Conflicting Emotions」では感情そのものの矛盾が扱われる。
これらに共通するのは、「自分が何を感じているのかを完全には整理できない」という状態である。
ポップ・ソングでは通常、主人公の感情は明確にされることが多い。愛している、別れたい、怒っている、悲しい、といった一つの方向へまとめられる。しかし本作では、異なる感情が同時に存在する。
その意味で『Conflicting Emotions』は、大人の感情を扱ったアルバムでもある。
人間関係が長くなるほど、感情は単純ではなくなる。愛情があっても不満があり、離れたいと思っても寂しさがある。そうした矛盾を解決せず、そのままポップ・ソングへ落とし込んでいる。
また、本作はニュージーランド/オーストラリア圏のロック史においても重要である。
Split Enzは、オセアニアのバンドが英国や北米の音楽市場へ進出するうえで先駆的な存在だった。その成功はMen at Work、INXS、Crowded Houseなどが国際的に活動する環境ともつながっている。
特にNeil Finnがその後Crowded Houseを結成し、より普遍的なポップ・ソングライターとして成功したことを考えると、本作は世代交代の記録でもある。
Tim Finnのアート・ポップ的感覚と、Neil Finnのシンプルで感情的なポップ・ソングが同時に存在することで、Split Enzの過去と未来が一枚の中で重なっている。
『Conflicting Emotions』というタイトルは、したがって歌詞だけを示しているのではない。
アート・ロックとポップ、アナログとデジタル、TimとNeil、Split Enzの過去と次の段階。アルバムそのものが複数の方向へ引っ張られている。
そのため『True Colours』ほど即効性のある作品ではなく、『Time and Tide』ほど劇的でもない。しかし、Split Enzというバンドがどのように終盤へ向かい、Neil Finnがどのように次のキャリアへ進んでいったのかを理解するうえでは非常に重要な作品である。
ニューウェイヴ、80年代ポップ、Crowded House周辺のソングライティングに関心を持つリスナーにとって、『Conflicting Emotions』は特に意味のある一枚である。
おすすめアルバム
Split Enz – Time and Tide(1982)
『Conflicting Emotions』直前の作品で、Split Enz後期の代表作。「Dirty Creature」「Six Months in a Leaky Boat」などを収録し、ニューウェイヴ的な簡潔さとバンド本来のアート・ポップ的な構成力を両立している。本作がそこからどのように内省的な方向へ進んだかを理解するうえで最重要の比較対象となる。
Split Enz – True Colours(1980)
「I Got You」を収録した国際的なブレイク作。1970年代の複雑なアート・ロックから、コンパクトでメロディアスなニューウェイヴへ移行したSplit Enzの大きな転換点である。『Conflicting Emotions』に至るポップ化の流れを確認できる。
Crowded House – Crowded House(1986)
Split Enz解散後、Neil Finnが中心となって発表したCrowded Houseのデビュー作。「Don’t Dream It’s Over」をはじめ、簡潔なアレンジと高度なメロディ、内省的な歌詞を組み合わせている。「Message to My Girl」から発展したNeil Finnのソングライティングを追ううえで最も重要な作品である。
The Cars – Heartbeat City(1984)
ニューウェイヴとギター・ポップを、当時最先端のシンセサイザー/スタジオ・プロダクションへ接続した作品。電子的な音響を導入しながら、メロディ主体のロック・バンドとして成立している点で『Conflicting Emotions』との共通点がある。
XTC – English Settlement(1982)
ニューウェイヴを出発点としながら、複雑なコード、英国的なポップ感覚、社会観察を取り込み、より成熟したアート・ポップへ進んだ作品。Split Enzと同様、奇抜さから出発したバンドが高度なソングライティングへ移行していく過程を示す一枚である。

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