
発売日:1993年6月1日
ジャンル:サイケデリック・ロック/ドリーム・ポップ/ノイズ・ロック/オルタナティヴ・ロック/実験的インディー・ロック
概要
Mercury Revの2作目のスタジオ・アルバム『Boces』は、1990年代初頭のアメリカン・オルタナティヴ・ロックの中でも、特に混沌と幻想が強く結びついた作品である。1991年のデビュー作『Yerself Is Steam』で、Mercury Revはサイケデリック・ロック、ノイズ、ドリーム・ポップ、フリーキーな実験精神を混在させた独自の音楽を提示した。続く『Boces』では、その混沌がさらに色彩豊かになり、時にポップで、時に暴力的で、時に子供の夢のように甘く、時に悪夢のように歪んだ音世界が展開される。
Mercury Revは、ニューヨーク州バッファロー周辺で形成されたバンドであり、初期にはThe Flaming Lipsとも近い精神性を共有していた。実際、ギタリスト/サウンド・デザイナー的な役割を担ったDave Fridmannは、後にThe Flaming Lips、Mogwai、Sparklehorse、MGMTなどを手がける重要プロデューサーとして知られるようになる。Mercury Revの初期作品における音響の過剰さ、歪み、浮遊感、突発的な爆発は、Fridmannの後の仕事にもつながる重要な要素である。
『Boces』の時期のMercury Revでは、David Bakerのヴォーカルが大きな存在感を持っている。Jonathan Donahueの後年の柔らかく夢見がちな歌唱とは異なり、Bakerの声は不安定で、語りかけるようでもあり、叫ぶようでもあり、時に狂気に近い。彼のヴォーカルは、曲をきれいにまとめるのではなく、サウンドの中に異物として入り込み、作品全体の不穏さを増幅する。『Boces』は、後の『Deserter’s Songs』で聴かれるような優美なチェンバー・ポップとはかなり異なる、初期Mercury Revの異常なエネルギーを記録したアルバムである。
本作のタイトル『Boces』は、ニューヨーク州の教育関連機関名を連想させる言葉でもあり、アルバム全体にも学校、子供時代、郊外、夢、記憶、現実からの逸脱といったイメージが漂う。ただし、それは穏やかなノスタルジーではない。むしろ、子供の頃の記憶がサイケデリックな歪みを通して再生されるような感覚である。無邪気さと暴力、甘さと不安、ポップなメロディとノイズの崩壊が、同じ曲の中で衝突する。
音楽的には、The Velvet Underground、Syd Barrett期のPink Floyd、The Flaming Lips、Sonic Youth、My Bloody Valentine、Butthole Surfers、Pixies、Spacemen 3などの影響を感じさせる。しかしMercury Revは、それらを単純に引用するのではなく、映画的な音響、フリージャズ的な混乱、子供じみたメロディ、ノイズ・ロックの爆発を組み合わせて、独自のサイケデリック・オルタナティヴを作っている。ギターはしばしば音の壁のように膨張し、管楽器やキーボード、ノイズ、サンプル的な断片が曲の輪郭を曖昧にする。
『Boces』は、グランジがメインストリームへ上昇し、オルタナティヴ・ロックが商業的な力を持ち始めた1993年に発表された。しかし本作は、同時代のオルタナティヴの中でもかなり奇妙な位置にある。NirvanaやPearl Jamのような直接的なロックの感情表現とは異なり、Mercury Revはもっと夢幻的で、分裂的で、音響そのものを混乱させる方向へ進んでいた。ギター・ロックでありながら、曲の中心が必ずしもリフや歌にあるわけではなく、音の渦そのものが主役になることが多い。
歌詞面では、明確な物語を読み取るよりも、断片的なイメージ、心理的な揺れ、幻想的な場面が重要である。David Bakerのヴォーカルは、意味を伝えるよりも、異様なキャラクターを作る。語られる言葉はしばしば不安定で、現実と妄想の境界を行き来する。Mercury Revの初期作品では、歌詞はポップ・ソングの説明装置ではなく、音響の中に漂う幻覚的な要素として機能している。
後のMercury Revは、『See You on the Other Side』を経て、1998年の『Deserter’s Songs』で大きく評価されることになる。そこではオーケストラ的な編曲、アメリカーナ的な幻想、柔らかなメロディが前面に出る。『Boces』はその前段階として、まだバンドが混沌を整理する前の作品である。つまり本作は、Mercury Revが美しい夢を見る前に、まず悪夢の中で音を鳴らしていたことを示すアルバムである。
日本のリスナーにとって『Boces』は、Mercury Revを『Deserter’s Songs』のバンドとして知っている場合、かなり異質に響くかもしれない。だが、1990年代初頭のアメリカン・インディー/オルタナティヴの実験性、ノイズとポップの混合、サイケデリック・ロックの再解釈を知るうえでは非常に重要な作品である。整った名盤というより、制御不能なサウンドの遊園地であり、壊れかけた夢の記録である。
全曲レビュー
1. Meth of a Rockette’s Kick
アルバム冒頭の「Meth of a Rockette’s Kick」は、『Boces』の混沌とした世界へ聴き手を一気に引き込む楽曲である。タイトルからして奇妙で、ドラッグ的な感覚、舞台的な華やかさ、身体的な衝撃が混ざっている。Mercury Revらしい、意味が完全には固定されない言葉の組み合わせである。
音楽的には、サイケデリックな浮遊感とノイズの爆発が同居している。曲は穏やかに進むようでいて、突然音が膨れ上がり、リスナーの耳を包み込む。ギターはメロディを支えるというより、音響空間を歪ませる役割を持つ。ドラムも単純なビートというより、夢の中で何かが崩れていくような不安定さを生む。
David Bakerのヴォーカルは、曲の中心に立つというより、音の渦の中を漂う。彼の声には、子供っぽさ、狂気、皮肉、疲労が入り混じっており、楽曲に奇妙な人物像を与える。歌詞は明確なストーリーというより、断片的なイメージとして響く。
この曲は、『Boces』が一般的なオルタナティヴ・ロックのアルバムではないことを最初に宣言している。ポップな要素はあるが、それは常にノイズと幻想によって歪められる。美しい夢と悪い夢が同時に始まるようなオープニングである。
2. Trickle Down
「Trickle Down」は、タイトルから政治経済用語としての「トリクルダウン」を連想させるが、Mercury Revの手にかかると、それは単純な社会批評というより、上から下へ何かが染み出していく不気味なイメージとして響く。権力、金、感情、毒、記憶が、ゆっくりと下層へ流れていくような感覚がある。
音楽的には、ゆらめくサイケデリックなサウンドと、ノイズの不安定な質感が組み合わされている。曲は明確なロック・アンセムとして進むのではなく、少しずつ形を変えながら流れる。シンセやギターの層が、曲に濁った透明感を与えている。
歌詞は抽象的で、直接的なメッセージよりも、環境の中に浸透する違和感を表しているように聴こえる。タイトルを考えると、上位から下位へ何かが落ちてくる構造への皮肉も読み取れるが、曲全体は政治的なスローガンにはならない。むしろ、不安定な社会や心理状態が、音の中で液体のように広がる。
「Trickle Down」は、Mercury Revの初期作品における曖昧な社会性と音響実験が結びついた曲である。意味を明確に固定しないことで、かえって不気味な余韻を残している。
3. Bronx Cheer
「Bronx Cheer」は、タイトルが示すように、嘲笑やブーイングのニュアンスを持つ楽曲である。Mercury Revの音楽には、夢見がちな美しさだけでなく、皮肉、悪ふざけ、騒々しい反抗心も含まれている。この曲はその側面をよく示している。
音楽的には、ギターの歪みとサイケデリックな音響が絡み合い、曲全体に荒れた雰囲気がある。リズムは比較的ロック的だが、サウンドの処理によって曲は常に少し現実からずれている。ノイズは攻撃的でありながら、どこか漫画的な誇張もある。
歌詞では、相手への拒絶や軽蔑、あるいは周囲の状況への不満が断片的に表れているように響く。ただし、Mercury Revはそれをストレートな怒りとしてではなく、歪んだユーモアとして提示する。怒っているのか、笑っているのか、その境界が曖昧である。
「Bronx Cheer」は、『Boces』の中でノイズ・ロック的な勢いを担う曲である。サイケデリックな夢想が甘くなりすぎないように、アルバムに毒とざらつきを与えている。
4. Boys Peel Out
「Boys Peel Out」は、若者の衝動、車、逃走、郊外的な退屈を連想させるタイトルを持つ楽曲である。「peel out」は車が急発進するようなイメージを持ち、少年たちがどこかへ飛び出していく感覚がある。しかし、Mercury Revの音楽では、その解放感は常に不安や歪みを伴う。
音楽的には、浮遊するサウンドとロック的な推進力が混在している。曲は走り出すようでいて、完全には直線的に進まない。ギターやキーボードの音が周囲を揺らし、現実の道路ではなく、夢の中の道路を走っているような印象を与える。
歌詞では、少年性、衝動、逃げ出したい感覚が感じられる。だが、それは青春の爽快さだけではなく、どこへ向かっているのか分からない不安も含んでいる。Mercury Revは、子供時代や若さを美化するのではなく、その中にある奇妙さや危うさを音にする。
「Boys Peel Out」は、『Boces』の子供っぽさと危険さを象徴する曲である。無邪気に見える行動の裏に、破壊的なエネルギーが潜んでいる。
5. Downs Are Feminine Balloons
「Downs Are Feminine Balloons」は、タイトルからして非常にMercury Revらしい奇妙な言葉の組み合わせである。意味を直訳しても明確な説明にはならず、むしろイメージの連鎖として聴くべきタイトルである。下降、女性性、風船、浮遊、柔らかさ、落下と上昇の矛盾が含まれている。
音楽的には、夢見がちな浮遊感と、どこか不安定な響きが中心である。ギターやキーボードが柔らかく広がり、曲は重力を失ったように漂う。タイトルにある風船のイメージと同様に、音はふわふわと上昇するようでありながら、どこか沈んでいく感覚もある。
歌詞は明確な意味よりも、音と言葉の響きが重要である。David Bakerの声は、奇妙な童話の語り手のように響き、曲に不安定な物語性を与える。Mercury Revの初期作品では、言葉は論理ではなく、サイケデリックなイメージを作る素材である。
この曲は、『Boces』の中でも特に夢幻的な側面を持つ。甘く、柔らかく、しかし不穏である。Mercury Revが単なるノイズ・ロック・バンドではなく、非常に独特な幻想世界を持っていたことを示している。
6. Something for Joey
「Something for Joey」は、比較的親密なタイトルを持つ楽曲である。「Joeyのための何か」という言葉には、友人、子供、あるいは個人的な相手への小さな贈り物のような響きがある。しかし曲の中では、その親密さもまた歪んだサイケデリックな空間に置かれる。
音楽的には、メロディアスな要素がありながら、サウンドは不安定である。Mercury Revの曲では、ポップな旋律が現れても、それはすぐにノイズや奇妙な音響によって変形される。この曲でも、優しさと混乱が同時に存在している。
歌詞では、特定の人物への呼びかけのようなニュアンスがあり、アルバムの中では比較的人間的な温度を感じさせる。ただし、それはストレートな友情や愛情の歌ではなく、記憶の中の人物が幻のように浮かぶ感覚に近い。
「Something for Joey」は、『Boces』の中で感情的な柔らかさを担う曲である。混沌としたアルバムの中に、個人的な記憶や親密さの断片が差し込まれている。
7. Snorry Mouth
「Snorry Mouth」は、タイトルからして奇妙で、言葉遊びのような楽曲である。Mercury Revの初期作品では、こうしたナンセンスに近いタイトルが、音楽の不安定さと強く結びついている。意味を説明するより、言葉の響きそのものが曲の性格を作る。
音楽的には、ノイズ、サイケデリア、ポップな断片が入り混じる。曲は整った構成というより、複数の音のアイデアがぶつかり合うように進む。音の質感はざらつき、時に滑稽で、時に不気味である。
David Bakerのヴォーカルは、この曲でも非常に重要である。彼の声は、歌というより奇妙なキャラクターの発話のように響き、曲全体を不安定にする。Mercury Revの初期には、このヴォーカルの異物感が大きな魅力だった。
「Snorry Mouth」は、アルバムの実験的で悪戯っぽい側面を示す曲である。ポップ・ソングとして整理される前の、音の遊びと混乱が前面に出ている。
8. Hi-Speed Boats
「Hi-Speed Boats」は、タイトル通り高速で進むボートのイメージを持つ楽曲である。水面を切り裂くスピード、現実からの逃走、制御不能な移動が感じられる。Mercury Revの音楽には、乗り物や移動のイメージがしばしば似合うが、それは爽快な旅ではなく、幻覚的な移動である。
音楽的には、疾走感と浮遊感が共存している。リズムは前へ進むが、周囲の音響は水面の反射のように揺れる。ギターやキーボードは、曲を支えるというより、音の波を作る。結果として、曲は現実のスピード感と夢の不安定さを同時に持つ。
歌詞では、移動、逃走、視界の変化が暗示される。高速で進むことは自由である一方、何かを見失うことでもある。この曲には、若さや衝動の解放感と、その裏にある危うさが含まれている。
「Hi-Speed Boats」は、『Boces』の中で比較的ダイナミックな楽曲であり、アルバムに運動性を与えている。音の中で高速に移動する感覚が、Mercury Revのサイケデリックな世界観とよく合っている。
9. Continuous Drunks and Blunders
「Continuous Drunks and Blunders」は、タイトルから酩酊、失敗、連続する混乱を連想させる楽曲である。Mercury Revの初期作品には、整然とした精神状態ではなく、酔ったような感覚、判断が崩れていく感覚が強くある。この曲は、その酩酊性をタイトルの段階から示している。
音楽的には、音の輪郭が曖昧で、サイケデリックな揺れが強い。曲は酔った足取りのように進み、完全な安定を拒む。ノイズや楽器の重なりが、意識の混濁を表しているように響く。
歌詞では、失敗や錯乱、繰り返される過ちが感じられる。ただし、それは自己憐憫としてではなく、混乱そのものを楽しむような奇妙な感覚で表現される。Mercury Revの音楽では、崩壊は必ずしも悲劇ではなく、創造の一部でもある。
「Continuous Drunks and Blunders」は、『Boces』の酩酊したサイケデリアを象徴する曲である。音楽が整うことを拒み、ぐらつきながら進むことで、独自の魅力を生んでいる。
10. Girlfren
「Girlfren」は、タイトルの綴りからして幼さや崩れた言語感覚を持つ楽曲である。「girlfriend」ではなく「Girlfren」と表記されることで、恋愛の題材が少し子供っぽく、少し歪んで見える。Mercury Revらしい、無邪気さと奇妙さが混ざったタイトルである。
音楽的には、比較的メロディアスで、アルバムの中でもポップな側面が感じられる。ただし、完全に整ったラヴ・ソングではなく、音は揺れ、ノイズや歪みが周囲を取り巻く。甘いメロディがあっても、それはすぐに奇妙な夢の中へ引き込まれる。
歌詞では、恋人や親密な関係への感情が描かれるが、それはストレートな愛情というより、不安定で、少し不器用な関係として響く。タイトルの幼い綴りが示すように、ここでの恋愛は成熟したロマンスではなく、感情をうまく扱えない人物の視点に近い。
「Girlfren」は、『Boces』の中でポップ性が比較的分かりやすい曲である。後のMercury Revが持つ甘く幻想的なメロディの原型も感じられるが、初期らしい歪みと不安定さが強く残っている。
11. Moving On
「Moving On」は、タイトル通り、前へ進むことをテーマにした楽曲である。しかしMercury Revの音楽における「前進」は、明るく整理された成長ではない。むしろ、混乱や崩壊を抱えたまま、どこか別の場所へ流れていく感覚に近い。
音楽的には、サイケデリックな広がりと、やや穏やかなムードがある。アルバム終盤に置かれることで、作品全体の混沌を少しずつ別の場所へ運んでいくような役割を果たす。音はまだ不安定だが、曲にはどこか解放感もある。
歌詞では、過去を離れること、関係や場所から移動することが示唆される。ただし、完全な決着や明快な希望はない。Moving onとは、すべてを解決して進むことではなく、解決しないまま時間が進んでしまうことでもある。
「Moving On」は、『Boces』の終盤にふさわしい曲である。混乱した夢の中から、少しだけ外へ出ようとするような感覚がある。しかし、その出口もまた霧の中にある。
総評
『Boces』は、Mercury Revの初期を代表する、混沌としたサイケデリック・オルタナティヴ・ロックの重要作である。本作は、後の『Deserter’s Songs』で知られる優美で幻想的なMercury Revとは大きく異なる。ここにあるのは、まだ整理されていない音の暴走、ノイズ、奇妙なユーモア、子供時代の歪んだ記憶、サイケデリックな悪夢である。
最大の魅力は、ポップとノイズの不安定な共存である。『Boces』には、確かにメロディアスな瞬間が多い。「Girlfren」や「Something for Joey」には、後年のMercury Revにつながる甘さがある。しかし、それらは決して安定したポップ・ソングとして完結しない。すぐにノイズが侵入し、音像が歪み、David Bakerの不安定な声が曲を別の方向へ引っ張る。この不安定さこそが本作の核心である。
David Bakerの存在は、本作を語るうえで欠かせない。彼のヴォーカルは、技巧的に整った歌唱ではない。しかし、その声には非常に強いキャラクターがある。語り、叫び、つぶやき、悪ふざけ、狂気が混ざり、曲を普通のロック・ソングから遠ざける。後のJonathan Donahue中心のMercury Revが夢見がちな美しさへ向かうのに対し、Baker期のMercury Revには、より危険で、崩れかけた演劇性がある。
音響面では、Dave Fridmannの役割も非常に大きい。本作のサウンドは、単にバンドが演奏したものを録音したというより、スタジオそのものが楽器のように使われている。ギター、シンセ、管楽器、ノイズ、声、残響が混ざり合い、曲ごとに奇妙な空間を作る。この音響感覚は、後にFridmannがThe Flaming LipsやMogwaiなどで発展させる、巨大で歪んだサウンドの初期形としても重要である。
『Boces』は、1990年代初頭のオルタナティヴ・ロックの中でも、メインストリーム化されにくい側面を象徴している。Nirvana以降、オルタナティヴは大きな商業的力を持つようになったが、その中にはMercury Revのように、ポップ、ノイズ、サイケデリア、実験を混ぜ合わせ、明確なヒットの形式から外れていくバンドもいた。本作は、その自由で危険な時代の空気を強く残している。
歌詞やテーマは、明確な物語として整理しにくい。しかし、その断片性は本作の弱点ではなく、魅力である。子供時代、学校、恋愛、酩酊、移動、失敗、身体の不安定さ、社会への皮肉が、夢の中の場面のように現れては消える。Mercury Revは、言葉で説明するのではなく、音と声の混乱によって心理状態を表現している。
一方で、本作は聴きやすいアルバムではない。曲の構成は時に散漫で、音は過剰で、ヴォーカルも好き嫌いが分かれる。後年のMercury Revの美しいチェンバー・ポップを期待すると、戸惑う可能性が高い。しかし、初期Mercury Revの本質は、この過剰さと不安定さにある。整っていないからこそ、音が生々しく、奇妙な生命力を持っている。
日本のリスナーにとって『Boces』は、1990年代アメリカン・インディーの実験的な側面を知るうえで非常に重要な作品である。The Flaming Lipsの初期作品、Butthole Surfers、Sonic Youth、My Bloody Valentine、Spacemen 3、初期The Verveなどに関心があるリスナーには、本作のサイケデリックなノイズ感覚が響きやすい。一方で、『Deserter’s Songs』から遡る場合には、Mercury Revがいかに混沌から出発したバンドだったかを理解できる。
総じて『Boces』は、完成された美しさよりも、壊れかけた幻想を魅力とするアルバムである。ノイズ、夢、皮肉、酩酊、子供っぽさ、暴力、ポップなメロディが、制御不能なまま混ざっている。Mercury Revが後に到達する優雅な幻想世界の前に、これほど歪んだ実験的な時期があったことは、彼らの音楽を理解するうえで欠かせない。『Boces』は、1990年代オルタナティヴの奇妙で自由な精神を封じ込めた、混沌の名盤である。
おすすめアルバム
1. Yerself Is Steam by Mercury Rev
1991年発表。Mercury Revのデビュー作であり、『Boces』以上に荒々しく、ノイズとサイケデリアが混在した初期重要作である。David Baker期の不安定なヴォーカル、爆発するギター、夢と悪夢の境界がはっきり表れている。『Boces』の混沌を理解するために欠かせない作品である。
2. Deserter’s Songs by Mercury Rev
1998年発表。Mercury Revの代表作であり、初期の混沌を経て、チェンバー・ポップ、アメリカーナ、サイケデリックな幻想美へ到達した作品である。『Boces』とは音楽性が大きく異なるが、バンドがどのようにノイズの混乱から優美な幻想へ進化したかを理解するうえで重要である。
3. In a Priest Driven Ambulance by The Flaming Lips
1990年発表。The Flaming Lipsの初期代表作であり、サイケデリック・ロック、ノイズ、奇妙なポップ感覚が混在している。Mercury Revと近い時代精神を共有しており、Dave Fridmann周辺の音響感覚を理解するうえでも関連性が高い。初期アメリカン・サイケデリック・オルタナティヴの重要作である。
4. Daydream Nation by Sonic Youth
1988年発表。ノイズ・ロックとオルタナティヴ・ロックの歴史的名盤であり、ギターの不協和音、都市的な不穏さ、長尺構成が特徴である。Mercury Revのノイズ感覚とは異なるが、1990年代初頭の実験的ギター・ロックの背景を理解するうえで重要である。
5. Loveless by My Bloody Valentine
1991年発表。シューゲイザーの金字塔であり、ギター・ノイズを夢のような音響空間へ変えた作品である。『Boces』の歪んだ浮遊感や音の渦に関心があるリスナーにとって関連性が高い。Mercury Revがノイズを幻想的な空間に変える方法と比較して聴くことができる。

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