Bloodbuzz Ohio by The National(2010)楽曲解説

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1. 歌詞の概要

「Bloodbuzz Ohio」は、アメリカのインディーロックバンドThe Nationalが2010年にリリースしたアルバム『High Violet』に収録された代表曲のひとつであり、彼らの文学的な歌詞世界とメランコリックなサウンドが高次元で融合した珠玉の作品である。重厚なドラムとミニマルなピアノ・ループの上に、バリトン・ボイスのMatt Berningerが語るのは、“故郷と記憶のざわめき”であり、そして“過去の影に引き戻される感覚”である。

タイトルにある“Bloodbuzz”とは造語であり、「血が騒ぐような感覚」「アルコールによる微酔い」といった意味合いを持つとされるが、この楽曲では主に郷愁、不安、罪悪感、アイデンティティの混濁といった複雑な感情の渦を象徴する言葉として機能している。そしてそれが“Ohio(オハイオ)”という土地と結びつくことで、単なる個人的な回想がアメリカ的集団無意識の風景へと昇華している。

この楽曲は、あくまで詩的で抽象的な表現に徹しているが、登場するモチーフ(借金、酒、都市のノイズ、飛行、母親、嘘)はすべて、都市生活者が抱える感情の断片であり、聴く者それぞれの人生に呼応する“開かれた物語”となっている。

2. 歌詞のバックグラウンド

The Nationalは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動するバンドで、Berningerの文学的で低音の語りと、Dessner兄弟による緻密な作曲構造で知られている。「Bloodbuzz Ohio」が収録されたアルバム『High Violet』は、バンドが国際的な評価を確立するきっかけとなった作品であり、抑制と情熱、混沌と秩序を行き来するサウンドスケープの中で、人間の不安と脆さを深く掘り下げている。

Berninger自身はオハイオ州シンシナティ出身であり、歌詞に出てくる“Ohio”は彼にとっての故郷であると同時に、失われた過去や取り戻せない時間の象徴でもある。この曲において彼は、帰ることのない場所を思い出しながら、現代都市に生きる“ねじれた郷愁”を音楽にしている。

プロダクションにはバンドメンバーだけでなく、Sufjan StevensやBon Iverとも関係の深いプロデューサー陣が関わっており、静謐で緊張感のある音像がこの詩世界を際立たせている。

3. 歌詞の抜粋と和訳

以下に、「Bloodbuzz Ohio」の印象的な歌詞とその和訳を紹介する。

“Stand up straight at the foot of your love / I lift my shirt up”
君の愛の足元で背筋を伸ばして立つ シャツをまくり上げて

“I was carried to Ohio in a swarm of bees”
俺は蜂の群れに運ばれてオハイオに戻った

“I still owe money to the money to the money I owe”
まだ借金の借金の借金を返せていない

“The floors are falling out from everybody I know”
知ってるやつら全員、足元の床が崩れている

“I never thought about love when I thought about home”
家のことを思うとき、愛のことなんて考えたことなかった

“I was carried to Ohio in a swarm of bees / I never married, but Ohio don’t remember me”
蜂の群れに連れられてオハイオに戻った 結婚もしなかった でもオハイオは俺のことなんか覚えてない

歌詞引用元:Genius – The National “Bloodbuzz Ohio”

4. 歌詞の考察

「Bloodbuzz Ohio」は、“記憶の誤作動”と“帰属意識の揺らぎ”をテーマにした、現代的な“自己喪失のバラード”である。歌詞の中では、“愛”や“家”という普遍的な概念がどれも曖昧で、かつて確かだったはずの記憶すら霧の中にある。Berningerは、個人のアイデンティティが資本や感情の負債によって複雑に絡み合い、どこにも“帰る場所”がなくなってしまった都市生活者の孤独を、詩的な比喩で描き出している。

「I still owe money to the money to the money I owe」というフレーズは、借金の多重構造をユーモラスかつ絶望的に表現しており、現代の金融的、感情的“負債社会”を象徴している。一方で、「I never thought about love when I thought about home」という告白には、家庭や故郷が必ずしも“ぬくもり”を与える場ではなかったというほろ苦い真実が含まれている。

「蜂の群れに運ばれてオハイオに戻った」というイメージは、故郷が自発的に帰る場所ではなく、ある意味では“強制的に回帰させられる”記憶の迷宮であることを象徴しており、サウンドの高揚と共に胸を締め付けるような感覚を生み出している。

この曲が多くのリスナーに深く響くのは、Berningerが“答え”を歌っていないからである。彼はただ、自分の中にある“感情のノイズ”を詩の形で浮かび上がらせ、聴く者自身がその空白に意味を投影する余地を与えているのだ。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Fake Empire by The National
     アメリカン・ドリームの裏側を静かに描く名曲。政治的寓意と内省的リリックが魅力。

  • The Suburbs by Arcade Fire
     郊外と喪失をテーマにしたインディー・ロックの傑作。ノスタルジーとアイロニーの共存。

  • Re: Stacks by Bon Iver
     傷ついた自己と再生をめぐる詩的なフォークソング。静謐な空気が共鳴する。

  • No Surprises by Radiohead
     都市生活者の息苦しさと心の麻痺をやさしく包むメロディと、冷静な絶望感が共通。

6. “記憶と負債の詩学”としてのBloodbuzz Ohio

「Bloodbuzz Ohio」は、The Nationalというバンドが描く“都市に生きる人間の孤独”を象徴する一曲であり、社会的テーマと私的感情が交錯する現代詩のような存在である。この曲が美しいのは、そこに描かれる感情が完全に理解できないまま、なぜか心にしみてくるからだ。

人生において“帰れる場所”がどんどん曖昧になっていく時代に、この曲は問いかける――「愛と家を切り離したとき、人はどこに属するのか?」と。その答えは、血がざわめくようなノスタルジーの中に、微かに響いている。


「Bloodbuzz Ohio」は、帰れない故郷、返せない借金、取り戻せない時間を歌う“現代人の賛歌”である。その低く響く声と静かな狂騒のなかで、私たちは誰しも、自分だけの“オハイオ”を探しているのかもしれない。

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