発売日: 1994年3月1日
ジャンル: ドリームポップ、インディー・ロック、スロウコア
概要
『Bewitched』は、ニューヨークのインディー・ロックバンドLunaが1994年にリリースした2作目のスタジオ・アルバムであり、前作『Lunapark』で築いたアーバンで静謐な世界観をより艶やかに、より詩的に深化させた名作である。
元Galaxie 500のディーン・ウェアハムを中心とするLunaは、本作で女性ベーシストのブリタ・フィリップス(後に加入)を迎える前夜に、最も“ジャジーでロマンティックなLuna像”を確立した。
また、Velvet Undergroundのギタリスト、スターリング・モリソンが数曲に参加している点も特筆に値する。
アルバムタイトルの『Bewitched(魔法にかけられて)』が示すように、本作は聴き手を日常の片隅にある超現実=夢と現実のはざまへと静かに誘う作品となっている。
全曲レビュー
1. California (All the Way)
軽やかなイントロと、ディーンの囁くようなヴォーカルが印象的なオープニング。
“カリフォルニア”という陽光のイメージと、Luna特有の退屈さ・空虚さが絶妙に絡む。
2. Tiger Lily
メロディとギターが溶け合う美しいスロウナンバー。
“タイガーリリー”という幻想的な女性像に、自我と他者の境界が曖昧に滲む。
3. Friendly Advice
ミッドテンポで、ややひねくれたメロディが特徴。
皮肉めいた“忠告”の言葉が、恋愛の諦観と知性を帯びて響く。
4. Great Jones Street
前作からの再録。デリーロの小説にインスパイアされたタイトル。
都市の孤独と観察者的視点が、Lunaらしい文芸性を滲ませる。
5. Bewitched
タイトル曲にして、アルバム全体のコンセプトを象徴するスロウチューン。
音のレイヤーが繊細に重なり、心象風景のように立ち現れる。
6. This Time Around
穏やかだが内に緊張をはらんだナンバー。
“今回は違う”というフレーズが、過去の繰り返しと変化への希求を示唆する。
7. 4 AM
アルバム中最も詩的かつメランコリックな名曲。
静寂に満ちた“午前4時”という時間帯の、夢の中のような孤独が表現されている。
8. Sleeping Pill
甘く囁くような曲調と、“睡眠薬”というタイトルの二面性。
優しさと麻痺の境界線に立つ、Lunaらしい脱力美が光る。
9. California (Reprise)
冒頭曲のリプリーズ。
わずかなニュアンスの違いが、旅の終わりに差す夕陽のような寂しさを演出する。
10. I’ll Be Your Mirror
Velvet Undergroundの名曲をカバー。
原曲よりもさらにスローで繊細に、敬意と親密さを込めて再構築されている。
総評
『Bewitched』は、Lunaの音楽性がドリームポップという枠を超え、“都市の散歩者が見る詩的世界”へと変化していく過渡期の傑作である。
この作品では、音そのものがまるでフィルターのかかった光のように柔らかく、すべての曲が“遠くにある記憶”のように聴こえる。
それはGalaxie 500時代のモノクロームな夢から、より色彩と物語性をもった“眠れる都市のファンタジー”へと進化した姿なのだ。
スターリング・モリソンのギターが放つ残響や、4AMのような時の止まった美しさ。
『Bewitched』は、喧騒のすぐそばにある静けさ、孤独の中にある温もりを音にしたアルバムである。
おすすめアルバム
- Galaxie 500 / Today
Luna以前の原点にして、夢見がちな都市型内省ロックの始祖。 - Red House Painters / Ocean Beach
スロウなテンポと都市的なメランコリーの融合。Lunaと精神的共鳴が強い。 - Mazzy Star / So Tonight That I Might See
夢と現実の境界にある女性的世界観と、Lunaの儚さが呼応。 - Yo La Tengo / Electr-O-Pura
知性と感性を兼ね備えた90年代ドリーム・インディーの傑作。 -
The Velvet Underground / The Velvet Underground
Lunaの美学のルーツが詰まったアルバム。“鏡になる”という姿勢を受け継いだ作品。
制作の裏側と文化的背景
1994年は、グランジの衰退とブリットポップの台頭のはざまで、アメリカのオルタナティヴ・シーンが多様化を見せ始めた時期だった。
そんな中、Lunaはノイズでも激情でもなく、“静けさ”と“スタイル”で存在感を示した。
特にディーン・ウェアハムのリリックは、恋愛、記憶、孤独、都市生活といったテーマを、物語るでも訴えるでもなく“ただそこにあるもの”として描写しており、
それが“ポスト・ベルベット”と称されるLunaの個性となっている。
『Bewitched』は、そのLunaというバンドが“傷つかないで、でも響く音楽”を鳴らし始めた、最初の完璧な瞬間なのだ。
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