アルバムレビュー:An Innocent Man by Billy Joel

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発売日: 1983年8月8日
ジャンル: ブルーアイド・ソウル、ドゥーワップ、ポップ、ソフトロック、オールディーズ・リヴァイヴァル


あの頃の音に恋をして——ビリー・ジョエルが贈る“無垢な男”のモダン・ノスタルジア

1983年、Billy Joelは突如として“オールディーズへのオマージュ”に満ちたアルバム『An Innocent Man』を発表した。
これは、過去のロックンロールやドゥーワップ、ソウルといった1950〜60年代のアメリカ音楽へのラブレターであり、自身の音楽的ルーツと向き合った異色作である。

当時ジョエルはクリスティ・ブリンクリーとの恋愛真っ只中。
その多幸感が本作全体に反映されており、曲調も軽やかで華やか。
だが同時に、過去への憧れや哀愁、“無垢だった頃の自分”をもう一度なぞろうとするような回想的な視点も強く漂っている。
タイトルにある“Innocent(無垢)”とは、恋に落ちた喜びであると同時に、かつての純粋な音楽への敬意でもある。


全曲レビュー

1. Easy Money

アルバムのオープニングは、跳ねるようなR&Bグルーヴが魅力のファンキー・ナンバー。
ギャンブルと欲望を描きながらも、どこか洒落っ気のあるリリックがジョエルらしい。

2. An Innocent Man

タイトル曲にして、心の奥底にある傷と純粋さを重ね合わせたバラード。
自分はまだ無垢でいられるか?と問いかけるジョエルの歌声は、どこまでもまっすぐ。
メロディも美しく、アルバムの核心となる一曲。

3. The Longest Time

アカペラを中心に構成されたドゥーワップへのオマージュ。
シンプルなコーラスとベースラインだけで、温かく懐かしい世界を描き出す。
恋に落ちた“最も長い時間”を愛おしく歌い上げる。

4. This Night

冒頭の旋律はなんとベートーヴェンの“悲愴”ソナタから引用。
クラシックと50’sポップのミックスという実験的ながら軽妙なナンバーで、ユーモアと感傷が交差する。

5. Tell Her About It

モータウン風の軽快なリズムとブラスセクションが印象的なヒット曲。
「彼女にちゃんと気持ちを伝えろよ」というメッセージは、ジョエル流の恋愛指南。
リズムもメロディも陽気で踊りたくなる一曲。

6. Uptown Girl

言わずと知れた世界的ヒット曲。
フォー・シーズンズへの明確なオマージュであり、ジョエル自身の“高嶺の花への恋”を陽気に描いた。
クリスティ・ブリンクリーをモデルにしたという背景も含めて、ビリーの幸福感が全面に表れている。

7. Careless Talk

「他人の噂話なんて気にするな」という、粋で軽快なR&Bナンバー。
ブラスとコーラスの掛け合いが60年代的で、遊び心に満ちている。

8. Christie Lee

ジャズやロカビリーのテイストを取り入れた、ブルージーでスウィンギーな楽曲。
タイトルは恋人の名前だが、内容は奔放な女性への恋の顛末。
ピアノの跳ね方が小気味良い。

9. Leave a Tender Moment Alone

ハーモニカの音色が印象的な、美しいソウル・バラード。
「この優しい瞬間を壊したくない」という心情は、誰しもが共感できる普遍的な感情。
Toots Thielemansのハーモニカが涙を誘う。

10. Keeping the Faith

アルバムを締めくくる、懐古と希望を交差させたファンキーなナンバー。
自分のルーツや古い価値観を振り返りつつ、今を肯定するメッセージが印象的。
本作全体のテーマをまとめるような楽曲。


総評

An Innocent Manは、Billy Joelというアーティストが、自らの音楽的背景と真正面から向き合い、それを遊び心と真摯さを併せ持って再構築したポップ・アルバムである。
音楽的には過去に遡りながらも、どの楽曲も彼自身の経験と感情から生まれており、単なるリヴァイヴァルではなく“再発見”の旅として機能している。

1980年代というモダンな時代において、ノスタルジアを堂々と主題に据え、それを新鮮なポップとして届けられたのは、ジョエルの歌心と語りの力によるものだ。
恋に落ちた無垢な男のように、音楽にもう一度恋したアルバム。
それがAn Innocent Manの本質なのだ。


おすすめアルバム

  • The Four Seasons – The Definitive Collection
    『Uptown Girl』の元ネタ的存在。ジョエルの参照点を知るには最適。
  • Smokey Robinson & The Miracles – Going to a Go-Go
    モータウン・サウンドとロマンスの名曲集。『Tell Her About It』と通じる空気。
  • Paul McCartneyRun Devil Run
    オールディーズのカバーと再構築を試みたロックンロール愛の結晶。
  • Elton JohnJump Up!
    80年代ポップに懐古趣味をにじませたエルトンの佳作。ジョエルとの親和性高し。
  • Brian Setzer – The Knife Feels Like Justice
    ロカビリー+ハートランド・ロックの融合。『Christie Lee』好きにはおすすめ。

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