
発売日:2004年9月21日
ジャンル:パンク・ロック、ポップ・パンク、オルタナティヴ・ロック、ロック・オペラ、パワー・ポップ、ポスト・グランジ以後のメインストリーム・ロック
概要
Green Dayの7作目のスタジオ・アルバム『American Idiot』は、2000年代ロックを代表する作品であり、同時にパンク・ロックが再び大きな社会的・文化的発言力を持ち得ることを示した重要作である。Billie Joe Armstrong、Mike Dirnt、Tré Coolの3人によるGreen Dayは、1994年の『Dookie』によってポップ・パンクをメインストリームへ押し上げたバンドとして知られる。しかし、その後のキャリアでは、商業的成功とパンクとしての信頼性の間で揺れながら、作品ごとに表現の幅を広げてきた。
『American Idiot』は、そのキャリアの中でも明確な転換点である。『Warning』以降、Green Dayは単なる高速で明るいポップ・パンク・バンドではなく、より広いロック表現を志向していた。しかし、2000年代初頭のアメリカ社会、とくに9.11以後の政治的空気、メディアの過熱、イラク戦争、愛国主義の圧力、郊外の閉塞感が重なる中で、彼らは自分たちの怒りと不安を一枚のロック・オペラとしてまとめ上げた。それが『American Idiot』である。
本作のタイトルは、非常に直接的で挑発的である。「American Idiot」とは、メディアや政治的プロパガンダに流され、考える力を失ったアメリカ市民への批判であると同時に、そうした社会の中で自分自身もまた愚かさから逃れられないという自己批判を含んでいる。Green Dayはここで、単に政府や社会を外側から批判するのではなく、テレビ、戦争、郊外、若者の無力感、消費文化に飲み込まれる主体そのものを描いている。
アルバムは、架空の主人公Jesus of Suburbiaを中心とした物語として構成される。彼は郊外で育ち、退屈と怒りを抱え、自分の居場所を求めて外へ出る。やがてSt. Jimmyという破壊的な人格、そしてWhatsernameという記憶の中の女性と出会いながら、自分自身の幻想や反抗の限界に直面していく。この物語は明確な筋書きを持つというより、2000年代アメリカの若者の精神状態を象徴的に描いたものとして機能する。
音楽的には、『American Idiot』はGreen Dayのポップ・パンクの基盤を保ちながら、ロック・オペラ的な構成、組曲形式、ミドルテンポのバラード、アリーナ・ロック的なスケール、パワー・ポップの旋律を取り込んでいる。特に「Jesus of Suburbia」と「Homecoming」は、複数のセクションから成る長大な組曲であり、The Whoの『Tommy』や『Quadrophenia』、さらにはQueenや1970年代のロック・オペラの伝統とも接続する。しかしGreen Dayは、それを過剰に技巧的なプログレッシヴ・ロックへ向かわせず、あくまで3コードのパンクの明快さを保ったまま拡張している。
本作の歌詞は、怒り、孤独、戦争、メディア批判、自己嫌悪、愛、喪失、逃避、記憶を扱う。代表曲「American Idiot」は、テレビ的な恐怖とナショナリズムに染まる社会を攻撃する。「Holiday」は、戦争を祝祭のように消費する政治体制への皮肉である。「Boulevard of Broken Dreams」は、反抗の後に残る孤独を描く。「Wake Me Up When September Ends」は、Billie Joe Armstrong自身の父の死に由来する非常に個人的な喪失の歌でありながら、リリース時代の文脈の中では戦争と悲しみの普遍的なバラードとしても受け止められた。
『American Idiot』は、パンク・ロックの怒りをメインストリーム・ロックのスケールで表現した作品である。従来のパンクが短く、速く、直接的であることを重視するのに対し、本作は物語性と演劇性を導入している。しかし、その中心にある感情は非常にパンク的である。退屈な郊外への怒り、メディアへの不信、権力への反発、自分自身への嫌悪、そしてそれでも何かを叫ばずにはいられない衝動が、アルバム全体を貫いている。
日本のリスナーにとって本作は、2000年代アメリカの政治的空気を知る入口であると同時に、ポップ・パンクがどのように成熟し、アルバム全体の物語を作り得るかを理解するうえで重要な作品である。Green Dayは『American Idiot』で、自分たちの過去の成功を繰り返すのではなく、時代の不安を正面から受け止め、ロック・オペラという大きな形式へ変換した。これは単なる復活作ではなく、バンドの第二の黄金期を作った決定的なアルバムである。
全曲レビュー
1. American Idiot
オープニングを飾るタイトル曲「American Idiot」は、アルバム全体の政治的・社会的な怒りを最も直接的に表現した楽曲である。イントロの鋭いギター・リフから、曲は一切の迷いなく突き進む。Green Dayらしい短く強い構成を持ちながら、歌詞の内容は1990年代の青春パンクよりもはるかに政治的である。
歌詞では、メディアによって形成された恐怖、愛国主義、思考停止した大衆文化が批判される。「新しいメディアによって支配された国家」「ヒステリーに満ちたアメリカ」という感覚が、非常に強い言葉で歌われる。ここでの「idiot」は、単に他者を罵倒する言葉ではなく、情報と恐怖に操られる社会全体への警告として機能している。
サウンドは、Green Dayの基本であるシンプルなパンク・ロックを基盤にしている。コード進行は明快で、ビートは直線的、サビは一度聴けば覚えられる。しかし、その単純さこそが強い。難解な政治論ではなく、誰もが叫べるアンセムとして社会批判を提示する点が、Green Dayのパンク性である。
「American Idiot」は、アルバムの宣言文である。ここでGreen Dayは、自分たちが単なる懐かしいポップ・パンク・バンドではなく、時代の空気に対して正面から発言するロック・バンドであることを示している。
2. Jesus of Suburbia
「Jesus of Suburbia」は、9分を超える組曲形式の楽曲であり、『American Idiot』の物語的中心である。複数のセクションから構成され、主人公Jesus of Suburbiaの出自、怒り、退屈、逃避、自己認識が描かれる。Green Dayがロック・オペラ的な構成に本格的に踏み込んだ代表曲である。
タイトルの「Jesus of Suburbia」は、「郊外のイエス」という皮肉な名前である。郊外の退屈な環境で育った若者が、自分を何か特別な存在だと思い込みながら、実際にはテレビ、ドラッグ、無力感、家庭の崩壊、消費文化の中で作られた存在であることが示される。宗教的な名前と郊外的な凡庸さの組み合わせが、主人公の矛盾を象徴している。
サウンドは、パンク・ロックの疾走感から始まり、ミドルテンポの展開、メロディアスなセクション、劇的な転調を経て進む。各パートは独立した短い曲のようでありながら、全体として一つの心理的な旅を作っている。The Who的なロック・オペラの影響を感じさせるが、Green Dayらしい簡潔さとキャッチーさは失われていない。
この曲は、アルバムの物語を聴くうえで不可欠である。主人公はここで、郊外の退屈から抜け出そうとするが、彼の反抗はまだ方向を持たない。怒りはあるが、出口はない。「Jesus of Suburbia」は、若者の自己神話と空虚さを同時に描いた、Green Day屈指の大作である。
3. Holiday
「Holiday」は、戦争と政治的プロパガンダを皮肉る楽曲であり、『American Idiot』の中でも特に強い社会批判を持つ。タイトルの「Holiday」は本来、休暇や祝日を意味する明るい言葉だが、この曲では戦争がショーや祝祭のように扱われることへの痛烈な皮肉として使われている。
サウンドは、ミドルテンポのパンク・ロックで、リフは力強く、サビは非常にアンセム的である。曲は踊れるほど明快でありながら、歌詞には強烈な毒がある。この明るさと批判性の同居が、Green Dayのポップ・パンクの強みである。
歌詞では、政治家、軍事行動、宗教的な正当化、テレビ的な戦争の演出が批判される。とくにイラク戦争以後のアメリカの空気を背景に、戦争が正義や自由の名のもとに進められ、それをメディアが消費可能な映像として流す構造が攻撃されている。
「Holiday」は、アルバムの政治的側面を代表する楽曲である。怒りは直接的だが、単なるスローガンではなく、皮肉と演劇性を伴っている。戦争を祝祭の言葉で歌うことで、その異常さを浮き彫りにする重要曲である。
4. Boulevard of Broken Dreams
「Boulevard of Broken Dreams」は、『American Idiot』の中でも最も広く知られる楽曲の一つであり、Green Dayのバラード的表現の代表である。前曲「Holiday」からつながる構成で、政治的怒りの後に、主人公の孤独が露わになる。祝祭の後に残るのは、誰もいない通りを歩く孤独である。
タイトルは「壊れた夢の大通り」を意味する。これは、かつて抱いていた希望や反抗の幻想が崩れた後の精神的な風景である。歌詞では、語り手が一人で道を歩き、自分の影だけを伴っていると歌われる。非常に分かりやすい孤独のイメージだが、そのシンプルさが強い。
サウンドは、アコースティック・ギターの暗いリズムから始まり、徐々にバンド全体が加わる。テンポは抑えめで、Billie Joe Armstrongの声はこれまでの皮肉や怒りよりも、疲労と孤独を帯びている。サビのメロディは非常に強く、ロック・バラードとしての普遍性を持つ。
「Boulevard of Broken Dreams」は、Green Dayがパンクの怒りだけでなく、孤独の感情を大きなロック・ソングへ変換できることを示した曲である。アルバムの物語においても、主人公が自分の反抗の後に孤独と向き合う重要な場面である。
5. Are We the Waiting
「Are We the Waiting」は、短いながらもアルバムの物語をつなぐ重要な楽曲である。タイトルは「私たちは待っている者なのか」という意味で、主人公が自分の立場を問い直す内省的な曲である。ここでは、疾走するパンクのエネルギーは抑えられ、浮遊するようなサウンドが前面に出る。
歌詞では、夢、都市、孤独、期待が断片的に描かれる。主人公は何かを待っている。救済か、革命か、愛か、自己変革か。しかし、何を待っているのかははっきりしない。この曖昧さが、若者の不安定な心理をよく表している。
サウンドは、アルバムの中では比較的穏やかで、コーラス的な広がりを持つ。スタジアムで合唱されるようなメロディを持ちながら、曲自体は長くない。次曲「St. Jimmy」への導入としても機能しており、静かな期待が次の爆発を準備する。
「Are We the Waiting」は、物語の中間地点として重要である。主人公は郊外を出て、怒りと孤独を抱えながら、何者かになろうとしている。その空白に、次の人格であるSt. Jimmyが現れる。
6. St. Jimmy
「St. Jimmy」は、主人公の破壊的な分身、あるいは別人格としてのSt. Jimmyを紹介する楽曲である。前曲の浮遊感から一転し、曲は高速で攻撃的なパンク・ロックへ突入する。アルバムの中でも最も初期Green Dayに近いスピード感を持つ一曲である。
St. Jimmyは、反抗、暴力、ドラッグ、自己破壊、誇大妄想を象徴する存在である。彼は主人公がなりたかった「危険で自由な自分」でもあり、同時に主人公を破滅へ導く虚像でもある。名前に「Saint」がつくこと自体が皮肉であり、反社会的な人物が聖人のように名乗る矛盾が強調される。
サウンドは非常に直線的で、短く、速く、荒々しい。Billie Joeの歌唱も攻撃的で、St. Jimmyという人物の過剰な自信と破壊衝動を表現している。ここでは複雑な構成よりも、キャラクターの登場感が重視される。
「St. Jimmy」は、アルバムの物語における重要な転換点である。主人公の内側に潜む破壊的な衝動が、独立したキャラクターとして表面化する。怒りはここで、政治批判から自己破壊へと向かい始める。
7. Give Me Novacaine
「Give Me Novacaine」は、痛みから逃れるための麻酔を求める楽曲である。Novacaineは局所麻酔薬であり、タイトルは「痛みを感じなくさせてほしい」という願いを意味する。St. Jimmyの破壊的なエネルギーの後、この曲ではその裏側にある麻痺への欲望が描かれる。
サウンドは、静かなヴァースと大きく開くサビによって構成される。序盤は柔らかく、夢のような質感があり、サビでバンド・サウンドが広がる。痛みを消したいという歌詞に合わせ、曲全体には現実から少し離れるような浮遊感がある。
歌詞では、精神的な苦痛や混乱から逃れるために、感覚を麻痺させたいという願望が歌われる。これはドラッグの比喩としても読めるが、より広く、現代社会の過剰な刺激や不安から逃れるために感情を消したいという欲望を表している。
「Give Me Novacaine」は、アルバムの中で非常に重要な心理的曲である。反抗や怒りの裏には、痛みを感じたくないという脆さがある。Green Dayはここで、パンク的な攻撃性の裏側にある疲弊を描いている。
8. She’s a Rebel
「She’s a Rebel」は、Whatsernameという女性像の登場を示す楽曲であり、アルバムの中で再びエネルギーを取り戻す短いパンク・ロックである。タイトルの通り、彼女は反逆者として描かれる。主人公にとって彼女は、現実の人物であると同時に、理想化された革命や自由の象徴でもある。
サウンドは、シンプルで疾走感のあるポップ・パンクである。明快なギター、短い構成、キャッチーなサビが特徴で、Green Dayの得意とする形式がよく出ている。曲は短いが、物語上の役割は大きい。
歌詞では、彼女が「世界の塩」「反抗の象徴」のように描かれる。これは現実の女性というより、主人公が投影した理想像である。彼女は強く、美しく、社会に対して反抗的で、主人公にとって救済の可能性を持つ。
「She’s a Rebel」は、アルバムの物語に恋愛と理想主義を導入する曲である。しかし、その理想化は後に崩れていく。ここでの高揚は、後の喪失をより強くするための重要なステップである。
9. Extraordinary Girl
「Extraordinary Girl」は、「She’s a Rebel」で理想化された女性像をより複雑に描く楽曲である。タイトルは「並外れた少女」という意味で、彼女は特別な存在として見られるが、その内側には孤独や痛みがある。理想化された反逆者のイメージが、少しずつ人間的な脆さを帯びていく。
サウンドは、エキゾチックなパーカッション風の導入から始まり、ミドルテンポのロックへ展開する。アルバムの中でもやや異なる色彩を持ち、Green Dayが単なる直線的なパンクだけでなく、曲ごとの雰囲気作りに意識的であることを示している。
歌詞では、特別な少女と普通の男のすれ違い、彼女の孤独、関係の不均衡が描かれる。主人公は彼女を特別な存在として見ているが、その視線自体が彼女を理解することを妨げている可能性もある。ここには、理想化と現実のズレがある。
「Extraordinary Girl」は、アルバムの恋愛的側面を深める楽曲である。Whatsernameは単なる反抗の女神ではなく、傷つき、失望し、やがて主人公の記憶の中に残る存在になっていく。
10. Letterbomb
「Letterbomb」は、アルバム後半の大きな爆発であり、Whatsernameから主人公へ突きつけられる決定的な拒絶として機能する楽曲である。タイトルは「手紙爆弾」を意味し、言葉そのものが爆発物となって主人公の幻想を破壊する。
サウンドは、疾走感のあるパンク・ロックであり、怒りと解放感が同時にある。冒頭の女性の声による語りが、主人公に対する冷たい現実を突きつける。そこからバンドが一気に爆発し、曲はアルバムの中でも特に感情的なピークへ向かう。
歌詞では、主人公の反抗が空虚であること、St. Jimmyという虚像が破綻していること、彼が本当には何も変えられていないことが指摘される。Whatsernameは、彼の自己神話を見抜き、そこから離れていく。これは主人公にとって大きな打撃である。
「Letterbomb」は、『American Idiot』の物語上、非常に重要な曲である。ここで主人公の幻想は崩壊し、St. Jimmyの破壊的な魅力も限界に達する。怒りのエネルギーが、ついに自分自身へ跳ね返る瞬間である。
11. Wake Me Up When September Ends
「Wake Me Up When September Ends」は、アルバムの中でも最も個人的で、同時に最も普遍的に受け止められたバラードである。Billie Joe Armstrongが幼少期に父を亡くした経験に由来する曲であり、タイトルは「9月が終わったら起こしてくれ」という深い悲しみの言葉である。
サウンドは、静かなアコースティック・ギターから始まり、徐々にバンド全体が加わる。構成はシンプルだが、感情の高まりは非常に大きい。Green Dayのパンク的な攻撃性とは異なり、ここでは喪失の痛みが正面から歌われる。
歌詞は、父の死、時間の経過、悲しみが季節と結びつく構造を持つ。9月は個人的な記憶の月であり、そこをやり過ごすことができない。曲は個人的な喪失を歌っているが、戦争や社会的悲劇の時代背景の中で、多くのリスナーにとって別れや喪失の歌として機能した。
「Wake Me Up When September Ends」は、本作の中で政治的怒りとは異なる感情の深さを示す楽曲である。社会批判のアルバムの中に、これほど個人的な悲しみが置かれていることによって、作品全体の人間的な重みが増している。
12. Homecoming
「Homecoming」は、「Jesus of Suburbia」と対になる長大な組曲であり、アルバムの物語を終盤へ導く重要曲である。複数のセクションから成り、主人公の帰還、St. Jimmyの消滅、虚無感、そしてバンド各メンバーの声も含めた多層的な構成が展開される。
タイトルの「Homecoming」は「帰郷」を意味する。しかし、ここでの帰郷は単純な救済ではない。主人公は外へ出て、反抗し、愛し、傷つき、幻想を失った後、再び帰る。しかし、帰る場所が本当にあるのかは曖昧である。家に戻ることは、成長なのか、敗北なのか、循環なのか。その問いが曲全体にある。
サウンドは、パンク、パワー・ポップ、ロック・オペラ的な展開を横断する。各セクションは異なる感情を持ち、St. Jimmyの終わり、日常への回帰、空虚な労働感、記憶の断片が連続する。Mike DirntやTré Coolの声も聴こえることで、アルバムにバンド全体の劇的な広がりが生まれる。
「Homecoming」は、主人公の物語を整理しながらも、完全な結論を与えない。反抗は終わり、幻想は消えるが、世界が変わったわけではない。そこに残るのは、少しだけ現実を知った主人公である。ロック・オペラとしての本作の構成力を示す重要な大曲である。
13. Whatsername
アルバムの最後を飾る「Whatsername」は、記憶と喪失の曲である。タイトルは「何という名前だったか」という意味で、かつて重要だった女性の名前を思い出せない状態を示している。アルバムの物語は、政治的怒りや自己破壊を経て、最後に一人の人間の記憶へたどり着く。
サウンドは、ミドルテンポのロックで、派手な終幕というより、静かな余韻を持つ。サビでは感情が大きく広がるが、曲全体には諦めと回想の空気がある。Green Dayはここで、アルバムを勝利のアンセムではなく、失われた名前の記憶で閉じる。
歌詞では、かつて愛した、あるいは人生を変えた人物を思い出そうとする語り手が描かれる。名前は忘れかけているが、その存在の影響は残っている。これは、若い頃の反抗、恋愛、理想、失敗が、時間の中で記憶へ変わっていく過程を示している。
「Whatsername」は、『American Idiot』の結末として非常に美しい。政治、戦争、郊外、反抗、自己破壊の物語は、最後に個人的な記憶へ収束する。世界を変えられなかったとしても、誰かの名前を忘れかけながら生きていく。その切なさが、本作に深い余韻を与えている。
総評
『American Idiot』は、Green Dayのキャリアを再定義したアルバムであり、2000年代ロックを代表する重要作である。『Dookie』でポップ・パンクをメインストリームへ押し上げた彼らは、本作でその形式をロック・オペラへ拡張し、政治的怒りと個人的な喪失を一つの物語としてまとめた。単なる復活作ではなく、バンドが中堅期に入ってなお新しい代表作を生み出した稀有な例である。
本作の最大の特徴は、パンクの直接性とロック・オペラの構成力が両立している点である。「American Idiot」や「St. Jimmy」のような短く鋭いパンク・ソングがある一方、「Jesus of Suburbia」や「Homecoming」のような組曲形式の大作もある。にもかかわらず、アルバムは過度に技巧的にはならない。Green Dayは、難解なプログレッシヴ・ロックではなく、誰もが歌えるメロディと明快なコードで、壮大な物語を作っている。
政治的には、本作は9.11以後のアメリカ社会への強い批判として機能した。メディアの恐怖煽動、戦争の正当化、愛国主義の圧力、郊外の無力感が、アルバム全体に刻まれている。「American Idiot」と「Holiday」は、その怒りを最も直接的に示す曲である。だが本作は単なる政治スローガンのアルバムではない。重要なのは、政治的な状況が若者の心理や身体にどのように影響するかを描いている点である。
主人公Jesus of Suburbiaは、英雄ではない。彼は退屈し、怒り、逃げ出し、St. Jimmyという破壊的な幻想を作り、Whatsernameという理想を失う。彼の反抗は純粋ではなく、しばしば自己陶酔的で、空虚である。Green Dayは、若者の反抗を美化しすぎず、その未熟さや失敗も描いている。これにより、アルバムの物語は単なる反体制の賛歌ではなく、反抗の限界を知る成長譚にもなっている。
音楽的には、メロディの強さが際立つ。「Boulevard of Broken Dreams」「Wake Me Up When September Ends」「Whatsername」は、パンク・バンドによるバラード表現として非常に優れている。Green Dayは、怒りだけでなく孤独や喪失を、大衆的なメロディに乗せる力を持っている。本作が広く支持された理由は、政治的な文脈だけでなく、こうした普遍的な感情表現にもある。
Billie Joe Armstrongの歌詞と歌唱は、本作で大きく成長している。皮肉、怒り、ユーモア、悲しみが混ざり合い、彼の声は時に演劇的で、時に非常に個人的である。Mike Dirntのベースは、シンプルながら楽曲を強く推進し、Tré Coolのドラムは、パンクの勢いとロック・オペラ的な展開の両方を支える。3人編成でありながら、サウンドは非常に大きく、アリーナ級のスケールを持つ。
本作の弱点を挙げるなら、その明確な時代性である。『American Idiot』は2004年のアメリカ政治と強く結びついているため、時代背景を知らないと一部の怒りの文脈が薄く感じられる可能性がある。また、ロック・オペラとしての物語は完全に緻密な筋書きというより、象徴的な断片の連なりである。そのため、物語の細部を厳密に追うより、感情とテーマの流れとして聴くべき作品である。
しかし、その時代性こそが本作の価値でもある。『American Idiot』は、2000年代初頭のアメリカの空気を音楽として記録している。テレビのノイズ、戦争への不安、若者の怒り、郊外の退屈、愛国主義への違和感、個人的な喪失。これらが一枚のアルバムに凝縮されている。時代を強く反映した作品だからこそ、歴史的な重みを持つ。
日本のリスナーにとって本作は、英語圏の政治的文脈を持つロック・アルバムとして聴くこともできるし、若者の孤独と反抗の物語として聴くこともできる。特に「Boulevard of Broken Dreams」や「Wake Me Up When September Ends」は、政治的背景を超えて広く届く感情を持っている。一方で、「American Idiot」や「Holiday」を理解するには、9.11以後のアメリカ社会、イラク戦争、メディア批判の文脈を意識することが重要である。
『American Idiot』は、パンク・ロックが成熟するとはどういうことかを示したアルバムである。単に速く短く怒るだけではなく、怒りを物語にし、孤独をバラードにし、政治批判を大衆的なロック・アンセムへ変える。Green Dayはここで、自分たちの原点を失うことなく、表現のスケールを大きく広げた。
本作は、2000年代ロックの金字塔であり、Green Dayの第二の代表作である。『Dookie』が若いパンクの爆発だったとすれば、『American Idiot』は、その怒りが時代と社会を背負った形で再噴出した作品である。怒り、孤独、喪失、記憶が、強力なメロディとともに刻まれた、ロック・オペラとしての決定的な一枚である。
おすすめアルバム
1. Dookie by Green Day
1994年発表のメジャー・デビュー作で、Green Dayを世界的に成功させた代表作。「Basket Case」「Longview」「When I Come Around」を収録し、90年代ポップ・パンクの基準を作った作品である。『American Idiot』の原点にある若い怒りと不安を知るために重要である。
2. 21st Century Breakdown by Green Day
2009年発表のアルバムで、『American Idiot』のロック・オペラ路線をさらに拡張した作品である。政治、宗教、愛、崩壊するアメリカ社会をテーマにし、より大きな構成を持つ。『American Idiot』の続編的な位置づけとして聴くことができる。
3. Warning by Green Day
2000年発表のアルバム。フォーク・パンクやパワー・ポップの要素を取り入れ、Green Dayが単なる高速パンクから脱却しようとした作品である。『American Idiot』での成熟と実験性の前段階として重要である。
4. The Black Parade by My Chemical Romance
2006年発表のロック・オペラ的作品。死、病、記憶、パレードという演劇的なコンセプトを用い、エモ、パンク、クラシック・ロックを融合している。『American Idiot』以後の2000年代ロックにおける物語性の拡張を理解するうえで関連性が高い。
5. Quadrophenia by The Who
1973年発表のロック・オペラの名作。若者のアイデンティティ、社会への不満、自己分裂をテーマにした作品であり、『American Idiot』の構成的な先祖の一つといえる。パンク以後のGreen Dayがロック・オペラ形式をどのように現代化したかを比較するうえで重要である。

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