※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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the cureは長いあいだ「暗いバンド」と呼ばれてきた。Robert Smithの声、黒い服、崩れた髪、深いリヴァーブ、曇ったギター、孤独や喪失を扱う歌詞。特に『Seventeen Seconds』『Faith』『Pornography』へ続く初期80年代の作品には、世界から切り離されたような閉塞感がある。一方で同じバンドが、「Just Like Heaven」「Friday I’m in Love」「Lovesong」「In Between Days」のような、誰でも一度で覚えられるポップ・ソングも書いた。しかもThe Cureの場合、暗い時期とポップな時期が完全に別人格として分かれているわけではない。明るい曲の内部にも不安があり、最も陰鬱な曲にも奇妙な美しさとフックが残っている。なぜ彼らは陰鬱さを一部のゴスやポストパンクのリスナーだけに閉じず、巨大なポップ・ミュージックへ変えることができたのか。今回はSophie、Alex、Naomiの3人が、Robert Smithの声、ギターの空間、リズム、色彩感覚、ユーモア、そして「悲しい曲を悲しいだけにしない」作曲法から考える。
- The Cureの「暗さ」は最初から一種類ではなかった
- 「A Forest」はなぜ陰鬱なのにこれほど覚えやすいのか
- Robert Smithの声はなぜ「弱さ」を隠さなかったのか
- 『Pornography』は暗さの完成だったのか、それとも行き止まりだったのか
- 「The Lovecats」でThe Cureは何を壊したのか
- 「In Between Days」はなぜ明るく走りながら不安なのか
- 「Just Like Heaven」はなぜ幸福な曲なのに儚いのか
- 『Disintegration』で暗さと大衆性はついに完全に一致した
- 「Lovesong」はなぜここまで単純なのにThe Cureらしいのか
- 「Friday I’m in Love」はThe Cureの裏切りだったのか
- Simon Gallupのベースが「暗さ」を身体へ変えた
- なぜThe Cureの暗さは「若者だけの感情」で終わらなかったのか
- 最高傑作は『Disintegration』か、それとも初期三部作か
- 過小評価された曲に見える「暗さとポップ」の別の関係
- 対談を終えて
- 関連レビュー
The Cureの「暗さ」は最初から一種類ではなかった
The Cureを「暗いバンド」と一言でまとめると、実際にはかなり違うものが同じ箱に入ってしまうと思います。『Seventeen Seconds』の暗さは空虚さに近いし、『Faith』ではもっと宗教的な重さや喪失感があり、『Pornography』まで行くとほとんど世界そのものへの嫌悪になる。でも「The Lovecats」や「Close to Me」では、同じRobert Smithが急に軽く、ひねくれたポップをやる。つまり暗さが固定されたキャラクターではなく、その時々で別の形に変わっているんです。
僕もそこは大きいと思います。音だけ聴いても、『Seventeen Seconds』のギターは歪みで押すわけじゃない。むしろ細くて、空間が多い。「A Forest」なんてイントロからずっと冷たいけれど、音数は意外に少ない。ベースとドラムが反復して、その上でギターが断片を置く。暗さを音量ではなく、余白で作っているんですよ。
さらに『Faith』や『Pornography』では、その余白の質が変わります。前者は音が遠く、空気そのものが冷たい感じがある。後者になるとリズムも音響も圧迫感が強く、残響が広いというより逃げ場がない。だから「暗い」という形容詞でも、空間の設計が違うんです。The Cureは陰鬱さを一つのサウンド・プリセットにしていなかった。
そしてRobert Smithの歌詞もそうですね。死や孤独を直接扱う曲もあれば、恋愛の不安が少し滑稽に歪む曲もある。だから彼の「暗さ」は悲観主義だけではない。自意識の過剰さ、ロマンティックな誇張、子どもっぽさ、ユーモアまで混ざっている。この混合物が、後にポップへ広がる余地を作ったんだと思います。
もし最初から「暗いことこそ本物だ」という価値観だったら、The Cureは『Pornography』の方向を続けるしかなかったでしょうね。でも彼らはそこを絶対視しなかった。むしろ極端まで行った後に、全然違う曲を書ける。その柔軟さが長いキャリアにつながった。
「A Forest」はなぜ陰鬱なのにこれほど覚えやすいのか
「A Forest」は今回のテーマの入口としてすごくいいと思います。音は冷たいし、歌詞にも迷い込む感じがある。でも曲としては異常に覚えやすい。ベースライン、一定のドラム、ギターの短いパターンが全部反復されるから、一回聴くと身体に残る。陰鬱なのにフックが強いんです。
そうですね。暗い音楽が難解になるときって、和声や構造まで不安定にしてしまうことがある。でも「A Forest」は空間は不穏でも、時間は安定している。ビートがほぼ一定で、反復が強い。だから聴き手は心理的には迷っても、身体的には迷わない。この二重構造がすごく重要です。
私はあの曲の物語性も大きいと思います。森へ入っていく、誰かを追う、でも届かない。意味は完全には説明されないけれど、イメージは非常に強い。だから歌詞を細かく解読しなくても、聴き手の頭に場面ができる。抽象的な不安ではなく、具体的な風景を通して不安を感じられるんです。
ギターも面白くて、ロック的なコードをジャーンと鳴らさないんですよね。単音や短いフレーズを置いて、ベースの反復に隙間を作る。結果としてギターが感情を説明しすぎない。悲しそうなフレーズをずっと弾くより、何もない空間を残す方が不安になる。
それが親しみやすさにもつながると思います。音数が少ないから、聴き手が情報に圧倒されない。暗さはあるけれど、構造は透明なんです。The Cureはこの時期からすでに、「感情を複雑にすること」と「曲を複雑にすること」を分けていた。
だから「A Forest」はゴス的な暗さの代表曲でありながら、実はかなりポップなんですよ。フック、反復、情景、短いモチーフ。ポップの技術を使って、明るい感情ではなく不安を大衆化した曲だと思います。
Robert Smithの声はなぜ「弱さ」を隠さなかったのか
The Cureの普遍性を考えるなら、Robert Smithの声は決定的です。彼は古典的なロック・シンガーのように、声量で圧倒するタイプではない。むしろ少し不安定で、鼻にかかり、感情が漏れすぎる。だから聴き手は「強い人物が悲しんでいる」とは感じない。最初から脆さが声の中にあるんです。
でも、その脆さが弱々しいだけではないんですよね。ギターやベースが大きくなっても、Robertの声は消えない。音域や音色が独特だから、一声で分かる。技術的な完璧さより、キャラクターの強さがある。これはポップ・シンガーとしてかなり大きい。
録音の面でも、声を完全に裸で前へ置くというより、リヴァーブや空間の中に入れることが多い。でも声の輪郭は残る。そのため、人間が巨大な空間の中で一人で歌っている感じになる。The Cureの「孤独」って、声そのものと空間の距離で作られている部分が大きいです。
そしてRobertは、悲しみを恥ずかしがらない。ロックには感情を怒りに変換したり、皮肉で隠したりする伝統がありますが、彼はかなり直接的に「寂しい」「怖い」「愛している」と言える。その素直さが、ゴス的な外見とは逆に非常にポップなんです。
「Pictures of You」なんてその典型ですね。ギターは広く、曲も長い。でも中心にある感情は非常に単純です。失われた関係や記憶を手放せない。それを難しい比喩で隠さない。だから曲のサイズが大きくても、感情の入口はすぐ分かる。
つまりRobertの声は、暗さを専門的な美学にしなかったんです。歌唱の中に不器用さがあるから、聴き手が「これは特別な人の特別な苦悩だ」と距離を取らずに済む。かなり大きな理由だと思います。
『Pornography』は暗さの完成だったのか、それとも行き止まりだったのか
『Pornography』はThe Cureの暗さを語るなら避けられません。1982年のあの作品は、本当に圧迫感がある。「One Hundred Years」からして、ドラムもギターも全部が疲弊しているように聞こえる。でも僕は、あれを最高到達点というより一度の行き止まりとして聴きます。あそこまで行ったら、同じやり方では先がない。
私もそう思います。『Pornography』では音響がほぼ閉鎖空間になっている。残響があっても開放感がなく、リズムも催眠的というより強迫的です。声も楽器も全部同じ濁った空気の中にある。これは非常に強い作品だけれど、長く続けられる美学ではない。
しかもRobert Smith自身のキャラクターを考えると、ずっとあの世界だけにいる人ではないんですよね。彼にはユーモアもポップ感覚もある。『Pornography』の後に「Let’s Go to Bed」「The Walk」「The Lovecats」のような曲へ向かうのは、単なる商業的な妥協ではなく、本人の別の側面が戻ってきたと考えた方が自然です。
僕はむしろ、その転換がThe Cureを救ったと思います。もし「暗いバンド」という評価を守るために暗さを続けたら、自分たちのパロディになっていたでしょう。ギターも同じで、低い音とリヴァーブだけを繰り返せばThe Cureらしくはなる。でもそれでは動けない。
面白いのは、その後ポップになっても『Pornography』で得た空間感覚が消えないことです。「In Between Days」や「Just Like Heaven」は明るいけれど、ギターやシンセの層には少し霞んだ感じがある。つまり暗い時期を捨てたのではなく、その音響技術を別の感情へ転用した。
だから『Pornography』は完成であると同時に破壊だったんでしょうね。暗さを極端までやり切ったから、それを唯一の本物だと考えずに済んだ。その後のThe Cureの巨大なポップ性は、あの極端な時期を通過したからこそ生まれたと思います。
「The Lovecats」でThe Cureは何を壊したのか
「The Lovecats」は、The Cureの歴史でかなり重要な曲ですよね。『Pornography』からそれほど時間が経っていないのに、ジャズ的で、跳ねていて、ほとんどコミカルです。もし当時The Cureを「世界で最も陰鬱なバンド」と見ていた人がいたなら、かなりの裏切りだったはずです。
演奏も全然違います。重いギターの壁ではなく、ベースが前へ出て、ピアノやパーカッシヴな要素が軽く動く。ギター・バンドが自分の得意な音を一度手放している。僕はこういう曲を出せるバンドの方が、結果的に長く強いと思います。
そして、暗い時期との共通点もあります。反復の強さですよね。リズムが一度決まると、そこから大きく外れず、身体を乗せていく。『A Forest』ではその反復が不安を作り、「The Lovecats」では遊び心を作る。同じ技術が感情だけ変えて使われている。
この曲で重要なのは、Robert Smithが「暗い人物」という自分のイメージを笑えるようになったことだと思います。大げさな髪型やメイクも、後にはゴスの象徴として定着しますが、彼自身にはどこかコミカルな自己認識がある。そのためキャラクターが神聖化されすぎない。
それはThe Cureのポップ性にかなり大きいですよ。深刻な感情を歌うけれど、自分たちまでずっと深刻な顔をする必要はない。ミュージシャンが自分の神話に飲み込まれないから、音楽も動ける。
だから「The Lovecats」は明るい曲というだけではなく、The Cureが「The Cureらしさ」の定義を壊した曲なんでしょうね。暗さを捨てることで売れたのではなく、暗さだけが自分たちではないと示した。それが後の巨大なポップ・バンド化につながった。
「In Between Days」はなぜ明るく走りながら不安なのか
「In Between Days」は、The Cureのポップと陰鬱さが一番自然に混ざった曲の一つだと思います。アコースティック・ギターのストロークは速くて軽いし、ドラムも前へ進む。サウンドだけならかなり明るい。でもRobertの声と歌詞には焦りや嫉妬がある。音楽が感情を慰めていないんです。
テンポが速いこと自体が、不安として機能していると思います。明るい曲では通常、速さが解放感になりますが、「In Between Days」では少し息が切れる。ギターとドラムが止まらないから、主人公が考える時間を与えられないように聞こえる。ポップな推進力が、そのまま心理的な焦燥になる。
この曲が巨大なポップとして成立する理由は、感情がすごく分かりやすいからですよね。誰かを失いたくない、間違えたかもしれない、時間が過ぎていく。その感情を、陰鬱なバラードではなく明るく走る曲にする。だから悲しみが受動的にならない。
ギターも派手なことはしていない。でもコードの明るさとRobertのメロディの切なさがぶつかる。それだけで曲に奥行きが出る。The Cureは「悲しい歌詞にはマイナー・キー」という一対一の関係をあまり信用していないんですよね。
そこが普遍性に直結しています。人間の感情って実際には一色じゃない。楽しい日に不安になることもあるし、悲しいときに身体だけ動くこともある。The Cureはその矛盾をそのまま曲にする。だから「暗い音楽」というラベルより、人間の感情に近くなるんです。
しかもRobert Smithの歌い方が、明るいトラックの中でも少し泣きそうに聞こえる。その声があるだけで、ポップな表面に亀裂が入る。The Cureがどれだけカラフルになっても完全な陽性にはならない理由です。
「Just Like Heaven」はなぜ幸福な曲なのに儚いのか
「Just Like Heaven」はThe Cureが巨大なポップ・バンドになれた理由を一曲で説明できると思います。タイトルからして幸福の極端な形でしょう。でも曲を聴くと、幸福を完全に所有している感じがしない。むしろ、その瞬間がもう失われることを知っているように聞こえる。
ギターがすごくいいですよね。イントロのコードからすぐ前へ進むけれど、一つ一つのパートが軽い。ギター、ベース、鍵盤が全部メロディを持っていて、どれか一つが曲を支配しない。結果として色が増えていく感じがある。『Pornography』の濁った単色とは正反対です。
でも音響的には完全に明るくないんです。リヴァーブがあり、空間が少し遠い。鍵盤やギターにも曇りがある。だから幸福な現在というより、幸福だった瞬間を後から思い出しているような距離感が生まれる。そこがタイトルの“heaven”を単純な歓喜にしない。
歌詞もロマンティックだけれど、Robert Smithらしい不安定さがありますね。現実の出来事なのか夢なのか、記憶なのかが少し曖昧。だからラヴ・ソングなのに、恋人と一緒にいる現在を堂々と祝う曲にはならない。愛の瞬間をつかもうとしたら、もう指の間から抜けていくような感じがする。
この曲の凄さは、そんな繊細な感覚をすごく分かりやすいポップ・ソングにしていることです。ギターのフックもあるし、メロディも覚えやすい。分析しなくても良い曲として成立する。でも何度聴いても少し寂しい。
The Cureの普遍性って、幸福と悲しみを別々に処理しないことかもしれませんね。「Just Like Heaven」は嬉しいのに切ない。その感情の混在こそ、多くの人が現実の記憶に近いものとして受け取れるんだと思います。
『Disintegration』で暗さと大衆性はついに完全に一致した
1989年の『Disintegration』は、今回のテーマでは中心ですね。なぜなら、The Cureが暗さを弱めてポップになったのではなく、かなり暗いまま巨大な作品を作ったからです。「Plainsong」のイントロからして、音響は広大で、シンセサイザーとギターが霧みたいに広がる。でも拒絶的な実験音楽ではない。むしろ美しさが入口になっている。
僕も『Disintegration』は特別だと思います。ギターの使い方がすごく成熟している。「Pictures of You」ではリード・ギターが延々と泣くのではなく、短いフレーズを繰り返して記憶のように残る。ベースも強いし、ドラムも一定の脈を作る。曲が長くても、聴き手を置いていかない。
そして歌詞はかなり直接的ですよね。老い、喪失、愛、崩壊への恐怖。Robert Smith自身が年齢を重ねることへの不安を抱えていた時期でもある。でも若者の孤独だけに限定されず、もっと普遍的な「失うことへの恐怖」へ広がっている。そこが『Pornography』との違いだと思います。
音響的には巨大なのに、個人の感情はむしろ近いんです。「Pictures of You」なんて、シンセとギターでかなり大きな空間を作っている。でも歌われるのは写真を見ながら記憶に戻るという非常に私的な行為です。外側の世界は巨大で、中心にいる人物は一人。そのスケール差が強い。
「Fascination Street」では逆にリズムが身体を引っ張る。ベースがものすごく前に出ていて、ダークなのに踊れるんですよ。The Cureはここで、暗さとグルーヴを完全に敵対させなくなっている。悲しい曲を静かにする必要がない。
だから『Disintegration』は「暗いThe Cure」と「ポップなThe Cure」を統合した作品なんでしょうね。暗いから閉じるのではなく、暗い感情を巨大な美しさへ変換する。その時点で陰鬱さがジャンルではなく、普遍的な感情の一部になった。
「Lovesong」はなぜここまで単純なのにThe Cureらしいのか
「Lovesong」はすごく単純です。タイトルもそのままだし、構造もコンパクトで、メロディも一回で入る。『Disintegration』の中では特にポップでしょう。でもThe Cureらしさは全然薄くない。ベースの動き、ギターの空間、Robertの声で、普通のラヴ・ソングとは違う温度になる。
言葉も驚くほど直接的ですよね。相手といると自分が戻ってくる、どれだけ離れても愛している。Robert Smithの歌詞としてはかなり装飾が少ない。でもそれが逆に強い。長いキャリアの中で複雑な不安を歌ってきた人が、ここでは非常に単純な愛情を歌う。その単純さが本気に聞こえるんです。
それでも音響は少し暗い。シンセやギターの質感に夜の感じがあるし、リズムも完全な祝福にはならない。だからラヴ・ソングなのに「何も悪いことは起きない」と保証してくれない。愛しているという事実の周囲に、失う可能性がずっとある。
この曲で分かるのは、The Cureの暗さってマイナー・キーや歪みのことじゃないんですよね。明るい言葉を歌っていても、音の距離感やRobertの声で少し影ができる。だからポップになってもバンドの人格が消えない。
そして、その影があるから「愛しています」という言葉が軽くならない。幸福しか知らない人物の愛ではなく、喪失を知っている人の愛に聞こえる。そこが多くの人に届く理由だと思います。
つまりThe Cureは暗さを削って普遍的になったのではなく、暗さを愛や幸福の中にも残した。その結果、人間の感情に近づいたんです。
「Friday I’m in Love」はThe Cureの裏切りだったのか
「Friday I’m in Love」は、The Cureのイメージだけ知っている人にはかなり驚く曲ですよね。1992年の『Wish』からのシングルで、タイトルもメロディも非常に明るい。曜日を並べながら金曜日の恋愛を祝う。これを「暗いThe Cureへの裏切り」と見る人がいても不思議ではない。
でも僕は全然裏切りだと思わないです。ギターの音を聴けばかなりThe Cureですよ。ジャングリーで、重なっていて、メロディを支える短いフレーズがある。サウンドは明るいけれど、演奏の考え方はそれまでと連続している。
しかも曲自体に少し不安定な揺れがあるんですよね。完全にまっすぐなパワー・ポップではなく、The Cure特有の軽い霞みがある。だから幸福が広告的な幸福にならない。少し現実離れしていて、金曜日だけ時間が別の速さで流れているように聞こえる。
私はこの曲がThe Cureの普遍性を証明したと思います。彼らは「悲しい人だけのバンド」ではない。嬉しいときも、馬鹿みたいに恋に浮かれているときも歌える。ただし、その幸福をシニカルに茶化さない。ここが大事です。
ロック・バンドって、長く暗いイメージを持つと明るい曲を書くのが逆に難しくなるんですよ。ファンから「売れ線」と言われる危険があるから。でもThe Cureはそこを恐れなかった。良いメロディができたら明るくても出す。その姿勢が結果的に大きなポップ・バンドになれた理由でしょうね。
そしてRobert Smithの見た目はそのままなんですよね。黒い服、崩れた髪、メイク。見た目はゴスの象徴なのに、歌っているのは金曜日に恋をしているということ。その矛盾がむしろThe Cureらしい。外見と感情を一対一にしないんです。
Simon Gallupのベースが「暗さ」を身体へ変えた
The CureについてRobert Smithだけで話すと、バンドの身体性が見えなくなります。Simon Gallupのベースは本当に大きい。「A Forest」「Fascination Street」「Pictures of You」でも、ギターより先に曲の人格を作っている瞬間がある。低音がメロディを持っているから、上のギターが空間へ逃げられる。
ベースが反復的なのも重要です。暗い曲でも、Simonのベースラインにはかなり明確なパターンがある。その反復が聴き手の身体を固定する。上のギターやシンセは霧のように動いても、低音が脈拍として残るんです。
だからThe Cureの暗さは、聴き手を椅子に縛りつけるようなものではないんですよね。かなり踊れる。ゴス文化のクラブ的な側面ともつながりますが、悲しい音楽を身体で共有できる。それによって孤独な感情が共同体になる。
「Fascination Street」はまさにベースが主役ですよね。あの低音が始まった瞬間に曲の世界が決まる。ギター・バンドなのに、ギターはそこへ色を足していく。The Cureって意外とベース中心のバンドなんです。
そしてこの構造がポップに強い。低音に明確なフックがあると、メロディだけではなく身体にも曲が残る。The Cureは暗い雰囲気を作るためにリズムを犠牲にしなかった。それが一部のアート・ロックとの大きな違いだと思います。
つまり陰鬱さを聴くことが、必ずしも静かに沈むことではない。踊りながら悲しめる。The Cureはその矛盾を早い段階から受け入れていたんです。
なぜThe Cureの暗さは「若者だけの感情」で終わらなかったのか
The Cureが長く巨大なバンドでいられた理由として、暗さの内容が年齢とともに変わったことも大きいと思います。初期には世界に馴染めない若者の閉塞感が強い。でも『Disintegration』になると、失うことや老いることへの恐怖が前に出る。そこからさらに愛や記憶の問題へ広がる。だからファンも一緒に年齢を重ねられる。
曲作りもそうですね。初期のミニマルなギターから、後にはもっと広いアレンジへ行く。でもメロディの中心は意外に変わらない。Robertは複雑なコードで成熟を見せるというより、単純なメロディに時間の重さを乗せる。その方が普遍的なんです。
音響的にも、The Cureの残響は「若さ」の記号ではないんですよね。広い空間、遠い声、反復する低音は、記憶や時間の感覚と相性がいい。だから年齢を重ねても使える。むしろ後になるほど深くなる。
それに、Robert Smithは自分を完全に大人の権威へ変えなかった。見た目も声もどこか思春期の過剰さを残している。でも歌う内容には時間が入ってくる。そのため若い聴き手からも距離が遠くならないし、古いファンにも幼く見えない。
The Cureって、成熟することを「落ち着くこと」と考えていないんですよね。大人になっても感情は大きいし、恋愛も怖いし、失うことも怖い。むしろ、その怖さを知った分だけ曲が大きくなる。
だから彼らの暗さはサブカルチャー的な装飾ではなく、人間が年齢に関係なく持つ不安へ接続できた。孤独、喪失、愛されたい気持ち、時間が過ぎる怖さ。その普遍性が、ゴスというラベルよりずっと広かったんだと思います。
最高傑作は『Disintegration』か、それとも初期三部作か
最高傑作を一枚選ぶなら、僕は『Disintegration』です。理由は、ギター、ベース、シンセ、声の全部が一つの巨大な空間を作りながら、曲のメロディを失っていないからです。「Pictures of You」「Fascination Street」「Lovesong」「Disintegration」と、長い曲も短い曲も全部The Cureの言語でつながっている。暗さとポップ性の均衡が一番いい。
私も『Disintegration』ですね。音響の深さがあるのに、聴き手を拒絶しない。「Plainsong」の広がり、「Closedown」のリズム、「The Same Deep Water as You」の沈み方、それぞれ違う空間を持っている。しかもアルバム全体に統一感がある。暗い音響をここまで美しく大衆化した作品はかなり少ないです。
私は少し迷います。『Pornography』の文化的な極端さも重要ですが、最高傑作という意味ではやはり『Disintegration』だと思う。理由は、The Cureの複数の人格が一枚に共存しているからです。絶望だけでも、ポップだけでもない。恋愛、喪失、記憶、老い、身体性が全部入っている。
初心者向けなら『Disintegration』より『The Head on the Door』もいいと思います。「In Between Days」「Close to Me」があり、暗い曲もポップな曲もある。The Cureが一つのムードのバンドではないことが一番分かりやすい。
一曲だけなら私は「Pictures of You」です。長いけれど、The Cureの音響と感情の関係が一番分かる。ギターとシンセが巨大な記憶の空間を作り、その中央にRobertの非常に単純な喪失感がある。音は大きいのに感情は私的。そのバランスがThe Cureです。
私は「Just Like Heaven」を選びます。The Cureがなぜポップ・バンドとして巨大になれたかを一番説明しやすい。明るく、美しく、覚えやすいのに、どこか消えてしまいそうな感触がある。幸福の中に陰鬱さが残っているんです。
過小評価された曲に見える「暗さとポップ」の別の関係
過小評価された曲なら「A Night Like This」を挙げたいです。『The Head on the Door』の中では「In Between Days」や「Close to Me」の陰に隠れがちだけれど、ギターの広がりとRobertの声がすごくThe Cureらしい。暗いけれどメロディは大きい。後の『Disintegration』へつながる感覚もあります。
私は「Closedown」です。『Disintegration』の中でも派手なシングルではないけれど、リズムの反復とシンセの空間がすごく美しい。曲が前へ進んでいるのに、心理的には同じ場所に閉じ込められている。この時間感覚がThe Cureの暗さをよく表していると思います。
私は「Catch」を挙げます。音は軽くて、メロディも優しい。でも記憶や距離の感覚があって、完全な幸福にはならない。The Cureの暗さって、必ずしも黒く重い音の中にだけあるわけではないと分かる曲です。
それは大事ですね。The Cureを暗い音色だけで定義すると、「Friday I’m in Love」みたいな曲が例外になってしまう。でも本当は、彼らの核は音色より感情の曖昧さにある。明るい曲でも少し不安があり、暗い曲でもメロディが美しい。
だから長く聴けるんでしょうね。感情を一つのラベルに固定しない。悲しい曲を聴いて安心することもあるし、明るい曲を聴いて寂しくなることもある。その逆説をThe Cureは自然に音楽へしている。
対談を終えて
The Cureが「暗い音楽」を巨大なポップ・ミュージックへ変えられたのは、陰鬱さを弱めたからではない。むしろ孤独、喪失、老い、嫉妬、不安といった感情を、強いメロディ、反復するベース、身体を支えるリズム、広いギターとシンセの空間へ変換することで、暗さそのものを共有可能にした。Robert Smithの声は脆さを隠さず、Simon Gallupのベースはその脆さに身体を与え、バンドのアレンジは感情を一色に固定しなかった。
The Cureの曲では、幸福の中に不安があり、絶望の中にも美しさがある。「Just Like Heaven」は明るいのに儚く、「Lovesong」は直接的なのに影があり、「Pictures of You」は巨大な音響なのに極端に私的だ。そこに彼らの普遍性がある。人間の感情は、明るいか暗いかの二択ではない。The Cureはその混ざり合った状態を、ゴスやポストパンクという限られた美学に閉じ込めず、大勢が歌い、踊り、個人的な記憶を重ねられるポップへ変えた。彼らが巨大になれたのは暗さを克服したからではなく、暗さもまた誰にでもある感情だと、メロディとリズムによって証明したからだった。

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