
- イントロダクション
- アーティストの背景と歴史
- 音楽スタイルと影響
- 代表曲の解説
- アルバムごとの進化
- Closing Time
- The Heart of Saturday Night
- Nighthawks at the Diner
- Small Change
- Blue Valentine
- Heartattack and Vine
- Swordfishtrombones
- Rain Dogs
- Franks Wild Years
- Bone Machine
- The Black Rider
- Mule Variations
- Alice と Blood Money
- Real Gone
- Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards
- Bad As Me
- 俳優としてのTom Waits
- Kathleen Brennanとの共同作業
- 影響を受けたアーティストと文学
- 影響を与えたアーティストと音楽シーン
- 同時代アーティストとの比較
- ファンや批評家からの評価
- Tom Waitsのユニークさ
- まとめ
- 関連レビュー
イントロダクション
Tom Waits(トム・ウェイツ)は、アメリカのシンガーソングライター、作曲家、俳優である。1949年12月7日、カリフォルニア州ポモナ生まれ。本名はThomas Alan Waits。ジャズ、ブルース、フォーク、ロック、キャバレー、ヴォードヴィル、実験音楽、劇伴、インダストリアル的な打楽器表現を混ぜ合わせ、誰にも似ていない音楽世界を作り上げた。
Tom Waitsを初めて聴くと、多くの人はまずその声に驚く。酒場の床を這うようなしゃがれ声、錆びた鉄扉のような低音、時には狂言回しのような語り、時には壊れたピアノの奥から聞こえる祈り。美声とは言いにくい。しかし、その声には人生の埃、夜更けの孤独、笑いをこらえた悲しみが詰まっている。
彼の歌に登場するのは、成功者や英雄ではない。酔いどれ、流れ者、娼婦、皿洗い、夜勤明けの男、安ホテルの住人、サーカスの奇人、壊れた恋人たち、そして帰る場所をなくした人々である。Rock and Roll Hall of Fameは、Waitsを「周縁から世界を見つめる自由な魂」として紹介し、そのしゃがれた声でアウトサイダーや漂流者、非順応者たちへの叙情的なラブレターを歌う存在だと位置づけている。(rockhall.com)
2011年にはRock and Roll Hall of Fame入りを果たし、1992年のBone Machineと1999年のMule Variationsでグラミー賞を受賞した。Britannicaも、彼がジャズ、ブルース、ポップ、アヴァンギャルド・ロックを取り込み、Jack KerouacやCharles Bukowskiから影響を受けた意識の流れのような歌詞を書いたアーティストだと紹介している。(britannica.com)
Tom Waitsは、ポップミュージックの整った光の外側に立つアーティストである。だが、その暗がりには、奇妙なほど温かい灯りがともっている。
アーティストの背景と歴史
Tom Waitsは、1960年代末から音楽活動を始めた。初期にはサンディエゴ周辺のフォークシーンで演奏し、やがてロサンゼルスの名門クラブThe Troubadourに出演するようになる。1973年、デビューアルバムClosing Timeを発表した。
初期のWaitsは、夜のピアノ弾き、ビート詩人、ジャズクラブの語り部のような存在だった。Closing Time、The Heart of Saturday Night、Nighthawks at the Diner、Small Changeといった作品では、ジャズ、フォーク、ブルース、ビート文学の影響が強い。彼は、街の片隅にいる人々を、煙草の煙と安酒の匂いの中で歌った。
1976年のSmall Changeは、初期Tom Waitsの重要作である。ここには「Tom Traubert’s Blues」や「The Piano Has Been Drinking」といった代表曲が収録され、彼の“酔いどれ詩人”としてのイメージが強く刻まれた。Wikipediaのバイオグラフィーでも、Small ChangeはWaitsがソングライターとして自信を確立した作品であり、Billboard Top 100入りした最初のアルバムとして紹介されている。(en.wikipedia.org)
しかし、Tom Waitsのキャリアはそこで終わらない。むしろ、真の変貌は1980年代に起こる。1980年に脚本家・音楽家のKathleen Brennanと結婚したことは、彼の音楽に決定的な影響を与えた。彼女との共同作業を通じて、Waitsはそれまでのジャズバー的なスタイルから、より奇怪で実験的な音響世界へと踏み出す。
その転換点が1983年のSwordfishtrombonesである。続く1985年のRain Dogs、1987年のFranks Wild Yearsと合わせて、いわば“変貌の三部作”といえる。Wikipediaの解説でも、WaitsはKathleen Brennanの後押しを受け、Harry PartchやCaptain Beefheartの影響を取り込み、Swordfishtrombones、Rain Dogs、Franks Wild Yearsでより折衷的で実験的な音楽へ進んだと説明されている。(en.wikipedia.org)
以後、彼はBone Machine、The Black Rider、Mule Variations、Alice、Blood Money、Real Gone、Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards、Bad As Meなどを発表し、アメリカ音楽の異端にして巨人としての地位を確立した。
音楽スタイルと影響
Tom Waitsの音楽スタイルは、簡単に分類できない。初期はジャズ、フォーク、ブルース、ビート詩、酒場のバラードが中心だった。しかし1980年代以降は、そこにアヴァンギャルド、キャバレー、クルト・ワイル的な劇音楽、インダストリアルな打楽器、ガラクタ楽器、ワルツ、ゴスペル、カントリー、デルタ・ブルース、ポルカ、サーカス音楽、悪夢のような童謡が混ざる。
彼の音楽で重要なのは、美しく整えないことである。ピアノは少し調子外れに響き、ドラムは鉄くずを叩くように鳴り、ギターは湿った路地裏のように歪み、声はしばしば獣のようにうなる。だが、その不格好な音の中に、深い詩情がある。
影響源としては、Louis Armstrong、Howlin’ Wolf、Captain Beefheart、Kurt Weill、Harry Partch、Bob Dylan、Lead Belly、Charles Bukowski、Jack Kerouac、William S. Burroughs、Raymond Chandler的なハードボイルド文学などが挙げられる。
Britannicaは、Waitsがジャズ、ブルース、ポップ、アヴァンギャルド・ロックを組み合わせ、KerouacやBukowskiの影響を受けた歌詞を持つアーティストだと説明している。(britannica.com) また、彼自身の音楽では、マリンバ、アコーディオン、バス・マリンバ、グラスハーモニカ、バグパイプ、ノコギリ、変則的な打楽器など、一般的なロックではあまり使われない楽器が多用される。
Tom Waitsの音楽は、壊れたものを美しくする。捨てられた音、ひび割れた声、古い物語、路地裏の人々。それらを拾い集め、彼はひとつの奇妙な楽団を作る。
代表曲の解説
「Ol’ 55」
「Ol’ 55」は、1973年のデビューアルバムClosing Timeに収録された初期の代表曲である。のちにEaglesがカバーしたことでも知られる。初期Tom Waitsの中では比較的素直で、メロディも美しい。
この曲には、夜明け前のドライブのような感覚がある。若い頃の恋、車、朝の光、少しだけ切ない別れ。後年のWaitsのようなガラクタ楽器や悪夢的な音響はまだない。だが、すでに夜と孤独への感受性は明確である。
「Ol’ 55」は、Tom Waitsが最初から破壊的な実験家だったわけではなく、非常に優れたメロディを書くソングライターだったことを示す曲である。
「Martha」
「Martha」もClosing Time収録の名バラードである。かつて愛した相手に電話をかける老いた男の歌であり、Waitsの物語作家としての才能がよく表れている。
この曲では、若いWaitsがすでに老いた人物の声を借りている。彼は自分自身を直接歌うより、誰かの人生を演じるように歌うことが多い。「Martha」では、その演劇的なソングライティングが非常に美しい形で表れている。
甘く、静かで、胸を締めつける曲だ。Tom Waitsの荒々しいイメージだけを知っている人にとって、この曲は驚きになる。
「The Heart of Saturday Night」
「The Heart of Saturday Night」は、1974年の同名アルバムを象徴する楽曲である。土曜の夜の高揚、車、街灯、酒場、恋人たち、孤独な人々。アメリカの夜の風景が、映画のように浮かぶ。
この曲のWaitsは、まるで夜の街を歩きながら、すれ違う人々の気配を集めているようだ。土曜の夜は、誰にとっても少し特別で、少し虚しい。楽しさの奥に、日曜の朝の寂しさが見える。
Tom Waitsの初期作品には、こうした都市のロマンチシズムが強い。彼は、成功した人々ではなく、週末の夜だけ少しだけ夢を見る人々を歌った。
「Tom Traubert’s Blues」
「Tom Traubert’s Blues」は、1976年のSmall Changeに収録された名曲である。しばしばTom Waitsの初期最高傑作の一つとされる。曲中にはオーストラリア民謡「Waltzing Matilda」への言及があり、旅、酔い、喪失、孤独が壮大なバラードとして展開される。
この曲のWaitsの声は、すでに深く傷ついている。美しいストリングスと、酔いどれのような歌唱がぶつかり、聴き手の胸に重く沈む。曲はどこか異国の酒場にいるようでありながら、同時に心の中の荒野を歩いているようでもある。
「Tom Traubert’s Blues」は、Tom Waitsの“放浪者の詩人”としての魅力を極限まで示す曲である。
「The Piano Has Been Drinking」
「The Piano Has Been Drinking」は、Tom Waitsのユーモアと酔いどれ美学がよく出た曲である。タイトルからして、「酔っているのは自分ではなくピアノだ」と言い訳しているようで可笑しい。
この曲では、酒場の空気そのものが音になっている。ピアノはよろけ、歌声はぐらつき、言葉は煙のように流れる。だが、単なる酔っぱらいの冗談ではない。そこには、人生の惨めさを笑いに変えるWaitsの知恵がある。
Tom Waitsは、悲しみをただ悲しく歌うだけではない。悲しみの上に帽子をかぶせ、千鳥足で歩かせる。そこが彼の魅力である。
「Jersey Girl」
「Jersey Girl」は、1980年のHeartattack and Vineに収録された曲で、Bruce Springsteenがカバーしたことでも有名である。Waitsの中では比較的ストレートなラブソングであり、初期から中期への橋渡しのような作品である。
この曲には、優しさがある。Tom Waitsはしばしば暗く、奇怪で、汚れた世界を歌うが、彼の根底には非常にロマンチックな部分がある。「Jersey Girl」は、その柔らかい側面をよく示す。
Springsteenがこの曲を歌ったことからも分かるように、Waitsのソングライティングにはアメリカン・ロックの普遍性もある。彼は異端でありながら、心を打つメロディを書く正統派でもある。
「Underground」
「Underground」は、1983年のSwordfishtrombonesの冒頭曲である。この曲から、Tom Waitsの音楽は大きく変わる。もはやジャズクラブの酔いどれピアニストではない。地下世界の怪物たちを率いる奇妙な楽団の団長である。
曲は短く、異様で、低くうなる声と不気味なリズムが印象的だ。まるで地下鉄の奥、下水道、廃工場、サーカス小屋が一つになったような音がする。
「Underground」は、Waitsの再発明を宣言する曲である。ここから彼は、アメリカ音楽の裏側にある怪奇、滑稽、呪術的な世界へ深く潜っていく。
「Shore Leave」
「Shore Leave」は、Swordfishtrombonesの中でも特に映像的な楽曲である。港、兵士、異国の街、孤独、夜の空気が、断片的な言葉と不穏な音で描かれる。
この曲では、Tom Waitsの物語はより映画的になっている。はっきりしたストーリーを説明するのではなく、光景の断片を並べる。聴き手は、古いフィルムを見ているような気分になる。
「Rain Dogs」
「Rain Dogs」は、1985年の同名アルバムを象徴する楽曲である。雨に濡れた犬たち、帰る場所を失った人々、街をさまよう者たち。そのイメージは、Tom Waitsの世界そのものだ。
PitchforkはRain Dogsについて、Waitsが初期のシンガーソングライター的な姿から離れ、前衛的な楽器編成とニューヨークの周縁的な人物像を組み合わせた創造的頂点として評価している。(pitchfork.com)
この曲では、アコーディオンやパーカッションが奇妙に鳴り、酒場の行進曲のような雰囲気がある。悲しいのに踊れる。滑稽なのに胸が痛い。Tom Waitsの音楽の核心がここにある。
「Downtown Train」
「Downtown Train」は、Rain Dogsに収録されたWaitsの代表的なバラードである。Rod Stewartのカバーでも広く知られる。Tom Waitsの中では比較的ポップで、メロディの美しさが際立つ曲である。
夜の列車、都市、恋、届かない想い。こうしたイメージは初期Waitsにも通じるが、「Downtown Train」ではより大きなスケールで描かれる。荒れた声が美しいメロディを歌うことで、曲はただのラブソングではなく、都会の孤独の賛歌になる。
「Clap Hands」
「Clap Hands」は、Rain Dogsの中でもリズムの不気味さが際立つ曲である。手拍子、奇妙な打楽器、呪文のような歌。まるで廃墟で開かれる夜の儀式のようだ。
この曲では、Tom Waitsの打楽器への執着がよく表れている。普通のドラムではなく、金属、木材、骨、足音のような音が曲を作る。彼にとってリズムは、身体の奥から出る原始的な衝動である。
「Hang Down Your Head」
「Hang Down Your Head」は、Tom Waitsのバラードメーカーとしての側面が出た楽曲である。荒々しい音響の中に、こうした素朴で美しい歌があるから、彼の作品は深い。
この曲には、慰めと諦めがある。頭を垂れ、悲しみを受け入れる。だが、その悲しみはどこか優しい。Tom Waitsは、人生の敗者を笑い者にしない。彼は彼らの隣に座り、しわがれた声で歌う。
「Way Down in the Hole」
「Way Down in the Hole」は、1987年のFranks Wild Yearsに収録された楽曲で、のちにドラマThe Wireのテーマ曲としても知られる。ゴスペルとブルースが混ざったような曲で、悪魔、誘惑、救済のイメージが強い。
この曲は、Waitsの宗教的な感覚を示している。彼は正統的な賛美歌を書くわけではないが、罪と救い、悪魔と祈り、地獄と希望に強い関心を持っている。「Way Down in the Hole」は、泥の中から聞こえるゴスペルである。
「I Don’t Wanna Grow Up」
「I Don’t Wanna Grow Up」は、1992年のBone Machine収録曲である。タイトルは「大人になりたくない」。一見すると子どものわがままのようだが、曲はもっと深い。
大人になることは、責任を負い、幻滅を知り、世界の仕組みに従うことでもある。Waitsはそれを拒む。彼の声でこの言葉が歌われると、子どもっぽい反抗であると同時に、人生そのものへの抵抗に聞こえる。
Ramonesがカバーしたことでも知られ、Tom Waitsの曲がパンク的な精神とも共鳴することを示している。
「Goin’ Out West」
「Goin’ Out West」もBone Machine収録の人気曲である。荒々しいギターと、低くうなるWaitsの声が強烈だ。映画的で、悪党の独白のようでもある。
ここでのWaitsは、ハリウッドやアメリカ西部への憧れを、皮肉と暴力性を込めて歌う。成功を求めて西へ向かう男の姿は、アメリカ神話のパロディでもある。格好いいが、同時に滑稽で怖い。
「Jesus Gonna Be Here」
「Jesus Gonna Be Here」は、Bone Machineの中でもゴスペル的な重みを持つ曲である。簡素なリズムと低い声で、イエスが来るという言葉が繰り返される。
この曲の宗教性は、明るい救済ではない。むしろ、埃っぽい道端で最後の希望を待っているような感覚だ。Tom Waitsの信仰表現は、教会のステンドグラスではなく、廃屋の床板の隙間から漏れる光に近い。
「Hold On」
「Hold On」は、1999年のMule Variationsを代表する名曲である。非常にシンプルで、優しく、力強いバラードだ。Mule Variationsはグラミー賞Best Contemporary Folk Albumを受賞した作品としても知られる。Britannicaも、Bone MachineとMule Variationsがそれぞれグラミー賞を受賞したことを記録している。(britannica.com)
「Hold On」には、Tom Waitsの深い優しさがある。人生が壊れかけていても、何かにつかまれ。簡単な言葉だが、Waitsの声で歌われると、その言葉には無数の失敗と夜が積もっている。
この曲は、彼の後期を代表するバラードであり、荒々しい実験家としての顔だけでなく、普遍的な祈りを書く作家としての顔を示す。
「Get Behind the Mule」
「Get Behind the Mule」は、Mule Variationsの重要曲である。タイトルは「ラバの後ろにつけ」といった意味で、農村的で、泥臭く、寓話的な響きがある。
Pitchforkは、Mule Variations25周年に合わせて未発表バージョンが公開された際、Waitsがこの曲を含むアルバムの楽曲を「surreal」と「rural」をかけたような“surrural”なものとして捉えていたと紹介している。(pitchfork.com)
この曲には、農作業、呪文、ブルース、説教、土埃が混ざっている。都会の酔いどれ詩人だった初期Waitsとは違い、ここではアメリカの土そのものから歌が生えているように感じる。
「Chocolate Jesus」
「Chocolate Jesus」は、Mule Variationsの中でもユーモアと宗教的イメージが独特に混ざった曲である。チョコレートのイエスという奇妙な発想が、Waitsらしい。
甘さと信仰、商品と救済、子どものお菓子と宗教的象徴が混ざり、曲は不思議な温度を持つ。Tom Waitsは、神聖なものをからかうが、完全に馬鹿にしているわけではない。むしろ、神聖さが日常のくだらなさの中に宿ることを知っている。
「Hoist That Rag」
「Hoist That Rag」は、2004年のReal Goneを代表する曲である。ラテン風のギター、荒々しいリズム、政治的な緊張感がある。Real Goneは、Waitsの中でも特に荒く、打楽器的で、政治的な作品として知られる。
Wikipediaの解説では、Real Goneは放棄された校舎で録音され、Waitsのビートボックス的な要素や、George W. Bush政権とイラク戦争への怒りを含む政治的な楽曲を収録した作品として説明されている。(en.wikipedia.org)
「Hoist That Rag」は、旗を掲げる曲でありながら、勝利の軍歌ではない。破れた布を掲げるような、敗者の行進である。
「Make It Rain」
「Make It Rain」は、Real Gone収録の力強いブルースロックである。Waitsの声はほとんど叫びに近く、リズムは重く、曲全体に怒りと祈りがある。
雨を降らせろ、という言葉には、浄化、復讐、再生、破壊が含まれている。Tom Waitsのブルースは、単なる伝統への敬意ではない。ブルースを廃工場で叩き直したような、壊れた強さがある。
「Bad As Me」
「Bad As Me」は、2011年の同名アルバムを代表する楽曲である。2026年現在、Bad As MeはTom Waitsの最後の新作スタジオアルバムとして扱われている。Pitchforkも、彼が2011年のBad As Me以降、新作アルバムを出していないことに触れている。(pitchfork.com)
この曲は、後期Waitsらしいユーモアと荒々しさを持つ。自分と同じくらい悪い相手を求めるような歌で、恋愛ソングでありながら、悪党同士の握手のようでもある。
「Bad As Me」には、Tom Waitsのすべてが小さく詰まっている。ブルース、ガラクタのリズム、奇妙なロマンス、笑い、悪意、そして愛である。
アルバムごとの進化
Closing Time
1973年のClosing Timeは、Tom Waitsのデビューアルバムである。後年の怪物的な音楽世界を考えると、驚くほど素直で美しい作品だ。フォーク、ジャズ、ピアノバラードが中心で、声もまだ若く、現在知られる極端なしゃがれ声ではない。
「Ol’ 55」、「Martha」、「I Hope That I Don’t Fall in Love with You」など、メロディの美しい曲が並ぶ。この作品には、深夜の酒場というより、閉店後の静かな部屋の空気がある。タイトル通り、終わりの時間の音楽である。
The Heart of Saturday Night
1974年のThe Heart of Saturday Nightでは、Tom Waitsの都市的なロマンチシズムがより明確になる。車、夜、週末、酒場、恋人たち。彼はアメリカの夜を詩にした。
このアルバムのWaitsは、ビート文学とジャズに強く影響を受けている。Jack Kerouac的な放浪感、夜のドライブ、労働者のささやかな夢が、柔らかいサウンドで描かれる。
Nighthawks at the Diner
1975年のNighthawks at the Dinerは、ライブ録音風の作品であり、Tom Waitsの語り芸が前面に出たアルバムである。タイトルはEdward Hopperの絵画Nighthawksを連想させる。深夜のダイナー、コーヒー、煙草、冗談、孤独な客たち。Waitsの世界観が演劇的に広がる。
この作品では、歌と語りの境界が曖昧になる。彼はシンガーであり、スタンドアップ・コメディアンであり、酒場の詩人であり、怪しい司会者でもある。
Small Change
1976年のSmall Changeは、初期Tom Waitsの代表作である。「Tom Traubert’s Blues」、「The Piano Has Been Drinking」などを収録し、酔いどれジャズ詩人としての彼の姿が完成される。
このアルバムには、ロサンゼルスの夜、落伍者、安酒、ピアノ、サックスがある。だが、その背後には深い観察眼がある。Waitsは、社会の底辺にいる人々をロマン化しすぎる危うさも持つが、同時に彼らへの共感を失わない。
Blue Valentine
1978年のBlue Valentineは、より暗く、映画的な作品である。タイトルからして、甘い恋愛ではなく、傷ついた愛の記録を思わせる。初期のジャズ/ブルース的スタイルの中でも、より陰影が深い。
Waitsはこの時期、声もさらに荒れ、物語もより暗くなる。都会の夜はロマンチックなだけでなく、危険で、疲れた場所になっていく。
Heartattack and Vine
1980年のHeartattack and Vineは、Asylum期の最後に近い重要作である。「Jersey Girl」のような美しいラブソングと、荒々しいブルースロックが同居する。
このアルバムは、初期の酔いどれジャズから、80年代の実験期へ向かう過渡期として聴ける。まだ完全に壊れてはいないが、すでに新しい音への欲望が見える。
Swordfishtrombones
1983年のSwordfishtrombonesは、Tom Waitsのキャリア最大の転換点である。ここで彼は、従来のジャズバー的なスタイルを捨て、奇怪な楽器編成、壊れたリズム、演劇的な歌詞、悪夢のような音響へ進む。
公式サイトのアルバム一覧でも、SwordfishtrombonesはIsland期の重要作として掲載されている。(tomwaits.com) この作品によって、Waitsは単なるシンガーソングライターではなく、音の世界そのものを作る作家になった。
Rain Dogs
1985年のRain Dogsは、多くのファンや批評家からTom Waitsの最高傑作の一つとされるアルバムである。ニューヨークの路地、漂流者、アコーディオン、ギター、打楽器、奇妙なリズムが一体となり、ひとつの都市神話を作っている。
PitchforkはRain Dogsを、Waitsの芸術的変貌を決定づけた作品として評価し、Marc Ribotのギターや多彩な打楽器、ニューヨークの周縁的な人物像が重要だと指摘している。(pitchfork.com)
Rain Dogsは、酔いどれ詩人、サーカスの団長、ブルースマン、劇作家、ガラクタ楽器の発明家としてのTom Waitsがすべて同居する名盤である。
Franks Wild Years
1987年のFranks Wild Yearsは、演劇的な色合いが強い作品である。もともと舞台作品と結びついており、キャラクター、場面、奇妙な物語が曲ごとに現れる。
このアルバムでは、Waitsの音楽はさらに劇場化する。彼は自分自身を歌うより、架空の人物たちの声を借りる。ここに、のちのRobert Wilsonとの舞台作品へつながる流れがある。
Bone Machine
1992年のBone Machineは、死、骨、宗教、暴力、終末感が漂う強烈なアルバムである。Britannicaは、この作品がグラミー賞Best Alternative Music Albumを受賞したと記録している。(britannica.com)
このアルバムの音は乾いている。骨を叩くようなパーカッション、荒れた声、暗いユーモア。「I Don’t Wanna Grow Up」、「Goin’ Out West」、「Jesus Gonna Be Here」など、後期Waitsの代表曲が並ぶ。
Bone Machineは、Tom Waitsが死の影を見つめながら、それを笑いとリズムに変えた作品である。
The Black Rider
1993年のThe Black Riderは、Robert WilsonとWilliam S. Burroughsとの舞台作品に基づくアルバムである。ここでのWaitsは、完全に劇場音楽の世界へ入る。悪魔、契約、銃、寓話、サーカス、キャバレーが入り混じる。
この作品は、通常のロックアルバムとして聴くより、壊れたオペラ、悪夢のミュージカルとして聴くべき作品である。Tom Waitsの演劇性が極端な形で表れたアルバムだ。
Mule Variations
1999年のMule Variationsは、後期Tom Waitsの代表作であり、グラミー賞Best Contemporary Folk Albumを受賞した。Britannicaもこの受賞を記録している。(britannica.com)
このアルバムでは、荒々しいブルース、田舎の寓話、優しいバラードが同居する。「Hold On」、「Get Behind the Mule」、「Chocolate Jesus」など、非常に完成度の高い楽曲が並ぶ。
Pitchforkの当時のレビューでも、Mule VariationsはBone Machine以後の音響を引き継ぎつつ、バラードの美しさも際立つ作品として高く評価されている。(pitchfork.com)
Alice と Blood Money
2002年に同時期に発表されたAliceとBlood Moneyは、どちらもRobert Wilsonとの舞台作品に関係するアルバムである。Aliceはより夢幻的で哀しく、Blood Moneyはより暗く毒を含む。
この時期のWaitsは、劇音楽、キャバレー、ヨーロッパ的な退廃、寓話性をさらに深める。彼の音楽は、アメリカの路地裏から、悪夢の劇場へ移動したように感じられる。
Real Gone
2004年のReal Goneは、Waitsの中でも特に荒々しい作品である。ピアノがほとんど使われず、ビートボックス、打楽器、ギター、声のリズムが前面に出る。政治的な色も強く、イラク戦争やBush政権への怒りがにじむ。
Wikipediaの解説でも、Real GoneはWaitsの最も荒々しい作品の一つであり、ビートボックスや政治的な楽曲を含むアルバムとして紹介されている。(en.wikipedia.org)
Orphans: Brawlers, Bawlers & Bastards
2006年のOrphans: Brawlers, Bawlers & Bastardsは、3枚組の大規模なコンピレーションである。タイトル通り、荒くれ者、泣き虫、ろくでなしの歌が集められている。
この作品は、Tom Waitsの世界の広さを知るのに最適である。激しい曲、バラード、奇妙な語り、カバー、未発表曲が並び、彼の音楽がどれほど多面的かを示す。
Bad As Me
2011年のBad As Meは、現時点でTom Waitsの最後のオリジナル・スタジオアルバムである。長いキャリアを総括するように、ブルース、ロック、バラード、奇怪なリズムが凝縮されている。
この作品では、Waitsは年齢を重ねてもなお、奇妙で、荒々しく、ロマンチックである。老いたから丸くなったのではない。むしろ、余計なものを削ぎ落とし、自分の世界をさらに濃縮したようなアルバムである。
俳優としてのTom Waits
Tom Waitsは、俳優としても独特の存在感を持つ。映画では、主役というより、画面の片隅に現れるだけで空気を変えるタイプの俳優である。Jim Jarmusch作品への出演でも知られ、Down by Law、Coffee and Cigarettes、The Imaginarium of Doctor Parnassus、Seven Psychopaths、The Ballad of Buster Scruggsなど、多くの作品で個性的な役柄を演じてきた。
彼の俳優としての魅力は、音楽と同じく、完璧に整っていないところにある。顔、声、姿勢、沈黙。そのすべてがキャラクターになる。Tom Waitsは、歌の中で架空の人物を演じてきたアーティストであり、映画の中でも同じように、奇妙で忘れがたい人物を生きる。
Pitchforkは、Waitsが2011年のBad As Me以降、新作アルバムを出していない一方で、映画出演などの活動は続けていると報じている。(pitchfork.com)
Kathleen Brennanとの共同作業
Tom Waitsの音楽を語るうえで、妻であり共同制作者であるKathleen Brennanの存在は欠かせない。1980年の結婚以降、彼女はWaitsの音楽的変貌に深く関わってきた。彼自身も、Brennanが自分の音楽的関心を統合するうえで大きな役割を果たしたと語っている。
Wikipediaのバイオグラフィーでは、WaitsがBrennanの影響と共同作業によって、より折衷的で実験的な音楽へ進んだことが説明されている。(en.wikipedia.org) 彼女は単なるミューズではない。共同作詞、構成、世界観の形成に関わる重要な創造的パートナーである。
Tom Waitsの1980年代以降の作品が、単なるスタイル変更ではなく、根本的な芸術的再発明になった背景には、Brennanとの対話がある。
影響を受けたアーティストと文学
Tom Waitsは、音楽だけでなく文学からも強い影響を受けている。Jack Kerouac、Charles Bukowski、William S. Burroughs、Nelson Algren、Hubert Selby Jr.など、アメリカのアウトサイダーや都市の底辺を描いた作家たちの影が濃い。
音楽的には、Louis Armstrong、Howlin’ Wolf、Lead Belly、Bob Dylan、Kurt Weill、Harry Partch、Captain Beefheartなどが重要である。彼はこれらの影響を、単なる引用ではなく、自分の奇妙な音楽劇へと組み込んだ。
Tom Waitsの歌詞は、小説の一場面のようである。説明しすぎず、断片を置く。人物が現れ、消える。聴き手は、知らない街の安ホテルに置き去りにされたような気分になる。
影響を与えたアーティストと音楽シーン
Tom Waitsの影響は非常に広い。Nick Cave、PJ Harvey、Beck、Primus、The National、RadioheadのThom Yorke、Elvis Costello、Bruce Springsteen、Frank Black、Sparklehorse、Gogol Bordello、16 Horsepower、そして無数のオルタナティブ/インディ/フォーク/実験音楽のアーティストに影響を与えてきた。
Wikipediaのレガシー欄でも、Waitsの影響はBeck、PJ Harvey、Thom Yorkeなどの先鋭的なアーティストに見られるとされ、Bob DylanもWaitsを自身の“secret heroes”の一人と呼んだと紹介されている。(en.wikipedia.org)
また、彼の曲は多くのアーティストにカバーされている。Rod Stewartの「Downtown Train」、Eaglesの「Ol’ 55」、Bruce Springsteenの「Jersey Girl」などは、Waitsの曲が異端でありながら、普遍的なメロディを持つことを示している。
同時代アーティストとの比較
Tom Waitsは、Bob Dylan、Leonard Cohen、Nick Cave、Randy Newman、Captain Beefheart、Lou Reed、Bruce Springsteenなどと比較できる。
Bob Dylanとは、アメリカの詩的ソングライターとして共通点がある。しかしDylanがフォークとロックの言葉を変えたとすれば、Waitsは酒場、劇場、ブルース、ガラクタ楽器を使って、別のアメリカ神話を作った。
Leonard Cohenが静かな祈りと官能を歌うなら、Tom Waitsは泥と煙と笑いの中で祈る。Nick Caveがゴシックな暴力と宗教性を持つなら、Waitsはもっと滑稽で、もっとサーカス的で、もっとアメリカの埃っぽい路地に近い。
Bruce Springsteenが労働者階級の大きな夢と挫折を歌うなら、Waitsはその夢からこぼれ落ちた人々、夜の終わりにまだカウンターに座っている人々を歌う。
ファンや批評家からの評価
Tom Waitsは、商業的な巨大ヒットよりも、批評的評価とカルト的支持によって評価されてきたアーティストである。彼の作品は聴きやすいものばかりではない。むしろ、声も音も奇怪で、最初は拒絶されることも多い。しかし、一度その世界に入ると、他では代替できない。
2011年にはRock and Roll Hall of Fameに殿堂入りした。Rock Hallは、彼をアウトサイダーや漂流者を歌う現代の吟遊詩人として紹介している。(rockhall.com) これは、彼がメインストリームの中心ではなく、周縁から音楽史を変えた人物であることを示している。
批評家からは、アメリカの孤独を描く作家、ポストDylan世代の最重要ソングライター、音響の錬金術師として評価されている。彼の作品は、アルバムごとに違う顔を持つが、どれもTom Waits以外には作れない。
Tom Waitsのユニークさ
Tom Waitsのユニークさは、壊れたもの、汚れたもの、忘れられたものを、音楽の中心に置いたことにある。
彼は、美しい声で歌わない。整ったアレンジを好まない。成功者の物語を書かない。むしろ、酔いどれ、失敗者、道化、怪物、迷子、安ホテルの住人たちを歌う。だが、彼は彼らを見下さない。むしろ、彼らの中に詩と尊厳を見つける。
Tom Waitsの音楽は、まるで壊れたオルゴールと錆びたブルースバンドが、深夜の廃工場で一緒に演奏しているようだ。だが、その奇妙な音の奥には、信じられないほど美しいメロディが隠れている。
彼は、醜さの中に美しさを見つけるアーティストである。だからこそ、唯一無二なのだ。
まとめ
Tom Waitsは、アメリカ音楽の異端にして巨人である。初期のClosing TimeやSmall Changeでは、ジャズ、フォーク、ブルース、ビート文学を背景に、夜の街と酔いどれたちの物語を歌った。1983年のSwordfishtrombones以降は、Kathleen Brennanとの共同作業を通じて、ガラクタ楽器、奇怪なリズム、演劇的な歌詞、悪夢のような音響を取り込み、自分だけの音楽世界を築いた。
「Tom Traubert’s Blues」では放浪者の悲しみを、「The Piano Has Been Drinking」では酔いどれのユーモアを、「Rain Dogs」では帰る場所を失った人々の行進を、「Downtown Train」では都会の孤独を、「I Don’t Wanna Grow Up」では大人になることへの抵抗を、「Hold On」では壊れかけた人生への祈りを歌った。
Tom Waitsの音楽は、美しく整った部屋ではなく、雨漏りする屋根裏、閉店後のバー、港町の裏通り、サーカスのテント、砂ぼこりの道にある。そこには、社会の中心からこぼれ落ちた人々がいる。彼はその人々に声を与えた。
その声は、ざらざらで、低く、時に恐ろしく、時に笑える。だが、そこには誰よりも深い人間味がある。Tom Waitsとは、壊れた世界の片隅から、まだ歌が聞こえることを証明し続けるアーティストである。

コメント