
発売日:2015年4月27日
ジャンル:Alternative Rock / Indie Rock / Art Rock
概要
Blurの8作目『The Magic Whip』は、2003年の『Think Tank』以来約12年ぶり、グレアム・コクソンが全編に参加するアルバムとしては1999年の『13』以来となった作品である。発端は2013年、フェスティバル出演の合間に香港で生じた空き時間だった。バンドはAvon Studiosに入り、明確なアルバム制作計画を立てずにセッションを実施。その録音を後にコクソンとプロデューサーのスティーヴン・ストリートが整理し、デーモン・アルバーンが香港へ戻って歌詞を仕上げることで一枚の作品になった。
その経緯から、過去のBlurを単純に再現する再結成アルバムにはなっていない。コクソンの歪んだギター、アレックス・ジェームスのよく動くベース、デイヴ・ロウントゥリーの堅実なドラムというバンド本来の音に、アルバーンがソロ活動やGorillazで深めた電子音や余白の多いアレンジが混ざる。歌詞の背景には香港の高層建築、交通、広告、監視、消費文化などの都市風景があり、その中で孤独や故郷への距離を観察する視点が目立つ。若い頃の英国社会を皮肉ったBlurとは違い、異国の巨大都市を歩く中年の旅行者という距離感が、本作独自の静かな緊張を生んでいる。
全曲レビュー
1. 「Lonesome Street」
軽快なギターと弾むベース、勢いのあるドラムによって、まずはBlurらしいギター・ポップを正面から聞かせる。コクソンのコーラスも入り、明るい曲調だけを取れば90年代のバンドへ戻ったようにも聞こえるが、歌詞には都市生活を眺める醒めた視線がある。交通や日常の断片が次々に現れ、活気のある街にいながら題名は「孤独な通り」だ。懐かしいバンド・サウンドと現在の疎外感を重ねることで、単純な復活宣言になることを避けている。
2. 「New World Towers」
電子的な鍵盤と抑えたリズムの上で、アルバーンが力を抜いて歌う。高層建築と人工的な光に包まれた香港の夜景を思わせる曲だが、その眺めは未来への無邪気な期待にはつながらない。美しく整備された都市を少し離れた位置から観察し、人間の生活が巨大な建物やシステムの中へ吸収される感覚を残す。冒頭曲のバンドらしい勢いをすぐに落とし、本作がブリットポップ期の再現ではないことを明確にする一曲である。
3. 「Go Out」
太いベースと機械的なリズムに、コクソンのギターがノイズの塊として絡む。ギターはコードをきれいに鳴らすより、擦れた音や急なフィードバックを差し込み、曲の居心地を意図的に悪くしている。歌詞では一人で外出し、一人で飲食するような都市生活が描かれ、「外へ出る」という行為が社交性ではなく孤独と結びつく。キャッチーなサビを持ちながら、演奏には『Blur』や『13』の実験的な側面が戻っている。
4. 「Ice Cream Man」
軽い電子音と玩具のような音色が反復され、題名に似合う甘さを作る一方、その楽しさには妙な人工性がある。アイスクリームという消費のイメージが、広告や商品に囲まれた都市の風景と結びつき、無邪気な幸福がそのままでは成立しない。アルバーンの声も大きく感情を出さず、少し距離を置いて状況を眺める。耳当たりのよいポップと薄い不安を同じ場所へ置く、後期Blurらしい曲である。
5. 「Thought I Was a Spaceman」
宇宙飛行士になったと思っていた、という奇妙な題名を持つ長めの曲で、電子音と低いリズムからゆっくり景色を広げていく。歌詞には移動、距離、方向感覚の喪失を思わせる像が現れ、見知らぬ都市にいる感覚が宇宙空間へ置き換えられたように聞こえる。後半ではコクソンのギターを含む音が次第に厚くなり、静かな漂流からバンド演奏へ変化する。セッション由来の自由な構造を、完成された曲へ整理した本作の制作方法がよく表れている。
6. 「I Broadcast」
アルバム中でも特に短く速い曲で、鋭いギターとドラムが休まず前へ進む。タイトルにある「broadcast」は、自分を外部へ発信する行為を示し、デジタル時代の情報伝達や自己公開を連想させる。細かな説明を加えるより、短いフレーズを勢いよく繰り返すことで、常に何かを発信し続ける落ち着かなさを音へ変えている。前曲の長い漂流を断ち切るような配置で、アルバム中盤に必要な速度を与える。
7. 「My Terracotta Heart」
コクソンの柔らかなギターと抑えたリズムを背景に、アルバーンが壊れやすい人間関係について歌う。テラコッタの心という題名は、硬そうに見えて衝撃を受ければ割れるものとして感情を捉えた比喩であり、長年続く関係の不安を思わせる。Blur内部の関係を連想させる部分もあるが、特定の実話だけに限定せず読むことができる。都市観察が中心だった前半から、より個人的な脆さへ焦点を移す静かな転換点である。
8. 「There Are Too Many of Us」
行進するようなドラムと規則正しいシンセが反復され、個人より集団が動いているような硬いリズムを作る。「私たちは多すぎる」というサビは人口過密、都市化、社会の画一化など複数の意味へ開かれており、歌詞にも人間が密集しながら互いに孤立する感覚がある。メロディは美しいが、演奏は意図的に冷たく整えられている。大都市を眺める本作の視点が、最も明確な社会的スケールまで広がる曲だ。
9. 「Ghost Ship」
柔らかなギター、滑らかなベース、ゆったりしたリズムによって、本作でも特に温かいグルーヴを持つ。ファンクやソウルを思わせる演奏だが、各楽器は強く主張せず、アルバーンの穏やかな旋律を包む。題名の幽霊船は漂流や不在を連想させ、歌詞にも香港を背景にした移動と親密さが交差する。アルバム全体にある孤独を悲観だけで扱わず、知らない場所を漂うことの心地よさへ変えた一曲である。
10. 「Pyongyang」
北朝鮮の平壌を題材にした曲で、アルバーンが実際に訪れた都市から得た印象が背景にある。静かな鍵盤とギター、広い空間を残したアレンジによって、巨大な建築物の中から人間の姿だけが消えたような感覚を作る。歌詞では記念碑的な都市景観と自然のイメージが重なり、美しさと抑圧的な雰囲気が簡単には分離されない。政治的なスローガンを並べるのではなく、場所を見た人間の不安な記憶としてまとめたところが特徴である。
11. 「Ong Ong」
単純なギター・コードと「ラララ」のコーラスを使った、アルバムで最も素直なポップソングの一つである。長い旅の後で大切な相手のもとへ帰りたいという感情が中心にあり、複雑な都市観察から離れて帰郷への願いを直接的に歌う。メンバーのコーラスが加わることで個人的な歌がバンド全体の合唱へ変わり、後半には明るい開放感が生まれる。意図的なほど簡潔な作りが、それまでの不安定な曲との対比で強く響く。
12. 「Mirrorball」
最後はゆっくりしたリズムと残響の深いギターによって、夜の終わりのような静かな空間を作る。ミラーボールは周囲の光を反射して景色を断片化する存在であり、さまざまな都市の像を観察してきたアルバムの終幕によく似合う。アルバーンは結論を力強く歌い上げず、声も演奏も余白を残したまま進む。「Ong Ong」で生まれた帰還の高揚をもう一度静め、旅の記憶だけを残すように作品を閉じる。
総評
『The Magic Whip』が再結成作品として興味深いのは、Blurが自分たちの過去を代表曲の様式へ単純化していないことだ。「Lonesome Street」には『Parklife』期を思わせる軽快なギター・ポップがあり、「Go Out」にはセルフタイトル作以降の荒いノイズがある。しかし、それらを懐古的に再演するのではなく、アルバーンが2000年代以降に深めた電子音やミニマルな作曲と混ぜている。そのため、昔のBlurらしさを確認できるのと同時に、13年近い空白期間に各メンバーが別々に経験した音楽も聞こえる。
特にバンドとしての個性を支えているのが、コクソンとジェームスの役割である。コクソンはギターを常に前へ出さず、必要な場所だけでノイズや短い旋律を差し込む。一方、ジェームスのベースは「Lonesome Street」「Go Out」「Ghost Ship」などで曲のメロディを下から動かし、ロウントゥリーは派手さより曲ごとのリズムの性格を正確に作る。アルバーン一人の作品では得られない微妙な衝突が戻ったことで、電子的な曲にもBlur特有の不均衡が生まれている。
歌詞では、90年代のBlurに多かった英国人の階級や生活習慣への風刺から視野が変化した。ここでのアルバーンは香港や平壌を含むアジアの都市を外から訪れた人物であり、自分がその社会を完全に理解しているとは装わない。高層建築、過密、広告、通信といった目に入るものから、現代都市で個人が感じる孤立を拾っていく。その視線が「My Terracotta Heart」や「Ong Ong」の個人的な関係や帰る場所への思いとつながることで、旅行記だけではない感情的な軸ができている。
セッションから偶然始まった作品だけに、全12曲が一つの様式へきれいに統一されているわけではない。しかし、その不均一さはBlurというバンドにはよく合っている。ギター・ポップ、電子音楽、ファンク、静かなバラードが隣り合いながら、四人の演奏とアルバーンの都市を見る視点によって一枚にまとまる。『The Magic Whip』は若い頃の勢いを再現したアルバムではなく、離れていた四人が過去を消さずに現在の音楽へ戻ってきた記録であり、その距離感こそが作品の落ち着いた魅力になっている。
おすすめアルバム
13 by Blur
1999年作。コクソンのノイズ・ギター、電子音、崩れた曲構成を大胆に取り込み、Blurの実験性を押し広げた。『The Magic Whip』の「Go Out」や長尺曲に聞かれる不安定なサウンドの重要な前段階である。
Think Tank by Blur
2003年の前作。コクソンの参加が限定的な一方、電子音、アフリカ音楽からの刺激、余白の多いリズムを強く取り入れている。本作にあるアルバーン主導の音響と、四人のBlurが戻ったことで生じた違いを比較しやすい。
Everyday Robots by Damon Albarn
2014年のアルバーン初のソロ・アルバム。電子音とアコースティックな響きを抑制された形で組み合わせ、テクノロジーと孤独を扱う。翌年の『The Magic Whip』に通じる静かな都市生活への視線が聞ける。
Modern Life Is Rubbish by Blur
1993年作。英国の日常風景を観察しながら、ひねりの効いたギター・ポップへ変えた初期の転換作である。『The Magic Whip』とは時代も場所も違うが、街を観察して人物や社会の距離を歌にするBlurの基本を比較できる。
The Good, the Bad & the Queen by The Good, the Bad & the Queen
2007年作。アルバーンがポール・シムノンらと作り上げた、都市、故郷、政治的不安を静かなアンサンブルで描く作品である。『The Magic Whip』の成熟した視点や、派手なロックより風景と余白を重視する部分につながる一枚だ。

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