
1. 歌詞の概要
「M.O.R.」は、イギリスのロック・バンド、Blurが1997年に発表した楽曲である。
同年リリースの5作目のスタジオ・アルバム『Blur』に収録され、1997年9月15日にシングルとしてリリースされた。作詞作曲のクレジットにはBlurの4人、Damon Albarn、Graham Coxon、Alex James、Dave Rowntreeに加え、David BowieとBrian Enoの名前も含まれている。プロデュースはStephen Streetである。
タイトルの「M.O.R.」は、「Middle of the Road」の略である。
直訳すれば「道の真ん中」。
音楽用語としては、過激でも前衛的でもなく、多くの人に受け入れられる中庸なポップ、つまり「無難な音楽」「大衆向けの音楽」といった意味で使われる。
このタイトルが、まず皮肉である。
1997年のBlurは、まさに「中庸」から逃れようとしていたバンドだった。
1990年代半ばのBlurは、ブリットポップの中心にいた。
「Parklife」「Girls & Boys」「Country House」などで、英国的な風俗や階級意識をコミカルに描き、メディアからも大きな注目を浴びた。
しかし、1997年のアルバム『Blur』では、そのイメージをかなり大胆に壊している。
アメリカのインディー・ロック、ローファイ、ノイズ、オルタナティヴ・ロックの影響を強く受け、以前のような英国風刺の華やかさから距離を置いた。
「Beetlebum」は沈んだサイケデリア、「Song 2」は短く爆発するノイズ・ロック、「On Your Own」はどこか乾いた孤独を抱えたポップ。
その流れの中に「M.O.R.」がある。
曲は、非常に勢いがある。
ギターは荒く、リズムは走り、Damon Albarnのヴォーカルはどこか投げやりに前へ進む。
サビにはコール・アンド・レスポンス的な高揚があり、ライブで叫びたくなるような強さがある。
しかし、タイトルは「中庸」。
つまり、この曲は「普通になってしまうこと」を歌いながら、普通であることから逃げようとする曲なのだ。
歌詞には、移動感がある。
道路、走行、圧力、流れ、どこかへ向かっていく感覚。
しかし、その移動は自由な旅ではない。
むしろ、巨大な流れに押されていくような感覚がある。
プレッシャーにさらされ、道の真ん中へ押し戻される。
尖っていたものが、いつのまにか丸められていく。
反抗していたはずのものが、気づけば安全な場所へ向かっている。
「M.O.R.」は、その危機感をロック・ソングとして鳴らしている。
この曲の面白さは、皮肉が二重になっているところにある。
一方では、「Middle of the Road」的な無難さを批判している。
しかし同時に、曲自体はかなりキャッチーで、シングルとして機能する。
つまり、批判しているはずの大衆性を、自分たちも使っている。
この矛盾がBlurらしい。
彼らはいつも、ポップでありながらポップを疑う。
大衆に届く曲を書きながら、大衆性の気持ち悪さも見ている。
「M.O.R.」は、その自己矛盾をスピードとギターで走り抜ける曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
「M.O.R.」が収録されたアルバム『Blur』は、1997年2月にリリースされた。
このアルバムは、Blurのキャリアの中でも非常に大きな転換点である。
それまでのBlurは、ブリットポップの代表的存在として、イギリス的な言葉遊び、皮肉、観察眼、キャッチーなメロディで知られていた。
しかし、バンド自身はそのイメージに閉じ込められることを嫌がっていた。
特にGraham Coxonは、アメリカのインディー・ロックやローファイ、Pavementなどの音楽に強く惹かれていた。
『Blur』では、その影響がバンド全体に反映され、ギターの音は荒くなり、歌詞の視点も英国社会の風刺から、より個人的で壊れた感覚へ移っていく。
「M.O.R.」は、その新しいBlurの中でも、特にロックンロール的な勢いを持つ曲だ。
ただし、この曲には非常に重要な背景がある。
「M.O.R.」のコード進行やコーラスの構造は、David Bowieの1979年のアルバム『Lodger』に収録された「Boys Keep Swinging」と「Fantastic Voyage」と深く関係している。
BowieとBrian Enoは『Lodger』制作時、同じコード進行を用いて異なる曲を作るという実験を行っていた。
「M.O.R.」はその実験を受け継ぐような形で作られており、結果的にBowieとEnoが作曲クレジットに加えられることになった。
これは単なる盗用問題というより、BlurがBowieとEnoの実験精神を90年代の自分たちの文脈へ持ち込んだ、と見ることもできる。
1979年のBowieは、ベルリン期以降の実験性を保ちながら、ポップとアートの境界を移動していた。
1997年のBlurもまた、ブリットポップの大衆的成功から離れ、もっと不安定で実験的な場所へ進もうとしていた。
その意味で、「M.O.R.」がBowie/Enoの影を背負っていることは、とても象徴的である。
また、シングルとしての「M.O.R.」は、イギリスでUKシングル・チャート最高15位を記録した。
Blurとしては大ヒットというより中規模の成功だが、アルバム『Blur』からのシングルとして、バンドの転換期を印象づける一曲になった。
ミュージック・ビデオも特徴的である。
John Hardwickが監督し、オーストラリアのシドニーで撮影された。
映像では、覆面をかぶったメンバーの替え玉のような人物たちが、警察から逃げ回る。
本物らしさと偽物らしさ、逃走と変装、本人であって本人ではない感じ。
この映像のコンセプトも、「M.O.R.」の持つ自己パロディやメディアへの距離感とよく合っている。
Blurはこの時期、かつての自分たちから逃げようとしていた。
ブリットポップのBlur。
英国的で洒落たBlur。
メディアが作ったBlur。
その仮面をかぶったまま、どこかへ逃走する。
「M.O.R.」は、まさにその逃走の音楽である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の引用は、著作権に配慮し、批評と解説に必要な短い範囲にとどめる。
Here comes the low
和訳:
低いものがやってくる
この冒頭のフレーズは、曲の気分を一気に作る。
「low」は、低さ、落ち込み、低俗さ、低空飛行のような感覚を持つ。
華やかな上昇ではない。
むしろ、地面すれすれを滑るような始まりである。
Blurは以前から「This Is a Low」という曲で「low」という言葉を重要に使っていた。
「M.O.R.」の冒頭にも、この低く沈む感覚がある。
ただし、この曲はバラードのように沈み込むのではない。
低い場所からスピードを上げる。
地面に近いまま、荒く走る。
もうひとつ、タイトルと直結する重要な言葉がある。
Middle of the road
和訳:
道の真ん中
このフレーズが「M.O.R.」の核心である。
「道の真ん中」は、一見すると安全な場所のように思える。
左右どちらにも寄りすぎない。
極端ではない。
無難で、誰にでも受け入れられる。
しかし、ロック・バンドにとって「middle of the road」は危険な言葉でもある。
尖っていない。
冒険していない。
過激さを失った。
反抗が商品になった。
Blurはここで、その状態に対する不安を歌っている。
成功したバンドは、知らないうちに「中庸」へ引き寄せられる。
過去の成功を守ろうとする。
リスナーの期待に応えようとする。
レコード会社やメディアの圧力もある。
そして、かつての鋭さが少しずつ削られていく。
「M.O.R.」は、その削られ方への抵抗のように聴こえる。
さらに印象的なフレーズがある。
Under the pressure
和訳:
圧力の下で
この言葉は、1997年のBlurの状況を強く想像させる。
『Parklife』と『The Great Escape』でブリットポップの代表格となったあと、Blurには大きな期待がかかっていた。
だが、バンドはその期待にそのまま応えるのではなく、自分たちの音を壊しにいった。
「圧力の下で、道の真ん中へ行ってしまう」
そう読めば、この曲は成功したバンドの自己批判としても響く。
引用した歌詞の権利は、各権利者に帰属する。引用は批評と解説を目的とした最小限の範囲で行っている。
4. 歌詞の考察
「M.O.R.」は、成功したバンドが中庸へ落ちていく恐怖を歌った曲である。
ただし、そこにあるのは単純な「売れることは悪い」という態度ではない。
Blurはすでに売れていた。
メディアの中心にいた。
大きな会場で演奏し、多くの人に聴かれていた。
つまり、彼らは大衆性の外から「M.O.R.」を批判しているわけではない。
むしろ、彼ら自身がその中心にいた。
だからこの曲には、自己批判の苦味がある。
「Middle of the Road」という言葉は、音楽的にはかなり嫌な響きを持つ。
とがっていない。
危険ではない。
誰にでも聴ける。
ラジオで流しやすい。
便利で、消費しやすい。
しかし、実際には「誰にでも届く曲」を書くこと自体は悪ではない。
Blurはそれをよく知っている。
彼ら自身、非常にキャッチーな曲を書けるバンドだからだ。
問題は、届くために自分を薄めてしまうことだ。
無難であることが目的になってしまうことだ。
反抗や実験性が、いつのまにか安全な商品に変わることだ。
「M.O.R.」は、その瞬間を嫌がっている。
だから曲のサウンドは、あえて荒い。
ギターはきれいに磨かれていない。
Graham Coxonのギターには、Bowieの「Boys Keep Swinging」で聴けるようなAdrian Belew的な角張ったノイズの影も感じられる。
コード進行はBowie/Enoの実験を引き継ぎながら、Blurはそれを90年代オルタナティヴ・ロックの荒さへ変えている。
つまり、この曲は「中庸」を批判しながら、ポップ・ソングとしての強さも捨てていない。
そこが面白い。
サビは覚えやすい。
ライブで盛り上がる。
シングルとして切れる。
しかし、音の表面は荒れ、歌詞は皮肉を含み、クレジットにはBowieとEnoの実験の影がある。
これは、M.O.R.を批判するために、M.O.R.になりかけるギリギリのところまで行く曲なのだ。
その危うさこそが魅力である。
Damon Albarnのヴォーカルも、ここでは重要だ。
彼はこの曲で、かつてのようにキャラクターを演じる感じを少し減らしている。
『Parklife』期のような英国的な語り部ではなく、もっと雑で、少し投げやりで、ロック・バンドのフロントマンとして声を前に出している。
この歌い方には、脱ブリットポップの空気がある。
Blurは1997年に、自分たちの「英国らしさ」から逃げようとしていた。
「M.O.R.」の疾走感は、その逃走の速度でもある。
ただし、逃げた先が完全な自由かというと、そうでもない。
歌詞には道路のイメージがあり、移動感がある。
でも、それは解放のドライブというより、圧力の下で進む道だ。
どこへ行っても中庸へ戻される。
どこへ行っても、メディアや市場や期待がついてくる。
この閉塞感が、曲の勢いの裏にある。
「M.O.R.」は明るく聴こえる。
しかし、その明るさは少しやけっぱちだ。
笑いながら逃げている。
叫びながら走っている。
でも、本当に逃げ切れるかどうかはわからない。
この感じが、1997年のBlurにはとても合っている。
アルバム『Blur』は、バンドの再出発であると同時に、崩壊の始まりでもある。
その後、1999年の『13』ではさらに内面化し、2003年の『Think Tank』ではGraham Coxonの不在が決定的になる。
そう考えると、「M.O.R.」は、ブリットポップの明るい時代から、その後の不安定な時期へ向かう途中の、かなり重要な曲に聴こえる。
この曲は、まだ走っている。
まだ笑っている。
まだギターは鳴っている。
しかし、その先にある不安も見えている。
だから「M.O.R.」は、単なる勢いのあるロック・シングルではない。
Blurが自分たちの過去から逃げ、同時に大衆性からも完全には逃げられないことを示す、非常に皮肉な曲である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Boys Keep Swinging by David Bowie
「M.O.R.」を理解するうえで最も重要な参照点のひとつである。
同じコード進行の実験やコーラスの感覚が「M.O.R.」に影を落としており、BowieとEnoが『Lodger』で行っていたポップと実験の混合を感じられる。Blurがこの曲から何を受け取ったのかを聴き比べると非常に面白い。
- Fantastic Voyage by David Bowie
こちらも『Lodger』収録曲で、「Boys Keep Swinging」と同じコード進行をもとにした作品である。
「M.O.R.」が疾走するロックに変換した素材が、Bowieの手ではより不穏で美しいポップとして鳴っている。Blurの引用性や実験精神を理解するには欠かせない一曲だ。
- On Your Own by Blur
同じアルバム『Blur』収録のシングルで、ブリットポップ後のBlurの乾いたポップ感がよく出ている。
「M.O.R.」の疾走感に比べると、こちらはよりだるく、少し機械的で、孤独なムードがある。1997年のBlurがどのように過去の自分たちを更新しようとしていたかがよくわかる。
- Song 2 by Blur
『Blur』期の最大のヒットであり、短く爆発するオルタナティヴ・ロックの代表曲である。
「M.O.R.」の荒いギターとポップ性の同居が好きなら、「Song 2」の徹底した瞬発力も響くだろう。ただし、どちらも単なるロック・アンセムではなく、ロックの様式を半分パロディ化している点がBlurらしい。
- Look Back in Anger by David Bowie
Bowieの『Lodger』期の疾走感と不安が強く出た曲である。
「M.O.R.」の荒っぽい推進力、Bowie/Eno的な実験性、ポップと神経質なロックの交差が好きな人には、この曲も自然につながる。Blurが1997年に参照していた精神的な地図を広げてくれる。
6. 中庸へ落ちる恐怖を、あえてキャッチーに鳴らしたBlurの逃走曲
「M.O.R.」は、Blurの中でも少し不思議な曲である。
とても勢いがある。
シングルとしてもわかりやすい。
サビも強い。
ライブ映えする。
しかし、タイトルは「Middle of the Road」。
つまり、無難さ、中庸、大衆向けへの皮肉である。
この矛盾が、この曲のすべてだ。
Blurは1997年に、自分たちが作り上げたブリットポップのイメージから逃げようとしていた。
英国的な風刺、モッズ的な気配、階級社会への皮肉、キャッチーで洒落たポップ。
それらはBlurを成功させた。
しかし同時に、彼らを閉じ込めた。
「M.O.R.」は、その檻から走って逃げる曲のように聴こえる。
ただし、逃げながら彼らはポップを捨てない。
ここがBlurの面白さである。
本当に反商業的であるなら、もっと壊れた曲にもできたはずだ。
しかし「M.O.R.」は、ちゃんと曲として気持ちいい。
歌えるし、走れるし、身体が反応する。
つまり、Blurは「無難なポップ」を批判しながら、「良いポップ・ソング」の力を使っている。
これは矛盾である。
だが、ロック・ミュージックとはしばしばその矛盾の上に立っている。
大衆に届きたい。
でも、大衆向けになりたくない。
売れたい。
でも、売れるために丸くなりたくない。
過去のファンを失いたくない。
でも、過去の自分を繰り返したくない。
「M.O.R.」は、その葛藤をギターで鳴らした曲なのだ。
David BowieとBrian Enoのクレジットが入っていることも、この曲の性格を決定づけている。
Bowieは、ポップ・スターでありながら、自分のイメージを何度も壊した人だった。
Enoは、ポップの中に実験を持ち込む発想を広げた人だった。
1997年のBlurが彼らの影を背負ったことは、偶然以上の意味を持つ。
Blurもまた、人気バンドでありながら、自分たちのイメージを壊そうとしていた。
「M.O.R.」は、その試みをBowie/Enoの文脈へ接続する曲である。
そして、その試みは完全には美しくない。
曲は少し雑だ。
少しやけっぱちだ。
少し皮肉が強い。
でも、それがいい。
きれいに整った変身ではない。
途中で息を切らしながら、古い衣装を脱ぎ捨てて走っているような音がする。
「M.O.R.」の魅力は、その荒い速度にある。
かつてのBlurのように英国社会を外から眺めるのではなく、自分たち自身が批評の対象になっている。
自分たちもまた、商品化され、期待され、道の真ん中へ引っ張られている。
そのことに気づいたバンドが、全力で横へ逸れようとしている。
でも、逸れようとする動きさえ、シングルとして売られていく。
この皮肉は深い。
「M.O.R.」は、Blurが完全に勝利した曲ではない。
むしろ、戦っている最中の曲である。
中庸に落ちたくない。
でも、中庸の重力は強い。
過去の自分を捨てたい。
でも、その過去によって今の自分がある。
Bowieのように変化したい。
でも、自分たちはBlurでしかない。
その葛藤が、曲のスピードを生んでいる。
だからこの曲は、今聴いても単なる1997年のロック・シングルとしてだけでは終わらない。
成功したアーティストが、自分の成功にどう抵抗するのか。
ポップでありながら、どうやってポップの無難さを避けるのか。
その問いは、今も変わらず生きている。
「M.O.R.」は、その問いに明確な答えを出してはいない。
ただ、走る。
ギターを鳴らす。
Bowieの影をまといながら、Blur自身の焦りをぶつける。
その姿が、なんとも人間くさい。
「M.O.R.」は、道の真ん中へ押し戻されそうなバンドが、ハンドルを切って逃げようとする曲である。
完全には逃げ切れない。
でも、その瞬間のタイヤのきしみが、今もかっこいい。
参照情報
- Wikipedia – M.O.R.
- Official Charts – Blur / M.O.R.
- Discogs – Blur / M.O.R.
- Discogs – Blur / M.O.R.
- YouTube – Blur / M.O.R.
- Pitchfork – Adele’s Confidence and Damon Albarn’s Mistake

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