
発売日:2008年2月26日
ジャンル:ネオ・ソウル、R&B、ヒップホップ・ソウル、サイケデリック・ソウル、エクスペリメンタル・R&B
概要
Erykah Baduの『New Amerykah Part One (4th World War)』は、2008年に発表された4作目のスタジオ・アルバムであり、1990年代後半から2000年代にかけて形成されたネオ・ソウルの流れを、より政治的、実験的、サイケデリックな方向へ押し広げた重要作である。デビュー作『Baduizm』で提示されたジャズ、ソウル、ヒップホップを融合した有機的なサウンドは、本作においてより歪み、断片化し、社会批評と精神世界が交錯する複雑な音響へと変化している。
Erykah Baduは、D’Angelo、Maxwell、Lauryn Hill、The Roots、Jill Scottらと並び、1990年代後半のネオ・ソウルを代表する存在として登場した。彼女の音楽は、Billie HolidayやChaka Khan、Minnie Riperton、Stevie Wonder、P-Funk、ジャズ・ヴォーカル、ヒップホップのビートメイク文化を背景にしながら、黒人女性の精神性、母性、恋愛、都市生活、社会意識を独自の言葉で表現してきた。『Baduizm』がスモーキーでジャジーなソウルの新しい形を示した作品だとすれば、『New Amerykah Part One』は、その美学を一度解体し、より不穏で政治的な音楽空間として再構築したアルバムである。
タイトルの「New Amerykah」は、「America」を変形させた造語であり、アメリカという国家の理念と現実、特に黒人社会が直面する不平等、暴力、貧困、制度的差別を批評的に見つめる視点を示している。「Part One (4th World War)」という副題は、単なる戦争の比喩ではなく、国家、メディア、資本主義、薬物、刑務所制度、教育、精神的支配といった複数の領域で進行する見えにくい戦争を示唆している。ここでの「戦争」は、戦場だけで起きるものではない。都市の路上、家庭、学校、テレビ、警察、宗教、身体、意識の中で続いている。
音楽的には、Madlib、9th Wonder、Shafiq Husayn、Karriem Riggins、James Poyser、Ahmir “Questlove” Thompson、Sa-Ra Creative Partnersら、ヒップホップ/ソウル/実験的ビート・ミュージックの重要人物たちが関わっている。彼らのプロダクションは、整ったR&Bの滑らかさよりも、ざらついたドラム、ループの歪み、アナログ感のあるシンセ、突然のブレイク、コラージュ的な構成を重視している。そのため本作は、一般的なソウル・アルバムというより、政治的意識を持ったヒップホップ・ビート集、あるいはサイケデリックなブラック・ミュージックの音響作品としても聴くことができる。
本作の背景には、2000年代アメリカの社会状況がある。9.11後の監視社会化、イラク戦争、ハリケーン・カトリーナ後に可視化された人種・階級格差、警察暴力、刑務所産業複合体、貧困地域の教育問題などが、アルバム全体の問題意識として反映されている。Erykah Baduはそれらを直接的な政治演説としてではなく、寓話、呪文、断片的な語り、母親としての視点、ストリートの観察、スピリチュアルな言葉を通じて描く。結果として本作は、社会派アルバムでありながら、単純なメッセージ・ソング集にはならず、聴き手に解釈を促す多層的な作品になっている。
『New Amerykah Part One』は、後のオルタナティヴR&Bやエクスペリメンタル・ソウルに大きな影響を与えた。Solange、Janelle Monáe、Kelela、SZA、Jamila Woods、Noname、Thundercat、Robert Glasper周辺の音楽など、黒人音楽が自己表現、政治性、実験性を同時に追求する流れの中で、本作の存在は重要である。R&Bが単なる恋愛歌や商業的なヴォーカル・ミュージックにとどまらず、社会批評と音響実験の場になり得ることを、Erykah Baduは本作で強く示した。
全曲レビュー
1. Amerykahn Promise
冒頭曲「Amerykahn Promise」は、アルバム全体のコンセプトを提示するコラージュ的な楽曲である。もともとは1970年代のファンク・バンドRampの「The American Promise」を下敷きにした曲であり、そのレトロなファンク感覚を、Erykah Baduは現代アメリカへの皮肉として再文脈化している。タイトルの「Amerykahn」という綴りの変形は、アメリカという言葉そのものを異化し、国家が掲げる約束の空虚さを強調する。
楽曲は、ラジオ番組やテレビ番組のような寸劇的構成を持ち、司会者風の声、コール・アンド・レスポンス、ファンクのグルーヴ、サイケデリックな音響が混ざり合う。ここで描かれる「アメリカの約束」は、自由、繁栄、平等といった理想を掲げながら、実際には黒人コミュニティに十分届いていないものとして提示される。音楽は陽気に聴こえるが、その明るさは明らかに皮肉を帯びている。
この曲の重要性は、アルバムが単なる内省的なR&Bではなく、アメリカ社会そのものを舞台にした批評的作品であることを最初に宣言している点にある。1970年代ファンクの政治性、特にSly & The Family Stone、George Clinton、Curtis Mayfield、Stevie Wonderらが持っていた社会意識を、2000年代のヒップホップ以後の感覚で再起動している。華やかなグルーヴの下に、制度への不信、メディアへの批評、歴史の重みが沈んでいる。
2. The Healer
「The Healer」は、本作を象徴する楽曲のひとつであり、Madlibによる重く乾いたビートと、Erykah Baduの呪術的なヴォーカルが融合した異様な存在感を持つ。曲中で繰り返される「Hip hop is bigger than the government」という言葉は、アルバム全体の思想を端的に表している。ここでのヒップホップは単なる音楽ジャンルではなく、国家や制度を超える民衆の記憶、抵抗、治癒、共同体の言語として位置づけられている。
ビートは極端にミニマルで、低音とドラムの隙間が大きく、一般的なR&Bの滑らかさとはまったく異なる。Madlib特有のざらついたループ感は、音楽を完成された商品というより、地下から発掘された儀式の音のように響かせる。Erykah Baduのヴォーカルも、メロディを伸びやかに歌うというより、言葉を刻み、唱え、漂わせるように配置されている。
歌詞の主題は、ヒップホップの本質をめぐる宣言である。商業化されたヒップホップではなく、抑圧された人々の声としてのヒップホップ、知識を伝える手段としてのヒップホップ、精神的な癒やしとしてのヒップホップがここでは語られる。薬物、暴力、貧困、政治的不信に覆われた世界において、音楽は単なる娯楽ではなく、生き延びるための知恵として機能する。
「The Healer」は、2000年代後半以降のオルタナティヴR&Bや実験的ヒップホップに強い影響を与えた。歌の美しさよりも、声の霊的な存在感、ビートの荒さ、メッセージの重さを優先するその姿勢は、Erykah Baduがネオ・ソウルの枠を超え、ブラック・ミュージック全体の思想家として振る舞っていることを示している。
3. Me
「Me」は、タイトル通り自己を見つめる楽曲である。しかし、ここでの「私」は単なる個人的な自画像ではない。Erykah Baduは、自身の身体、母性、人生経験、社会的視線、アーティストとしての役割を重ねながら、黒人女性として存在することの複雑さを描く。アルバム全体が社会批評に向かっている中で、この曲はその社会を生きる主体の内面を提示する役割を持つ。
音楽的には、ゆったりとしたグルーヴと柔らかなコード感が中心だが、サウンドは決して滑らかすぎない。ドラムにはヒップホップ的な重さがあり、ヴォーカルの周囲には少し濁った音響が広がる。この濁りは、本作のテーマと深く結びついている。自己を語ることは、透明で整った自己像を提示することではなく、矛盾や傷、迷いを含んだ存在を引き受けることだからである。
歌詞では、Erykah Badu自身の変化や葛藤が扱われる。母としての役割、女性としての身体、世間からの評価、スピリチュアルな成長が、断片的に語られる。彼女は自分を神秘的な存在として演出する一方で、非常に現実的な身体性や生活感も隠さない。この二重性が、Erykah Baduというアーティストの重要な特徴である。
「Me」は、アルバムの政治性を個人のレベルへ引き戻す曲である。社会を変えること、共同体を癒やすこと、国家を批評することは、抽象的な理念だけでは成立しない。まず、自分自身の存在を見つめ、その矛盾を受け入れることから始まる。この曲は、その出発点を静かに提示している。
4. My People
「My People」は、短いながらも強いメッセージ性を持つ楽曲である。タイトルの「私の人々」は、黒人コミュニティ、抑圧された人々、あるいはErykah Baduが音楽を通じて呼びかける共同体を指している。曲中で繰り返されるフレーズは、祈りや集会のチャントのように機能し、リスナーを個人ではなく集団の一部として捉え直す。
音楽はシンプルで、リズムと声の反復が中心である。ここでは複雑なメロディ展開よりも、言葉の反復による共同体感覚が重視されている。アフリカ系ディアスポラの音楽において、反復は単なる形式ではなく、記憶を共有し、身体を同期させ、集団的な意識を作る手段である。「My People」はその伝統を、現代のヒップホップ/ソウルの文脈で再解釈している。
歌詞の内容は、黒人社会が直面する困難への呼びかけとして読める。貧困、暴力、教育格差、精神的疲弊の中で、人々は互いを見失いやすい。しかし、この曲は「人々」を呼び戻し、共同体としてのつながりを再確認しようとする。Erykah Baduの声は、説教者のようであり、同時に母性的でもある。
アルバムの中では、次曲「Soldier」へ向かう導入としても機能している。個人の内省から共同体への呼びかけへ、そして抵抗の姿勢へと進む流れの中で、「My People」は短い中継点でありながら、作品の政治的軸を強める重要な曲である。
5. Soldier
「Soldier」は、本作の中でも最も明確に社会批評的な楽曲のひとつである。タイトルの「兵士」は、軍隊の兵士だけではなく、日常生活の中で制度的な圧力と闘う人々を意味している。黒人コミュニティの中で生きる子ども、母親、労働者、囚人、活動家、アーティストが、それぞれの場所で「戦争」に巻き込まれているという認識が、この曲の根底にある。
サウンドは重く、緊張感がある。ビートは前進するが、明るい解放感よりも、足元にまとわりつくような重力を持っている。Erykah Baduの歌唱は、怒りを直接叫ぶのではなく、冷静な観察と警告のトーンを保つ。その抑制によって、歌詞の内容はより鋭く響く。
歌詞では、学校、刑務所、政治、警察、社会的無関心といった問題が示唆される。子どもたちが十分な教育を受けられず、若者が犯罪化され、コミュニティが内側から疲弊していく状況に対し、Baduは目をそらさない。彼女の視点は、単なる外部からの批判ではなく、内部からの呼びかけである。共同体への愛があるからこそ、現状への怒りも強い。
「Soldier」は、Curtis MayfieldやMarvin Gayeの社会派ソウルの系譜を、2000年代のヒップホップ・ソウルとして受け継ぐ曲である。ただし、サウンドは過去のソウルの滑らかなオーケストレーションではなく、より断片的で硬質である。この硬さが、2000年代アメリカの閉塞感を的確に表している。
6. The Cell
「The Cell」は、アルバムの中でも特に重いテーマを扱う楽曲である。タイトルの「Cell」は、細胞、独房、組織の単位など複数の意味を持つ。Erykah Baduはこの言葉を通じて、身体の内部、刑務所、社会システム、都市の閉塞感を重ね合わせる。薬物依存、貧困、暴力、収監、病、精神的な拘束が、ひとつのイメージとして結びついている。
音楽的には、ファンク的なベース感とヒップホップ的なドラムが前面に出ているが、曲全体の空気は暗く、圧迫感がある。グルーヴは踊れるが、決して軽くはない。これはP-Funk的なサイケデリック・ファンクの影響を感じさせる一方で、その祝祭性をより不穏な方向へ反転させたものといえる。
歌詞では、コミュニティが内側から蝕まれていく様子が描かれる。ドラッグ、暴力、病、刑務所制度は、個人の失敗としてではなく、社会構造の問題として提示されている。Baduは道徳的な説教ではなく、システムが人々の身体と精神をどのように閉じ込めるかを描く。細胞が病むことと、社会の小単位であるコミュニティが病むことが重ねられている点が重要である。
「The Cell」は、本作の副題である「4th World War」を理解するうえで中心的な曲である。戦争は爆弾や銃だけで行われるのではない。刑務所、医療格差、薬物政策、都市計画、教育制度、経済的排除を通じて、人々の身体にまで入り込む。Baduはその見えにくい戦争を、重く歪んだファンクとして可視化している。
7. Twinkle
「Twinkle」は、本作の中でも構成が複雑で、政治性とサイケデリックな音響が強く結びついた楽曲である。子どもの歌を連想させるタイトルとは対照的に、内容は極めて重い。教育、貧困、犯罪化、制度的差別、精神的混乱といったテーマが、断片的な言葉と不安定なサウンドの中で提示される。
曲は一貫したポップ・ソングの形式というより、複数の場面が接続されたコラージュに近い。ビート、声、効果音、語りが入り混じり、聴き手は安定した足場を与えられない。この不安定さは、曲のテーマそのものを反映している。社会の中で十分な支えを得られない子どもたち、制度の隙間に落ちていく若者たちの感覚が、音楽構造に刻まれている。
歌詞では、教育システムへの批判が重要な位置を占める。知識を得る機会が不平等に配分され、子どもたちが早い段階で社会から切り捨てられる状況が示唆される。Baduは、個人に努力を求めるだけの言説に対し、構造的な不正義を見ようとする。ここでも彼女は、母性的な視点と政治的な視点を結びつけている。
「Twinkle」は、聴きやすいシングル曲ではないが、アルバムの思想的核心に近い楽曲である。甘い子どものイメージを持つ言葉を用いながら、実際には子どもたちを取り巻く過酷な現実を描く。その落差によって、本作の社会批評はより強いものになる。
8. Master Teacher
「Master Teacher」は、本作の中でも比較的メロディアスで、希望の感覚を含んだ楽曲である。Sa-Ra Creative Partnersが関わったサウンドは、浮遊感のあるシンセ、緩やかなグルーヴ、サイケデリックな質感を持ち、アルバム前半の重苦しさに対して、精神的な上昇を感じさせる。ゲスト・ヴォーカルとしてGeorgia Anne Muldrowが関わっていることも、この曲のスピリチュアルな響きを強めている。
中心となるフレーズ「I stay woke」は、後に広く使われる「woke」という言葉の文化的文脈において重要な意味を持つ。ここでの「woke」は、単に政治的に正しいという意味ではなく、眠らされていた意識を覚醒させること、社会の仕組みを見抜くこと、自分自身と共同体の状態に気づくことを意味している。Baduの文脈では、それは精神的覚醒と政治的覚醒の両方を含む。
歌詞には、「理想の世界」への希求がある。そこでは、貧困や差別、暴力が消え、人々が本来の力を取り戻すことが想像される。ただし、この希望は単純な楽観主義ではない。アルバム全体が描いてきた厳しい現実を踏まえたうえで、それでも意識を保ち続けることが重要だと語っている。
「Master Teacher」は、Erykah Baduのスピリチュアルな側面と政治的な側面が最も美しく統合された曲のひとつである。社会を批判するだけでなく、別の未来を想像する力を提示している点で、本作における転換点となっている。
9. That Hump
「That Hump」は、依存や執着をテーマにした楽曲である。タイトルの「Hump」は、乗り越えるべき障害、あるいは身体的・精神的な欲望の山を連想させる。Erykah Baduはこの曲で、薬物、恋愛、快楽、習慣、自己破壊的なパターンから抜け出せない状態を描いている。
音楽は、スロウで重く、ややブルージーな感覚を持つ。ヴォーカルは抑制されているが、言葉の端々に疲労と切実さがにじむ。Baduの歌唱は、技巧的な誇示を避けながら、細かなニュアンスで心理状態を表す。彼女の声は時に冷静で、時に弱さを見せる。この揺れが、依存のテーマとよく合っている。
歌詞では、何かをやめたいのにやめられない、抜け出したいのに戻ってしまうという循環が示される。それは個人の問題であると同時に、社会的な問題でもある。本作において依存は、単なる道徳的な欠陥ではなく、痛みを和らげるための手段として描かれる。したがって、そこからの回復には非難ではなく理解と治癒が必要になる。
「That Hump」は、アルバムの中で個人の傷に焦点を当てる曲であり、「The Cell」などで描かれた社会的病理を内面のレベルで受け止めている。社会が病むとき、個人の身体と精神もまた傷つく。この曲はその関係を静かに示している。
10. Telephone
「Telephone」は、J Dillaへの追悼として知られる楽曲であり、アルバムの中でも特に深い感情を持つ終盤の重要曲である。J DillaはErykah Baduと同時代のネオ・ソウル/ヒップホップを支えた重要なプロデューサーであり、The Soulquarians周辺の音楽に決定的な影響を与えた存在である。彼の死は、2000年代のブラック・ミュージックにとって大きな喪失だった。
楽曲のサウンドは柔らかく、浮遊感があり、前曲までの政治的緊張とは異なる親密な空気を持つ。電話というモチーフは、現世とあの世、残された者と旅立った者をつなぐ象徴として機能する。Baduは、死を完全な断絶としてではなく、別の場所への移行として語る。そこにはアフリカ系ディアスポラの霊的感覚、ソウル・ミュージックにおける追悼の伝統が反映されている。
歌詞では、J Dillaが母親に語ったとされる死後のイメージをもとに、魂の旅が描かれる。悲しみはあるが、曲全体は過度に沈痛ではない。むしろ、やさしく送り出すような雰囲気がある。Baduのヴォーカルは祈りに近く、個人的な追悼でありながら、音楽共同体全体の記憶を担っている。
「Telephone」は、本作の政治的・社会的テーマを、死と記憶の次元へ広げる曲である。戦争、制度、貧困、依存、教育といった問題を描いた後に、この曲が置かれることで、アルバムは生者だけでなく、失われた者たちへの応答としても機能する。J Dillaへの追悼は、同時にブラック・ミュージックの継承への誓いでもある。
11. Honey
「Honey」は、アルバムの最後に置かれたボーナス的な位置づけの楽曲であり、本編の重く実験的な流れとは異なる、明るくファンキーな魅力を持つ。9th Wonderによるプロダクションは、温かいソウル・サンプル感と軽快なドラムを特徴としており、Erykah Baduの甘く遊び心のあるヴォーカルを引き立てている。
歌詞は恋愛や魅力をテーマにしており、アルバム本編の政治的な重さから一歩離れた内容になっている。しかし、「Honey」は単なる軽いラブ・ソングではない。Baduの声の使い方、メロディの崩し方、ビートとの距離感には、彼女ならではの個性がある。甘さの中に余裕とユーモアがあり、商業的なR&Bの定型には収まらない。
アルバム全体の文脈では、「Honey」は緊張を解く役割を果たしている。『New Amerykah Part One』は非常に重い作品だが、Baduの音楽は常に遊びや官能性を失わない。黒人音楽の歴史において、政治性と快楽は対立するものではない。ファンクやソウルは、抑圧に対する抵抗であると同時に、身体を楽しませる音楽でもあった。「Honey」はその伝統を思い出させる。
この曲によってアルバムは、完全な暗闇で終わるのではなく、甘さとグルーヴを残して閉じられる。社会を批判し、傷を見つめ、死者を悼んだ後にも、音楽はなお踊り、誘惑し、笑うことができる。その余白が、Erykah Baduというアーティストの大きな強みである。
総評
『New Amerykah Part One (4th World War)』は、Erykah Baduのディスコグラフィの中でも特に実験性と政治性が強い作品であり、ネオ・ソウルというジャンルの可能性を大きく拡張したアルバムである。初期の『Baduizm』がジャズとソウルの温かい融合によって高く評価されたのに対し、本作はよりざらつき、不穏で、音響的にも思想的にも難度が高い。しかし、その複雑さこそが本作の本質である。
アルバム全体を貫くテーマは、アメリカ社会における見えない戦争である。貧困、教育格差、刑務所制度、薬物、メディア、政治的不信、精神的な眠り、コミュニティの疲弊が、楽曲ごとに異なる角度から描かれる。Baduはそれらを単純な告発としてではなく、寓話、チャント、祈り、ファンク、ヒップホップ、追悼、自己分析を通じて表現する。そのため本作は、聴き手に明確な答えを与えるよりも、意識の覚醒を促す作品になっている。
サウンド面では、ヒップホップのビートメイクが中心にありながら、ソウル、ファンク、ジャズ、サイケデリア、電子音楽の要素が複雑に絡み合う。Madlibの荒く土臭いループ、Sa-Raの宇宙的なシンセ感覚、QuestloveやJames Poyser周辺のネオ・ソウル的な演奏性、J Dilla以後の揺れるビート感覚が、本作に独特の重力を与えている。楽曲は必ずしもラジオ向けに整えられておらず、むしろ断片的で、時に粗く、時に儀式的である。その未整理に見える質感が、2000年代アメリカの混乱を音として表している。
Erykah Baduのヴォーカルは、本作において従来以上に多面的である。彼女は歌手であると同時に、語り部、預言者、母、活動家、ヒーラー、観察者として振る舞う。美しく歌い上げることよりも、声をどの位置に置くか、言葉をどのように反復するか、沈黙をどのように使うかが重視されている。この声の使い方は、伝統的なR&Bシンガーの枠組みを超え、ヒップホップ以後のヴォーカル表現として非常に重要である。
本作は、ブラック・ミュージックの歴史との深い対話でもある。Curtis MayfieldやMarvin Gayeの社会意識、Stevie Wonderの精神性、P-Funkの宇宙的ファンク、Nina Simoneの抵抗の歌、J Dillaのビート感覚、The RootsやSoulquariansの有機的な演奏性が、Erykah Baduの視点を通じて再構成されている。しかし、本作は懐古的ではない。過去の遺産を引用しながら、それを2008年の不安定な社会状況に接続している。
後の音楽シーンへの影響も大きい。2010年代以降のR&Bは、The Weeknd、Frank Ocean、Solange、Kelela、SZA、FKA twigsなどによって、ジャンルの境界を大きく拡張していった。その中で『New Amerykah Part One』は、R&Bが実験的で、政治的で、アルバム全体としてコンセプチュアルであり得ることを示した先駆的作品のひとつである。特に、黒人女性アーティストが自己表現と社会批評を結びつける流れにおいて、Baduの存在は極めて重要である。
日本のリスナーにとって、本作は一聴するとつかみにくい部分があるかもしれない。『Baduizm』のようなメロウなネオ・ソウルを期待すると、ビートの粗さ、曲構成の不規則さ、政治的な言葉の密度に戸惑う可能性がある。しかし、ヒップホップのサンプリング文化、ファンクの反復、ジャズ的な即興性、アフロフューチャリズム、社会派ソウルの歴史を意識すると、本作の構造はより鮮明になる。これは単なるR&Bアルバムではなく、黒人音楽の過去・現在・未来を接続する批評的な音響作品である。
『New Amerykah Part One (4th World War)』は、聴きやすさよりも深さ、即効性よりも持続的な問いを重視したアルバムである。政治的な怒り、精神的な覚醒、共同体への愛、個人の傷、死者への祈り、そして音楽による治癒が、複雑に絡み合っている。Erykah Baduは本作で、ネオ・ソウルの女王というイメージを超え、ブラック・ミュージックの思想的継承者としての立場を明確にした。2000年代R&Bの中でも、最も重要で、最も挑戦的な作品のひとつである。
おすすめアルバム
1. D’Angelo – Voodoo
ネオ・ソウルの金字塔であり、J Dilla以後の揺れるビート感覚、ファンク、ゴスペル、ソウル、ヒップホップを融合した重要作。『New Amerykah Part One』と同じく、The Soulquarians周辺の美学を強く反映しており、演奏の人間的な揺らぎと深いグルーヴが中心にある。Erykah Baduの実験性を理解するうえで欠かせない作品である。
2. The Roots – Things Fall Apart
ヒップホップ・バンドとしてのThe Rootsが、社会意識、ジャズ的演奏、ソウルの感覚を高い水準で融合したアルバム。都市の不安、黒人コミュニティの葛藤、知的なリリックが重なり、『New Amerykah Part One』の政治的側面と強く響き合う。Erykah Baduも参加しており、1990年代末から2000年代初頭のネオ・ソウル/ヒップホップの接点を知るうえで重要である。
3. J Dilla – Donuts
J Dillaのビートメイクの革新性を示すインストゥルメンタル・ヒップホップの名作。短いループ、断片的な構成、ソウル・サンプルの再配置によって、ビートそのものが感情と物語を持つことを証明した。『New Amerykah Part One』におけるリズム感や音の粗さ、追悼曲「Telephone」の背景を理解するためにも重要なアルバムである。
4. Funkadelic – Maggot Brain
P-Funkのサイケデリックで政治的な側面を代表する作品。ファンク、ロック、ソウル、宇宙的な思想、黒人社会への批評が混ざり合い、『New Amerykah Part One』のサイケデリック・ソウル的側面に大きくつながる。重く歪んだグルーヴと精神的な解放感が共存する点で、Erykah Baduの音楽的背景を理解する手がかりになる。
5. Solange – A Seat at the Table
2010年代のブラック・アイデンティティ、女性性、癒やし、社会批評を洗練されたR&Bとして提示した重要作。Erykah Baduが切り開いた、黒人女性アーティストによる内省と政治性の統合を、次世代の視点で発展させている。音楽的にはよりミニマルで透明感があるが、共同体、自己肯定、歴史への応答という点で『New Amerykah Part One』と深く関連している。

コメント