
発売日:2012年5月1日
ジャンル:ネオ・サイケデリア/インディー・ロック/ドローン・ロック/クラウトロック
概要
The Brian Jonestown Massacreの『Aufheben』は、2012年に発表されたスタジオ・アルバムであり、Anton Newcombeがベルリンを拠点に活動していた時期の音楽的成果を色濃く反映した作品である。タイトルの「Aufheben」はドイツ語で、「保存する」「廃棄する」「止揚する」といった複数の意味を持つ哲学用語でもある。この曖昧で多義的な言葉は、本作の性格をよく表している。過去のサイケデリック・ロックを受け継ぎながら、それをそのまま再現するのではなく、解体し、別の形へ変化させるアルバムだからである。
The Brian Jonestown Massacreは、1990年代から60年代ガレージ・ロック、The Rolling Stones、The Velvet Underground、The Byrds、Spacemen 3、シューゲイザー、クラウトロックを独自に吸収してきたバンドである。初期作品には荒々しいロックンロールの衝動が強かったが、『Aufheben』ではより国際的で、瞑想的で、音響的なサイケデリアへと向かっている。
本作の特徴は、アメリカ西海岸的なガレージ・サイケだけではなく、ベルリン的な冷たさ、クラウトロック的な反復、東洋音楽的な旋律、ドローン的な持続音が混ざっている点にある。Anton Newcombeの音楽は、もともと過去のロックの記憶を再構成する性格を持っていたが、本作ではその参照範囲がさらに広がり、サイケデリアをより越境的な音楽として提示している。
アルバム全体には、明確なヒット曲を中心に据えるというより、音の流れや質感によってひとつの空間を作る意識が強い。反復するリズム、浮遊するギター、遠くから響く声、異国的な楽器の響きが重なり、聴き手を一定の陶酔状態へ導く。『Aufheben』は、The Brian Jonestown Massacreの中でも特に「旅」と「変容」の感覚が強い作品である。
全曲レビュー
1. Panic in Babylon
冒頭曲「Panic in Babylon」は、本作の方向性を強く示す楽曲である。タイトルの「Babylon」は、旧約聖書的な堕落した都市、あるいはレゲエやラスタファリ文化における抑圧的な体制の象徴として読める。そこに「Panic」が加わることで、現代社会の混乱、権力への不信、都市文明の崩壊感が浮かび上がる。
サウンドは、The Brian Jonestown Massacreらしいサイケデリックな反復を基盤にしながら、どこか中東的な旋律感や呪術的なリズムを含んでいる。歌詞は明確な物語というより、社会的な不穏さを断片的に描く。アルバムの幕開けとして、ロック・バンドの演奏というより、混乱した都市の幻覚を音にしたような印象を残す。
2. Viholliseni Maalla
「Viholliseni Maalla」は、フィンランド語で「敵の土地で」といった意味を持つタイトルである。英語圏のロック・アルバムに突然現れる異国語のタイトルは、本作の越境性を象徴している。The Brian Jonestown Massacreはここで、アメリカやイギリスのロックの文脈だけでなく、ヨーロッパ的な異質感を取り込んでいる。
音楽的には、ドローン的な持続感とサイケデリックなギターが中心で、通常のヴァース/コーラス形式からは距離がある。言葉の意味を完全に理解できなくても、タイトルそのものが不穏な空気を生む。異国の地にいる感覚、敵対的な環境の中を漂う感覚が、音の質感として表れている。
3. Gaz Hilarant
「Gaz Hilarant」は、フランス語で「笑気ガス」を意味する。タイトルからは、酩酊、人工的な快楽、感覚の変化といったイメージが広がる。The Brian Jonestown Massacreの音楽において、ドラッグ的な感覚はしばしば重要な役割を果たすが、この曲ではそれがより軽やかで、奇妙な浮遊感として表現されている。
サウンドは、明るさと不気味さが同居している。リズムは一定で、ギターや鍵盤の響きがゆらゆらと重なる。笑気ガスというタイトルの通り、愉快さの裏側に現実感の薄れや危うさがある。快楽がそのまま幸福につながるのではなく、むしろ感覚の歪みとして立ち上がる点が、このバンドらしい。
4. Illuminomi
「Illuminomi」は、タイトルからして「Illuminati」や「illumination」を思わせる造語的な響きを持つ。秘密結社、啓示、光、陰謀、精神的覚醒といったイメージが重なり、本作の神秘的な側面を強めている。
音楽的には、クラウトロック的な反復とサイケデリックな音響処理が特徴である。一定のリズムが続く中で、ギターや電子音が少しずつ表情を変えていく。The Brian Jonestown Massacreは、劇的な展開よりも、同じパターンの中に微細な変化を生むことを得意としている。この曲はその美学がよく表れたトラックである。
5. I Want to Hold Your Other Hand
タイトルはThe Beatlesの「I Want to Hold Your Hand」を明らかに想起させるが、「Other Hand」とすることで、単なるオマージュではなく、ひねりの効いたパロディや再解釈になっている。60年代ポップへの敬意と、それを斜めに見る姿勢が同時に存在している。
曲調は比較的メロディアスで、アルバムの中では親しみやすい部類に入る。だが、甘いラブソングとして素直に展開するわけではなく、音像にはざらつきとサイケデリックな曖昧さが残る。The Brian Jonestown Massacreにとって60年代ロックは単なる理想郷ではなく、解体し、歪め、現在に引き寄せる素材であることが分かる。
6. Face Down on the Moon
「Face Down on the Moon」は、幻想的でありながらどこか不穏なタイトルを持つ楽曲である。月面にうつ伏せになるというイメージは、宇宙的な孤独、死、現実から切り離された感覚を連想させる。サイケデリック・ロックにおける宇宙的イメージが、ここではロマンティックな飛翔ではなく、奇妙な漂流として表れている。
音楽的には、浮遊するギターと抑制されたヴォーカルが中心で、曲全体に夢の中を歩くような感覚がある。The Brian Jonestown Massacreのサイケデリアは、鮮やかな色彩というより、霞んだ視界や遠い記憶に近い。この曲は、そのぼんやりとした宇宙感をよく示している。
7. The Clouds Are Lies
「The Clouds Are Lies」は、「雲は嘘である」という詩的で不可解なタイトルを持つ。雲は通常、移ろいやすさ、夢、幻想、隠蔽を象徴する。そこに「嘘」という言葉が加わることで、見えているものが信用できないという感覚が強まる。
サウンドは、ゆったりとしたサイケデリック・フォークの質感を持ち、歌詞も断片的である。現実と幻想の境界が曖昧になり、空に浮かぶ雲さえも欺瞞に見える。The Brian Jonestown Massacreの作品では、真実や現実への疑念がしばしば現れるが、この曲はその感覚を象徴的に表現している。
8. Stairway to the Best Party in the Universe
タイトルはLed Zeppelinの「Stairway to Heaven」を連想させるが、「宇宙最高のパーティーへの階段」という表現に置き換えることで、神聖さと俗っぽさ、宇宙的イメージとユーモアが混ざり合っている。The Brian Jonestown Massacreらしい皮肉な引用感覚が強い曲である。
音楽的には、反復するグルーヴとサイケデリックな装飾が中心で、長いトリップの一部のように響く。宇宙的な陶酔を描きながらも、それを完全に神秘化せず、どこか冗談めかしている点が重要である。ロックの神話を参照しつつ、それをずらして見せる楽曲である。
9. Seven Kinds of Wonderful
「Seven Kinds of Wonderful」は、アルバムの中でも比較的明るく、ポップな響きを持つ楽曲である。タイトルには祝祭感があり、複数の魅力や多様な幸福を示しているように読める。
サウンドは軽やかで、メロディも親しみやすい。しかし、The Brian Jonestown Massacre特有の薄い歪みや気だるさがあるため、単純なポップ・ソングにはならない。明るさの中にも、どこか現実からずれたような感覚が残る。本作の中では、サイケデリックな重さを少し和らげる役割を持つ曲である。
10. Waking Up to Hand Grenades
「Waking Up to Hand Grenades」は、目覚めた瞬間に手榴弾があるという極めて不穏なイメージを持つタイトルである。日常と暴力が突然接続されるこの表現は、戦争、テロ、政治的不安、あるいは個人の精神的危機を示していると考えられる。
音楽的には、緊張感を持ちながらも過剰に激しくはならず、むしろ淡々と不安を進行させる。The Brian Jonestown Massacreは、暴力的なテーマを直接的な爆音で表現するのではなく、静かな不穏さとして響かせることが多い。この曲でも、危機は叫びではなく、目覚めた時点ですでにそこにある現実として描かれる。
11. Blue Order/New Monday
「Blue Order/New Monday」は、タイトルからNew OrderやBlue Mondayを連想させる。これは80年代ポストパンク/ニューウェイヴへの遠い参照としても読めるが、The Brian Jonestown Massacreはそれをダンス・ミュージック的に再現するのではなく、自身のサイケデリックな音響の中に溶かし込んでいる。
曲は、反復するリズムと冷たい質感が特徴で、本作の中でもベルリン的な空気が強い。ロックの有機的な荒さよりも、機械的な反復や無機質な響きが前に出る。クラウトロック、ポストパンク、サイケデリアの接点を示す重要な楽曲である。
総評
『Aufheben』は、The Brian Jonestown Massacreが2010年代においてもなお、サイケデリック・ロックを更新し続けていたことを示す作品である。初期のガレージ・ロック的な荒々しさを期待すると、本作はやや静かで、拡散的で、掴みどころがないように感じられるかもしれない。しかし、その曖昧さこそが本作の核心である。
アルバム・タイトルの「Aufheben」は、過去を否定しながら保存し、さらに高い段階へ移すという意味を持つ。本作はまさにその言葉通り、60年代サイケデリア、クラウトロック、ガレージ・ロック、ドローン、東洋的旋律、ヨーロッパ的冷感を一度解体し、新しい音の風景として再構築している。The Brian Jonestown Massacreの音楽が単なるレトロ趣味ではなく、過去のロックを現在に再配置する試みであることがよく分かる。
歌詞やタイトルには、都市の混乱、異国性、幻想、陰謀、酩酊、宇宙、暴力、真実への疑念が散りばめられている。これらは一貫した物語として整理されるのではなく、夢の断片のように並ぶ。そのため、本作は歌詞を追うだけでなく、音の質感や反復に身を委ねることで理解されるタイプのアルバムである。
音楽的には、クラウトロック的な持続性が大きな鍵となっている。曲は劇的に展開するよりも、一定のリズムやコードの中で少しずつ表情を変える。これはロックの爆発力よりも、トランス的な没入感を重視する作りである。Anton Newcombeがベルリンに拠点を置いたことで、The Brian Jonestown Massacreのサイケデリアはよりヨーロッパ的で、冷たく、越境的なものへと変化した。
『Aufheben』は、The Brian Jonestown Massacreの代表作として最初に挙げられることは少ないかもしれない。しかし、バンドの音楽的探求が単なる60年代リバイバルに留まらず、クラウトロックやポストパンク、ワールド・ミュージック的感覚へ広がっていったことを示す重要な一枚である。サイケデリック・ロックを、懐古ではなく変容のプロセスとして聴くための作品といえる。
おすすめアルバム
- The Brian Jonestown Massacre – And This Is Our Music(2003)
反復的なサイケデリアと退廃的な空気を持つ重要作。『Aufheben』の前段階として聴くと、バンドの変化が分かりやすい。
– The Brian Jonestown Massacre – Their Satanic Majesties’ Second Request(1996)
60年代サイケデリアへの偏愛が最も濃く表れた代表作。『Aufheben』のルーツを知るうえで重要。
– Spacemen 3 – Playing with Fire(1989)
ドローンとミニマルな反復による陶酔感を追求した作品。『Aufheben』の持続的なサイケ感と深くつながる。
– Can – Ege Bamyasi(1972)
クラウトロックの反復性と実験性を代表する名盤。本作のリズム感や催眠的な構成を理解するうえで有効。
– The Black Angels – Passover(2006)
2000年代以降のダークなネオ・サイケデリアを代表する作品。The Brian Jonestown Massacre以降のサイケ・ロックの流れを知ることができる。

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