発売日: 2015年11月13日
ジャンル: エレクトロ・ポップ、オルタナティブ・ポップ、シンセ・ポップ
概要
『Shadows』は、Lilly Wood & The Prickが2015年にリリースした3作目のスタジオ・アルバムであり、デビュー以来培ってきたフォーク的感性と、前作『The Fight』で見せた内省的ロックのエッジを融合させながら、“電子音と影の美学”を強く打ち出した作品である。
このアルバムは、世界的にヒットしたRobin Schulzによる「Prayer in C (Remix)」以後に制作され、より広がった国際的注目を受けて、“ヨーロピアン・エレクトロ・ポップとしての表現力”に磨きをかけた内容になっている。
“影”という抽象的なテーマをめぐって、自己の暗部、愛の不確かさ、現代社会の希薄なつながりを描くリリックと、シンセを主体にしたビート／ループ主体のサウンドが組み合わさり、聴き手を“静かに沈み込ませるポップ”へと誘う。
ナビ・ヌールのヴォーカルもこれまで以上にミニマルで、感情を抑えた歌唱がかえって深い印象を残す。
全曲レビュー
1. Box of Noise
ダークで重厚なシンセが印象的なオープニング。
タイトルの通り、“雑音に閉じ込められた箱”という比喩が、現代的な情報過多や孤独を想起させる。
ナビの囁きのような歌声が、密室感を演出する。
2. Shadows
タイトル曲にしてアルバムの核。
“私の中の影”と向き合うことをテーマにした、ミッドテンポのビートポップ。
ループするサウンドと内省的なリリックが、“自己の輪郭の曖昧さ”を繊細に描いている。
3. I Love You
直球のタイトルとは裏腹に、愛の壊れやすさや疑念が主題となっている。
軽やかなシンセ・アレンジと、虚無感のあるヴォーカルのギャップが中毒性を生む。
4. Into Trouble
恋愛における“わざと破滅へ向かうような感情”を歌った、疾走感のあるナンバー。
パーカッシブなビートとアンビエントなバックサウンドが、緊張感を醸し出す。
5. KOKO MOON
幻想的でドリーミーなトラック。
タイトルの“KOKO”は愛称的な響きを持ちつつ、どこか異世界の記号のようでもあり、“現実逃避”を象徴する作品。
6. You Want My Money
物質主義と感情の引き換えについて皮肉たっぷりに歌う楽曲。
レトロ・ファンク的なベースラインがユーモラスに響きながら、冷ややかな批判性を持つ。
7. Cover My Face (Part II)
『Invincible Friends』収録の同曲のセルフ・リプライズ。
よりビートレスで沈み込むようなアレンジとなっており、アルバム全体の“影”のテーマに深く接続する。
8. Blue Hotel
シンセとサックスの混じるアーバンな楽曲。
孤独と退廃を“青いホテル”という寓意に込め、喪失の風景を描き出す。
Lana Del Rey的とも言えるシネマティックな構成が際立つ。
9. Mercy
重めのビートにのせて、“赦し”をテーマに展開するバラード。
祈るような歌唱とディレイの効いたサウンドが、深夜の告解のような情感を生む。
10. Jump In The Lake
閉塞感の中で“湖に飛び込む”という象徴的行動をとる主人公。
逃避と再生、両方の意味を内包するリリックに、ビートとシンセが波のように重なっていく。
11. Never Let You Go
本作でもっともキャッチーなポップ・チューン。
“決して手放さない”という強い決意と、それに伴う不安定さを同時に描く、感情の綱引きのような構成。
12. Play Again
ラストは静かなビートで始まり、徐々に音が重なっていく構成。
“またプレイする”＝“やり直すこと”を、ゲームのように冷静かつ諦観をもって描いており、全編の“影の物語”に静かな終止符を打つ。
総評
『Shadows』は、Lilly Wood & The Prickが“ポップの暗がり”を探る旅に出たアルバムであり、デビュー作や前作にあったインディー・フォークの有機的な側面を一旦脇に置き、エレクトロニックで構築的な美学に寄せた作品である。
ここで描かれている“影”とは、失恋や孤独といった個人の感情にとどまらず、社会的分断、虚無、過剰な情報世界への反発など、より普遍的で現代的なトーンを含んでいる。
ナビ・ヌールのヴォーカルは、囁きにも似た静けさを持ちながら、ときにその静けさが叫びよりも鋭く刺さる。
そしてそれを支えるサウンドは、冷たさと温もり、硬質さと流動性を併せ持つ、非常に緻密な構成がなされている。
本作は決して派手な作品ではない。
だが、心にそっと“影”を落とし、その影と共にいることの意味を問いかけるという点で、きわめて思想的で、静かな余韻を残す作品である。
Lilly Wood & The Prickはここで、“光を歌うこと”から“影と共に生きること”へと、成熟のステップを踏み出したのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Lana Del Rey『Ultraviolence』
影と甘美の交錯。メランコリックな世界観が『Shadows』と響き合う。 - Agnes Obel『Citizen of Glass』
ミニマルで陰影の深いアレンジと、透明感ある歌声が共鳴。 - Beach House『Depression Cherry』
ドリーミーで内省的なシンセ・ポップ。音の浮遊感と感情の曖昧さが共通する。 - CHVRCHES『Every Open Eye』
ビートの強さとエモーショナルな歌詞の対比という構造が、Lilly Woodと似た美学を持つ。 - Christine and the Queens『Chris』
自己探求とジェンダー観の交差するダーク・エレクトロポップ。影をポップに昇華した代表例。
歌詞の深読みと文化的背景
『Shadows』のリリックは、光の不在という意味での“影”ではなく、“自己の中に元から存在していた部分”としての“影”を描いている。
それはユング心理学でいう“シャドウ（抑圧された自我）”に近い概念でもあり、本作ではそれを否定せず、むしろ受け入れるという姿勢が一貫している。
「Shadows」や「Cover My Face (Part II)」では、“見られたくない部分を隠す”ことと、“隠さなければならない社会”への静かな怒りが内包されており、匿名性の高い現代のアイデンティティ不安を映し出す。
また、「You Want My Money」では消費主義や外見至上主義への皮肉が描かれ、「Never Let You Go」では“所有と愛”の境界線が揺らいでいる。
『Shadows』は、単なる“ダークポップ”ではない。
それはむしろ、暗さの中にある本当の人間性をすくい上げようとする、ひとつの詩的ドキュメントなのである。
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