
1. 歌詞の概要
We Do Partiesは、Deerhoofが2012年に発表したアルバムBreakup Songに収録された楽曲である。
のちに同名EPの表題曲としても展開され、ミュージックビデオも制作された。
Deerhoofというバンドを一言で説明するのは難しい。
ノイズポップ、アートロック、インディーロック、実験音楽、ポストパンク、ダンスミュージック。
どの言葉も少し当たっているが、どれかひとつでは足りない。
We Do Partiesも、まさにそういう曲である。
タイトルだけを見ると、かなりシンプルだ。
We Do Parties。
私たちはパーティーをやる。
私たちはパーティーができる。
私たちはパーティーを請け負う。
まるで怪しいイベント業者の看板のようでもあるし、地下の変な集団が掲げるスローガンのようでもある。
しかし、曲を聴くと、そのパーティーは普通のパーティーではない。
キラキラした社交の場ではない。
おしゃれなクラブの夜でもない。
むしろ、壊れかけた機械が人間を踊らせるような、奇妙でぎこちないパーティーである。
歌詞には、Jingotron、Jungletron、love machine、autojubilatorといった、奇妙な造語や機械的な言葉が登場する。
それらは、はっきりした意味を持つというより、音の響きとイメージで動いている。
まるで、古いロボットが祝祭の宣言をしているようだ。
あるいは、スピーカーの奥から、人間ではない何かがこちらへ呼びかけているようでもある。
この曲の歌詞は、恋愛の物語や社会批評をまっすぐ語るタイプではない。
むしろ、言葉がリズムの部品になっている。
音として気持ちいい。
意味として少し変。
口に出すと楽しい。
しかし、どこか不気味。
このバランスがDeerhoofらしい。
Satomi Matsuzakiのボーカルは、ここでも非常に独特である。
彼女の声には、かわいらしさと無表情さ、遊び心と機械的な反復が同時にある。
歌詞の内容が奇妙でも、彼女の声が入ると、曲は妙にポップに聞こえる。
しかし、そのポップさは真っ直ぐな甘さではない。
角があり、急に曲がり、笑っているのか真顔なのか分からない。
We Do Partiesは、パーティーの歌である。
だが、それは陽気な歌ではない。
むしろ、パーティーという言葉そのものを分解している。
人が集まる。
音が鳴る。
身体が動く。
機械が光る。
意味は分からない。
でも、なぜか踊れる。
この曲が描くパーティーとは、コミュニケーションが完全に成立している場所ではない。
むしろ、意味がずれ、身体だけが先に反応する場所である。
Deerhoofは、そういう瞬間を作るのが非常にうまい。
2. 歌詞のバックグラウンド
We Do Partiesが収録されたBreakup Songは、Deerhoofの12作目のスタジオアルバムである。
2012年9月4日にPolyvinylからリリースされ、バンド自身がプロデュースを手がけた。
アルバムタイトルはBreakup Song。
直訳すれば、別れの歌である。
しかし、このアルバムは一般的な意味での失恋アルバムではない。
静かな悲しみを積み重ねる作品でも、涙ながらに過去を振り返る作品でもない。
むしろ、別れという言葉を、破裂、分解、リズムの変化、ジャンルの切断として扱っているようなアルバムだ。
曲は短く、全体で約30分。
だが、その中にノイズ、ダンスビート、シンセポップ、アートロック、ガレージロック、奇妙なコーラスが詰め込まれている。
Breakup Songは、Deerhoofの中でも比較的ダンサブルな作品として聴ける。
ただし、普通の意味で踊りやすいわけではない。
リズムは跳ねる。
だが、足元は急にずれる。
ビートはある。
だが、身体が慣れたころに別の方向へ曲がる。
ポップなメロディが出てきたと思ったら、すぐにノイズや変拍子的な違和感が入り込む。
この落ち着かなさが、Breakup Songの魅力である。
We Do Partiesは、その中でも非常に象徴的な曲だ。
The Quietusはこの曲を、しつこくベースが引っ張る眩しいハイライトとして紹介している。
Drowned in Soundも、ぎくしゃくしたガレージロック的な感触を持ち、インディーディスコでぎこちなくロボットダンスを踊る若者のようなイメージを重ねている。
この評価はとても的確である。
We Do Partiesには、ガレージロックの荒さがある。
しかし、ただ荒いだけではない。
そこに機械的な反復、ダンスミュージックの切れ、Deerhoof特有の変な可愛さが混ざっている。
結果として、この曲は人間のパーティーというより、機械と人間が一緒に踊る場所のように聞こえる。
Deerhoofは、1990年代から活動しているバンドである。
長いキャリアの中で、彼らは常にポップと実験のあいだを行き来してきた。
激しいノイズ。
子どもの歌のようなメロディ。
複雑なリズム。
突然の静寂。
ユーモア。
不穏さ。
異様にキャッチーなフレーズ。
それらが同じ曲の中で共存する。
We Do Partiesは、そうしたDeerhoofの美学をコンパクトにまとめた曲である。
さらに、この曲は2013年にWe Do Parties EPとしても展開された。
EPにはリミックスやボーナストラック、Velvet UndergroundのAll Tomorrow’s Partiesのライブカバーなども含まれていた。
この選曲も面白い。
All Tomorrow’s Partiesは、Andy Warhol周辺の冷たく退廃的なパーティー感覚を持つ名曲である。
DeerhoofがWe Do Partiesの文脈でその曲を取り上げることには、パーティーというテーマへの奇妙な連想がある。
華やかなパーティー。
退廃的なパーティー。
機械的なパーティー。
ぎこちないパーティー。
別れのあとのパーティー。
We Do Partiesは、そのどれにも少しずつ触れている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の権利に配慮し、ここでは短いフレーズのみを引用する。
We do parties
和訳:
私たちはパーティーをやる
このフレーズは、曲のタイトルであり、最も直接的な宣言である。
普通に読めば、イベントを開催するという意味にも取れる。
だが、Deerhoofの曲の中でこの言葉が出てくると、もっと奇妙な響きになる。
私たちはパーティーをする。
私たちは祝祭を作る。
私たちは人を集める。
私たちは音で場を変える。
しかし、その場は必ずしも楽しいだけではない。
この曲のパーティーには、どこか人工的な匂いがある。
機械が人間の代わりに祝っているような感じ。
あるいは、人間が自分を機械に合わせて踊らせているような感じ。
We do partiesという短い言葉は、軽く聞こえる。
だが、その軽さの中に少し奇妙な商業性や自動化された祝祭の匂いもある。
もうひとつ、短いフレーズを挙げる。
love machine
和訳:
愛の機械
この言葉は、曲の中でも非常に印象的である。
love machineという言葉だけなら、ファンクやディスコ、古いポップソングの中にも出てきそうな響きがある。
性的で、少し冗談めいていて、機械と欲望がくっついた言葉だ。
しかし、Deerhoofが歌うと、その言葉はより不思議になる。
愛が機械になる。
機械が愛を生む。
あるいは、愛が自動的に生産される。
そのどれにも聞こえる。
この曲では、愛や祝祭が自然な感情としてではなく、何かの装置によって動かされているように感じられる。
そこに、現代的な不気味さがある。
引用元・権利表記:歌詞はDeerhoofによる楽曲We Do Partiesからの短い引用。歌詞の権利は各権利者に帰属する。
4. 歌詞の考察
We Do Partiesの歌詞は、明確な物語を語らない。
誰かが誰かを愛する。
誰かが別れる。
誰かが悲しむ。
そういうドラマはほとんどない。
かわりにあるのは、奇妙な言葉の機械である。
Jingotron。
Jungletron。
new old machine。
new love machine。
autojubilator。
これらの言葉は、辞書的な意味よりも、響きとイメージで機能している。
特に、tronという語尾が重要だ。
英語圏では、機械や電子装置、ロボット的なものを連想させる語尾である。
JingotronやJungletronは、実在しない装置の名前のように聞こえる。
その装置が、何かを告げる。
スピーカーの中から来る。
そして、パーティーを始める。
この構造は、かなり不思議だ。
歌詞の語り手は、人間なのか。
機械なのか。
スピーカーの中の声なのか。
それとも、パーティーを制御する奇妙なシステムなのか。
はっきりしない。
だが、その曖昧さこそが面白い。
現代のパーティーは、そもそも機械なしには成立しにくい。
スピーカー、マイク、照明、シンセサイザー、DJ機材、スマートフォン、配信、録音、アルゴリズム。
私たちは人間同士で集まっているようで、実際には大量の機械に囲まれて祝祭を作っている。
We Do Partiesは、その状態を極端に漫画化しているようにも聞こえる。
パーティーをやっているのは人間なのか。
それとも機械なのか。
楽しいのは自分の感情なのか。
それとも、音響装置が作った自動的な高揚なのか。
この曲は、そういう問いを、難しい言葉ではなく、変な造語とリズムで投げてくる。
特にautojubilatorという言葉は面白い。
jubilateは喜ぶ、歓喜するという意味を持つ。
autoがつけば、自動的に喜ぶ装置、自動歓喜機のように読める。
自動で喜ばせる機械。
無料で使える祝祭装置。
そう考えると、この曲のパーティーはかなり奇妙だ。
喜びが自動化されている。
祝祭がサービス化されている。
楽しさが装置によって供給されている。
これは、少し笑える。
しかし、少し怖い。
現代人は、本当に自分で喜んでいるのか。
それとも、喜ばされているのか。
Deerhoofは、その問いを説教として語らない。
むしろ、踊れる曲として鳴らす。
ここが非常に重要である。
We Do Partiesは、機械的な祝祭を批判しているだけではない。
その機械的な祝祭の中で、実際に楽しくなってしまう曲でもある。
聴いていると、意味はよく分からない。
でも、身体が少し動く。
ギターやベースの反復が気持ちいい。
Satomiの声のリズムが耳に残る。
結果として、曲そのものがautojubilatorになる。
つまり、この曲は自分が歌っている装置を、自分自身で実演しているのだ。
これはDeerhoofらしい知性である。
彼らは、ポップミュージックやダンスミュージックの仕組みを外から冷笑するのではない。
その仕組みの中に入り、変形し、少し壊しながら、ちゃんと楽しいものにする。
We Do Partiesは、パーティーの音楽でありながら、パーティーの仕組みを変な角度から見せる曲である。
また、Breakup Songというアルバムタイトルとの関係も考えたい。
別れの歌の中に、We Do Partiesがある。
これは少し矛盾しているように見える。
別れとパーティー。
悲しみと祝祭。
終わりと踊り。
しかし、実際の人生では、この二つはしばしば近い。
別れたあとに友達と集まる。
失恋を忘れるために踊る。
関係が終わったからこそ、夜の街へ出る。
悲しみを処理できないから、音の中に身を投げる。
Breakup Songの中のWe Do Partiesは、そういう意味でも読める。
これは、悲しみを直接見つめる曲ではない。
むしろ、悲しみを変なパーティーに変換する曲である。
別れのあと、人は理路整然と悲しまない。
時には、意味のない音に身を任せる。
時には、くだらない言葉を繰り返す。
時には、笑っているのに心は散らばっている。
We Do Partiesには、そのような断片的な回復の感覚もある。
楽しいのか、壊れているのか。
祝っているのか、逃げているのか。
踊っているのか、機械に踊らされているのか。
その境界を曖昧にするところに、この曲の面白さがある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- The Perfect Me by Deerhoof
Deerhoofの鋭いギター、奇妙なリズム、Satomi Matsuzakiの独特なボーカルが凝縮された代表曲のひとつ。We Do Partiesのぎこちないダンス感が好きなら、この曲の切れ味と爆発力にも惹かれるはずだ。ポップなのに落ち着かず、かわいいのに攻撃的というDeerhoofらしさが強く出ている。
- Fresh Born by Deerhoof
Deerhoofのポップな側面と実験性が美しく混ざった楽曲。We Do Partiesよりも少し開けたメロディを持ちながら、曲の構造にはやはり独特の歪みがある。生命の誕生を思わせるタイトルと、予測不能なアレンジが魅力で、Deerhoofの奇妙な明るさを味わえる。
- There’s That Grin by Deerhoof
Breakup Songに収録された楽曲で、We Do Partiesと同じアルバムの空気を強く共有している。リズムの切り替わり、急な展開、ポップな断片が次々と現れ、バンドがどれほどコントロールされた混沌を作れるかがよく分かる。Breakup Song期のDeerhoofを深掘りするなら外せない。
- Bizness by Tune-Yards
奇妙なリズム、実験性、ポップな反復、身体を動かす力という点でWe Do Partiesと相性がいい。Tune-Yardsもまた、ポップミュージックの形を少し壊しながら、強いグルーヴを作るアーティストである。声の使い方やリズムの重ね方が好きな人におすすめだ。
- Atlas by Battles
機械的な反復、変な声、ダンスミュージックとロックの交差という点で通じる曲。We Do Partiesのautojubilator的な機械祝祭感に惹かれる人なら、Battlesのこの曲のロボットじみた高揚にも反応するだろう。人間が演奏しているのに、機械が勝手に踊っているような感覚がある。
6. パーティーを分解して、もう一度踊れる形に組み立てる曲
We Do Partiesの特筆すべき点は、パーティーという非常に分かりやすい題材を、Deerhoofらしい奇妙な装置に変えているところである。
普通のパーティーソングなら、楽しい夜、踊る身体、恋の始まり、酒、ライト、仲間、自由を歌うだろう。
だがDeerhoofはそうしない。
彼らは、パーティーをそのまま祝わない。
一度バラバラにする。
言葉を造語にする。
祝祭を機械化する。
愛をlove machineにする。
喜びをautojubilatorにする。
人間の声をスピーカーの奥から来るものにする。
そして、そのバラバラになった部品を、また曲として組み立てる。
結果として生まれるのは、普通のパーティーソングではない。
歪んだパーティーソングである。
だが、それでも踊れる。
ここがすごい。
実験的な音楽は、ときに身体から離れすぎることがある。
頭で理解する音楽になり、感覚としての楽しさが薄くなることもある。
Deerhoofは、その逆をやる。
曲は変だ。
言葉も変だ。
構成も変だ。
それでも、身体のどこかが反応する。
We Do Partiesは、その代表例である。
この曲のグルーヴは、まっすぐではない。
だが、しつこい。
ベースやギターが反復し、ドラムが身体を押し、ボーカルが小さな呪文のように乗る。
その反復が、だんだんこちらの重心をずらしてくる。
最初は、何だこれはと思う。
次に、少し笑う。
そのあと、気づくとリズムを追っている。
これがDeerhoofの魔法である。
彼らの音楽は、リスナーをすぐには安心させない。
耳慣れたポップの形をちらつかせながら、すぐに別の方向へ曲がる。
しかし、その曲がり方に慣れてくると、むしろその不安定さが快感になる。
We Do Partiesは、安心できないダンスミュージックである。
そして、それがとても気持ちいい。
また、この曲はSatomi Matsuzakiのボーカルの魅力をよく示している。
彼女の声は、ロックの伝統的な力強いボーカルとは違う。
大きく叫んで曲を支配するタイプではない。
しかし、ひとたび入ると曲のキャラクターを決定してしまう。
少し平坦で、少し子どものようで、少し機械的。
でも、感情がないわけではない。
むしろ、その抑えた声だからこそ、奇妙な言葉が強く響く。
We Do Partiesでは、その声がパーティーの司会者のようにも、機械のアナウンスのようにも、地下の祭りの巫女のようにも聞こえる。
この曖昧さが曲に奥行きを与えている。
もしこの曲がもっと熱血なボーカルで歌われていたら、たぶん面白さは半減していた。
Satomiの声は、曲の変な祝祭感をちょうどよく冷やしている。
その冷たさが、逆に中毒性になる。
また、We Do PartiesはDeerhoofのユーモアの曲でもある。
歌詞の造語は、どこか笑える。
Jingotronやautojubilatorという言葉には、真面目に意味を考えるほど馬鹿馬鹿しくなる楽しさがある。
だが、その馬鹿馬鹿しさは雑ではない。
Deerhoofのユーモアは、音楽的な精度と一緒にある。
演奏はしっかりしている。
アレンジも緻密である。
だから、変な言葉が単なる悪ふざけで終わらない。
本気で変なことをやっている。
そこに信頼できるかっこよさがある。
Breakup Songというアルバム全体の中で、この曲は非常に重要な役割を持つ。
アルバムは短く、曲ごとにテンションが変わる。
その中でWe Do Partiesは、タイトルどおり祝祭の核のように鳴る。
しかし、その祝祭は別れのアルバムの中にある。
つまり、これは終わりの中のパーティーである。
何かが壊れた。
関係が終わった。
でも、音は鳴る。
踊りは続く。
人は集まる。
機械は動く。
この感覚は、とても現代的だ。
悲しいニュースがあっても、タイムラインは流れる。
誰かと別れても、次の予定は来る。
心が沈んでいても、クラブではビートが鳴る。
感情が追いつかないまま、祝祭だけが自動的に続いていく。
We Do Partiesのautojubilatorは、その象徴のようにも聞こえる。
自動的に喜ぶ装置。
無料で作動する祝祭機。
人間の感情がどうであれ、音楽はパーティーを始めてしまう。
これは皮肉でもあり、救いでもある。
なぜなら、人は時に、自分では喜べないときに、外側の装置に助けられるからだ。
音楽、リズム、ライト、友人、場所。
それらが先に動き、遅れて心がついてくることがある。
We Do Partiesは、そういう強制的な回復の曲としても聴ける。
もちろん、完全な癒やしではない。
むしろ、少し壊れた癒やしだ。
でも、Deerhoofにとっては、それで十分なのだろう。
きれいに整った慰めより、変なリズムで身体を動かすこと。
それがこの曲の救いである。
さらに、この曲のミュージックビデオが東京で撮影され、カラオケや光るアイテム、街の遊びの風景を取り込んでいることも、曲のイメージとよく合う。
Deerhoofの音楽は、国籍やジャンルの境界を軽々と越える。
しかし、グローバルなポップのように均一化されるのではなく、どこかローカルで、変で、個人的な感触を残す。
We Do Partiesの東京的な映像は、その不思議な祝祭感を視覚的に補強している。
夜の街。
光るおもちゃ。
カラオケ。
少しチープで、少し夢のようで、少し可笑しい。
その全部が、曲の質感と重なる。
We Do Partiesは、Deerhoofの中で最大級の代表曲という扱いではないかもしれない。
しかし、彼らの音楽を理解するにはとても良い曲である。
なぜなら、この曲にはDeerhoofの大事な要素がたくさん入っているからだ。
- ポップな反復
- 奇妙な言葉
- ぎこちないダンス感
- 機械的なユーモア
- バンドとしての鋭い演奏
- Satomi Matsuzakiの独特な声
- 楽しいのに不穏な空気
これらが、短い曲の中に詰まっている。
We Do Partiesは、普通のパーティーを描く曲ではない。
パーティーという現象を、音楽的な実験室に持ち込んだ曲である。
そこでDeerhoofは、パーティーを切断し、配線し直し、変な名前の機械を接続し、最後にもう一度電源を入れる。
すると、ちゃんと踊れる。
その瞬間が、この曲の喜びなのだ。
参照元
- We Do PartiesはDeerhoofの2012年のアルバムBreakup Songに収録された楽曲である。
We Do Parties – Spotify
- Breakup Songは2012年9月4日にPolyvinylからリリースされたDeerhoofの12作目のスタジオアルバムで、バンド自身がプロデュースを手がけた。
Breakup Song – Bandcamp
- Breakup Songは11曲約30分のアルバムとして紹介され、短く凝縮された構成やダンサブルな要素が批評で取り上げられた。
Pitchfork – Breakup Song review
- We Do PartiesはBreakup Song期の楽曲としてミュージックビデオが制作され、東京での遊びや光る小道具、カラオケ的な映像が使われている。
Pitchfork – We Do Parties video news
- The QuietusはWe Do Partiesを、ベースに引っ張られるBreakup Songの眩しいハイライトとして紹介している。
The Quietus – Breakup Song review
- Drowned in SoundはWe Do Partiesを、ぎくしゃくしたガレージロック的な楽曲として評し、インディーディスコでロボットダンスを踊る若者のようなイメージで紹介している。
Drowned in Sound – Breakup Song review
- We Do Partiesの歌詞情報は、楽曲の奇妙な造語や機械的なイメージを確認する参照元として使用した。
We Do Parties lyrics – Dork

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