
1. 歌詞の概要
Love-Lore 1は、アメリカのエクスペリメンタル・ロック・バンドDeerhoofが2020年に発表した作品Love-Loreの冒頭を飾る楽曲である。
Love-Loreは2020年9月28日にリリースされた、35分ほどのカバー・メドレー作品である。Pitchforkは同作について、43曲のカバーを35分にまとめたライブ・イン・ザ・スタジオ形式のメドレー・アルバムとして紹介している。録音はニューヨーク、ロウワー・イースト・サイドのRivington Rehearsal Studiosで行われ、2019年のTime:Spans Festivalで初演された翌日に、一気に録音された作品である。Pitchfork
なお、ユーザー指定のタイトルにはBy Kenji Saegusaとあるが、Deerhoof公式Bandcamp上では、この曲はLove-Lore 1 (Ornette Coleman/JD Robb/Voivod/Earl Kim)として掲載されている。公式表記上の作曲参照元は、Ornette Coleman、JD Robb、Voivod、Earl Kimである。
この曲には、通常の意味での歌詞はほとんど存在しない。
少なくとも、Deerhoofのオリジナル曲のように、Satomi Matsuzakiが短い言葉を歌い、その言葉の反復によって物語や感情を作っていくタイプの楽曲ではない。Love-Lore 1は、複数の既存楽曲、作曲家、ジャンル、時代を引用し、接続し、別の文脈へ置き直すことで成り立っている。
つまり、ここでの歌詞の概要は、言葉の意味を追うことではなく、音の記憶がどのように並べ替えられているかを見ることになる。
Love-Lore 1は、Deerhoofが音楽史の断片を小さな破片として拾い集め、それらを自分たちの演奏身体に通して再配置した曲である。
ジャズ。
現代音楽。
メタル。
前衛的な作曲。
その断片が、Deerhoof特有のひしゃげたギター、予測不能なリズム、軽やかで奇妙なアンサンブルの中で、ひとつの短い旅になる。
Love-Lore全体は、通常のカバー・アルバムとはかなり違う。
原曲を忠実に再現する作品ではない。
好きな曲を一曲ずつ丁寧に演奏するトリビュート集でもない。
むしろ、43の楽曲や作曲家の影が、夢の中のラジオのように現れては消えていく。知っている旋律が一瞬だけ顔を出し、次の瞬間には別の音楽へ変形している。聴き手は、これは何だったのかと思う間もなく、次の場所へ連れていかれる。
Love-Lore 1は、その入口である。
ここでDeerhoofは、聴き手に宣言する。
このアルバムでは、ジャンルの境界は役に立たない。
ロック、ジャズ、クラシック、映画音楽、テレビ音楽、ポップ、メタル、実験音楽。それらは美術館の展示棚のように分けられるのではなく、同じ部屋で同時に鳴る。
それがLove-Lore 1の基本姿勢である。
2. 歌詞のバックグラウンド
Love-Loreという作品の背景には、Deerhoofというバンドの長い実験精神がある。
Deerhoofは、1990年代から活動を続けるバンドでありながら、いわゆるインディーロックの定型におさまり続けたことがほとんどない。ノイズロック、アートロック、ポップ、パンク、フリージャズ、現代音楽、ミニマルなリズム遊び、子どもの歌のようなメロディ。それらを、毎回違うバランスで組み合わせてきた。
だからLove-Loreは、唐突な企画に見えて、実はDeerhoofらしい。
彼らは昔から、音楽を固定されたジャンルとしてではなく、遊び場として扱ってきた。ギターはロックの象徴であると同時に、変な音を出す道具でもある。ドラムはビートを支えるだけではなく、曲を斜めに転ばせる装置でもある。声は歌詞を伝えるだけではなく、質感やリズムとしても機能する。
Love-Loreでは、その考え方がカバーという形式に向けられている。
All About JazzはLove-Loreについて、43の個別の音楽断片を35分ほどにまとめたメドレーであり、驚くほど多様なアーティストの音楽を扱っていると紹介している。Post-Trashも同作を、ハイカルチャーとローカルチャーを横断する、コンパクトで大胆な音楽のコレクションとして評している。All About
Love-Lore 1の公式表記に並ぶ名前も、その姿勢をよく示している。
Ornette Colemanは、フリージャズの象徴的存在である。
JD Robbは、アメリカの作曲家、教育者として知られ、フォークロアや実験的な音楽への関心を持った人物である。
Voivodは、カナダのプログレッシブ/スラッシュ・メタル・バンドである。
Earl Kimは、アメリカの現代音楽作曲家であり、室内楽や声楽作品などで知られる。
普通なら、これらの名前は同じ曲名の括弧の中に並ばない。
ジャズ、現代音楽、メタル、アカデミックな作曲。
それぞれが違う棚に置かれがちな音楽である。
しかしDeerhoofは、それをひとつの短いトラックの中で接続する。
ここにLove-Lore 1の面白さがある。
この曲は、何かひとつの音楽ジャンルの説明ではない。
むしろ、ジャンルという整理そのものを笑っているように聞こえる。音楽史の地図を一度切り刻み、紙吹雪のように空中へ投げ、落ちてきた破片を新しい順番で貼り直す。そんな曲である。
Love-Loreはデジタルで無料公開されたことでも注目された。Pitchforkは、同作がJoyful Noise経由でデジタル無料公開されたと報じている。Pitchfork
この配布方法も、作品の性格と合っている。
Love-Loreは、所有する名盤というより、出会ってしまう音の出来事に近い。
突然現れ、短い時間の中で膨大な音楽の記憶を通過し、また去っていく。Deerhoofらしい贈り物であり、同時に音楽史へのいたずらでもある。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Love-Lore 1は、通常の歌詞を中心にした楽曲ではない。
したがって、ここでは著作権保護された歌詞の引用ではなく、作品の構造を示すために、公式Bandcampに記載された楽曲表記を短く確認する。
Love-Lore 1
和訳:
ラブ・ロア 1
Love-Loreというタイトルは、LoveとLoreから成る。
Loveは愛。
Loreは言い伝え、伝承、知識、物語、古くから受け継がれるもの。
つまりLove-Loreは、愛の伝承、愛にまつわる物語、あるいは音楽を通じて伝わる愛の記憶と読める。
Deerhoofがここで扱う愛は、単純なラブソングの愛ではない。
むしろ、音楽そのものへの愛である。
好きな曲を演奏する愛。
過去の作曲家へ勝手に話しかける愛。
ジャンルの境界を壊す愛。
音楽史を尊敬しながら、同時にぐちゃぐちゃにしてしまう愛。
この曲のLoveは、丁寧に額装された敬意ではなく、遊びながら触る敬意である。
公式Bandcampの表記では、Love-Lore 1の括弧内に次の名前が並ぶ。
Ornette Coleman / JD Robb / Voivod / Earl Kim
和訳:
オーネット・コールマン、JDロブ、ヴォイヴォド、アール・キム
この並びそのものが、歌詞のように機能している。
ここには物語がある。
音楽史の中で遠く離れているように見える人々が、Deerhoofの手によって同じ小さな部屋へ呼ばれている。フリージャズ、実験音楽、メタル、現代音楽。それぞれの言語が違うにもかかわらず、Deerhoofはその間に通路を見つける。
Love-Lore 1では、歌詞を読むかわりに、この名前の並びを読む必要がある。
誰が引用されているのか。
どの音楽の気配が一瞬だけ立ち上がるのか。
その断片が、Deerhoofの演奏によってどのようにねじれるのか。
この曲は、言葉の意味ではなく、参照の連鎖によってできている。
歌詞の全文を追うタイプの曲ではないため、著作権保護された歌詞の引用は行わない。参照元の詳細はDeerhoof公式BandcampのLove-Loreページで確認できる。
4. 歌詞の考察
Love-Lore 1を考察するとき、まず重要なのは、これは歌詞の歌ではなく、引用の歌であるという点だ。
一般的なポップソングでは、歌詞が感情を運ぶ。
誰かを愛している。
誰かを失った。
何かに怒っている。
世界を変えたい。
そうした言葉が曲の中心になる。
しかしLove-Lore 1では、感情を運ぶのは言葉ではなく、音楽の断片である。
ある旋律。
あるリズム。
あるジャンルの質感。
ある作曲家の名前。
ある時代の空気。
それらが一瞬だけ現れ、すぐに別のものへ変わる。
つまり、ここでの歌詞は音楽史そのものだ。
Deerhoofは、その音楽史をきれいに並べない。
むしろ、衝突させる。
Ornette Coleman的な自由さと、Voivod的な鋭さ。
現代音楽の緊張と、ロックバンドの即興的な身体性。
知的な構造と、子どもの遊びのような無邪気さ。
それらが同じトラックの中で共存する。
この共存の仕方が、Deerhoofらしい。
Deerhoofの音楽は、しばしばキュートである。
Satomi Matsuzakiの声には、子どもの歌のような軽さや透明感がある。
しかし、演奏はかなり複雑だ。
拍子はずれる。
ギターは突然歪む。
ドラムは予想外の場所で跳ねる。
ベースは地面を作るかと思えば、急に宙に浮く。
このキュートさと複雑さの同居が、Love-Lore 1にもある。
音楽史を扱っているのに、重々しい講義にはならない。
むしろ、ミニチュアの遊園地のように聞こえる。
ただし、その遊園地は少し壊れている。
メリーゴーラウンドの横でフリージャズが鳴り、観覧車の影でメタルのリフが顔を出し、遠くのスピーカーから現代音楽の断片が聞こえる。楽しいのに落ち着かない。かわいいのに不穏。これがDeerhoofの魅力である。
Love-Lore 1は、カバーという行為についても考えさせる。
カバーとは何か。
原曲を忠実に再現することか。
原曲への愛を示すことか。
それとも、原曲を自分たちの身体へ通して、まったく別のものへ変えてしまうことか。
Deerhoofの答えは、明らかに後者である。
彼らは原曲を保存するのではなく、動かす。
標本にするのではなく、生き物のように扱う。
音楽史の断片は、Deerhoofに触れられることで、もう一度動き出す。
この感覚が、Love-LoreというタイトルのLoreとも関係している。
Loreは、固定された知識ではない。
語り継がれるものだ。
語り継がれるものは、いつも少しずつ変わる。
同じ物語でも、語る人によって違う。
同じ旋律でも、演奏する人によって違う。
Deerhoofは、音楽史をそういう生きた伝承として扱っている。
だからLove-Lore 1は、資料ではない。
伝承の再演である。
しかも、その再演はかなり変で、かなり自由だ。
この曲を聴いていると、音楽ジャンルが人間の都合で作られた分類にすぎないことがわかる。
ジャズとメタル。
現代音楽とインディーロック。
映画音楽とポップ。
普段は別々に語られるそれらも、音として聴けば、思いがけない接点を持っている。緊張感、反復、リズムの歪み、メロディの跳躍、ノイズの扱い。違うジャンルの中に、似た身体感覚が隠れている。
Deerhoofは、その隠れた接点を直感で見つける。
学術的な分析ではなく、演奏で見つける。
ここが重要だ。
Love-Lore 1は、知識があるほど面白い曲である。
参照元を知れば、あの断片はそういうことかと気づける。
しかし、知識がなくても聴ける。
なぜなら、Deerhoofの演奏そのものが強いからだ。
ギターの質感。
ドラムの軽さ。
急な転換。
音の可笑しさ。
それだけで十分に楽しい。
この二重構造が、Love-Lore 1の魅力である。
音楽マニアには引用の迷路として機能し、初めて聴く人には変なロックの短編として機能する。
難しいのに、楽しい。
知的なのに、身体が反応する。
複雑なのに、どこかポップ。
Deerhoofは、そのバランスが非常にうまい。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Love-Lore 2 by Deerhoof
Love-Loreの2曲目であり、公式Bandcamp上ではKnight Rider、Raymond Scott、Mauricio Kagel、Eddy Grant、Gary Numanなどが括弧内に並んでいる。テレビ音楽、実験音楽、ポップ、ニューウェイヴが一気に接続されるような曲である。Deerhoof
Love-Lore 1がフリージャズ、現代音楽、メタルを入口にしているなら、Love-Lore 2はよりポップカルチャー寄りの断片が目立つ。Deerhoofの編集感覚を続けて味わうには最適である。
– Love-Lore 3 by Deerhoof
公式BandcampではKarlheinz Stockhausen、The Beach Boys、Star Trek、Pauline Oliveros、Muppet Movieなどが表記されている。現代音楽、サーフ/ポップ、SFテレビ、ディープリスニング、子ども向け映画的な要素が混ざる、Love-Loreの中でも特にDeerhoofらしい奇妙な組み合わせの曲である。Deerhoof
Sungenreのレビューも、この曲がThe Beach Boys的な旋律とStar Trek的な不穏さを結びつける点に触れている。かわいらしさと不気味さの同居が好きな人には強く響くだろう。Sungenre
– Future Teenage Cave Artists by Deerhoof
2020年に発表されたDeerhoofのアルバムFuture Teenage Cave Artistsのタイトル曲。Love-Loreと同じ年にリリースされた作品であり、Deerhoofがコロナ禍前後の不安や未来像を、奇妙で壊れたポップとして鳴らした曲である。PitchforkもLove-Loreの記事の中で、同年にFuture Teenage Cave Artistsがリリースされていたことに触れている。Pitchfork
Love-Loreが他者の音楽を素材にしたコラージュなら、こちらはDeerhoof自身の未来寓話である。どちらにも、壊れた世界で遊び続けるような強さがある。
– The Perfect Me by Deerhoof
2007年のアルバムFriend Opportunityに収録された楽曲。Deerhoofのポップさ、複雑なリズム、突発的な展開がコンパクトに詰まった代表的な曲である。
Love-Lore 1でDeerhoofの演奏の跳ね方に惹かれた人には、この曲の予測不能なポップ感もよく合う。短い曲の中で、ロック、ノイズ、キュートなメロディが何度も表情を変える。
– Fresh Born by Deerhoof
2008年のアルバムOffend Maggieに収録された楽曲。イントロから鮮やかなギターとリズムの絡みがあり、Deerhoofのアートロック的な鋭さとポップな躍動感が同時に味わえる。
Love-Lore 1のようなカバー/引用の作品ではないが、音楽を組み替えるセンス、ずれたリズムの快感、無邪気さと緊張感の同居という点で通じる。Deerhoof本来の作曲力を感じるには重要な一曲である。
6. 音楽史をおもちゃ箱に変える、Deerhoof流カバーの魔法
Love-Lore 1は、普通の意味での楽曲解説が難しい曲である。
なぜなら、この曲は歌詞の意味を読み解く曲ではなく、音楽の記憶の動きを聴く曲だからだ。
原曲があり、作曲家がいて、ジャンルがある。
だがDeerhoofは、それらを博物館に並べない。
むしろ、おもちゃ箱に入れる。
そして、ふたを開けて一気にひっくり返す。
床の上には、Ornette Colemanの自由な線、Voivodの金属的な影、現代音楽の緊張、Deerhoofのひしゃげたギターが散らばる。それらは本来、同じ棚に置かれないものかもしれない。けれどDeerhoofの手にかかると、妙に自然に同じ部屋で鳴り始める。
この曲の面白さは、引用元の偉大さをただ見せるところにはない。
むしろ、偉大な音楽を小さく、軽く、変にしてしまうところにある。
それは disrespect ではない。
むしろ、とてもDeerhoofらしい愛である。
音楽を神聖視しすぎない。
だが、深く愛している。
愛しているから、触る。
触るから、変形する。
変形するから、また生きる。
Love-Lore 1は、そのような愛の曲である。
タイトルにあるLoveとLoreは、まさにこの作品の鍵だ。
音楽は伝承される。
しかし、伝承されるときには必ず変わる。
完璧な保存などない。
誰かが聴き、覚え、間違え、弾き直し、自分の身体に通す。
そうして音楽は次へ行く。
Deerhoofは、その変化の過程をそのまま作品にしている。
だからLove-Loreは、カバー・アルバムでありながら、同時にDeerhoofのオリジナル作品でもある。
引用された音楽はたしかに他者のものだ。
しかし、それらをこの速度で、この並びで、この音色で、この奇妙な軽さで鳴らすのはDeerhoofにしかできない。
Love-Lore 1は、その最初の扉である。
聴き手は、ここで覚悟を決めることになる。
この先、普通のカバー集は待っていない。
ジャンルの境界も、時代の順番も、ハイカルチャーとポップカルチャーの区別も、どんどん溶けていく。
だが、それは混乱だけではない。
むしろ、混乱の中で音楽が再び自由になる。
ロックはジャズと話せる。
メタルは現代音楽と隣り合える。
テレビ音楽も映画音楽も、前衛音楽もポップスも、同じ耳の中で鳴っていい。
Deerhoofは、そう言っているように聞こえる。
Love-Lore 1は、短い曲である。
しかし、その中に含まれている時間は長い。
1950年代以降の音楽史。
ジャズの実験。
ロックの歪み。
現代音楽の知性。
メタルの異形性。
そして、Deerhoof自身の30年近い遊び心。
それらが小さなメドレーの中に圧縮されている。
この圧縮感が気持ちいい。
聴き手はすべてを理解できなくてもいい。
むしろ、理解しきれないまま通過することに、この曲の快感がある。
あれは何だったのか。
今の旋律はどこから来たのか。
なぜ急にこんな展開になるのか。
そう思っているうちに、曲は次へ進む。
Love-Lore 1は、答えをくれる曲ではない。
耳を開く曲である。
音楽は、もっと変に聴いていい。
もっと自由に混ぜていい。
もっと大胆に愛していい。
そう教えてくれる曲である。
Deerhoofは、この曲で音楽史を難しい教科書ではなく、鳴らして遊べる素材に変えた。
その遊びは、軽い。
だが、深い。
ふざけているようで、真剣だ。
真剣なのに、笑える。
Love-Lore 1は、そのDeerhoofらしい矛盾が詰まった、奇妙で愛らしい音楽のコラージュなのである。



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