発売日: 2023年10月27日
ジャンル: ポップ・ロック、エレクトロ・ポップ、アコースティック・バラード
概要
『Who We Used to Be』は、James Bluntが2023年にリリースした7作目のスタジオ・アルバムであり、彼のこれまでのキャリアと感情表現の集大成とも言える、回顧と希望に満ちた作品である。
タイトルが示す「かつての私たち」とは、恋人同士、家族、友人、あるいは社会そのものまでを指しており、Bluntは過去と現在の“あいだ”にある感情を、切なくも優しいまなざしで見つめている。
この作品では、再びポップなエレクトロサウンドを取り入れながらも、『Once Upon a Mind』で確立された人間味あふれる語り口は保たれており、感情の振れ幅はこれまで以上に広い。
制作には、Jonny Coffer（Rag’n’Bone Man, Beyoncé）らを含む複数の気鋭プロデューサー陣が参加。ポップ、アコースティック、EDM風、80sリバイバル的なサウンドまでを多彩に横断しており、ジャンルに縛られないBluntの進化が感じられる。
それでも、中心にあるのは“歌詞”と“声”という最も原始的な表現手段であり、James Bluntがなぜ今もなお支持され続けるのかを、改めて証明する作品となっている。
全曲レビュー
Saving a Life
アルバムの幕開けを飾る、静かで美しいスロー・バラード。
“救われた”側の視点ではなく、“救うことができなかった”痛みを描くことで、現代の孤独を繊細に映し出している。
ストリングスとピアノのバランスが極めて抑制的でありながら、感情の強さを際立たせている。
Some Kind of Beautiful
軽快なリズムと80年代的ポップスの要素を取り入れた、心温まるラブソング。
「不完全でも、美しい関係だった」というテーマが、甘くメロウなサウンドで表現される。
Bluntらしい自嘲混じりの優しさが光る一曲。
Beside You
アコースティックとシンセポップが交錯する、愛の誓いのようなミディアム・ナンバー。
「君のそばにいるよ」と繰り返すコーラスが、シンプルな分だけ誠実に響く。
サビの高揚感は、ライブでのシンガロングが想起される。
Last Dance
ディスコ風のビートと切ないリリックが絶妙に交差する、80sリバイバル・トラック。
「これはきっと最後のダンスだろう」という哀愁と、それでも踊りたいという希望が同居している。
哀感のあるメロディと煌びやかなアレンジのギャップが美しい。
All the Love That I Ever Needed
自己肯定と感謝をテーマにした、ややゴスペル的な雰囲気を持つ壮大なバラード。
「君がくれたものだけで、僕はもう充分なんだ」と歌うリリックが、別れの肯定とも、愛の記録とも受け取れる。
力強さと静けさを併せ持つ一曲。
The Girl That Never Was
アルバムの中でも最も胸を打つ、悲しみに満ちたピアノ・バラード。
「存在しなかった少女」とは、流産や失われた命を暗示しているとされ、非常にパーソナルな痛みが静かに語られる。
Bluntの声が、ほとんど語りかけるように聴き手に触れる。
Cold Shoulder
都会的なエレクトロ・ポップ。
人間関係の希薄さ、既読スルー的な感情の距離を「冷たい肩」というメタファーで描いている。
ビートは軽快でも、内面の疎外感は重く、現代的な孤独を象徴する楽曲。
I Won’t Die with You
力強いメッセージソング。
「一緒に死ぬことはできないけど、生きるためにそばにいる」という逆説的なフレーズが印象的。
友情、恋愛、家族愛など様々な関係に重ねられる普遍性がある。
Dark Thought
鬱屈とした感情を包み隠さずに描いた、内省的なスロー・チューン。
James Bluntはここで、自分の中の“闇”と正直に向き合っている。
コード進行の陰影と、囁くような歌唱が印象的で、心の奥を突く一曲。
Glow
アルバムの終盤に現れる、希望に満ちたポップ・アンセム。
“Glow（光る）”という動詞に、「人と関わることで自分が輝き出す」という再生の意味を重ねている。
アップリフティングで心が軽くなるような展開が心地よい。
Confetti and Roses（ボーナストラック）
結婚式や記念日を思わせる幸福感に満ちたスローバラード。
バラと紙吹雪という装飾の奥に、永続的な愛への静かな願いが込められている。
感情のピークではなく、持続する穏やかさを象徴している。
総評
『Who We Used to Be』は、James Bluntがこれまで培ってきた叙情性、ユーモア、誠実さといった資質を保ちながら、より幅広い音楽的アプローチを試みたアルバムである。
ポップからバラード、ディスコ、エレクトロ、アコースティックに至るまで、多様なジャンルが丁寧に配置されており、それでいて散漫さはなく、“ひとつの心の旅”として成立している。
特筆すべきは、その感情の奥行きの深さである。
「The Girl That Never Was」や「Saving a Life」に代表されるような喪失や後悔、あるいは「Glow」や「Beside You」のような再生と希望が、矛盾なく同居している。
それはつまり、Bluntが人生の“全部”を肯定し始めたことを意味しているのかもしれない。
『Who We Used to Be』というタイトルは、過去への郷愁だけでなく、「過去の自分に囚われず、今の自分として生きる」という静かな決意のようにも思える。
James Bluntは今もなお、自分の声で、誰かの物語を代弁しているのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- James Bay / Leap
ポップとアコースティックの融合、人生の折々を描く視点が共通。 - Calum Scott / Bridges
喪失や再生を描いた現代バラードの秀作。感情の透明度がBluntと近い。 - Rag’n’Bone Man / Life by Misadventure
ブルースの影を感じさせながらも、前向きなエネルギーを内包するポップ作。 - Vance Joy / Nation of Two
個人の物語を詩的に、かつポップに描くアコースティック・ポップの傑作。 - Lewis Capaldi / Broken by Desire to Be Heavenly Sent
苦悩と愛のテーマを濃密に歌い上げる現代バラードの旗手。
歌詞の深読みと文化的背景
本作では、James Bluntの“自己神話”が解体されつつある。
かつては「失恋の詩人」として知られた彼は、今や父として、夫として、一人の人間として、“ありふれた幸せ”や“目に見えない苦悩”と正面から向き合っている。
「The Girl That Never Was」は、彼自身の家族が経験した流産について語ったともされ、こうした非常に個人的な痛みをあえて公に歌うことで、リスナーに“語られにくい感情”への共感の場を提供している。
また「I Won’t Die with You」のように、人生と死の距離感についての思索も多く、全体として“生きること”を正直に描いた作品となっている。
『Who We Used to Be』は、決して派手なアルバムではない。だがその静かな真摯さは、まるで日常の片隅に差す午後の陽だまりのように、長く心に残り続ける。
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