発売日: 1985年10月
ジャンル: シンセ・ポップ、ニュー・ウェイヴ、エレクトロ・ファンク
概要
『How to Be a… Zillionaire!』は、ABCが1985年に発表したサード・アルバムであり、彼らのキャリアにおける最もポップでカラフルなフェーズを象徴する作品である。
本作は、前作『Beauty Stab』のダークでギター中心のサウンドから180度転換し、コンピューターグラフィック、漫画的キャラクター、そしてビビッドなエレクトロニクスが炸裂する“視覚化されたポップ”の世界観が全面展開された。
ABCはこの時期、メンバーを大幅に入れ替え、マーティン・フライとマーク・ホワイトを中心とする新編成となる。さらに新メンバーとして、シンセ奏者のデヴィッド・ヤーとアンドロジナスな存在感を放つイーデンが加わり、音楽とヴィジュアルの両面で「極端にデザインされた」バンド像を作り上げた。
プロデューサーには自身たちに加えてゲイリー・ランガンが名を連ね、デジタルなプロダクションと大胆なサンプリングを多用。
この時代のトレンドを反映しつつ、ABCらしい知的なひねりとユーモアを加えた、きらびやかで人工的なサウンドが特徴となっている。
当時のアメリカでは「Be Near Me」がヒットし、ABCとしては最大の全米チャート成功を収めた。
本作は、ポップ・カルチャーを“製品化”し、消費されるコンテンツとしての音楽を徹底的に遊び倒した作品とも言える。
全曲レビュー
1. Fear of the World
イントロからチップチューン的なエレクトロ音が弾ける、ポップ・アートのようなオープニング。
社会に潜む恐怖や不安を、おもちゃ箱のようなサウンドで描くコントラストがユニークである。
2. Be Near Me
ABC最大のUSヒット曲にして、アルバムの中核を成すバラード。
繊細な感情をシンセポップのフォーマットで表現した名曲であり、フライのボーカルが特に映える。
「そばにいてほしい」というシンプルな願いが、未来的なアレンジの中で逆説的な温かみを持つ。
3. Vanity Kills
虚栄心をテーマにしたシニカルなナンバー。
ラップ調のヴォーカルと脱構築的なビートが特徴的で、MTV的映像美と密接に結びついた楽曲である。
4. Ocean Blue
バラード調の本作は、『Lexicon of Love』のロマンティックな側面を思わせる一曲。
海の青さに恋の深さを重ね合わせるような、詩的で穏やかな構成が印象的だ。
5. 15 Storey Halo
“15階建ての光輪”という奇抜な比喩に象徴される、自己神格化と資本主義の戯画化がテーマ。
機械的なリズムと人間味のないコーラスが、近未来的な異物感を生み出している。
6. A to Z
アルバムのタイトルを連想させるこの曲は、「Zillionaireになる方法」を文字通りAからZまで並べて語る風刺ポップ。
自己啓発と資本主義、欲望と空虚が入り混じる、非常にABCらしい知的ユーモアに満ちている。
7. (How to Be a) Millionaire
アルバムを代表するもう一つのヒット曲。
金銭欲と成功願望を、過剰なまでのポップ・ビートとビジュアルで装飾したキッチュな名曲。
PVのアニメ風キャラクターも話題を呼び、ポップと資本の融合を体現するアイコンとなった。
8. Tower of London
歴史的な建造物をメタファーに用い、権力と名声への憧れと批判を交差させた楽曲。
ややシリアスな曲調で、アルバムの中で浮いた存在感を放っている。
9. So Hip It Hurts
ファッションと流行への中毒的な執着を揶揄する、パロディ色の強いトラック。
シンセベースが疾走感を生み出し、“オシャレ過ぎて痛い”という痛烈なアイロニーが心地よい。
10. Between You and Me
ラストトラックは比較的シンプルなラブソングで、人工的なアルバム全体の中で一瞬だけ素顔を見せるような感覚を与える。
それでもシンセとエフェクトの層は分厚く、“感情のフィルター越しの表現”という本作の本質を物語っている。
総評
『How to Be a… Zillionaire!』は、ABCが音楽とポップ・アートの境界線を意図的に溶かしたアルバムである。
『Lexicon of Love』が美しく構築されたロマンスの劇場だったとすれば、本作は欲望と虚飾のテーマパークだ。
アニメ的なキャラクターや派手なヴィジュアル、徹底的に合成されたサウンドは、当時のメディア時代—MTV文化の絶頂期—を象徴している。
しかしこのアルバムが面白いのは、表面的なポップネスの裏に冷ややかな知性とシニカルな観察眼が隠されている点にある。
資本主義、ファッション、愛、虚栄、孤独……それらがすべて「ポップ」として再構成され、リスナーに消費される。
ABCはこの作品で“見せること”“装うこと”の可能性と危うさを同時に提示している。
そしてそれは、現代におけるSNSやブランド消費にも通じる問いを内包している。
『How to Be a… Zillionaire!』は、単なる時代の産物ではない。
むしろ、時代の「しくみ」を先取りして見せた、ポップの皮を被ったアート・ポップの実験作なのである。
おすすめアルバム（5枚）
- Pet Shop Boys – Please (1986)
人工的なサウンドとクールな視線で感情を描く点がABCと共通。 - Art of Noise – In Visible Silence (1986)
ABCとも縁のあるアート・ポップ集団。サンプリングと映像感覚が光る。 - Grace Jones – Slave to the Rhythm (1985)
装飾的で知的、かつ鋭い社会性を持つ80sの象徴的ポップ作。 - Frankie Goes to Hollywood – Welcome to the Pleasuredome (1984)
トレヴァー・ホーンのプロデュースによる過剰な音像とポップ・アートの融合。 - Scritti Politti – Cupid & Psyche 85 (1985)
エレガントかつ意識的に構築されたポップ・サウンドがABCとよく似ている。
ビジュアルとアートワーク
本作の特徴のひとつが、アニメ風のイラストを用いたヴィジュアル戦略である。
アルバムジャケット、MV、プロモーションビデオのすべてが「架空のABCワールド」を作り出しており、実在と虚構の境界をあいまいにしている。
これは当時のMTV世代に向けたマーケティングの先駆的手法であり、イーデンの中性的なキャラクター造形やポップな色使いは、現代のJ-PopやK-Popのビジュアル戦略にも通じるものがある。
ABCはこのアルバムを通して、「音楽＝ヴィジュアル＝パッケージ＝自己演出」という図式を極限まで突き詰めたのだ。
その徹底ぶりこそが、80年代ポップカルチャーの神髄を体現していると言えるだろう。
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