
- イントロダクション:甘さ、毒、色気、怒りを同時に鳴らすクィア・ポップの異端児
- アーティストの背景と歴史:ブルックリンのスタジオ育ち、Z世代クィア・ポップの象徴へ
- 音楽スタイルと影響:クィア・ポップ、R&B、グラムロック、インディーの混合体
- 代表曲の解説:King Princessの楽曲世界
- アルバムごとの進化
- Make My Bed:クィア・ポップの新しい寝室
- Cheap Queen:チープな王冠をかぶるポップスターの自己演出
- Hold On Baby:内面の崩壊とロックへの接近
- Girl Violence:クィアな怒りとロックの再発明
- クィア・グラムという美学:性別、欲望、スター像を揺らす
- 歌詞世界:クィアな愛、名声、嫉妬、自己破壊
- Mark Ronsonとの関係:洗練と重圧
- 他アーティストとの比較:King Princessのユニークさ
- ライブ・パフォーマンス:気だるい王子、荒れるプリンセス
- 近年の活動:俳優デビュー、独立、そして Girl Violence の時代
- 社会的・文化的意味:クィア・ポップの“綺麗ごと”を壊す存在
- まとめ:King Princessは、クィアな欲望の光と影を鳴らすグラム・ポップの継承者である
イントロダクション:甘さ、毒、色気、怒りを同時に鳴らすクィア・ポップの異端児
King Princess(キング・プリンセス)は、ニューヨーク・ブルックリン出身のシンガーソングライター、マルチインストゥルメンタリスト、プロデューサーである。本名はMikaela Mullaney Straus。2018年のデビュー・シングル 1950 で一気に注目を集め、以後、Talia、Pussy Is God、Prophet、Ain’t Together、Ohio、For My Friends、Let Us Die、Fantastic、RIP KP、Girl Violence などを通じて、クィアな欲望、恋愛の暴力性、自己演出、グラムロック的な色気をポップの中心へ持ち込んできた。
King Princessの魅力は、単に「クィアであること」を歌う点に留まらない。彼女の音楽には、愛されたい衝動、誰かを支配したい欲望、傷つけられる快感、名声への疲労、自己嫌悪、そしてそれでもステージに立つナルシシズムがある。つまり、綺麗なアイデンティティの提示ではなく、もっと汚れて、複雑で、肉体的なクィアネスがある。
初期のKing Princessは、ソウル、R&B、インディーポップを溶かしたなめらかなサウンドで知られた。Mark RonsonのZelig Recordsから登場し、1950 の繊細なメロディと文学的なクィア・ロマンスで一躍時代の声になった。しかし、2025年の3rdアルバム Girl Violence では、彼女はよりギターを前面に出した荒々しいロック・モードへ向かう。同作は2025年9月12日にSection1からリリースされ、Bandcamp上でも13曲構成のアルバムとして掲載されている。
King Princessを形容するなら、“クィア・グラム”という言葉がよく似合う。David BowieやPrince、T. Rexのようなグラム的な性の曖昧さ、現代ポップのメロディ感覚、インディーロックのざらつき、そしてレズビアン/クィア・コミュニティ内部の親密さと痛み。それらが、彼女の作品には同時に存在している。
彼女は、クィア・ポップの希望だけを歌うアーティストではない。むしろ、その光の裏側にある嫉妬、依存、破滅、名声の重さ、恋愛の権力関係まで歌う。King Princessは、眩しいスポットライトの下で、自分自身の影をあえて見せるシンガーである。
アーティストの背景と歴史:ブルックリンのスタジオ育ち、Z世代クィア・ポップの象徴へ
King PrincessことMikaela Strausは、1998年12月19日にニューヨークで生まれた。父はレコーディング・エンジニアで、ブルックリンのMission Soundというスタジオに関わっていた人物として知られる。そのため、彼女は幼いころから録音スタジオや楽器、音作りに囲まれて育った。これは非常に重要である。King Princessは、単なるボーカリストではなく、音の質感やプロダクションを理解するアーティストとして登場したからだ。
彼女の出発点を決定づけたのが、2018年の 1950 である。この曲は、Patricia Highsmithの小説『The Price of Salt』、およびその映画化作品『Carol』に通じるような、隠されたクィア・ロマンスの感覚を持っていた。時代の空気としても、LGBTQ+表現がポップの中心へ少しずつ入っていく時期だった。1950 はその流れの中で、静かながらも大きな象徴になった。
同年にはEP Make My Bed を発表し、Talia や Holy などで注目を集める。ここでのKing Princessは、まだベッドルームポップとソウル、R&Bの間にいるような存在だった。歌声は柔らかく、サウンドは滑らかで、しかし歌詞にはかなりはっきりした欲望がある。
2019年には1stアルバム Cheap Queen をリリース。Mark Ronsonとの関係もあり、洗練されたプロダクションとインディーポップ的な親密さが共存する作品となった。2022年には2ndアルバム Hold On Baby を発表し、よりロック、フォーク、オルタナティブの方向へ広がる。2025年には、それまで所属していたZelig Recordsを離れ、Section1から3rdアルバム Girl Violence をリリースしたと整理されている。
この歩みは、単なる音楽的成長ではない。King Princessは、若くして“クィア・ポップの旗手”として大きな期待を背負った。その期待は祝福であると同時に、重圧でもあった。Guardianの2025年インタビューでは、彼女が初期の成功や愛への依存、ロサンゼルスでの混沌、そしてニューヨークへ戻ったことを語り、Girl Violence がより自由で成熟した作品になったことが紹介されている。
King Princessの物語は、クィア・スター誕生の物語であると同時に、そのスター像を自分で壊し、作り直す物語でもある。
音楽スタイルと影響:クィア・ポップ、R&B、グラムロック、インディーの混合体
King Princessの音楽は、インディーポップ、オルタナティブポップ、R&B、ソウル、グラムロック、ギターポップ、シンセポップ、時にポップパンクや90年代オルタナティブの影を含む。だが、彼女の音楽をジャンルで説明するより、態度で説明したほうが分かりやすい。彼女は、欲望を隠さない。自分の美しさも、醜さも、同じステージに上げる。
初期の 1950 や Talia には、R&B的な柔らかさとインディーポップの親密さがある。声は近く、音数は多すぎず、メロディは滑らかだ。そこにはFrank Ocean以降の内省的R&B、Perfume Genius的なクィアな繊細さ、そしてMark Ronson周辺のポップ職人性が感じられる。
一方、Cheap Queen では、よりレトロでソウルフルなポップへ進む。タイトルからして、自己演出と皮肉がある。安っぽい女王。つまり、豪華な王冠ではなく、少しチープで、少し芝居がかっていて、しかし確かに自分の王国を持つ存在だ。
Hold On Baby では、ギターやバンドサウンドが強まり、内省的なロック・アルバムとしての性格が増す。そして Girl Violence では、King Princessはさらにラフで、荒く、怒りを含んだロックの質感へ踏み込む。Pitchforkは同作を、3年の沈黙を経た激しい復帰作であり、従来のジャンル横断的なポップから、よりロック寄りの生々しい音へ向かった作品として評している。
影響源としては、Prince、David Bowie、T. Rex、Stevie Nicks、Fiona Apple、PJ Harvey、Frank Ocean、Perfume Genius、St. Vincent、Robyn、Mark Ronson、Joni Mitchellなどを連想できる。特にPrinceやBowieからは、性の曖昧さと自己演出の力を、Fiona AppleやPJ Harveyからは、女性的怒りと欲望のむき出し方を受け継いでいるように聞こえる。
King Princessの音楽は、クィアであることを説明する音楽ではない。クィアである身体、視線、恋愛、嫉妬、別れ、セックス、名声を、そのままポップにする音楽である。
代表曲の解説:King Princessの楽曲世界
1950
1950 は、King Princessの名を世界へ広めたデビュー・シングルである。柔らかなギター、控えめなビート、切ないメロディ。そして何より、隠された恋を歌う視点が印象的だ。
タイトルの「1950」は、同性愛が公に語られにくかった時代を思わせる。誰かを愛していても、それを堂々とは言えない。手を伸ばしたいのに、社会の目がそれを許さない。King Princessは、その抑圧されたロマンスを、現代のポップソングとして蘇らせた。
この曲が特別だったのは、クィアな愛を悲劇としてだけでなく、静かな誇りとともに歌ったことだ。声は大きくない。しかし、歌の中心には確かな強さがある。1950 は、King Princessの原点であり、クィア・ポップが2010年代後半に新しい場所へ進む合図のような曲だった。
Talia
Talia は、失恋の痛みをアルコールと幻影の中に沈めるような楽曲である。タイトルは名前であり、つまりこの曲は非常に個人的な相手へ向けられている。
曲の中で、語り手はもういない相手を思い続ける。酔い、幻覚、記憶、身体の残響。King Princessの声は、未練を美しく飾るのではなく、少しみっともないほどに近く置く。そこがいい。
Talia には、初期King Princessの美点が詰まっている。滑らかなメロディ、R&B的な温度、そしてレズビアンの失恋を真正面から歌う率直さ。異性愛ポップの定型にクィアな主語を差し込むだけではなく、欲望の質感そのものを変えている。
Holy
Holy は、宗教的な言葉と身体的な欲望を重ねた曲である。タイトルは「聖なる」という意味だが、King Princessが歌う聖性は教会の中だけにあるものではない。恋人の身体、触れること、欲望そのものが聖なるものになる。
この曲では、クィアな欲望が罪ではなく祝福として響く。ポップ音楽では、セクシュアリティはしばしば商品化される。しかしKing Princessの場合、それは自分自身の身体を取り戻す行為にも聞こえる。Holy は、彼女の音楽にある“欲望の神聖化”をよく示している。
Pussy Is God
Pussy Is God は、タイトルからして挑発的な楽曲である。女性器を神として讃えるような言葉は、異性愛男性中心のポップ文化の視線をひっくり返す。ここでは、女性の身体が欲望の対象であるだけでなく、崇拝される中心になる。
サウンドは滑らかで、メロディは親しみやすい。しかし、歌詞のインパクトは強い。King Princessは、挑発を単なるショック演出にしない。むしろ、ポップの甘さの中に、クィアな欲望の政治性を自然に差し込む。
この曲は、King Princessが“クィア・ポップのアイコン”として認識されるうえで重要だった。恥じないこと。隠さないこと。欲望を神にすること。それがこの曲の核である。
Cheap Queen
Cheap Queen は、1stアルバムのタイトル曲であり、King Princessの自己像をよく表す楽曲である。「安っぽい女王」という言葉には、自己卑下と自己肯定が同時にある。
彼女は完璧なポップ女王を演じるわけではない。少しチープで、少し壊れていて、少し皮肉っぽい。しかし、それでも王冠をかぶる。そこにKing Princessのグラム的な魅力がある。
この曲では、名声や自己演出の疲労も感じられる。ポップスターであることは、常に光を浴びることだが、その光は人を消耗させる。Cheap Queen は、スターとしての自己をからかいながら、その虚しさも滲ませる曲である。
Prophet
Prophet は、Cheap Queen 期を代表する楽曲のひとつであり、官能的でゆったりしたグルーヴが印象的である。タイトルは「預言者」。恋愛対象を神聖化するようでありながら、同時に自分が相手の未来を読んでいるような支配感もある。
King Princessのラブソングには、しばしばパワーゲームがある。愛する、愛される、見られる、見せる、支配する、支配される。Prophet は、その甘く危険な関係性を、滑らかなR&Bポップとして表現している。
Ain’t Together
Ain’t Together は、関係の曖昧さを描く名曲である。付き合っているわけではない。でも、何もないわけでもない。現代の恋愛、特に若い世代の恋愛にありがちな「名前のない関係」を、King Princessは見事に歌っている。
この曲のタイトルは、否定形でありながら、未練に満ちている。「一緒ではない」と言いながら、心はまだ相手に向かっている。King Princessの歌のうまさは、この曖昧な心理をメロディの中に閉じ込めるところにある。
Ohio
Ohio は、King Princessの中でもギターが強く、ライブ感のある楽曲である。長尺で、少し荒く、感情が徐々に噴き出すような構成を持つ。
この曲では、彼女のロック的な側面がよく見える。初期のR&B寄りの滑らかな音から、より生々しいバンドサウンドへ進む橋渡しのような曲だ。感情が整えられていない。そこが魅力である。
Only Time Makes It Human
Only Time Makes It Human は、時間と人間らしさをめぐる曲である。タイトルが示す通り、人は時間を通じてしか、自分の感情や失敗を理解できない。
この曲には、シンセポップ的な軽やかさがあるが、テーマは内省的だ。King Princessは、派手な自己演出の裏で、自分が何者なのかを何度も問い直している。時間が経つことでしか、人は自分の愚かさも愛も理解できない。この曲は、その気づきをポップにした作品である。
For My Friends
For My Friends は、2022年の Hold On Baby 期を代表する楽曲である。タイトル通り、友人たちへ向けた曲であり、恋愛だけではないKing Princessの感情世界が見える。
クィア・コミュニティにおいて、友人関係はしばしば家族のような意味を持つ。恋愛の痛みや社会的孤独を支えるのは、友人たちであることが多い。For My Friends は、そうした関係への感謝と切実さを持っている。
Let Us Die
Let Us Die は、Hold On Baby の終盤を飾るドラマティックな楽曲である。タイトルには死のイメージがあるが、これは単なる絶望ではない。関係の終わり、自己破壊的な愛、そしてそれを美しく燃やすような感覚がある。
この曲では、King Princessのロック的な大きさが前面に出る。静かなポップスターから、ステージで叫ぶアーティストへ。Hold On Baby は彼女の感情がよりむき出しになった作品だが、Let Us Die はその象徴である。
Fantastic
Fantastic は、アニメシリーズ Arcane League of Legends: Season 2 のサウンドトラックに収録された楽曲として知られる。Deezerのアーティストページでも、同曲が同サウンドトラック収録曲として掲載されている。
この曲では、King Princessのドラマティックな声と、映像作品に合うスケール感が結びついている。彼女の声には、親密さだけでなく、フィクションの中で響く theatrical な強さもある。Fantastic は、彼女がインディーポップの枠を越え、映像音楽やゲーム/アニメ文脈にも接続できることを示した楽曲である。
RIP KP
RIP KP は、2025年の Girl Violence 期の幕開けを告げた楽曲である。タイトルは「King Princessよ、安らかに眠れ」とも読める。つまり、自分自身の過去のイメージを葬る曲である。
Pitchforkのニュースでは、Girl Violence のリード曲として RIP KP が紹介され、同作が2025年9月12日にSection1からリリースされること、プロデューサーにJacob PortraitやAire Atlanticaが関わること、IDLESのJoe Talbotが一部楽曲に参加することが報じられている。
この曲は、King Princessが以前の滑らかなポップスター像を壊し、より荒く、ギター中心で、怒りを含んだ姿へ向かう合図だった。自分の名前を一度殺すことで、新しい自分を作る。まさにグラム的な変身である。
Girl Violence
Girl Violence は、2025年の3rdアルバムのタイトル曲であり、King Princessの新章を象徴する楽曲である。タイトルは非常に強い。「女の子の暴力」。これは肉体的な暴力だけではなく、恋愛、嫉妬、依存、感情操作、クィア・コミュニティ内部の傷つけ合いまで含む言葉として響く。
Pitchforkのレビューでは、Girl Violence がクィアな怒り、別れのカタルシス、混沌とした自己反省を扱うロック寄りの作品として紹介されている。
King Princessは、ここでクィアな恋愛を理想化しない。女性同士、クィア同士だからといって、関係が常に優しく正しいわけではない。嫉妬も、支配も、毒もある。Girl Violence は、その痛みをあえてタイトルに掲げた曲であり、アルバム全体の宣言でもある。
Jaime
Jaime は、Girl Violence 収録曲としてBandcampにも掲載されている。King Princess 名前をタイトルにした曲は、King Princessの得意な形式である。Talia と同じく、個人的な相手の名前が曲全体を支配する。
King Princessの名前付き楽曲には、対象への執着がある。名前を呼ぶことは、相手を記憶の中に固定することだ。Jaime もまた、恋愛や関係性の具体的な傷を、ポップソングの中に閉じ込める曲として聴ける。
Cry Cry Cry
Cry Cry Cry は、Girl Violence の中でもタイトルから感情の過剰さが伝わる楽曲である。泣く、さらに泣く、もっと泣く。感情を抑えるのではなく、反復によって増幅する。
2025年のKing Princessは、涙を美しく処理するのではなく、涙そのものをロックのエネルギーに変えている。Cry Cry Cry は、弱さと怒りが同じ場所から出てくることを示す曲である。
アルバムごとの進化
Make My Bed:クィア・ポップの新しい寝室
2018年のEP Make My Bed は、King Princessの原点である。1950、Talia、Holy などを収録し、彼女の名前を一気に広めた。
この作品は、ベッドルームポップ的な親密さと、R&Bの滑らかさ、そしてクィアな欲望の率直さが同居している。タイトルの「Make My Bed」には、寝室、恋愛、身体、後悔、朝の気配がある。King Princessの世界は、最初から非常に身体的だった。
1950 の静かなロマンス、Talia の失恋の酔い、Holy の欲望の神聖化。このEPだけで、彼女が単なる新人ポップシンガーではなく、明確な視点を持ったアーティストであることが分かった。
Cheap Queen:チープな王冠をかぶるポップスターの自己演出
2019年の Cheap Queen は、King Princessの1stアルバムである。Cheap Queen、Prophet、Ain’t Together、Hit the Back などを収録し、初期EPの親密さをより洗練されたポップへ拡張した。
このアルバムのテーマは、欲望と自己演出である。King Princessは、自分が見られていることをよく理解している。クィアなスターとして、ポップの中でどう見られるのか。どのように愛され、消費され、期待されるのか。Cheap Queen には、その自覚と疲れがある。
音楽的には、R&B、ソウル、インディーポップが滑らかに混ざっている。Mark Ronson周辺の洗練も感じられ、King Princessの声は多くの曲で甘く、少し気だるい。だが、その甘さの中に、権力や皮肉が潜んでいる。
Hold On Baby:内面の崩壊とロックへの接近
2022年の Hold On Baby は、King Princessの2ndアルバムである。For My Friends、Cursed、Little Bother、Change the Locks、Let Us Die などを含み、前作よりもギターやバンドサウンドが強くなった。
このアルバムは、心の崩れ方を描いている。名声、孤独、友情、恋愛、自己破壊。King Princessは、ここで初期のクールなポップスター像から、より不安定で人間臭い場所へ進む。
Apple Musicなどの配信ページでは、Hold On Baby が2022年のアルバムとして整理されている。Apple Music – Web Player この作品は、彼女が単なるクィア・ポップの期待に応えるだけではなく、自分の傷をより大きなロックサウンドへ広げようとした作品だ。
Girl Violence:クィアな怒りとロックの再発明
2025年の Girl Violence は、King Princessの3rdアルバムであり、彼女のキャリアにおける大きな転換点である。Bandcampでは2025年9月12日リリース、13曲構成のアルバムとして掲載されている。
この作品は、Zelig Recordsを離れ、Section1から発表された新章でもある。Pitchforkのニュースでも、同作がSection1からリリースされ、Jacob PortraitやAire Atlanticaが制作に関わったことが報じられている。
音楽的には、よりギターが強く、ロック色が濃い。従来の滑らかなR&Bポップから、怒りとざらつきを持つクィア・ロックへ進んでいる。テーマも鋭い。クィアな恋愛の美しさだけではなく、その中にある毒、嫉妬、感情的な暴力、自分自身の加害性まで見ようとしている。
Guardianのインタビューでは、King Princessが Girl Violence について、クィア/レズビアン・コミュニティ内部の感情的混乱や愛の中毒性、自己理解の変化と結びつけて語っている。The Guardian つまり、このアルバムは単なる失恋ロックではない。自分がどのように愛し、どのように壊し、どのように壊されてきたかを問い直す作品である。
Girl Violence は、King Princessが自分の“光”だけでなく“影”もポップにしたアルバムである。
クィア・グラムという美学:性別、欲望、スター像を揺らす
King Princessを語るうえで、“クィア・グラム”という視点は非常に有効だ。グラムロックは、1970年代にDavid Bowie、T. Rex、Roxy Music、New York Dollsなどが作り上げた、性の曖昧さ、衣装、演劇性、自己演出を重視するロックの美学である。King Princessはその精神を、現代のクィア・ポップへ移植している。
彼女のステージ名からして演劇的だ。KingでありPrincessである。男性性と女性性、権力とかわいらしさ、支配と装飾が同時にある。この名前は、彼女の音楽そのものを表している。
彼女のファッションやパフォーマンスには、メンズウェア的なクールさ、フェムな色気、ロックスター的な気だるさが混ざる。これは単に中性的という言葉では足りない。King Princessは、性別を中間にするのではなく、複数の性の記号を同時に過剰に使う。そこがグラム的なのだ。
音楽的にも、R&Bの官能、ロックのギター、ポップのキャッチーさ、クィアな歌詞が混ざる。Pussy Is God のような曲では、宗教とセックスが接続され、Girl Violence では恋愛の暴力性がロックのエネルギーになる。King Princessのクィア・グラムは、綺麗な多様性のスローガンではなく、欲望の汚さまで含んだ美学である。
歌詞世界:クィアな愛、名声、嫉妬、自己破壊
King Princessの歌詞世界には、いくつかの重要なテーマがある。まず、クィアな愛である。1950 では隠された愛、Talia では失われた恋人への執着、Ain’t Together では名前のつかない関係が描かれる。
次に、欲望である。Holy や Pussy Is God では、女性の身体やクィアなセクシュアリティが、恥ずべきものではなく、むしろ崇拝の対象として歌われる。ここには、ポップにおける視線の反転がある。
さらに、名声への疲労がある。Cheap Queen は、スターとして見られることの軽さと重さを同時に歌う。若くしてクィア・アイコンとして扱われることは、本人にとって自由であると同時に、役割を押しつけられることでもある。
そして近年の Girl Violence では、嫉妬、怒り、毒、感情的暴力が大きなテーマになる。King Princessは、自分が傷ついた側であると同時に、誰かを傷つける側でもあることを隠さない。この複雑さが、彼女の最新期の深みである。
Mark Ronsonとの関係:洗練と重圧
King Princessは、Mark RonsonのレーベルZelig Recordsの第1号アーティストとして注目された。Ronsonは、Amy Winehouse、Bruno Mars、Lady Gaga、Miley Cyrusなどとの仕事で知られるプロデューサーであり、クラシックなポップ/ソウルの質感を現代的に磨く名手である。
King Princessの初期作品には、Ronson周辺の洗練がある。音は滑らかで、メロディは強く、R&Bやソウルの要素が上品に配置されている。Cheap Queen のポップとしての完成度には、この環境が大きく関わっている。
一方で、若くして大物プロデューサーのもとから登場することは、強い期待と重圧も生む。King Princessは、初期の成功によって“クィア・ポップの新星”として急速に消費された。Girl Violence でZeligを離れたことは、彼女が自分の物語を取り戻すための重要なステップだったと考えられる。Wikipediaなどでも、彼女が2025年作 Girl Violence の前にZeligを離れ、同作をSection1からリリースしたことが整理されている。
他アーティストとの比較:King Princessのユニークさ
King Princessは、Perfume Genius、St. Vincent、Frank Ocean、Clairo、Phoebe Bridgers、MUNA、Hayley Kiyoko、Fletcher、Troye Sivan、Rina Sawayama、Christine and the Queensなどと比較できる。
Perfume Geniusと比べると、どちらもクィアな身体性と美学を強く持つが、King Princessはよりポップで、R&Bやロックのわかりやすいフックを持つ。St. Vincentと比べると、King Princessはより感情が直接的で、ギターの使い方も自己演出より肉体的な痛みに近い。
Frank Oceanと比べると、内省的なクィアR&Bという点で共鳴するが、King Princessはよりグラム的で、ステージ上のキャラクター性が強い。ClairoやPhoebe Bridgersと比べると、彼女はよりセクシュアルで、より演劇的だ。
Hayley KiyokoやFletcherとは、レズビアン/クィア・ポップの文脈で並べられることが多い。しかしKing Princessのユニークさは、ラブソングの美しさだけではなく、恋愛の毒や自己破壊を強く鳴らす点にある。彼女は“クィアな幸せ”だけでなく、“クィアな混沌”を歌う。
ライブ・パフォーマンス:気だるい王子、荒れるプリンセス
King Princessのライブは、声、ギター、身体の見せ方が重要である。彼女は、完璧に振り付けられたポップスターというより、ステージ上で気だるく、時に荒々しく、時に観客を挑発するロックスターに近い。
初期曲では、1950 や Talia のような親密な曲が観客の合唱になる。そこには、クィアなリスナーが自分の恋愛を投影できる空間がある。一方、Ohio や Girl Violence 期の曲では、ギターの歪みと身体的なエネルギーが強くなる。
2025年の Girl Violence 発表時には、北米とヨーロッパを回るツアーも告知された。Pitchforkのニュースでは、Brooklynを皮切りにLos Angeles、Toronto、London、Paris、Berlinなどを回る秋ツアーが紹介されている。
King Princessのライブは、クィア・コミュニティにとって祝祭であると同時に、感情を吐き出す場所でもある。美しさだけではなく、怒り、涙、欲望、皮肉が同じステージにある。
近年の活動:俳優デビュー、独立、そして Girl Violence の時代
近年のKing Princessは、音楽だけでなく俳優としても活動を広げている。2025年にはドラマ Nine Perfect Strangers で俳優デビューしたことも報じられ、彼女の表現領域は音楽から映像へも広がっている。
また、Arcane League of Legends: Season 2 のサウンドトラックに参加した Fantastic も、彼女の声が映像作品と強く結びつくことを示した。
そして最大の動きが、2025年の Girl Violence である。このアルバムは、単なる3作目ではない。レーベル環境を変え、自分の過去のイメージを壊し、よりロックで、より荒く、よりクィアな怒りを前面に出した作品だ。Bandcampでは同作が2025年9月12日にリリースされたことが確認できる。
Guardianのインタビューでは、King Princessが愛を痛みと結びつけていた時期から、セラピーや自己理解を経て、尊重や幸福を選ぶ方向へ変化していることが語られている。The Guardian つまり、Girl Violence はただ荒れるアルバムではない。荒れた自分を見つめた後、どう生き直すかを探す作品でもある。
社会的・文化的意味:クィア・ポップの“綺麗ごと”を壊す存在
King Princessが重要なのは、クィア・ポップを単なる代表性の物語に閉じ込めないことだ。もちろん、彼女がオープンにクィアなアーティストとして成功したことは大きい。しかし、彼女の本当の面白さは、クィアな愛を美化しすぎない点にある。
ポップカルチャーでは、マイノリティ表現がしばしば「正しく」「肯定的に」「模範的に」描かれることを求められる。だが、King Princessはそこからはみ出す。彼女の歌うクィアな恋愛は、時に醜く、嫉妬深く、自己中心的で、壊れている。だからこそ人間的なのだ。
Girl Violence というタイトルは、その意味で挑発的である。女性同士やクィア同士の関係にも、暴力性や毒性は存在する。King Princessは、それを隠さない。これはクィア表現を後退させるものではなく、むしろ成熟させるものだ。クィアな人間もまた、複雑で、間違え、傷つけ、欲望する存在として描かれるべきだからである。
King Princessは、光だけのアイコンではない。影を持つアイコンである。その影を見せることで、彼女はクィア・ポップをより深く、より危険で、より本物にしている。
まとめ:King Princessは、クィアな欲望の光と影を鳴らすグラム・ポップの継承者である
King Princessは、“クィア・グラム”を掲げるNY発シンガーであり、現代ポップにおける最も魅力的で矛盾に満ちたアーティストのひとりである。2018年の 1950 で、隠されたクィア・ロマンスを静かなポップソングとして提示し、Talia、Holy、Pussy Is God で欲望と喪失を率直に歌った。2019年の Cheap Queen では、安っぽくも誇り高いポップスター像を作り、2022年の Hold On Baby では内面の崩壊とロックへの接近を見せた。
そして2025年の Girl Violence では、彼女は自分自身の過去のイメージを葬り、より荒々しく、ギターに満ちたクィア・ロックへ向かった。RIP KP は変身の宣言であり、Girl Violence はクィアな恋愛の毒と暴力性をあえて可視化する曲である。
King Princessの音楽には、甘さがある。色気がある。怒りがある。皮肉がある。そして、自己破壊のあとに残る静かな希望もある。彼女は、クィアであることを清潔なブランドにはしない。もっと生々しく、もっと危うく、もっとグラムに鳴らす。
Kingであり、Princessである。支配する者であり、装飾される者である。傷つける者であり、傷つく者である。その矛盾のすべてを抱えて、King Princessは現代ポップのステージに立つ。彼女の光は眩しい。だが、その光が最も強く見えるのは、いつも背後に濃い影があるからである。

コメント