発売日: 1999年10月25日
ジャンル: トリップホップ、エレクトロニカ、オルタナティヴ・ロック、ダーク・ポップ
概要
『Splinter』は、Sneaker Pimpsが1999年に発表した2作目のスタジオ・アルバムであり、
デビュー作『Becoming X』で打ち立てた“妖艶な女性ヴォーカルによるトリップホップ像”を自ら解体し、
より内省的かつ繊細なサウンドへと転換した問題作である。
最大の変化は、ヴォーカリストの交代。
Kelli Ali(旧姓Kelli Dayton)を脱退させ、プロデューサーでもあるChris Corner(クリス・コーナー)が自らヴォーカルを担当することで、
バンドは一気に“内側へと沈み込む表現”へと移行した。
サウンド面では、トリップホップのルーツを残しながらも、よりダークで静謐、エレクトロニカやアコースティックのニュアンスが色濃い。
タイトルの「Splinter=破片/裂け目」が示すように、
本作は感情や自己認識が細かく砕け散った断片たちを丁寧に紡ぎ直すアルバムなのだ。
全曲レビュー
1. Superbug
開幕を飾るミッドテンポのダークポップ。
“超ウイルス”という比喩が、感情的感染や社会の歪みを暗示するようなスタート。
2. Half Life
淡々としたビートとメロディの反復が心地よい。
“半減期”という言葉が、失われていく存在感と曖昧なアイデンティティを示している。
3. Low Five
シングル曲にして、アルバム随一のキャッチーなナンバー。
“High Five”ではなく“Low Five”――皮肉と距離感が漂う現代的な挨拶。
4. Curl
アコースティックなギターと柔らかな電子音が溶け合う、メランコリックな小品。
“Curl”=巻く、曲がるという言葉が、心のひねくれと優しさを象徴する。
5. Empathy
エレクトロニックな冷たさと、人間的な温かさのはざまにあるタイトル曲的楽曲。
“共感”というテーマを静かに、しかし深く揺さぶる。
6. Destroying Angel
クラシカルなメロディと毒のある歌詞が共存する。
“破壊の天使”というタイトルが示すように、愛と破滅の背中合わせを描いた幻想譚。
7. Cute Sushi Lunches
不思議なタイトルながら、リリックには毒と皮肉が満載。
都会的な虚無やアイロニーをポップに包んだ異色作。
8. Lightning Field
スロウなリズムと厚みのあるコード進行が印象的な美曲。
“雷の野原”という比喩が、静寂の中の衝動と予兆を美しく描く。
9. Wife by Two Thousand
ポストヒューマン的視点を感じさせる近未来SF的な一曲。
“2000年製の妻”というタイトルが、テクノロジーと人間性の境界線を示唆する。
10. Bloodsport
ロック色の強い緊張感あるナンバー。
闘争=愛、あるいは愛=闘争という暴力性と性愛の表裏一体性が見える。
11. Ten to Twenty
抽象的な時間軸を扱ったような短い中間曲。
ミニマルな構成が、アルバムの中継点として静かに機能する。
12. Soft Palate
口腔の柔らかい部分という意味のタイトルが示す通り、繊細さと感受性を極限まで研ぎ澄ましたような終曲。
囁くようなボーカルと幽玄なサウンドで、アルバムは深い余韻を残して終わる。
総評
『Splinter』は、Sneaker Pimpsが自ら築いた“女性ヴォーカル+セクシーなトリップホップ”という図式を脱ぎ捨て、
内省、疎外、不安定さをあえて剥き出しにした、静かなる転機のアルバムである。
ヴォーカルを担当するChris Cornerの声は、Kelliの妖艶さとは正反対の脆く繊細な“男の傷”を抱えた声であり、
その内向的な音楽世界は、むしろ2000年代以降のインディ・エレクトロやポスト・ロックへの橋渡し的要素すら持っている。
もし『Becoming X』が“都市の夜に佇むモード系女性”だったとすれば、
『Splinter』は“カーテンを閉じた部屋でひとりで泣く詩人”のようでもある。
ポップでもロックでもクラブでもない。
これは、誰にも見せられない感情の破片=“Splinter”を音にした静かなドキュメントなのだ。
おすすめアルバム
- IAMX / Kiss + Swallow
Chris Cornerが後に始めたソロプロジェクト。『Splinter』の延長線上にある暗黒ポップ。 - Radiohead / Kid A
内省と未来感、エレクトロニカ的抽象化における同時代的共鳴。 - Depeche Mode / Ultra
エレクトロと宗教的内面性が交差する点での共振。 - Massive Attack / 100th Window
ポップ性を排した精神性重視のトリップホップ。 - A Perfect Circle / Thirteenth Step
中性的で内省的な男性ヴォーカルによる精神的ロック。
歌詞の深読みと文化的背景
『Splinter』の歌詞は、都市的で無機質な言葉を使いながら、極めて個人的かつ感情的な主題――共感、孤独、記憶、崩壊――を取り扱っている。
「Half Life」では、時間や存在の不安定さを物理的な用語に置き換えることで、心の“希薄さ”を客観化し、
「Destroying Angel」では、中世的・宗教的モチーフを使って、自己破壊的な愛の姿を寓話化している。
また、“Wife by Two Thousand”などの曲には、90年代末のテクノロジー不信やポストヒューマニズム的思索が見え隠れし、
アルバム全体として、20世紀末の個と社会、肉体と機械、愛と孤独をめぐる思索が音楽化されている。
『Splinter』は、誰かに寄り添うためではなく、自分の中のノイズと沈黙に耳を澄ませるためのアルバムである。
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