1. 歌詞の概要
「Myself to Myself」は、Romeo Void(ロメオ・ヴォイド)が1984年にリリースしたメジャー3作目にして最後のスタジオ・アルバム『Instincts』に収録された楽曲である。このアルバムでは、彼らが従来のポストパンク的な尖ったサウンドから、より洗練されたニューウェーブ/ダンスロック的アプローチへと移行した姿が見られるが、この「Myself to Myself」は、そんな変化の中においても、ヴォーカリスト、デボラ・アイヤルの内面に深く切り込むようなリリックが光る作品である。
タイトルが象徴するように、「Myself to Myself(私を私に)」というフレーズには、自己と対話し、他者からの視線を遮断するような内省性と孤立感が漂う。曲全体は、女性として、詩人として、そして都市の中で生きる一人の個人として、アイヤルがいかにして自分自身と向き合っているかを描き出している。
その語り口は、怒りや嘆きではなく、観察と沈黙、そして“境界の意識”によって成り立っている。感情を押し殺すのではなく、慎重に言葉を選びながら、内なる自己を探ろうとする詩的な試み──それが、この曲の本質である。
2. 歌詞のバックグラウンド
デボラ・アイヤルは、ネイティブ・アメリカン(クアイルート族)出身の女性詩人でもあり、Romeo Voidにおけるリリックとパフォーマンスの核を担っていた人物である。彼女の詩は、しばしば女性の身体性、社会における見られる側としての苦悩、アイデンティティと自己愛のジレンマをテーマにしており、「Myself to Myself」もその延長線上にある作品だ。
本曲が収録された『Instincts』は、メジャー・レーベルでの制作ということで、バンドにとってより“万人受け”を意識せざるを得ない局面もあったが、「Myself to Myself」ではむしろ、彼らの原点にある“自己表現としての音楽”の純度が高く保たれている。
サウンド面では、滑らかなギターとサックス、控えめながら重心の低いベースが重なり合い、アイヤルの低く語るようなヴォーカルがそこにそっと重なっていく。まるで都市の片隅でひとり、自分の心に話しかけるような、夜の静けさを纏った音楽である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I give myself to myself
私は、私に自分を与える
この冒頭のラインは、タイトルの“Myself to Myself”を詩的に展開した言葉であり、他者の承認や愛を介さず、自分だけの感情、自分だけの時間、自分だけの自己肯定を求める試みとして響く。
No one takes me
誰も私を奪わない
このフレーズには、守りではなく意志がある。誰にも“渡さない”のではなく、誰にも“奪われない”という宣言。それは過去に他者によって傷つけられた経験がありながらも、なおも自分の輪郭を保とうとする姿勢の表れである。
I don’t need a mirror
私には鏡はいらない
この一文は、外部の視線を拒む象徴である。女性であること、異物であること、見られることに傷つけられてきた彼女が、もはや「鏡=他者の目」を必要としないと語るとき、そこには静かな強さと痛みが同居している。
(出典:Genius Lyrics)
4. 歌詞の考察
「Myself to Myself」は、社会的ラベルやジェンダー、ルックスや恋愛関係から解放された“自分だけの自分”を探る旅のような楽曲である。ここで描かれるのは、他者を拒絶して孤立する姿ではない。むしろ、自分の中心に立ち直ろうとする試み、社会との距離を測り直そうとする行為である。
アイヤルの詩は、必ずしも明確な結論や意味を求めない。彼女は自分の内面を語りながらも、どこかでそれが他人に伝わらないことを受け入れているようでもある。つまりこの曲は、「分かってもらえないこと」を前提に、それでも言葉を紡ぐ強さを描いている。
また、“与える”という動詞の選択も重要だ。彼女は「与えられる」のではなく、「与える」側であり続ける。それがたとえ自分自身に対してであっても、彼女の主体性は失われていない。自己との対話を続けること、それ自体が抵抗であり、生きることの証明なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Self Control by Laura Branigan
社会的規範と個人の欲望が交錯する80年代の名バラード。孤独と解放のテーマが共通する。 - The Killing Moon by Echo & the Bunnymen
運命と自己の境界線を幻想的に描く。詩的構築の力強さが似ている。 - Running Up That Hill by Kate Bush
“もしも立場を入れ替えられたら”という仮定にこめた切実な感情。女性的視点からの自己理解の試み。 - I Know It’s Over by The Smiths
自意識と孤独のどこにもぶつけられない感情を静かに吐露するメランコリックな名作。
6. 内面の声を音にする:沈黙と詩の交差点
「Myself to Myself」は、派手な演出やカタルシスを持たないが、その静けさの中にとてつもない深度を秘めた楽曲である。Romeo Voidというバンドが“見る音楽”ではなく“聴く音楽”であったこと、そしてその中心にデボラ・アイヤルという詩人がいたことの証左とも言えるだろう。
この楽曲は、社会や他者によって定義される“私”から距離をとり、自分自身だけで成り立つ“私”を再構築する、まさに詩的で哲学的な旅である。それは孤独ではなく、自立であり、拒絶ではなく、選択なのである。
「Myself to Myself」は、誰にも見せない傷跡と、誰にも渡さない希望をそっと抱えながら、夜の都市を歩くすべての人へ捧げられた祈りのような歌である。誰の目も借りず、ただ自分に向かって語りかけるその静かな声は、今日も私たちの中の“自分だけの場所”をそっとノックしている。
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