発売日: 2022年5月5日
ジャンル: インディーロック、オルタナティブポップ、ドリームポップ
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概要
『Slugeye』は、ロンドン出身のシンガーソングライター、Gretel Hänlynが2022年に発表したデビューEPであり、その濃厚で幻想的な音像と、自己解体的なリリックによって鮮烈な印象を残した作品である。
若干19歳という若さで登場した彼女は、深く低い声と、浮遊感のあるギターサウンド、そして何よりも“自分を見つめる眼差し”の鋭さによって注目を集めた。
本作のタイトル『Slugeye（ナメクジの目）』は、自分を「見たくないものまで見てしまう目」として捉える、皮肉と美しさの混在したメタファーであり、その感覚が全編を通して貫かれている。
Billie Eilish以降の“静かな暗さ”や、Wolf Aliceに通じるギターロックの残響、さらにはMazzy StarやPJ Harveyのような90年代のオルタナティブ・フェミニンの系譜も感じさせる。
同時に、彼女の持つ歌詞の内省性と、都市の寂しさに寄り添うようなサウンドは、同世代のインディーリスナーに深く刺さる感触を持っている。
『Slugeye』はEPという小さな枠組みにありながら、「声・言葉・空気」のすべてが密度高く詰め込まれた、完成度の高い短編映画のような作品である。
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全曲レビュー
1. Slugeye
タイトル曲にして、世界観の核心を担う一曲。
ドリーミーなギターとスローなリズム、そして彼女の低音ボーカルが不穏な浮遊感を生む。
「自分を見つめすぎて、気が狂いそう」というような内面の視線が繊細に描かれる。
2. Apple Juice
イントロからグランジ的なギターが炸裂し、ダークポップとロックの狭間を揺れる。
「リンゴジュース」という子供っぽい象徴を使いながら、対人関係の気まずさや焦燥を語るリリックが印象的。
無邪気さと毒が交錯する楽曲。
3. It’s the Future, Baby
ウィットに富んだタイトルとは裏腹に、ノスタルジックで切ないメロディが展開される。
未来に希望を抱くよりも、「未来を信じられない感覚」を描くような、内向きなポップソング。
彼女の“あきらめの優しさ”がにじむ一曲。
4. Today (Can’t Help But Cry)
フォーク的なミニマル構成の中で、彼女の声が静かに沁みてくるバラード。
泣いてしまう自分を肯定も否定もせず、ただ受け入れるようなニュアンスが、美しく、痛い。
シンプルだが圧倒的に強い。
5. Wiggy
本作の中でも最も実験的な楽曲で、構成の変化が激しい。
不安定なリズムと、非現実的なコーラスが、まるで夢と現実の境界を行き来するような印象を与える。
「誰かになりきって生きること」への違和感と、自己の希薄さを描いている。
6. Motorbike
終盤を彩る、荒涼としたギター・バラッド。
モーターバイクという逃避の象徴が繰り返され、自由への渇望と孤独感が交錯する。
一人で疾走する夜のイメージが、音と詩の両方で映像的に浮かぶ。
7. My Name is
EPのラストを飾るのは、自己紹介のようでいて、自己解体のようでもある一曲。
「私の名前は…」と繰り返しながら、自分の輪郭がぼやけていく感覚が描かれており、聴き終えた後に深い余韻を残す。
EPのテーマを象徴する静かな幕引き。
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総評
『Slugeye』は、Gretel Hänlynという新鋭が、自らの“不安定さ”や“脆さ”を武器にしながら、静かに強く響く声を提示した作品である。
このEPには、10代から20代にかけての“アイデンティティの宙吊り感”や、“自意識のノイズ”がそのまま刻まれており、過剰な装飾を避けたサウンドがそれを生々しく支えている。
彼女の歌声は、濃密な低域と微かな揺れを持ち、ただ美しいだけでなく、“話すように歌う”語り口が、非常にリスナーの近くに響く。
また、歌詞における観察眼の鋭さと、言葉選びの冷静さは、年齢を超えた詩人性を感じさせる。
サウンド面では、ドリームポップ的な浮遊感と、グランジ由来のざらつきが共存しており、PJ HarveyやCourtney Barnettにも通じる“個の爆発”を現代的にアレンジしているようだ。
この作品は、ただの“日記的ポップ”ではなく、自分の目で世界を見つめ直すための「観察装置」としての音楽である。
それはまさに「ナメクジの目＝Slugeye」が意味するものなのだ。
EPでありながら、完成度はアルバム並み。
今後の展開を予感させると同時に、この作品自体が既にひとつの到達点でもある。
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おすすめアルバム（5枚）
- Wolf Alice『Blue Weekend』
女性的な視点とドリーミーなギターサウンド、内省的なリリックが共通。 - Phoebe Bridgers『Stranger in the Alps』
静かな語りと強い感情が交錯する、現代フォーク×インディーの名盤。 - PJ Harvey『To Bring You My Love』
濃密なボーカルと自己解体的な歌詞、深い低音ボイスの系譜。 - Soccer Mommy『Color Theory』
モダンなグランジ感とメランコリックな視点が共通。 - Billie Marten『Flora Fauna』
自然と感情の交差点にある詩的なインディーポップ。
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7. 歌詞の深読みと文化的背景
『Slugeye』の歌詞には、ジェンダー的視点やセルフイメージ、アイデンティティの解体と再構築といった現代的テーマが色濃く現れている。
特に「Wiggy」や「My Name is」では、「自分とは何者か？」という問いが中心にあり、それはインスタグラム文化や“パフォーマティブな自己”に対する疑念とも重なる。
また、「Apple Juice」のように無邪気な象徴を用いながら毒を含ませる手法は、Gretelが育ったイギリスの皮肉文化、ポスト・ロイヤル時代の冷笑的感覚にも接続する。
つまり彼女の歌詞は、個人の内面を描きながらも、同時に社会的な時代精神の断片でもある。
このようにして『Slugeye』は、小さな世界を描きながら、大きな世代の“まなざし”を象徴しているのだ。
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