
発売日:2023年8月18日 ジャンル:Alternative R&B / Art Rock / Post-Punk / Funk
概要
STRUGGLERは、ガーナ生まれでオーストラリアを拠点に活動するGenesis OwusuことKofi Owusu-Ansahが2023年に発表した2作目のスタジオ・アルバムである。デビュー作Smiling with No Teethでは、ヒップホップ、ファンク、ソウル、ポストパンクを横断しながら、人種差別や抑うつと向き合う人物を描いた。本作でもジャンルを一つに絞らない姿勢は変わらないが、音楽と歌詞をより明確な世界観の中へまとめている。
中心となるイメージは、巨大な世界の中で生存しようとする小さな存在である。Owusuは作品の発想をSamuel Beckettの『ゴドーを待ちながら』やFranz Kafkaの『変身』などと結びつけ、絶えず押しつぶされそうになりながら、それでも動き続ける「struggler」を描いた。歌詞にはゴキブリを思わせる存在や神、運命、死などが登場するが、難解な文学作品の説明にはならず、仕事、人間関係、欲望、精神的な消耗といった現代的な生活感へ落とし込まれている。
サウンドは前作よりバンド演奏の比重が高く、ポストパンクの硬いベース、ファンクの跳ねるリズム、ニューウェーブ的なシンセ、ソウルフルな歌唱が曲ごとに入れ替わる。Owusu自身も低い語り、ラップ、鋭い叫び、柔らかなファルセットを使い分け、一人の主人公が複数の心理状態を行き来しているように聞かせる。生き残ることを英雄的な勝利としてではなく、格好悪くても翌日まで持ちこたえる行為として捉えた点が、本作の音楽と物語を結びつけている。
全曲レビュー
1. 「Leaving the Light」
低く動くベースと鋭いリズムがすぐに走り出し、アルバムは考える時間を与えず主人公を世界へ放り込む。Owusuは歌うというより言葉を突き出すように声を使い、生き残るために光や安全な場所から離れていく感覚を作る。サビでは声が集団的に広がる一方、演奏は落ち着かず前進し続ける。STRUGGLERの生存という主題を説明するのではなく、まず身体で感じさせるオープニングである。
2. 「The Roach」
アルバムを象徴するゴキブリのイメージが前面に出る。人間から嫌われ、踏み潰されそうになっても生き残る存在を主人公へ重ねることで、「強さ」を美しい英雄像から切り離している。ベースとドラムはファンク的に跳ねるが、その周囲には不穏な電子音が置かれ、楽しいグルーヴの中に危険が残る。Owusuの声も余裕と焦りの間を動き、生存者のしたたかさをユーモラスに聞かせる。
3. 「The Old Man」
重いベースと乾いたビートを使い、前2曲よりも足取りを遅くする。「old man」という存在は単純な一人の人物というより、主人公の上にのしかかる権威や時間、避けられない力を思わせる。Owusuは低い声で言葉を置き、そこへ高いボーカルを重ねることで、外から命令する声と内側の不安が交錯するような感触を作る。物語の敵を具体的な悪役に限定しないところが本作らしい。
4. 「See Ya There」
軽快なリズムと親しみやすいメロディを持ちながら、題名の「そこで会おう」という言葉には別れと再会の両方が含まれる。Owusuは柔らかな歌声を多く使い、それまでの緊張から一時的に離れるが、完全な安心には向かわない。誰かとのつながりを求める気持ちと、結局は一人で進まなければならない感覚が同居している。アルバムの物語に人間的な親密さを持ち込む曲である。
5. 「Freak Boy」
跳ねるベースと硬いドラムに、Owusuの芝居がかったボーカルを重ねたファンク/ポストパンク色の強い曲である。「freak」と見なされる人物が、周囲から与えられた異物という立場を逆に自分のキャラクターとして引き受ける。声を低く歪ませた部分と滑らかな歌を切り替えるため、自信と不安が一人の中で争っているように聞こえる。踊れるリズムの裏側で、社会に馴染めない感覚を扱っている。
6. 「Tied Up!」
タイトル通り身動きが取れない状態を、緊張したリズムと反復によって表す。短いフレーズを何度も戻すことで、逃げようとしても同じ場所へ引き戻されるような感覚があり、Owusuの歌唱も次第に切迫していく。サウンドにはファンクの身体性があるため、拘束を歌いながら音楽自体は動き続ける。この矛盾が、「苦境の中でも止まれない」というアルバムの考え方をよく表している。
7. 「That’s Life (A Swamp)」
人生を「沼」にたとえ、進もうとするほど足を取られるような状況を描く。ここでのユーモアは重要で、苦しみを壮大な悲劇へ変えるのではなく、どうしようもない現実を少し突き放して眺めている。演奏も沈み込むような低音と奇妙に弾むリズムを組み合わせ、重さと遊びを両立させる。タイトルの投げやりな響きまで含めて、Owusuのブラックユーモアがよく出た一曲だ。
8. 「Stuck to the Fan」
硬く刻むリズムの上で、落ち着かないギターや電子音がせわしなく動く。何かに張りついたまま振り回されるようなタイトルのイメージと、演奏の慌ただしさが直接結びついている。Owusuも言葉を細かく区切り、状況を支配するというより、それについていくので精いっぱいの人物を演じる。中盤までに提示された「生存」を、より滑稽で身体的な形へ変えた曲である。
9. 「Stay Blessed」
ゴスペルやソウルを思わせる温かい響きを取り込み、アルバム後半で一度視界を開く。「blessed」という言葉は単純な成功の宣言ではなく、厳しい状況でも自分に残されたものを確認する行為として響く。Owusuの歌唱もここでは攻撃性を抑え、旋律をゆっくり伸ばす。そのため前半の落ち着かないリズムからの変化が大きく、闘争の途中にある小さな感謝や休息を感じさせる。
10. 「What Comes Will Come」
未来を完全に支配することを諦め、来るものは来ると受け入れる姿勢がタイトルに表れている。ただし、これは単純な楽観ではない。演奏には依然として緊張が残り、Owusuの声も自信満々というより、自分自身へ言い聞かせているように聞こえる。生存をすべて自力で制御しようとする前半から、制御できないものと共存する方向へ主人公の視点が少し変わる。
11. 「Cool Mornings」
朝の涼しさを思わせる穏やかな音色が中心となり、アルバム終盤に静かな時間を作る。夜を越えた後の朝は小さな生存の証明でもあり、劇的な勝利を宣言しない本作にふさわしいイメージである。Owusuも声の力を抜き、周囲の空間を残しながら歌う。ここまで続いた濃密なファンクやポストパンクから距離を置くことで、単純な静けさそのものが大きな変化として感じられる。
12. 「Balthazar」
アルバム後半の物語を再び不穏な方向へ引き戻し、名前を持った存在を通して死や運命を意識させる。低い音域を中心にしたアレンジには重さがあるが、Owusuは恐怖だけを演じるのではなく、相手を観察するような距離も保っている。STRUGGLERでは脅威が完全に倒されることはなく、この曲でも主人公は世界を征服するより、その中でどう身を置くかを探っているように聞こえる。
13. 「Only One」
最後は大きな勝利のアンセムではなく、一人の存在へ焦点を絞る。広がりのあるボーカルと比較的穏やかな演奏によって、アルバム冒頭の切迫した「Leaving the Light」とは明確な対照を作る。生き残ったから無敵になったのではなく、自分や誰かとのつながりを確認できる程度の場所へ到達した、と受け取れる終わり方だ。苦闘そのものを消さず、そこに意味を見つけようとする余韻を残して作品を閉じる。
総評
STRUGGLERの面白さは、「生き残る」という大きな主題を、勇敢な主人公の物語にしなかったところにある。ここで中心になるのは、踏まれても逃げるゴキブリや、沼にはまりながら進もうとする人物だ。状況を支配する強者ではなく、世界の大きさに比べれば取るに足らない存在が、それでも動きを止めない。Owusuはこの格好悪い粘り強さをブラックユーモアと結びつけることで、自己啓発的な「困難を乗り越えろ」という物語から距離を取っている。
音楽も同じ考え方で動いている。ポストパンクの硬い反復は主人公を追い立て、ファンクのベースはその状況でも身体を動かし続けさせる。そこへニューウェーブ的な電子音やソウルの柔らかなメロディが入ることで、緊張が一色にはならない。「Tied Up!」のように拘束を歌う曲ほどリズムが身体的なのは象徴的で、動けないと歌いながら音楽は決して止まらない。この矛盾がアルバムの主題を説明以上に分かりやすく伝えている。
前作Smiling with No Teethと比べると、ジャンルの切り替えはやや整理されている。デビュー作にはヒップホップ、パンク、ソウルが突然衝突する驚きがあったが、本作ではベースとドラムを中心とする一貫したバンド感が強い。そのぶん一曲ごとの衝撃は前作ほど極端ではないものの、アルバム全体の流れは明確になった。Owusuの多彩なボーカルも、ジャンルを変えるためというより、主人公の心理状態を変化させるために使われている。
文学的な発想を持ちながら、作品が頭でっかちにならない点も強い。KafkaやBeckettにつながる不条理を背景に置いても、実際に聞こえてくるのは太いベース、踊れるビート、奇妙なユーモア、そして必死な声である。人生の意味を発見して苦闘が終わるのではなく、意味が分からなくても次の日へ進む。その考えを13曲の身体的な音楽へ変換したことによって、STRUGGLERはコンセプトとポップ/ロックの快楽が無理なく共存する作品になっている。
おすすめアルバム
Smiling with No Teeth by Genesis Owusu
2021年のデビュー作。ヒップホップ、ソウル、パンク、ファンクをさらに激しく切り替えながら、差別や精神的な苦闘を描く。STRUGGLERで音楽と物語がどのように整理されたかを比較できる。
Remain in Light by Talking Heads
1980年作。反復するベースと複数のリズムを積み重ね、ロックを身体的なダンス音楽へ変えた。神経質なボーカルとファンクを結びつける方法にも、STRUGGLERへつながる共通点が見える。
Entertainment! by Gang of Four
1979年作。硬いギター、ファンク的なベース、乾いたドラムを使い、社会の圧力を踊れるポストパンクへ変換した作品である。STRUGGLERの鋭いリズムと批評的なユーモアのルーツを考えるうえで近い。
Negro Swan by Blood Orange
2018年作。R&B、ファンク、電子音楽を横断しながら、疎外感や自己像を柔らかく多層的なサウンドで描く。Owusuより静かな作品だが、ジャンルを越えてアイデンティティと生存を扱う方法が共通する。
Sometimes I Might Be Introvert by Little Simz
2021年作。ヒップホップを中心にソウル、ファンク、オーケストラ的な音まで取り込み、個人的な不安と社会の中での自己像を結びつける。STRUGGLERとは異なる方法で、内面の葛藤を大きな物語へ広げた作品である。

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