
発売日:2018年12月7日
ジャンル:インディー・ポップ、ベッドルーム・ポップ、アコースティック・ポップ、シンガーソングライター、ローファイ
概要
Beabadoobeeの『Patched Up』は、2010年代末のベッドルーム・ポップ隆盛の中から登場した数多くの作品の中でも、とりわけ“親密さ”そのものが作品の強度になっている一枚である。Beatrice LausことBeabadoobeeは、このEPの時点ではまだ、のちに見せる90年代オルタナティヴ・ロック的なダイナミズムや、アルバム単位での音響的な広がりを本格化させる前の段階にあった。しかしだからこそ、『Patched Up』には、彼女の表現の核がもっともむき出しに近いかたちで残っている。小さな部屋、アコースティック・ギター、近すぎるボーカル、恋愛の揺れ、自己意識の過剰、まだうまく言葉に整理できない感情。それらが非常に素直な形で音になっており、このEPはBeabadoobeeというアーティストがどこから始まったのかを知るうえで決定的に重要である。
タイトルの『Patched Up』は、“つぎはぎで修復された”“どうにか取り繕われた”という意味を持つ。この言葉は、本作の感情的な輪郭を非常によく示している。ここで歌われているのは、完全に癒えた感情ではない。むしろ、何かが傷つき、その傷の上からとりあえず布を当てて、どうにか日常を続けている状態に近い。恋愛も自己像も、まだ安定していない。誰かに好かれたい、近づきたい、でも同時に傷つきたくない。こうした若い感情の矛盾が、このEPには一貫して流れている。そして“patched up”という言葉は、その不完全な回復や、仮の修復の感じを見事に捉えている。
2018年という時代背景を考えても、『Patched Up』は非常に象徴的な作品だった。ベッドルーム・ポップという言葉が広く使われるようになり、Clairoやgirl in red、early Billie Eilishなど、親密でローファイな感覚を武器にした若いアーティストたちが注目を集めていた時期に、Beabadoobeeはその流れに接続しながらも、少し異なる質感を持って登場した。彼女の楽曲には確かにDIY的な近さがある。だが、同時にそれは単なる“かわいいローファイ”では終わらない。どこかに90年代フォーク/オルタナの影があり、音の素朴さの中に、後の大きなギター・サウンドへつながる芯がすでにある。『Patched Up』は、そうした過渡期の魅力を非常によく封じ込めた作品でもある。
音楽的には、本作は非常にシンプルだ。アコースティック・ギターを中心としたアレンジ、控えめなリズム、ローファイな録音感、そして何より声の近さが印象に残る。だが、このシンプルさは手数不足ではなく、むしろ感情に最短距離で触れるための形として機能している。Beabadoobeeの初期作品の強さは、楽曲が大きく装飾される前の“思いついてすぐ歌になった感じ”を失っていないところにある。もちろんそれは実際にはきちんと構築された作品なのだが、聴き手には“まだ他人に見せる前の日記”のような質感として届く。その感触こそが、『Patched Up』の最大の魅力だろう。
そして、このEPの存在を決定づけたのはやはり「Coffee」である。のちにTikTokやSNSを通じて極めて広く知られるようになったこの曲は、Beabadoobeeの名前を世界へ広げる決定的なきっかけとなった。しかし重要なのは、『Patched Up』が「Coffee」一曲だけの作品ではないことだ。本作全体を通して聴くと、Beabadoobeeの初期表現において、“近さ”“未熟さ”“かわいらしさ”“少しの痛さ”がどのようにバランスしていたかがよく分かる。『Patched Up』はヒットの原石を含んだEPであると同時に、若いソングライターの感情のかたちそのものを記録した作品なのである。
キャリア上の位置づけとして、本作はBeabadoobeeの原点であり、以後の全展開の種子が詰まった初期重要作だと言ってよい。ここには後年の『Fake It Flowers』のような大きなバンド感はまだないし、『Beatopia』のような幻想的な世界構築もまだ薄い。だが、その代わりに、彼女がなぜ多くのリスナーにとって“自分の部屋の気分をそのまま歌ってくれる人”として響いたのか、その理由がまっすぐに刻まれている。『Patched Up』は、小さく、静かで、非常に大切な出発点なのである。
全曲レビュー
1. Coffee
Beabadoobeeという名前を決定的に広めた代表曲であり、同時にこのEPの美学をもっとも端的に示す一曲。まず驚かされるのは、その親密さだ。アコースティック・ギターのシンプルな反復と、ささやくようなボーカルだけで、これほど“誰かの部屋の中の感情”をそのまま閉じ込めたような空気が生まれている。歌詞の内容も劇的ではない。むしろとても日常的で、恋愛関係の中の些細な気まずさや依存の気配を、静かな温度で描いている。だが、そのささいさこそがリアルであり、だからこそ刺さる。コーヒーが冷めていくように、関係の温度も少しずつ変わっていく。その感覚をここまで自然にポップ・ソングへ変えたことが、この曲の強さだ。Beabadoobee初期の象徴であるだけでなく、2010年代末ベッドルーム・ポップの記念碑的な一曲でもある。
2. Tired
タイトルどおり、“疲れている”というごく単純な状態が、この曲ではそのまま感情の核になっている。若いシンガーソングライターの作品ではしばしば、感情が大きく言い換えられたり、美しく装飾されたりすることがあるが、Beabadoobeeはここで非常に率直だ。疲れていること、うまく言葉にできないこと、そのままの状態をそのまま歌っている。サウンドは控えめで、ギターの繰り返しも単純だが、その単純さが逆に生活感を強めている。『Patched Up』というEP全体が持つ“まだ完全に整っていない感情”の空気を、この曲はよく支えている。
3. Dance with Me
この曲では、Beabadoobee初期の“かわいらしさ”と“依存の気配”が非常に分かりやすく現れている。“私と踊って”という呼びかけは、一見するととても軽く、ロマンティックで、少し子どもっぽい。しかしその実、ここには“こっちを見てほしい”“一緒にいてほしい”という、かなり切実な欲望が込められている。『Patched Up』の良さは、こうした若い感情の過剰さを恥ずかしがらずに残しているところにある。この曲もまさにそうで、甘いのに少し不安で、かわいいのに少し痛い。その絶妙なバランスが、Beabadoobeeの個性を形作っている。
4. Soren
本作の中でもやや影が濃く、Beabadoobeeの声のやわらかさの裏にある不穏さがよく出ている曲。タイトルの“Soren”という言葉は、固有名のようでもあり、また何か個人的な対象や感情の結び目を思わせる。彼女の初期ソングライティングは、説明しすぎない分だけ、曲名や小さな言葉の断片が妙に強く残ることが多いが、この曲もそのタイプだ。アレンジはやはり簡素だが、そのぶんボーカルの揺れが前に出る。親密な距離感の中で、不安やためらいがじわじわと広がる、印象深いトラックである。
5. 1999
EPの終盤に置かれたこの曲は、ノスタルジーや時間感覚が少し前面に出る一曲。もっとも、ここでの“1999”は歴史的に厳密な年号というより、“少し前の、まだ複雑になる前の時間”の象徴のように機能している。Beabadoobeeの音楽には初期からどこか90年代的な感触が漂っていたが、この曲はその感覚をもっとも意識的に表に出したものとも言える。サウンドは相変わらず簡素で、だからこそ時代イメージが過剰な演出にならない。個人的な記憶と、漠然とした過去への憧れが混ざり合う、淡い余韻を持った曲である。
総評
『Patched Up』は、Beabadoobeeの初期表現を知るうえで不可欠な作品であり、同時に2010年代末のベッドルーム・ポップ文脈の中でも特に鮮度の高いEPである。ここには複雑なプロダクションも、大きなバンド・サウンドも、洗練されたコンセプトもまだない。だが、その“不足”こそが魅力になっている。なぜなら、本作には感情と曲の距離がほとんどゼロに近い瞬間がいくつもあるからだ。誰かを好きになること、疲れてしまうこと、少し依存してしまうこと、自分の感情をうまく整理できないこと。そのどれもが、ほとんど加工されないまま、小さな歌として残されている。
音楽的には非常にシンプルだが、そのシンプルさは表現の弱さではない。むしろ、Beabadoobeeのメロディの良さ、声の親密さ、言葉の率直さをもっともよく伝えている。『Patched Up』を聴くと、彼女がのちにより大きなスケールのサウンドへ向かっていったとしても、その中心にはいつも“部屋の中でひとり歌っている感じ”が残り続ける理由がよく分かる。このEPは、その原点をもっともまっすぐに記録している。
また、本作は若い感情の未熟さを未熟なまま肯定しているところがよい。ここには完成された大人の視点はないし、自己分析の深さもまだ限定的だ。だが、その代わりに、“いまそう感じてしまっている”ことの強さがある。Beabadoobeeはその状態を気取らず、そのまま歌にする。その率直さこそが、『Patched Up』を長く愛される作品にしている。
Beabadoobeeのディスコグラフィを後ろから辿ると、本作は非常に小さく、静かな作品に見えるかもしれない。しかし実際には、ここに彼女のすべての出発点がある。『Patched Up』は、傷ついた感情を完璧に治す作品ではない。むしろ、まだつぎはぎのままの心を、そのまま音楽にした作品である。そしてその不完全さこそが、このEPをかけがえのないものにしている。
おすすめアルバム
『Patched Up』の延長線上で、恋愛感情の揺れをよりドリーミーで広がりのあるサウンドにした初期重要作。初期Beabadoobeeの魅力がさらに鮮明になる。
– Beabadoobee『Loveworm (Bedroom Sessions)』
より素に近いかたちで彼女の楽曲を聴ける作品。『Patched Up』と同じ“部屋の中の親密さ”が強く感じられる。
– Beabadoobee『Fake It Flowers』
のちのフルアルバムで、90年代オルタナ/グランジ的サウンドを本格化させた作品。『Patched Up』からの成長と変化を知るのに最適。
– Clairo『diary 001』
同時代ベッドルーム・ポップの代表的作品。親密なローファイ感と若い感情の率直さという点で『Patched Up』と強く共鳴する。
– girl in red『chapter 1』
日記的な近さとDIY的な親密さを持つ重要作。2010年代末の若いインディー・ポップの空気を比較するうえで非常に相性が良い。



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