発売日: 1975年10月
ジャンル: ジャズロック、フュージョン、ソフトロック、プログレッシブ・ロック
“母”の名を冠した変化球——軽やかさの中に潜む実験精神
『Mother Focus』は、オランダのプログレッシブ・ロック・バンドFocusが1975年に発表した5作目のスタジオ・アルバムである。
それまでの作品に見られたクラシカルな構築美や20分級の大作主義から距離を置き、よりポップで軽快なフュージョン寄りのアプローチを全面に打ち出した異色作である。
この方向転換には、メンバーチェンジの影響も色濃く現れている。
ギタリストJan Akkermanは依然在籍していたものの、サウンドには彼の重厚なクラシカル・ロック的カラーよりも、洗練されたラウンジ・ジャズ風のエッセンスが強く反映されている。
アルバム全体を包むのは、シリアスさよりも親しみやすさと遊び心であり、それはある意味でFocusの“裏の顔”とも言える。
全曲レビュー
1. Mother Focus
アルバム冒頭を飾る、グルーヴィーで都会的なフュージョン・チューン。
エレクトリック・ピアノと軽快なギターが絡み合い、これまでのFocusにはなかった洒落た空気感を漂わせる。
2. I Need a Bathroom
コミカルなタイトルとカラフルなメロディが印象的。
子供のような無邪気さと変拍子が同居する、不思議な短編。
3. Bennie Helder
スムーズなジャズギターが主役のインスト。
ソフトロック的な柔らかさとAOR的な洗練を持つ、隠れた名曲。
4. Soft Vanilla
シルキーなメロディが心地よく流れるミディアム・ナンバー。
リズムセクションの控えめなグルーヴが全体を上品に支える。
5. Hard Vanilla
前曲「Soft Vanilla」と対をなすようなファンキーなトラック。
ギターのカッティングとブラス的シンセが印象的で、タイトル通り“硬質”な味わい。
6. Tropic Bird
南国の風を感じさせる、ラテン調のリズムが楽しいナンバー。
トロピカルな浮遊感とエレピの柔らかいタッチが心地よい。
7. Focus V
シリーズ第5作目にあたるこのインストゥルメンタルは、緩やかなテンポと抒情性が特徴。
フルートとギターが穏やかに溶け合い、安らぎをもたらすサウンドスケープが広がる。
8. Someone’s Crying… What!
変則リズムとシュールなサンプリング的演出がユニークな一曲。
わずか1分強の短さだが、強い印象を残す小品である。
9. All Together… Oh That!
ギター、オルガン、ドラムが一斉に絡むアンサンブル志向のナンバー。
セッション感覚が強く、即興的な熱量が全体を牽引する。
10. No Hang Ups
ロマンティックなムードが漂う美しいインストゥルメンタル。
ジャズバラード的な構成と、シンセによる繊細なアレンジが魅力。
11. Father Bach
J.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を大胆にアレンジ。
バロックとロックが融合する、Focusの原点回帰的な締めくくり。
総評
『Mother Focus』は、それまでの荘厳なクラシック・ロック路線を一度解体し、軽やかで親しみやすい“フュージョン・ポップ”路線を大胆に展開した作品である。
一聴すると地味にも思えるが、細部に宿るアイディアの豊かさや、肩の力を抜いた演奏の妙には、ベテランバンドならではの余裕と洗練が漂う。
このアルバムに“Progressive Rock”の大作主義を期待すると拍子抜けするかもしれない。
しかし、Focusというバンドが単に技巧を見せつけるグループではなく、音楽そのものを自由に楽しむ精神を持っていたことを示す証左として、本作は実に重要な位置を占めている。
“母”のような優しさと包容力。
それは、彼らの音楽が向かったひとつの“成熟”のかたちだったのかもしれない。
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Return to Forever – Musicmagic
ジャズロックからソフトなフュージョン路線への転換という点で共通する。 -
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Focusのギタリストによるソロ作。『Mother Focus』の流れをより個人的に展開している。
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