
1. 歌詞の概要
Killamangiroは、Babyshamblesが2004年11月29日にRough Tradeからリリースしたシングルである。UKシングルチャートでは最高8位を記録し、のちに2005年のデビュー・アルバムDown in Albionにも再録音版が収録された。作詞作曲はPete Doherty。シングル版のプロデュースはPaul Epworthが手がけている。(Wikipedia – Killamangiro)
この曲は、Babyshambles初期の混乱と魅力をそのまま閉じ込めたような一曲である。
歌詞は、檻、ステージ、愛、憎しみ、病んだ目、不賢明な者たち、そしてgiroをめぐる殺人めいた言葉へと飛び移っていく。
きれいに整理されたストーリーはない。
むしろ、酔った夜の会話、新聞の見出し、ステージ上の独白、自己弁護、罪の意識、冗談、怒り、優しさが、すべて同じテーブルの上に乱雑に置かれているような歌詞である。
タイトルのKillamangiroは、タンザニアのキリマンジャロ山Kilimanjaroをもじった言葉である。同時に、歌詞に出てくるkill a man for his giroというフレーズとも結びついている。giroは英国で失業手当などの給付金振込・支払いに関連する語として知られ、ここでは貧困、暴力、社会の底の現実が、言葉遊びの中に混ざり込んでいる。(Wikipedia – Killamangiro, UptheAlbion – Killamangiro)
この言葉遊びが、いかにもPete Dohertyらしい。
ロマンティックで、くだらなくて、危険で、社会的で、同時に自己演出的でもある。
Killamangiroは、単なる反抗の歌ではない。
だが、優しいラブソングでもない。
それは、ステージに立つこと、見世物にされること、愛を信じたいこと、憎しみから逃げたいこと、そしてどうしようもない混乱の中で歌うことについての曲である。
冒頭で歌われる檻のイメージが重要だ。
なぜ人は、檻の中の自分を見るために金を払うのか。
そして、その檻をある者はステージと呼ぶ。
この発想は、Babyshamblesというバンドそのものにも重なる。
Pete Dohertyは、The Libertinesを経てすでにメディアの注目とスキャンダルの中心にいた。彼の一挙手一投足は、音楽だけでなく私生活の混乱とも結びつけられ、観客やメディアは彼をロックスターとして、問題児として、あるいは壊れていく人物として見つめていた。
Killamangiroは、その視線に対する返答のようにも聞こえる。
見たいのか。
檻の中の俺を。
それをステージと呼ぶのか。
なら、これがその中から出る歌だ。
曲のサウンドは、荒れている。
ドラムは跳ね、ベースは前のめりに進み、Patrick Waldenのギターはきれいに整うことを拒むようにきらきらと暴れる。Dohertyの声は、だるく、酔っているようで、しかし妙に言葉の芯を外さない。
この崩れそうで崩れないバランスこそ、Killamangiroの魅力である。
美しくまとまったロックではない。
むしろ、倒れかけた椅子が奇跡的に立っているような曲だ。
だから危ない。
だから耳を離せない。
2. 歌詞のバックグラウンド
Killamangiroが登場した2004年は、Pete Dohertyにとって極めて混沌とした時期だった。
彼はThe Libertinesで2000年代英国ロックの象徴的存在となりながら、バンド内部の問題、薬物問題、メディアによる過熱した報道の中心にいた。Babyshamblesは、その混乱の中から生まれたバンドである。
KillamangiroはBabyshamblesにとって2枚目のシングルとしてリリースされ、UKシングルチャートで8位を記録した。ライブでも定番曲となり、バンド初期の代表曲として広く知られるようになった。(Wikipedia – Killamangiro)
シングル版はPaul Epworthがプロデュースしている。Paul EpworthはのちにAdeleやFlorence + The Machineなどとも関わるプロデューサーとして知られるが、KillamangiroではBabyshamblesの荒々しさを過度に磨きすぎず、しかしシングルとしての瞬発力を保つ音に仕上げている。
一方、Down in Albion収録版はMick Jonesのプロデュースで再録音された。Mick JonesはThe Clashのギタリストであり、The Libertinesの作品にも関わった人物である。Down in Albionは2005年11月14日にRough Tradeからリリースされ、Killamangiroの再録音版を含むBabyshamblesのデビュー・アルバムとなった。(Wikipedia – Down in Albion)
この再録音に関しては、興味深い逸話がある。
BabyshamblesのベーシストDrew McConnellは、もともとKillamangiroをアルバムに入れる予定ではなかったが、スタジオで演奏しているとMick Jonesがこっそり録音していた、という趣旨の発言をしている。彼はまた、その演奏が完全にライブであり、バンドが楽器を弾けないという批判は正しくない、と語っている。(Wikipedia – Killamangiro)
この話は、Babyshamblesというバンドをよく表している。
計画通りに進まない。
スタジオでも何かが暴れる。
演奏は粗い。
だが、その粗さがそのまま記録される。
Killamangiroは、そういう曲である。
きれいな設計図から生まれた曲ではなく、その場の空気、衝動、言葉の引っかかり、メンバー間の危うい呼吸から生まれた曲のように聞こえる。
この時期のBabyshamblesには、The Libertines以後の期待と失望が同時にのしかかっていた。
Dohertyは、まだ多くのリスナーにとってロマンティックな英国ロックの詩人だった。だが同時に、メディアは彼の破滅性を見世物のように扱っていた。Killamangiroの檻とステージのイメージは、その状況と強く響き合う。
ロックスターは自由な存在のように見える。
しかし、観客の視線の中では檻に入っている。
スキャンダルは注目を生む。
だが、その注目は本人をさらに追い込む。
この矛盾が、曲の冒頭から鳴っている。
また、当時の英国ロック・シーンも背景として重要だ。
2000年代前半、The StrokesやThe Libertines以後、ガレージ・ロック/ポストパンク・リバイバルの空気が広がっていた。英国ではThe Libertines、Razorlight、The Futureheads、Franz Ferdinand、Bloc Partyなどが、ギター・ロックの新しい波として語られていた。
Babyshamblesは、その中でも最も不安定で、最もスキャンダラスで、最もロマンティックなバンドのひとつだった。
Killamangiroは、その不安定さが楽曲として機能している。
Drowned in Soundはシングル・レビューで、この曲について、跳ねるベースとドラム、端で光るギター、Dohertyのだるい引きずるような声と酔った叫びが絡み合う曲として評している。(Drowned in Sound – Babyshambles Killamangiro review)
まさにその通りである。
この曲は、整っているから良いのではない。
ほどけそうだから良い。
その危うい糸をDohertyが声でつないでいる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞全文は権利保護のため掲載しない。ここでは、楽曲理解に必要な短い一節のみを引用し、意味を補足する。
歌詞の確認には、配信サービス上の歌詞表示や歌詞データベースを参照できる。UtaTenではKillamangiroの歌詞ページが確認できる。
UtaTen – Baby Shambles Killamangiro 歌詞
Why would you pay to see me in a cage?
和訳:なぜ君は、檻の中の僕を見るために金を払うんだ?
この曲のもっとも重要な一節である。
ここには、観客と演者の関係への強烈な疑問がある。ライブを見るために金を払う。それ自体は普通のことだ。だがDohertyは、それを檻の中の自分を見る行為として言い換える。
ステージは自由の場所なのか。
それとも見世物小屋なのか。
観客は音楽を聴きに来ているのか。
それとも壊れていく人間を見に来ているのか。
この問いが、曲全体の不穏さを決定づけている。
Some men call the stage
和訳:ある者たちは、それをステージと呼ぶ。
檻とステージが重ねられる。
ステージは本来、表現の場所である。だがこの曲では、そこは閉じ込められた場所でもある。光が当たり、拍手が起こり、歓声が飛ぶ。けれど、その中心にいる人物は自由ではない。
この感覚は、Dohertyの当時の状況と重なる。
ロックンロールの夢の場所であるはずのステージが、同時に監視される場所、消費される場所、逃げられない場所になっている。
Anything that makes you feel hate
和訳:君に憎しみを感じさせるものなら何でも。
この一節は、曲の倫理的な中心に近い。
Killamangiroは、乱暴で、言葉遊びも危険で、どこか投げやりな曲である。しかしその中で、憎しみから離れようとする意志が見える。
憎しみを生むものは、なしでやっていける。
少なくとも、そう信じたい。
Dohertyの歌詞では、愛と破滅、優しさと無責任がしばしば一緒に現れる。この曲でも同じだ。荒れた言葉の中に、妙にまっすぐな愛への信仰が混ざっている。
Now I believe in love
和訳:今は、愛を信じている。
このフレーズは、Killamangiroの中で不意に光る。
曲全体は混乱している。檻があり、病んだ目があり、giroをめぐる暴力めいた言葉がある。その中で、突然、愛を信じるという言葉が出てくる。
だからこそ効く。
きれいなラブソングで愛を信じると言われるより、Killamangiroのようなぐちゃぐちゃの曲で言われるほうが、かえって切実に響く。
I killed a man for his giro today
和訳:今日、彼のgiroのために男を殺した。
この一節は、タイトルの言葉遊びとも深く関係している。
もちろん、これをそのまま事実として読む必要はない。むしろ、英国の貧困、失業手当、暴力、ブラックユーモア、新聞的な事件性が、ひとつの危険なフレーズに圧縮されていると考えたい。
Killamangiroというタイトルは、Kilimanjaroという壮大な山の名前を思わせながら、同時にgiroを奪うために人を殺すという低く荒んだ現実へ落ちてくる。
高い山と、街の底。
ロマンと犯罪。
言葉遊びと社会の暗がり。
その落差が、この曲らしい。
4. 歌詞の考察
Killamangiroの歌詞は、Pete Dohertyの作詞スタイルの魅力と危うさをよく示している。
彼の歌詞は、しばしば論理的に整理されない。
ひとつの物語を順番に語るというより、フレーズが飛び、イメージが絡み、韻や語感やその場の気分が次の言葉を引っ張っていく。Killamangiroもまさにそうである。
檻。
ステージ。
愛。
憎しみ。
病んだ目。
giro。
殺人めいた冗談。
そして、消えたあとの自分。
それらが、同じ曲の中で雑然と並ぶ。
だが、この雑然さには意味がある。
Dohertyの世界では、人生そのものが整理されていない。愛とドラッグ、詩とスキャンダル、友情と裏切り、ロマンと貧困、ステージと檻が、いつも一緒くたになっている。
Killamangiroは、その一緒くたの状態を、無理に整えない。
だからリアルなのだ。
冒頭の檻のイメージは、特に重要である。
ロック・スターは、自由を象徴する存在として扱われることが多い。好きなように歌い、好きなように生き、ルールを破る。だが、実際にはその自由はしばしば商品化される。
破滅的な振る舞いは記事になる。
薬物問題は話題になる。
失敗も観客を集める。
壊れていく姿さえ、娯楽になる。
Dohertyは、それをよくわかっていたのだろう。
だから、なぜ檻の中の自分を見るために金を払うのか、と歌う。
この問いは、観客にも向けられている。
メディアにも向けられている。
そして、自分自身にも向けられている。
自分は本当に表現しているのか。
それとも、見世物になっているだけなのか。
Killamangiroは、その問いをロックンロールの勢いでごまかすように鳴る。
ごまかす、というと悪く聞こえるかもしれない。
でも、ロックンロールにはそういう力がある。
本当に答えたくない問いを、ギターとドラムで一瞬だけ押し流す。混乱を解決するのではなく、そのまま音にしてしまう。Killamangiroは、まさにそういう曲だ。
サウンド面では、Gemma Clarkeのドラムの入り方が曲に大きな推進力を与えている。シングル版では彼女のドラムが印象的で、Patrick Waldenのギターは整いすぎない線を描く。Wikipediaでも、この曲はGemma Clarkeの変わったオープニング・ビートや、Patrick Waldenのmessyなギター・スタイル、Dohertyの特徴的なボーカルで知られるとされている。(Wikipedia – Killamangiro)
このmessyという感覚が大切だ。
Waldenのギターは、清潔なコード・ワークではない。
ときどき外れそうになり、光り、よろめく。
しかし、そのよろめきが曲を生かしている。
Babyshamblesの初期サウンドには、演奏が崩壊寸前で進んでいるような魅力がある。The Libertinesにもそうした危うさはあったが、Babyshamblesではさらに制御が外れている。
Killamangiroは、その制御不能感とポップなフックが奇跡的に共存している。
Dohertyの声も同じだ。
彼は完璧に歌い上げない。
むしろ、声はだらしなく、時に酔ったように、時に投げやりに聞こえる。
だが、その投げやりさが言葉の痛みを隠さない。
きれいに歌えば歌うほど嘘になる曲がある。Killamangiroはそのタイプである。ここでは、声が少し汚れているからこそ、檻や愛やgiroという言葉が生々しく響く。
また、Now I believe in loveというフレーズは、曲全体の中で不思議な役割を果たしている。
Killamangiroは、愛を高らかに賛美する曲ではない。むしろ、愛を信じると言った瞬間でさえ、背後には憎しみや暴力や自己破壊がある。
だから、この愛は純粋な救済ではない。
もっと苦しいものだ。
それでも愛を信じたい。
憎しみに飲まれたくない。
ステージが檻になっても、何かを信じたい。
自分が消えたあとでさえ、誰かにわかってほしい。
この願いが、曲の奥にある。
The Observerのレビューでは、Killamangiroについて、Dohertyが少なくとも歌詞の中ではturning the other cheek、つまり暴力に対してもう一方の頬を差し出すような態度を見せている、という趣旨で評されている。(The Guardian / Observer – Killamangiro review)
これは興味深い読み方だ。
たしかに曲の表面は荒れている。
だが、中心には憎しみではなく、憎しみを超えたいという気配がある。
ただし、それは聖人のような穏やかさではない。
Dohertyの愛は、いつも泥だらけだ。
酒場の床に落ちている。
新聞の見出しに汚されている。
失業手当の言葉遊びに紛れ込んでいる。
それでも、愛と呼びたい何かがある。
Killamangiroの魅力は、この汚れたロマンティシズムにある。
タイトルの言葉遊びも、単なるダジャレ以上のものだ。
Kilimanjaroは、巨大な山、遠い場所、冒険、異国、ロマンを連想させる。だがKillamangiroは、その壮大な響きの中にkill a man for his giroという陰惨で卑近な言葉をねじ込む。
山の高さと、社会の底の低さ。
その差が、この曲の世界だ。
Babyshamblesの音楽には、しばしばAlbionという言葉に象徴される英国的な幻想がある。古い詩、パブ、ロマンス、街角、負け犬、新聞、薬物、少年性。そうしたものがごちゃ混ぜになり、現実と神話の境目を曖昧にする。
Killamangiroも、その神話作りの一部である。
だが、この曲では幻想がすぐに汚れる。
大きな山は、giroのための暴力へ落ちる。
ステージは、檻へ変わる。
愛は、憎しみのすぐ横にある。
この落差を楽しめるかどうかが、Babyshamblesを聴くうえで重要なのかもしれない。
彼らの曲は、清潔な感動をくれない。
むしろ、感動と嫌悪、優しさと無責任、詩とゴシップを一緒に投げてくる。
Killamangiroは、その中でもかなり鋭い曲である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Fuck Forever by Babyshambles
Babyshambles初期の代表曲として、Killamangiroと並べて聴きたい一曲である。こちらはさらにアンセム的で、破れかぶれの開放感が強い。タイトルからして挑発的だが、曲の中心には自由と虚無が入り混じったDohertyらしいロマンティシズムがある。Killamangiroの荒れた勢いが好きなら、Fuck Foreverの大合唱的な破滅感にも惹かれるはずだ。
- Albion by Babyshambles
Killamangiroの混乱した街角感に対して、Albionはより叙情的で、英国的な幻想が濃い曲である。もともとThe Libertines時代から知られていたDohertyの重要曲で、地名や記憶が漂うように並び、失われた理想郷への憧れがにじむ。Killamangiroの中にある汚れたロマンを、より静かな形で聴きたい人に合う。
- Time for Heroes by The Libertines
Pete Dohertyの作詞世界を理解するうえで欠かせない曲である。街頭の騒ぎ、若者の熱、政治的な匂い、ロマンと混乱が一気に駆け抜ける。Killamangiroが檻の中のステージを歌うなら、Time for Heroesは路上の混乱の中で英雄が必要とされる瞬間を歌っているようにも聞こえる。Dohertyの言葉の跳ね方を味わうには最適だ。
- Up the Bracket by The Libertines
荒々しいギター、走るリズム、酔ったようなボーカルの絡みという点で、Killamangiroの源流にある曲である。The Libertinesのほうがよりタイトで、Carl Barâtとのツイン・ボーカルの魅力もある。Babyshamblesの崩れかけた美学に対して、The Libertines時代の鋭さを知るために聴きたい。
- Golden Skans by Klaxons
少し方向は違うが、2000年代英国インディーの混沌とした時代感を味わうなら、この曲も相性がいい。Babyshamblesのガレージ的な荒さに対して、Klaxonsはニュー・レイヴ的でカラフルだが、同じ時代の英国ロックが持っていた過剰な若さと、少し壊れた祝祭感がある。Killamangiroの暗い熱とは別の角度から、2000年代UKシーンの空気を感じられる。
6. 檻の中のステージで鳴る、汚れたロマンティシズム
Killamangiroは、Babyshamblesというバンドを一曲で説明するにはかなり適した曲である。
粗い。
よろめいている。
危ない。
でも、メロディがある。
言葉がある。
奇妙な輝きがある。
この曲は、完成度という言葉で測ると少し扱いにくい。
演奏は完璧ではない。
歌も整っていない。
歌詞も論理的に美しく整理されていない。
だが、だからこそ強い。
Babyshamblesの魅力は、整った名演ではなく、いまにも崩れそうな瞬間にある。倒れそうなものが倒れない。間違いそうなギターが曲を引っ張る。声がかすれ、言葉が乱れ、それでもサビにたどり着く。
Killamangiroには、その緊張がある。
特に檻とステージのイメージは、今聴いても鋭い。
現代では、アーティストの私生活はさらに可視化されている。SNS、ニュース、ゴシップ、ファンの視線。ステージの上だけでなく、日常そのものが見世物になりやすい。
Killamangiroが問う、なぜ檻の中の自分を見るために金を払うのか、という言葉は、2004年当時以上に重く響くかもしれない。
アーティストはどこまで見られるべきなのか。
破滅や弱さは、どこから商品になるのか。
観客は音楽を愛しているのか。
それとも、壊れそうな人間を見たいだけなのか。
この問いに、曲は答えない。
ただ、ロックンロールとして鳴る。
それがいい。
Killamangiroは、説教ではない。
自己分析でもない。
美しい告白文でもない。
もっと汚く、もっと直感的なものだ。
Dohertyは、檻の中から歌う。
そして、その檻をステージと呼ぶ者たちがいる。
その時、音楽は自由なのか、拘束なのか。
たぶん、両方なのだろう。
ステージに立つことでしか自由になれない。
だが、ステージに立つことで見世物になる。
歌うことで救われる。
だが、歌うことで消費される。
Killamangiroは、その矛盾を抱えたまま走る。
また、この曲の中にある愛への信仰も見逃せない。
Now I believe in love。
この言葉は、きれいな環境で鳴っていない。
荒れた音の中で鳴っている。
憎しみの話のすぐ横で鳴っている。
giroをめぐる殺人めいた言葉の近くで鳴っている。
だからこそ、妙に本気に聞こえる。
Dohertyのロマンティシズムは、しばしば危険で、無責任で、自己演出的である。それでも、多くの人を引きつけるのは、その中に本当に詩があるからだ。
Killamangiroにも、それがある。
汚れた街角の中に、急に詩が落ちている。
くだらない言葉遊びの中に、社会の暗がりが見える。
酔った声の中に、愛を信じたい人間の小さな祈りがある。
この混ざり方が、Babyshamblesの魅力なのだ。
曲の最後に残るのは、解決ではない。
むしろ、混乱である。
だが、その混乱は音楽として生きている。跳ねるドラム、暴れるギター、引きずる声、合唱したくなるフレーズ。すべてが不完全なまま、妙に鮮やかに残る。
Killamangiroは、2000年代英国ロックの美しい失敗のような曲である。
失敗という言葉は、ここでは否定ではない。
きれいに成功したものより、失敗しかけたもののほうが強く残ることがある。Killamangiroは、まさにそのタイプだ。曲はよろめき、歌詞は乱れ、バンドは危うい。それでも、いや、それだからこそ、今も強い。
Pete Dohertyという人物をめぐる過剰な物語を抜きにしても、この曲には力がある。
檻とステージ。
愛と憎しみ。
山とgiro。
見世物と祈り。
暴力とロマンス。
それらが3分ほどのロック・ソングの中で、ぐちゃぐちゃに絡まりながら鳴っている。
Killamangiroは、Babyshamblesが最もBabyshamblesらしかった瞬間のひとつである。
整っていない。
でも、忘れられない。
危うい。
でも、歌いたくなる。
汚れている。
でも、どこか光っている。
その光は、きれいな照明ではない。
檻の中のステージで、壊れかけたアンプから漏れるような光である。

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