
発売日: 2018年5月25日
ジャンル: ベッドルーム・ポップ、インディー・ポップ、ローファイ
概要
『Diary 001』は、アメリカのシンガーソングライター、Clairo(クレイロ)のデビューEPであり、いわば“ベッドルーム・ポップ”というムーブメントを象徴する作品である。
YouTubeでのセルフメイドな音楽活動から始まった彼女が、わずか19歳でこの作品をリリースしたことは、デジタルネイティブ世代の音楽制作と自己表現のあり方を象徴している。
EPのタイトルが「Diary(=日記)」であるように、収録された全6曲はまるでプライベートなノートの一頁のように親密で、聴く者にまっすぐ語りかけてくる。
恋愛、孤独、自己認識といったテーマが、穏やかな電子音とささやくような歌声に包まれながら展開され、まさに「個人の部屋の中で生まれた音楽」という印象を強く与える。
当時のインディー・ポップシーンでは、CucoやBoy Pabloなど、同世代のアーティストがSoundCloudやBandcampを拠点に同様の美学を確立していたが、Clairoはその中でも特に内省的でドリーミーなトーンを確立した。
『Diary 001』は、単なるデビュー作にとどまらず、インターネット以降の“親密さの時代”を象徴する音楽として重要な意味を持つ作品なのである。
全曲レビュー
1. Hello? (feat. Rejjie Snow)
EPの幕開けを飾るこの曲は、軽快なビートに乗せた甘酸っぱいデュエットソング。
アイルランドのラッパーRejjie Snowを迎えたことで、ローファイ・ポップにヒップホップの柔らかい質感が混ざり、Clairoの世界観が一気に広がっている。
恋の始まりの曖昧な空気を、“電話越しの距離感”というモチーフで描く構成が印象的だ。
彼女の名を一躍知らしめた代表曲。
タイトルはスナック菓子の名前だが、その軽妙さの裏に、他人との関係性の違和感を繊細に綴っている。
「You make me feel like garbage」と呟くフレーズに、10代特有の自己防衛と脆さが共存する。
シンプルな808とカシオ風シンセの音色が、どこか懐かしいインターネットの空気をまとっている。
3. B.O.M.D. (feat. Danny L Harle)
タイトルは“Boy of My Dreams”の略。
PC MusicのDanny L Harleがプロデュースを手がけ、ポップでグリッチーな電子サウンドが全体を彩る。
EPの中でも最もダンス的で、ローファイなサウンドスケープの中に未来的な輝きを放つ。
恋愛の夢想と現実の境界が曖昧なまま漂うような感覚を与える曲である。
4. 4EVER
シングルとしても人気の高い楽曲で、別れを予感しながらも淡々と時間が過ぎていく感覚を描く。
「I might still be your friend someday」というラインには、Clairoらしい成熟と無防備さが同居する。
軽やかなコードとカセットのような音質処理が、ノスタルジックな温度を保っている。
5. How – Demo
タイトル通りデモのようなラフさを残した一曲。
その未完成さこそが、『Diary 001』という作品の本質を象徴している。
ミックスの甘さや録音ノイズすら、彼女のリアリティとして聴こえてくるのだ。
“Why can’t I just be enough?”というラインが心に残る。
6. Pretty Girl
EPを締めくくる代表曲にして、Clairoの代名詞とも言えるナンバー。
もともとはYouTubeに投稿された自作MVで注目を集めた楽曲で、
フェミニズム的な視点から“誰かに好かれるために演じる自分”を皮肉に描いている。
淡いシンセポップの中で「I could be a pretty girl」と歌う声は、儚さと力強さを同時に湛えている。
ベッドルームから生まれた小さな声が、時代のムードを変えていく瞬間を記録した一曲だ。
総評
『Diary 001』は、Clairoというアーティストの出発点でありながら、すでに明確な美学が確立されている点に驚かされる。
デジタル機材とノートPCだけで構築されたこの音楽は、プロフェッショナルなスタジオでは得られない“親密な距離感”を武器にしている。
ベッドルーム・ポップというジャンルは、低予算で個人が創り上げる音楽という点でDIY精神の延長線上にあるが、Clairoはそこに“自己表現としての誠実さ”を持ち込んだ。
彼女の歌声は控えめでありながら、感情の陰影を見事に表現し、リスナーに「自分も歌っていいんだ」と思わせるような優しさを持っている。
サウンド的には、MacBook内蔵マイクやGarageBandを用いた録音の粗さがそのまま残されており、
それが逆に“本当の自分を見せること”の象徴となっている。
いわば『Diary 001』は、音楽の「完成度」よりも「正直さ」を評価する時代の始まりを告げる作品なのだ。
このEPの成功によって、Clairoは後に『Immunity』(2019)でより洗練されたサウンドへと進化していく。
だが、この『Diary 001』に漂う手作り感と無垢さこそが、彼女の原点であり、多くの若者にとっての共感の出発点である。
おすすめアルバム
- Immunity / Clairo 次作にして彼女の音楽的成熟を示す名盤。より深く内面を描く。
- Apricot Princess / Rex Orange County 同世代の親密なポップ感覚を共有する作品。
- Z / SZA 内省的なR&Bサウンドとの親和性を感じさせる。
- Internet Girl / Boy Pablo ベッドルーム・ポップの同時代的ムードを代表するアルバム。
- Flower Boy / Tyler, The Creator 内省と自己表現を両立したサウンドとして通底する。
制作の裏側
『Diary 001』は、ほぼすべてがClairoの自宅で録音された。
彼女はMacBookと簡易マイク、GarageBandのみで制作を行い、プロデューサーを通さずセルフ・ミックスに挑んでいる。
この“自室の音”が作品のアイデンティティそのものであり、同世代のアマチュアミュージシャンに「音楽制作は特別な場所を必要としない」という希望を与えた。
Clairoは当時大学在学中で、授業の合間に曲を作り、夜に自分の部屋で録音していたという。
そのリアルな生活感が、“Diary”というタイトルに説得力を与えている。
まさに、音楽が日記であり、告白であり、自己確認の場なのだ。
歌詞の深読みと文化的背景
『Pretty Girl』における“可愛いふりをして好かれる自分”というテーマは、SNS時代の自己演出への批評ともいえる。
ClairoはInstagram的な自己像を壊し、飾らない表現を通して“女性のリアル”を提示した。
また、『4EVER』や『Flaming Hot Cheetos』では、恋愛や友情における「距離の取り方」が中心テーマとして描かれている。
それはZ世代特有の“ネット上の親密さ”と“現実の孤独”の二重構造を反映しており、
Clairoの歌詞は、SNS以降の世代が抱える不安や繊細さを、誰よりも誠実に言葉にしているように思える。
彼女の音楽は、大声で叫ぶのではなく、小さく呟くことで共感を呼ぶ。
『Diary 001』はそのささやきの記録であり、静かに時代の空気を変えた作品なのである。



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