


※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。

1977年の『Pink Flag』、1978年の『Chairs Missing』、1979年の『154』。Wireがわずか3年ほどの間に残した初期3作は、パンクからポストパンクへの移行を象徴する作品群として語られてきた。しかし3枚を順番に聴くと、単純に「演奏が複雑になった」「シンセサイザーが増えた」という進化では説明しきれない。21曲を短く切り刻んだ『Pink Flag』では、ロックを削ることで新しい形を作った。『Chairs Missing』では、その空白へ色彩と空間が入り始める。そして『154』では、もはやバンドがスタジオの中で現実には存在しない音響まで設計するようになる。
それでも3作には、妙に変わらないものもある。フレーズを必要以上に繰り返さないこと、期待された展開を裏切ること、完成されたスタイルに定住しないこと。今回はAlex、Sophie、Naomiの3人が、Wireはこの3枚で何を捨て、何を獲得し、そして本当に「進歩」したのかを考える。
※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- 『Pink Flag』はパンクを完成させたのではなく、解体した
- 「Three Girl Rhumba」のギターは、なぜあれほど後に残ったのか
- 『Chairs Missing』で突然、部屋が広くなる
- 「Outdoor Miner」は、Wireが実はポップ・バンドだったことを暴露する
- 「I Am the Fly」──ギター、ベース、ドラムの役割が曖昧になる
- 『154』は「豪華になった」のか、それともバンドが消え始めたのか
- 「The 15th」と「Map Ref.」──『154』には異常に優れたポップソングがある
- Bruce GilbertとGraham Lewisの存在が『154』を不安定にする
- 3枚で最も変わったのは「曲」ではなく、録音への考え方だった
- では3部作は「パンク→ポストパンク→アートロック」なのか
- 最高傑作は3人とも違う──そして入口も一致しない
- 一曲だけ選ぶなら──「12XU」「Outdoor Miner」「The 15th」
- 対談を終えて
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『Pink Flag』はパンクを完成させたのではなく、解体した
この3枚を「パンクから実験音楽へ」と説明すると分かりやすいんだけど、最初から少し違うと思うんですよ。
『Pink Flag』って、そもそも典型的なパンク・アルバムじゃない。
そこは同意します。1977年という年と、短い曲、速い曲、荒いギターという表面的な特徴だけを見ればパンクなんだけど、Sex PistolsやThe Clashとはかなり発想が違う。
そう。例えば「Reuters」。
一曲目なのに、いきなり高速で突っ込まないでしょう。重い反復から始まって、不穏な空気を作る。そこから「Field Day for the Sundays」が一気に短く終わって、「Three Girl Rhumba」に入る。
アルバムの最初の数分だけで、「曲の適切な長さ」という常識がなくなるんですよ。
『Pink Flag』は21曲ありますが、全体は非常にコンパクトです。その事実だけでも面白い。
21曲あると聞けば、普通は巨大な作品を想像する。でも実際には、アイデアを必要以上に展開しないことで曲数が増えている。
何か面白いことを思いついたら、ロックでは普通、Aメロ、Bメロ、サビ、二番、ギターソロと拡張していくでしょう。
Wireは「そのアイデア、本当に三分必要ですか?」と考えているように聞こえる。
まさに。
「Field Day for the Sundays」なんて、普通のバンドならイントロ扱いしそうな長さで一曲が終わる。「The Commercial」もそう。
でも、デモの断片を並べた感じじゃない。短いままで完成している。
だから私は『Pink Flag』をパンクの「簡単な音楽」という思想より、コンセプチュアル・アートに近い感覚で聴くことがあります。
一曲とは何なのか。
どこまで鳴れば作品として成立するのか。
必要な情報だけ置いて、そこでやめる。
そこがRamonesとも違いますね。
Ramonesも短いけれど、彼らの曲は短い時間の中にポップソングの完成形がある。Verse、chorus、フックがものすごく圧縮されている。
Wireの場合は、曲の一部分だけ取り出して「これでも曲だろ」と言っているようなものがある。
つまり圧縮ではなく、切断。
そう。その違いはかなり大きい。
「Three Girl Rhumba」のギターは、なぜあれほど後に残ったのか
ギタリストとして『Pink Flag』を語るなら、「Three Girl Rhumba」は避けられないです。
あのギター・パターンはものすごく単純。でも、単純だからこそ配置が裸になる。
Bruce GilbertとColin Newmanのギターは、70年代ロックの典型的な「厚いコードの壁」とは違う。余計な倍音や装飾を削って、リズムと音程の輪郭だけ残している感じがある。
面白いのは、削っているのに痩せて聞こえないことですね。
そうなんですよ。
『Pink Flag』のギターって、音そのものはかなり硬い。でもギターを何本も重ねて巨大にする方向ではない。
一音一音が標識みたいに立っている。
その「標識」という感覚はジャケットにもありますよね。
白い地面、一本の旗竿、ピンク色の旗。バンドの写真もないし、「反逆する若者」というパンク的な自己演出からも距離がある。
『Pink Flag』という名前もそうだけど、意味ありげなのに説明を拒否する。
音楽も同じですね。
「12XU」なんて猛烈に格好いいけど、普通のロックみたいに「このリフで盛り上がってください」と親切に構成されていない。
始まって、加速して、終わる。
しかもWireには、パンクで期待されがちな「俺たちは怒っている」という人格があまり前に出てこない。
Colin Newmanの声も、John Lydonのように一声で人物像を成立させるタイプとは違うでしょう。
感情がないわけではない。でもキャラクターを売らない。
そう。
Sex PistolsならJohnny Rottenを見るし、The ClashならJoe Strummerを見る。
Wireの場合、楽曲の構造そのものを見る。
それが当時としてはかなり異質だったと思います。
『Chairs Missing』で突然、部屋が広くなる
そして翌年の『Chairs Missing』をかけると、最初の「Practice Makes Perfect」で空間が変わったことがすぐ分かります。
『Pink Flag』では、楽器が比較的近い距離に置かれている感覚がある。演奏の輪郭を明確にして、それを短く提示する。
でも『Chairs Missing』では、音と音の間に奥行きが生まれる。
ギターの使い方も全然違います。
『Pink Flag』のギターは「この瞬間にこれを弾く」という感じだった。でも『Chairs Missing』では、ギターそのものが霧みたいになる瞬間がある。
「French Film Blurred」なんて、タイトル通りとは言わないけど、輪郭がぼやけている。
私は『Chairs Missing』を聴くと、「Wireがパンクをやめた」というより、「Wireが色を発見した」という感じがする。
『Pink Flag』は白、黒、ピンクくらいの強烈な限定色。
でも『Chairs Missing』には灰色、青、緑、薄暗い黄色みたいな中間色が増える。
Mike Thorneのプロデュースも、ここではさらに重要になります。
3作ともThorneがプロデュースしていますが、『Chairs Missing』になると、シンセサイザーやキーボードを含むスタジオでの音響的な拡張がかなり前に出てくる。
重要なのは、シンセを入れたから未来的になった、ということではない。
バンドが鳴らしたものを録音する場所だったスタジオが、曲の構造を作る楽器へ変わっていく。
ただ、僕は『Chairs Missing』を「スタジオ作品」と言い切ると、『Pink Flag』との連続性が見えなくなる気もする。
「Sand in My Joints」なんて、かなり『Pink Flag』的でしょう。
短い、速い、ギターが切れる。
ええ。だから移行期として面白いんです。
新しいWireが古いWireを完全に追放していない。
同じアルバムの中に両方いる。
「Outdoor Miner」は、Wireが実はポップ・バンドだったことを暴露する
この3作を考えるとき、私は「Outdoor Miner」がものすごく重要だと思っています。
分かる。
Wireって難解なポストパンク・バンドとして説明されるけど、「Outdoor Miner」は驚くほど美しいポップソングでしょう。
メロディーは柔らかいし、Colin Newmanの歌も親しみやすい。
しかも歌詞の題材は、葉の内部に潜り込むハモグリバエのような昆虫について。
普通は書かない(笑)。
そこなんですよ。
ラブソングの形式を使えば簡単に感情移入できるメロディーなのに、歌詞は昆虫。
つまりWireはポップを作れないから実験的になったわけじゃない。
ものすごくポップなものを作れるのに、ポップソングへ期待される題材や構造に従わない。
「Outdoor Miner」は『Chairs Missing』全体の中でも特殊ですね。
周囲の曲には不安定な音響が多いのに、ここだけ光が差すような感覚がある。
だから逆に怖いんですよ、Wireって。
「こういう曲、作れるんじゃん」と分かってしまう。
そう(笑)。
もし彼らがその方向を追求していたら、別のキャリアもあり得たはずだと思わせる。
でも次のアルバムで「The 15th」を作るわけだから、ポップへの興味を捨てたわけでもないんですよね。
むしろポップを音響として研究し始める。
そこが『154』につながる。
「I Am the Fly」──ギター、ベース、ドラムの役割が曖昧になる
『Chairs Missing』で僕が一番好きなギターは、「I Am the Fly」かもしれない。
あの曲はロック・バンドの音なんだけど、ギターを「ギターらしく聞かせる」ことにほとんど興味がない。
細かい反復音があって、ベースが動いて、ヴォーカルが乗る。でも、どの楽器が曲を支配しているのかよく分からない。
「I Am the Fly」は音の役割が入れ替わっていますね。
通常ならベースが下部を支えて、ギターが中域を埋め、歌が前に出る。
でもWireでは、ある楽器がリズムになったり、別の瞬間にはテクスチャーになったりする。
楽器名と機能が一致しなくなってくる。
そして歌詞の「私」が人間ですらない。
「Outdoor Miner」もそうだけど、人間中心じゃないですね。
そうなんです。
パンクはものすごく人間中心の音楽だったと思うんですよ。
「俺はこう感じる」「社会に腹が立つ」「ここから出たい」。
Wireは同じ時代に出てきたのに、視点を昆虫や物体や断片的な状況へずらす。
その結果、ロックに付きものだった「歌い手の告白」という中心がなくなる。
それはミックスにも似ています。
中心を作らない。
なるほど。
だから『Chairs Missing』で広がったのは音響空間だけじゃなくて、歌詞の視点もなんですよ。
『154』は「豪華になった」のか、それともバンドが消え始めたのか
『154』になると、私はもう明確にスタジオ作品として聴きます。
そこは僕も認める。
一曲目の「I Should Have Known Better」からして、『Pink Flag』とは別のバンドみたいですからね。
声も違う。
この曲はGraham Lewisが歌っていて、低く抑制されたヴォーカルがアルバムの入口になる。
『Pink Flag』の冒頭で期待されたパンクの速度を裏切ったWireが、『154』ではさらに「Colin Newmanのバンド」という認識まで崩してくる。
そして音が深い。
シンセサイザー、処理されたギター、声の重なり、残響。楽器が前後左右に配置されている。
『Pink Flag』では曲の構造そのものが実験だった。
『154』では、一つの音がどの距離に存在するかまで作曲の一部になっている。
ただ、ここで僕は少し抵抗したい。
『154』が「成熟したWire」で、『Pink Flag』が「未熟なWire」という評価は絶対に違う。
それは私も違うと思います。
だって『Pink Flag』の短さって、技術不足の結果じゃないでしょう。
あれはあれで完成した美学です。
『154』では使える道具が増えた。でも道具が増えたことを進歩と呼ぶなら、ロック史は全部、録音トラック数が増えるほど優れたことになってしまう。
むしろ3枚は「足し算による成長」じゃないと思う。
Wireは毎回、前作で見つけた必勝法を捨てている。
『Pink Flag』の21曲という形式は強烈だった。普通なら次も短い曲を大量に作るでしょう。
やらない。
『Chairs Missing』で「Outdoor Miner」のような美しいポップを作れると分かった。
それ一本にも行かない。
成功した技法を資産にしないんですね。
そう。
普通のバンドなら資産になるものを、Wireは負債みたいに扱う。
一度やったなら、次はやる理由が減る。
「The 15th」と「Map Ref.」──『154』には異常に優れたポップソングがある
でも『154』を前衛化のアルバムとしてだけ語るのも違う。
私は「The 15th」がWireの最も美しい曲の一つだと思っています。
僕も。
ギターもすごいですよ。
歪ませて押すというより、きらきらした音の層を作る。『Pink Flag』のギターが輪郭だったとすれば、「The 15th」は光ですね。
あの曲は、音色とメロディーの関係がすごく繊細です。
シンセサイザー的な色彩が増えているけれど、電子音が主役だとは感じない。
むしろギターと電子音の境界が曖昧になって、全体が一つの質感になる。
これは後のインディー・ポップやシンセポップ、あるいはドリーム・ポップへ通じる感覚として聴くこともできる。
ただ、「Wireが全部を発明した」みたいな言い方はしたくないですけどね。
もちろん。影響関係はもっと複雑です。
ただ、1979年のギター・バンドがここまで音色自体を構成要素として扱っていたことは重要だと思います。
一方で「Map Ref. 41°N 93°W」は、もっと直接的にポップですよね。
タイトルは地図上の緯度経度を示すような無機質なものなのに、曲にはすごく強いフックがある。
Wireらしい矛盾だと思う。
あれ、普通にサビが気持ちいいんですよ。
そう。
タイトルだけ見たらコンセプチュアル・アート作品みたいなのに、実際には歌いたくなる。
Marcusがいたら「知性と身体を分けるな」と言いそう(笑)。
『154』の面白さはそこですね。
抽象的になったのに、必ずしも難しくなったわけではない。
むしろ瞬間的には『Pink Flag』以上に美しいポップがある。
Bruce GilbertとGraham Lewisの存在が『154』を不安定にする
初期WireをColin Newman中心に考えすぎると、『154』で急に分からなくなると思うんですよ。
Bruce GilbertとGraham Lewisの存在感が大きくなるから。
曲ごとの人格差がかなり出ますよね。
「A Touching Display」とか、もうロック・ソングの安全地帯からかなり離れている。
一方で「On Returning」はNewmanらしい切迫したポップ感覚がある。
一枚のアルバムの中に、違う作曲思想が共存し始める。
私はそこが『154』の魅力であると同時に、不穏さでもあると思います。
『Pink Flag』は断片的だけど、アルバム全体には強い統一原理がある。
短くする。削る。終わらせる。
『Chairs Missing』も過渡期として一種の統一感がある。
でも『154』は、一つの方向へ進んでいない。
電子的な曲、ギター中心の曲、ポップソング、抽象的な音響、複数のヴォーカル。
それぞれが別方向へ伸び始めている。
普通ならそれを「多様性」と褒めるところだけど、Wireの場合、本当に分裂して聞こえる瞬間があるんですよね。
うん。
良い意味だけじゃない。
ただ、その不安定さが音楽になっている。
完成されたアートロック・バンドが豪華なサード・アルバムを作った、という感じではないんです。
むしろ共同体としてのバンドの輪郭が薄くなり、その代わり個々のアイデアがスタジオ内で肥大化している。
だから『154』は「到達点」と呼ばれやすいけど、私は「行き止まり」にも聞こえる。
それ、かなり分かります。
頂上に到着したというより、四人が別々の道を登った結果、もう同じ方向へ進めなくなった感じ。
3枚で最も変わったのは「曲」ではなく、録音への考え方だった
三作を続けて聴くと、私は最大の変化は「録音とは何か」だと思います。
『Pink Flag』では、録音は非常に鋭く設計されているけれど、基本的には演奏の形を提示する役割が大きい。
『Chairs Missing』では、録音によって演奏に存在しなかった空間や色彩を加えていく。
『154』では、録音された状態こそが作曲になる。
ライブで四人がそのまま演奏して同じものになる必要がなくなっていく。
そうです。
レコード上でだけ成立する配置を受け入れる。
これは60年代後半以降のロックではもちろん珍しい発想ではありません。The BeatlesもPink Floydもスタジオを楽器として使っていた。
でもWireの場合、そこへパンク以後の「削る」感覚を持ち込んだのが面白い。
豪華にするためのスタジオではない。
音を増やした結果、逆に人間が消えていくこともある。
そこは重要ですね。
プログレッシブ・ロックのスタジオ主義とWireが違うのは、壮大さを目指していないこと。
ええ。
技巧を拡大して世界を作るのではなく、楽器の正体を曖昧にするために使う。
「これはギター」「これはシンセ」という分類そのものが意味を失っていく。
それでもRobert Gotobedのドラムは、かなりドラムとして残るんですよね。
そう。
だから全部が溶けない。
あの硬く抑制されたドラムが地面として残ることで、上部だけがどんどん奇妙になる。
Wireってドラマーが派手じゃないのがものすごく重要だと思う。
普通なら『154』みたいに音響が増えてきたら、ドラムも大きくしてドラマを作りたくなる。
Gotobedはそうしない。
時間だけを置く。
では3部作は「パンク→ポストパンク→アートロック」なのか
ジャンル名で整理すると、『Pink Flag』がパンク、『Chairs Missing』がポストパンク、『154』がアートロック、みたいな説明になります。
でも私はそれがすごく嫌なんですよ(笑)。
分かりやすすぎるから?
そう。
その整理だと、歴史の教科書みたいになる。
パンクという単純な段階があって、そこから知的になって、最後に芸術的になる。
それではパンクを過小評価するし、『Pink Flag』の知性も見えなくなる。
完全に同意。
『Pink Flag』は一番単純だけど、一番ラディカルかもしれない。
私もそう思います。
技術的に使っている要素が少ないことと、思想が単純なことは別です。
『Pink Flag』は「情報を減らすことで作品を成立させる」という、かなり厳密な判断をしている。
むしろ『154』のほうが誘惑が多い。
音色を追加できる。エフェクトを使える。声を重ねられる。
だから僕は、Wireが3枚で「上手くなった」という表現にも違和感がある。
もちろん演奏やスタジオ技術の可能性は広がる。でも一作目に欠けていた能力を二作目、三作目で獲得したわけじゃない。
ルールを変えているだけ。
三枚とも違うゲームをしている。
そう。
『Pink Flag』でチェスが強かった人が、『Chairs Missing』で囲碁を始めて、『154』で突然、盤そのものを設計し始める感じ。
その例え、最後だけWireらしいですね(笑)。
最高傑作は3人とも違う──そして入口も一致しない
僕は最高傑作なら『Pink Flag』です。
たぶん一番ギター・バンドとして好きだから、という個人的な理由も大きい。
でも歴史的な意味を抜きにしても、21曲の中で「必要ないものを弾かない」という判断がものすごく徹底されている。
「Reuters」「Three Girl Rhumba」「Ex Lion Tamer」「Lowdown」「Mannequin」「12XU」。
曲ごとに違うのに、一枚のルールがある。
ギターを始めたばかりの人が聴いても刺激になると思うんですよ。難しいコードを百個覚えなくても、音を置く場所だけでこんなに個性が出る。
私は『Chairs Missing』。
そこなんだ。
三枚の中で一番「変化している瞬間」が聞こえるから。
完成されたスタイルとしては『Pink Flag』や『154』のほうが強いかもしれない。でも『Chairs Missing』には、「これもできる」「あれも試せる」と突然世界が広がっていく感覚がある。
「Practice Makes Perfect」から「French Film Blurred」、「Heartbeat」、「Outdoor Miner」、「I Am the Fly」まで、一枚の中で景色がどんどん変わる。
それにWireのポップ性と実験性が最も均衡していると思います。
初心者にも私はこれを勧めたい。
最初に『Pink Flag』じゃない?
『Pink Flag』から入ると、「短くて鋭いパンク・バンド」という理解で止まる人もいるでしょう。
『Chairs Missing』なら最初から「この人たち、どこへ行くか分からない」と分かる。
私は最高傑作なら『154』です。
予想通りでしょうけど。
はい(笑)。
音を楽器から解放したところが好きです。
『Pink Flag』では「ギターをどう弾くか」という問いが中心にある。
『154』では「そもそも、この音をギターとして認識する必要があるのか」というところまで行く。
「The 15th」の美しさも、「A Touching Display」の不穏さも、「Map Ref. 41°N 93°W」のポップ性も、一枚の中に同居している。
ただ、初心者向けなら私も『Chairs Missing』かもしれない。
そこは二対一か。
一曲だけ選ぶなら──「12XU」「Outdoor Miner」「The 15th」
一曲だけなら僕は「12XU」。
Wireの全キャリアを代表する曲かと言われれば、たぶん違います。
でも『Pink Flag』の方法論を最も純粋に感じる。
余計な展開をしない。ギターは簡潔。リズムは一直線。でも単に速いパンクではなく、途中の空白や緊張まで構成されている。
そして過小評価された曲なら「Lowdown」。
ものすごくシンプルなのに、あのベースとギターの関係は後のポストパンクを先取りしたような感触がある。リズム隊とギターが一枚の塊にならず、それぞれ別の線として走っている。
私は一曲だけなら「Outdoor Miner」。
Wireについて、「難しい」「無機質」「知的」というイメージだけを持っている人に一番効く曲だと思う。
こんなに優雅なメロディーを書ける。
そのうえで、普通のポップソングが選びそうな感情的な題材を避ける。
Wireの変さって、ノイズを出すことより「美しい曲なのに、なぜこれについて歌うの?」というところにもあるんです。
過小評価なら『154』の「A Mutual Friend」。
あの曲には、初期Wireの切断感と後期的な広がりの両方があると思います。
私は「The 15th」。
やっぱり(笑)。
一音を聞いただけで空間が変わる曲だから。
『Pink Flag』から二年しか経っていないという事実を考えると、本当に驚きます。
でも重要なのは、Wireが豪華な演奏をするようになったから美しくなったわけではないこと。
音数を増やしたというより、音の距離、残響、質感を作曲するようになった。
過小評価された曲なら「40 Versions」です。
『154』の最後に置かれていることで、この三部作全体へのコメントのようにも聞こえる。
Wireには一つの正解がない。
同じバンドですら、前の自分たちを固定しようとしない。
「40 Versions」で終わるのは確かに象徴的ですよね。
三枚を聴き終えた時点で、「これがWireだ」と定義しようとすると、その定義がもう古くなっている。
それがこの三部作の一番すごいところかもしれない。
普通、最初の三枚ってバンドが自分たちのスタイルを確立していく時期でしょう。
Wireは逆。
一枚出すごとに、自分たちのスタイルを確立できなくしていく。
だから「成長」という言葉が合わないんですね。
変化ではある。
でも目的地へ近づいているわけではない。
対談を終えて
『Pink Flag』『Chairs Missing』『154』の間でWireが変えたのは、単なるジャンルではなかった。『Pink Flag』では曲を短くすることでロックの構造を露出させ、『Chairs Missing』では空白へシンセサイザーや残響、ポップな旋律を持ち込み、『154』ではスタジオそのものを作曲装置へ変えていった。ギターはリフを弾くものから色彩を作るものへ、録音は演奏を記録するものから現実には存在しない空間を設計するものへ変わる。
しかし、三枚を一本の「進化」の線で結ぶとWireの本質を取り逃がす。『154』は『Pink Flag』の上位版ではなく、『Pink Flag』も未完成の『154』ではない。それぞれが別の規則で成立した完成品だ。
3年間でWireが最も徹底していたのは、新しいものを加えることではなく、一度成功した方法を次の正解にしないことだった。21曲を極端に切り詰める方法も、「Outdoor Miner」のポップネスも、『154』の音響設計も、発見した瞬間から捨てる可能性を含んでいた。
だから初期Wireの3部作を続けて聴くと、バンドが成長していく物語よりも、自分自身の定義から三度逃走する過程に聞こえる。『Pink Flag』から『154』までで変わらなかったものがあるとすれば、それはサウンドではない。「Wireらしくなった瞬間に、そこから離れる」という態度だった。

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