発売日: 1996年5月7日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ポップロック、バロックポップ
気まぐれな感情が走り回る——The Cureが“ブレる”ことを肯定したアルバム
1996年にリリースされたWild Mood Swingsは、その名の通り「気分の浮き沈み」をテーマとしたアルバムである。
The Cureにとってこの作品は、前作Wish(1992年)の大成功とツアーの疲弊を経て、バンドが再構築の段階にあった時期の産物であり、
その不安定さが音にも明確に表れている。
本作は、スタイル的にも感情的にも極端なふり幅を持ち、悲しみ、興奮、皮肉、抑鬱、滑稽さ……まるで感情のジェットコースターのように展開する。
サウンドもアートポップからノイズロック、カリプソ風、ストリングス主体のバラードに至るまで、The Cure史上もっとも雑多でカラフルな作品となった。
この“振れ幅の広さ”は、当初多くのリスナーや評論家を戸惑わせた。
だが、統一感を欠くように見えるその構成こそ、90年代の終わりなき混沌を最も正直に映した鏡だったのかもしれない。
全曲レビュー:
1. Want
「もっと、もっと」と繰り返す、貪欲な欲望の告白。
重厚なシンセとギターが積み上がる中で、スミスの声が崩れていくようなエモーションを放つ。
アルバムの“情緒的核心”ともいえるオープナー。
2. Club America
ファズの効いたギターとファンキーなベースが特徴の、やや皮肉めいたグラム風ロック。
アメリカ文化に対する憧れと軽蔑が入り混じるような、複雑なメッセージを感じる。
3. This Is a Lie
ストリングスとジャズ的リズムが混ざり合う、バロックポップ風のバラード。
「これは嘘だ」と繰り返すリリックに、愛や関係への幻滅が滲む。
4. The 13th
本作でもっとも異色な、カリプソ風のリズムとラテンギターが絡む明るいナンバー。
その陽気さの裏にある奇妙な不安感が、“陽の中の闇”を体現する。
5. Strange Attraction
軽快なリズムとフックの効いたメロディが光るポップソング。
しかし、リリックには「どうしようもなく引き寄せられてしまう」という制御不能な感情が描かれている。
6. Mint Car
「Friday I’m in Loveの再来」とも言われた明るいギターポップ。
シングル曲だが、過剰なポップさが逆に“虚構の幸せ”のようにも聴こえる。
7. Jupiter Crash
静謐なアコースティックバラード。
宇宙と恋愛を重ねた詩的な世界観が広がる。
「木星で墜落した」という比喩が、破局と宇宙的孤独をリンクさせる。
8. Round & Round & Round
軽やかなミディアムテンポだが、感情的には疲弊しているような楽曲。
関係が堂々巡りになる倦怠と無力感を歌っている。
9. Gone!
ジャズ調のリズムとホーンセクションを取り入れた、スウィング風の実験作。
突き抜けたような明るさが逆に狂気的にも映る。
10. Numb
静かなギターと低音ヴォーカルによるミニマルなトラック。
「麻痺している」と語るように、感情の枯渇と虚無感が支配する。
11. Return
スウィートなメロディラインとポップなビートが印象的。
だが、「戻ってきてほしい」という願いは切実であり、明るさの裏にある痛みに気づく。
12. Trap
不穏なギターとダークなトーンが、アルバム後半の沈み込みを示す。
人間関係の“罠”と、その逃れられなさを描く。
13. Treasure
ドリーミーで幻想的なバラード。
タイトルとは裏腹に、貴重なものを喪失した後の空虚がテーマ。
14. Bare
アルバムのラストを飾るスロウナンバー。
「もう何も隠さない」と歌うスミスの声が、疲労と受容に満ちて響く。
さまざまな感情の奔流の果てに、ようやく訪れる“静かな終着点”。
総評:
Wild Mood Swingsは、そのタイトルがすべてを物語っている。
このアルバムは、ロバート・スミスの“気分”という名の迷宮に、リスナーがそのまま投げ込まれるような体験であり、
ジャンル、トーン、構成がすべて感情の波に従って変動するという、ある種の「気分主義的アルバム」でもある。
一貫性やメッセージを求めるには難解で、時に散漫にも映る。
だが、変化し続けることを肯定する音楽として、本作は唯一無二の魅力を放っている。
“揺らぐこと”を恐れない音楽——それが、このアルバムの誠実さである。
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Blur / 13
感情のジェットコースターをローファイとポップで描いた不安定な名作。 -
David Bowie / Outside
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耽美とポップの狭間で揺れる、感情過多なUKロック。 -
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Wild Mood Swingsに先駆ける感情のコラージュ作品。
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