
- 発売日: 1992年
- ジャンル: シンセ・パンク、エレクトロニック・ロック、プロト・パンク、ノー・ウェイヴ、インダストリアル、ミニマル・シンセ
概要
Suicideの『Why Be Blue』は、1992年に発表されたスタジオ・アルバムであり、1970年代ニューヨークの地下音楽シーンから生まれた彼らが、90年代の電子音楽/オルタナティブ・ロックの時代に自らのサウンドを再提示した作品である。Suicideは、アラン・ヴェガのロカビリー的で狂気を帯びたヴォーカルと、マーティン・レヴのミニマルな電子オルガン/シンセサイザー/リズムマシンによって構成されるデュオであり、パンク、ポスト・パンク、インダストリアル、シンセポップ、テクノ、ノイズ、アート・ロックに多大な影響を与えた存在である。
1977年のデビュー作『Suicide』は、ロック史の中でも特異な作品だった。ギターもドラムもほとんど使わず、反復する電子パルスと、暴力的で呪術的なヴォーカルだけでロックの衝動を表現したその音楽は、当時のパンクの枠を大きくはみ出していた。The StoogesやElvis Presleyの身体性を、機械のビートと都市の不安の中に投げ込んだような音楽であり、後のSoft Cell、Depeche Mode、Nine Inch Nails、Primal Scream、The Jesus and Mary Chain、Spacemen 3、LCD Soundsystem、M.I.A.、さらにはテクノやインダストリアルの文脈にまで影響を与えた。
『Why Be Blue』は、そのSuicideが90年代初頭に発表した作品であり、初期の極端なミニマリズムとはやや異なる質感を持っている。プロダクションはより明るく、リズムも比較的整えられ、サウンドには80年代末から90年代初頭の電子ポップ/ダンス・ミュージック的な光沢がある。しかし、その表面の明るさの下には、依然としてSuicide特有の孤独、狂気、都市のざらつき、不穏なロマンティシズムが流れている。本作は、初期の暴力的な暗黒性だけを求めると軽く感じられるかもしれないが、逆に言えば、Suicideの持つポップ性、メロディ感覚、50年代ロックンロールへの執着がより見えやすい作品でもある。
タイトルの『Why Be Blue』は、「なぜ憂鬱でいるのか」と問いかける言葉であり、一見すると楽観的な響きを持つ。しかしSuicideの場合、この言葉は単純な励ましにはならない。彼らの音楽における明るさは、常に不安や過剰さと隣り合っている。アラン・ヴェガの声は、ロマンティックな言葉を歌っても、どこか追い詰められており、マーティン・レヴの電子音は、ポップなメロディを奏でても、機械的で無人の空間を作る。つまり『Why Be Blue』は、憂鬱を吹き飛ばすアルバムではなく、憂鬱を電子的なネオンの光で照らす作品である。
本作の重要な点は、Suicideが90年代の音楽状況の中で再評価されつつあった時期に作られたことでもある。80年代後半から90年代初頭にかけて、インダストリアル、オルタナティブ・ロック、ハウス、テクノ、シンセポップ、ノイズ・ロックがそれぞれ拡大し、電子音とロックの境界が再び注目されていた。Suicideは、まさにその境界を1970年代から先取りしていた存在であり、『Why Be Blue』は、彼らが自分たちの方法論をより現代的な音像で更新しようとした作品として位置づけられる。
音楽的には、初期Suicideの冷たく荒い反復よりも、やや滑らかでポップなシンセ・サウンドが目立つ。リズムマシンは硬質だが、曲によってはダンス・ミュージック的な軽さもある。アラン・ヴェガのヴォーカルは、叫びというよりも、語り、つぶやき、ロカビリー的な節回し、酔ったような反復を行き来する。マーティン・レヴのシンセは、簡素なコードやリフを繰り返しながら、曲ごとに異なる空間を作る。派手な展開は少ないが、ミニマルな反復の中に奇妙な中毒性がある。
歌詞のテーマは、愛、裏切り、逃避、都市の孤独、欲望、祈り、記憶、存在への不安である。Suicideの歌詞は、伝統的な物語を丁寧に語るより、短いフレーズの反復や断片的な言葉によって、人物の心理状態を浮かび上がらせる。アラン・ヴェガの言葉は、ロックンロールの定型句、宗教的な叫び、ストリートの会話、悪夢の断片が混ざったものとして響く。本作でも、その言葉は明快でありながら、どこか意味が崩れかけている。
日本のリスナーにとって『Why Be Blue』は、Suicideの代表作としてまず名前が挙がる作品ではないかもしれない。入門としては1977年の『Suicide』や1980年の『Alan Vega Martin Rev』が重要である。しかし、本作は彼らのポップな側面、90年代的な再解釈、そして長いキャリアの中で変化しながらも失われなかった異様な個性を知るうえで価値がある。暗黒のミニマリズムだけではなく、ネオンの下で踊るような奇妙な明るさを持ったSuicideを聴くことができるアルバムである。
全曲レビュー
1. Why Be Blue
表題曲「Why Be Blue」は、アルバムのコンセプトを最も端的に示す楽曲である。タイトルは「なぜ落ち込むのか」「なぜ憂鬱でいるのか」という問いかけであり、表面的にはポジティブな言葉のように響く。しかし、Suicideの文脈では、この問いは素直な励ましではなく、どこか不気味な反復として機能する。明るくなれと言われれば言われるほど、むしろその背後にある不安が強調される。
音楽的には、初期Suicideの極端に荒い電子パルスよりも、比較的整ったシンセ・ポップ寄りの音像を持つ。リズムはシンプルで、シンセサイザーのフレーズは反復的だが、音色には90年代初頭らしい光沢がある。初期の「Ghost Rider」や「Rocket U.S.A.」のような荒廃した地下室の音とは違い、この曲にはネオン、クラブ、夜の都市の表面のような艶がある。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、ここで非常に重要である。彼は明るいメッセージを歌っているようでいて、その声には常に壊れたロックンロールの影がある。エルヴィス的な甘さ、ストリートの荒さ、老人のつぶやき、預言者のような調子が混ざっており、歌詞の単純さを不安定なものに変えている。ヴェガが「blue」という言葉を扱うと、それは単なる憂鬱ではなく、ブルース、夜、孤独、都市の影をすべて含む言葉になる。
この曲の魅力は、ポップに聴こえるのに安心できない点にある。シンセの音は明るく、リズムも軽い。しかし、反復が続くにつれて、曲はどこか催眠的になり、聴き手は「なぜ憂鬱でいるのか」という問いの中に閉じ込められる。Suicideにおいて、反復は解放ではなく、しばしば強迫である。この曲もまた、前向きな言葉を反復することで、逆に精神的な不安を露出させている。
「Why Be Blue」は、本作が初期Suicideの再現ではなく、より明るく、よりポップで、それでも不気味な方向へ向かったアルバムであることを示すオープナーである。Suicideのロマンティックで病的な魅力が、90年代の電子音の中に移植された楽曲である。
2. Cheat Cheat
「Cheat Cheat」は、裏切り、嘘、不誠実さをテーマにした楽曲である。タイトルの反復は非常に直接的で、Suicideらしいミニマルな言葉の使い方を示している。「cheat」という短い単語が繰り返されることで、単なる行為の説明ではなく、呪文や非難、あるいは頭の中で消えない言葉のように響く。
音楽的には、硬質なリズムマシンとシンセの反復が中心である。曲は複雑な展開を避け、短いフレーズを執拗に繰り返す。これはSuicideの基本的な手法であり、ロックの持つ感情的な爆発を、機械的な反復の中に閉じ込めるものだ。結果として、怒りや嫉妬は大きく叫ばれるのではなく、冷たいパルスの中で増幅される。
歌詞のテーマは、恋愛関係における裏切りとして読むこともできるが、より広く、社会的な欺瞞や自己欺瞞としても聴くことができる。Suicideの言葉はしばしば具体的でありながら抽象的でもある。「cheat」という語は、恋人の浮気だけでなく、人生に騙されること、自分自身に嘘をつくこと、都市社会に利用されることも含みうる。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、ここで責める者と傷ついた者の両方の声を持っている。彼は相手を告発しているようでありながら、自分自身もその欺瞞の中に巻き込まれているように響く。ヴェガの歌唱の面白さは、感情を明確に整理しない点にある。怒り、悲しみ、皮肉、陶酔が同時に声に現れる。
「Cheat Cheat」は、『Why Be Blue』の中で、Suicideの持つ反復の暴力性を比較的分かりやすく示す曲である。ポップな表面を持ちながら、短い言葉の反復によって、裏切りの感情を強迫的なものへ変えている。
3. Love So Lovely
「Love So Lovely」は、タイトルだけを見ると甘いラブソングのように思える楽曲である。「とても美しい愛」という表現は、ロマンティックで古典的なポップ・ソングの言葉に近い。しかしSuicideがこの言葉を扱うと、その美しさには必ず不穏な影が差す。彼らにとって愛は、救いであると同時に、強迫、幻想、孤独の裏返しでもある。
音楽的には、アルバムの中でも比較的メロディアスで柔らかい側面を持つ。マーティン・レヴのシンセは、荒々しいノイズではなく、やや甘い音色で反復を作る。初期Suicideの冷たい電子音を期待すると、この曲のポップさは意外に感じられるかもしれない。しかし、Suicideにはもともと「Cheree」のような、極端にミニマルでありながらロマンティックな楽曲が存在していた。「Love So Lovely」は、その系譜にある。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、ロカビリーや50年代バラードへの愛着を感じさせる。彼は現代的な電子音の上で、古いロックンロール・バラードの亡霊のように歌う。その声は甘くもあり、壊れてもいる。美しい愛を歌いながら、その愛がすでに失われているようにも、最初から幻だったようにも聴こえる。
歌詞は単純な愛の賛歌としても読めるが、Suicideの場合、単純さはしばしば危険である。短い言葉が繰り返されることで、愛の美しさは確信ではなく、自己催眠のようになる。愛は本当に美しいのか、それともそう信じ込もうとしているのか。曲はその境界を曖昧にしたまま進む。
「Love So Lovely」は、『Why Be Blue』の中でSuicideのロマンティックな側面を示す重要な楽曲である。彼らの音楽はしばしば暴力的、暗黒的、都市的と語られるが、その中心には歪んだラブソングの感覚がある。この曲は、その甘さと不気味さが同時に存在する一曲である。
4. Rain of Ruin
「Rain of Ruin」は、破滅、崩壊、降り注ぐ災厄を思わせるタイトルを持つ楽曲である。「ruin」は廃墟、破滅、崩壊を意味し、「rain」と結びつくことで、破壊が避けがたく上から降ってくるようなイメージを作る。Suicideの音楽には、都市の荒廃や終末感が常に存在してきたが、この曲ではそのイメージがより直接的に表れる。
音楽的には、冷たい電子音と反復するリズムが、雨のように持続する感覚を作る。激しいロック的な爆発ではなく、無機質なパターンが続くことによって、破滅が日常化しているような印象を与える。Suicideの怖さは、災厄を劇的に描くのではなく、機械的な反復として提示する点にある。破壊は特別な事件ではなく、都市のリズムの一部になっている。
アラン・ヴェガの声は、ここでは預言者のようにも、崩壊した街角の証言者のようにも響く。彼は破滅を外から眺めているのではなく、その内部に立っている。声には恐怖だけでなく、どこか陶酔もある。Suicideの終末感には、いつもロックンロール的な快楽が混ざっている。壊れていく世界を見ながら、それでもビートは続く。
歌詞のテーマは、個人的な破滅としても、社会的な崩壊としても解釈できる。恋愛の終わり、都市の荒廃、精神の崩壊、政治的な不安。Suicideの言葉は断片的だからこそ、複数の破滅を同時に呼び込む。「Rain of Ruin」は、そうした多層的な不安を電子音の反復に変えている。
この曲は、『Why Be Blue』の中で暗い重心を担う楽曲である。表題曲の奇妙な明るさや「Love So Lovely」のロマンティシズムとは対照的に、ここではSuicide本来の荒廃した都市感覚が前面に出る。破滅の雨が降る中で、それでも音楽は無表情に進み続ける。
5. Surrender
「Surrender」は、降伏、身を委ねること、抵抗をやめることをテーマにした楽曲である。Suicideの音楽における「surrender」は、単なる敗北ではない。愛、欲望、恐怖、機械的な反復、都市の圧力に対して、自分を明け渡すことでもある。抵抗するのではなく、ビートと声の中へ沈んでいく感覚がこの曲にはある。
音楽的には、比較的ゆったりとしたテンポで、催眠的な反復が中心となる。リズムは強く前へ進むというより、聴き手を包み込み、少しずつ意識を変える。マーティン・レヴのシンセは、最小限のフレーズを繰り返しながら、曲全体に奇妙な浮遊感を与える。これは、Suicideが得意とするミニマルな陶酔である。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、ここで非常に官能的である。彼は叫ぶのではなく、相手に近づくように歌う。降伏という言葉は、恋愛や性的な関係における身を委ねる感覚とも結びつく。しかし、Suicideの場合、その親密さは常に不安と隣り合っている。身を委ねることは甘美であると同時に、自分を失う危険でもある。
歌詞の反復は、降伏の感覚を強める。同じ言葉や短いフレーズが繰り返されることで、語り手は自分に言い聞かせているようにも、相手に催眠をかけているようにも聴こえる。この曖昧さがSuicideらしい。彼らのラブソングは、愛の言葉であると同時に、心理的な支配や強迫の言葉にもなりうる。
「Surrender」は、『Why Be Blue』の中で、Suicideの官能性と催眠性を示す楽曲である。激しさよりも、反復の中に沈み込む感覚があり、聴き手をゆっくりと支配する。降伏というタイトルにふさわしく、抵抗を失わせるような一曲である。
6. Jukebox Baby 96
「Jukebox Baby 96」は、Suicideの過去と本作の現在をつなぐような楽曲である。タイトルにある「Jukebox Baby」は、アラン・ヴェガのロックンロールへの執着、特に50年代のジュークボックス文化、ロカビリー、エルヴィス的なイメージを強く感じさせる。末尾の「96」は、再録や再解釈のニュアンスを持ち、過去のロックンロールを未来的な電子音の中で蘇らせるような感覚を生む。
音楽的には、Suicideの根底にあるロックンロール性がよく表れている。ただし、それはギター、ベース、ドラムによる伝統的なロックンロールではない。リズムマシンとシンセサイザーによって、ジュークボックスの亡霊が電子的に再生されているような音楽である。過去のポップ文化が、機械の中で歪んで鳴っている。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、この曲で特にロカビリー的な色合いを帯びる。彼の歌唱には、エルヴィス、ジーン・ヴィンセント、エディ・コクランのような古いロックンロールの影がある。しかし、その声は懐古的ではなく、むしろ壊れたジュークボックスから聞こえてくるように不気味である。ヴェガは過去を保存するのではなく、過去を電子的な悪夢へ変える。
歌詞のテーマは、恋愛、音楽、記憶、ポップ文化への執着と結びついている。ジュークボックスは、個人的な記憶を保存する機械でもある。昔の曲が流れるたびに、過去の恋愛や街の風景が蘇る。しかしSuicideにおいて、その記憶は常に歪んでいる。ノスタルジアは甘いだけでなく、亡霊のように現在へ戻ってくる。
「Jukebox Baby 96」は、『Why Be Blue』の中でSuicideのロックンロール的な出自を最も分かりやすく示す曲である。電子音楽の先駆者でありながら、彼らの根には常にジュークボックスとロカビリーの幻影がある。この曲は、その幻影を90年代の電子サウンドで再び点灯させた楽曲である。
7. Cheree 96
「Cheree 96」は、Suicideの代表曲のひとつである「Cheree」の再解釈として重要な楽曲である。オリジナルの「Cheree」は、1977年のデビュー作に収録され、極端にミニマルな電子音と甘いラブソング的な歌唱が奇妙に融合した名曲だった。Suicideの暴力的なイメージの中で、「Cheree」はロマンティックな中核を示す曲でもあった。本作の「Cheree 96」は、その過去の曲を新しい音像で再提示する試みである。
音楽的には、オリジナルよりも音が滑らかで、シンセサイザーの質感も90年代的に整えられている。初期版の荒く、空虚で、ほとんど幽霊のような質感に比べると、このバージョンはやや明るく、ポップに聴こえる。しかし、曲の中心にある不思議な孤独は変わらない。甘いメロディと機械的な反復が同居することで、愛の歌はどこか非人間的な美しさを持つ。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、年齢を経たことによる変化も含め、オリジナルとは異なる響きを持つ。若い頃の危ういロマンティシズムが、ここではより夢の中の記憶のように聴こえる。Chereeという名前は、具体的な人物であると同時に、Suicideの音楽における理想化された恋愛対象、あるいは失われたポップ・ソングの象徴でもある。
この曲の重要性は、Suicideが自分たちの過去を単に再演するのではなく、別の時代の音で変形させている点にある。オリジナルの衝撃を超えるというより、その曲が持っていたロマンティックな核を、90年代の文脈で再び鳴らしている。これはノスタルジーであると同時に、自己引用でもある。
「Cheree 96」は、『Why Be Blue』の中で最も過去との結びつきが強い楽曲である。初期Suicideのミニマルなラブソングが、より滑らかな電子音の中で再び現れる。甘さ、記憶、機械性、孤独が重なった、重要な再解釈である。
8. Angel
「Angel」は、天使という宗教的かつロマンティックなイメージをタイトルに持つ楽曲である。Suicideの音楽において、天使は純粋な救済の象徴としてだけではなく、都市の夜に現れる幻影、失われた愛、あるいは破滅寸前の存在として響く。アラン・ヴェガの歌詞やヴォーカルには、宗教的な叫びとロックンロールの欲望がしばしば混ざり合うが、この曲もその流れにある。
音楽的には、比較的ゆったりとした電子音の中に、柔らかさと不穏さが同居している。シンセサイザーのフレーズは大きく展開するのではなく、少ない音で空間を作る。マーティン・レヴの演奏は、天使という言葉から想像される荘厳さよりも、むしろ遠くで点滅する光のような冷たさを持つ。
アラン・ヴェガのヴォーカルは、祈りにも誘惑にも聴こえる。彼が「angel」と呼びかけるとき、それは神聖な存在への祈りであると同時に、夜の恋人への呼びかけでもある。Suicideの世界では、聖なるものと俗なるものは分離していない。天使は教会の中ではなく、街の暗がりやネオンの中に現れる。
歌詞のテーマは、救済への願いとして読むことができる。だが、その救済は明確には訪れない。Suicideの音楽において、祈りはしばしば反復されるが、答えは与えられない。天使を呼び続ける声は、希望であると同時に、絶望の深さを示している。誰かに救ってほしいからこそ、その呼びかけは切実になる。
「Angel」は、『Why Be Blue』の終盤において、ロマンティックかつ宗教的な余韻を与える楽曲である。初期Suicideの暴力的な都市感覚とは異なる静かな表情を持ちながら、その根底には同じ孤独と祈りが流れている。アルバムを締めくくるにふさわしい、冷たいラブソングである。
総評
『Why Be Blue』は、Suicideのディスコグラフィの中ではしばしば過渡的、あるいは後期の作品として扱われるアルバムである。1977年の『Suicide』があまりにも革新的で、1980年の『Alan Vega Martin Rev』もまた彼らの基本形を強く示していたため、本作はそれらと比べると衝撃性が弱いと見なされることもある。しかし、『Why Be Blue』には、Suicideが単なる初期衝動のバンドではなく、時代ごとに自分たちのミニマルな美学を変形させるデュオであったことが示されている。
本作の最大の特徴は、ポップさと不穏さの同居である。シンセサイザーの音色は比較的明るく、リズムも整理されており、曲によってはシンセポップやダンス・ミュージックに近い聴きやすさがある。しかし、アラン・ヴェガの声が入ることで、その明るさはすぐに不安定になる。彼のヴォーカルは、ロマンティックであり、狂気を帯びており、時に祈りのようで、時に脅迫のようでもある。マーティン・レヴの電子音は簡素で美しいが、常にどこか無人の機械のような冷たさを持つ。
歌詞のテーマは、愛、裏切り、憂鬱、破滅、降伏、救済である。「Why Be Blue」では明るくなろうとする言葉が強迫的に響き、「Cheat Cheat」では裏切りが短い言葉の反復によって増幅される。「Love So Lovely」と「Cheree 96」ではSuicideの甘く歪んだラブソングの系譜が見え、「Rain of Ruin」では破滅のイメージが冷たい電子音の中に広がる。「Surrender」と「Angel」では、身を委ねること、救いを求めることが、官能と祈りの中間として描かれる。これらの曲は、シンプルな言葉を使いながら、非常に不安定な心理状態を作り出している。
音楽史的に見ると、本作はSuicideが90年代の電子音楽/オルタナティブ・シーンと再び接続するための作品として興味深い。90年代には、Nine Inch Nailsのようなインダストリアル・ロック、Primal Screamのようなロックとダンスの融合、テクノやハウスの拡大、シンセポップの再評価が進んでいた。Suicideはそのすべての先駆として見ることができるが、『Why Be Blue』では、その先駆性がよりポップな形で再配置されている。
初期Suicideと比べた場合、本作には荒々しい危険性が少ない。『Frankie Teardrop』のような極限の恐怖や、『Ghost Rider』のような原始的な電子パンクの爆発はここにはない。その代わり、本作には経年変化したSuicideのロマンティシズムがある。若い暴力性ではなく、時間を経た都市の孤独、古いジュークボックスの記憶、電子音の中に残るロックンロールの亡霊が聴こえる。
『Why Be Blue』は、Suicideの入門作として最初に勧められる作品ではないかもしれない。しかし、彼らの音楽を「怖い電子パンク」だけで理解しないためには重要なアルバムである。Suicideには、暴力と同じくらい甘さがあり、ノイズと同じくらいポップ・ソングへの愛がある。本作はその甘さを、90年代の電子音の中で比較的前面に出した作品である。
日本のリスナーにとっては、シンセポップ、インダストリアル、ポスト・パンク、ミニマル・テクノ、ノイズ・ロックを横断する聴き方ができる。初期作よりも音が整理されているため、Suicideのポップな側面を知るには聴きやすい。一方で、彼らの本質である不安、反復、都市の孤独は失われていない。表面は明るくなっても、内側には暗い脈動が続いている。
総じて『Why Be Blue』は、Suicideの後期的な魅力を示すアルバムである。革新的な初期作ほどの衝撃はないが、ロックンロールの亡霊、電子音の反復、老いたロマンティシズム、不穏なポップ性が混ざり合い、独自の味わいを生んでいる。憂鬱を否定するのではなく、憂鬱をネオンの光で照らし、機械のビートに乗せて反復する。そこに本作の魅力がある。
おすすめアルバム
1. Suicide – Suicide(1977)
Suicideのデビュー作であり、シンセ・パンク、インダストリアル、ポスト・パンク、電子音楽に決定的な影響を与えた名盤。リズムマシンと電子オルガン、アラン・ヴェガの狂気的なヴォーカルだけでロックの暴力性を表現した作品である。『Why Be Blue』の明るさと比較することで、彼らの原点の過激さがよく分かる。
2. Suicide – Alan Vega Martin Rev(1980)
セカンド・アルバムであり、デビュー作の暗黒性を保ちながら、よりシンセポップ的で洗練された方向へ進んだ作品。Ric Ocasekのプロデュースにより、電子音の輪郭が整理され、Suicideのロマンティックな側面も見えやすくなっている。『Why Be Blue』のポップな方向性を理解するうえで重要な前段階である。
3. Alan Vega – Alan Vega(1980)
アラン・ヴェガのソロ・デビュー作で、彼のロカビリー、ロックンロール、エルヴィス的な歌唱への愛着がより直接的に表れた作品。Suicideの電子音から離れながらも、ヴェガの壊れたロマンティシズムとストリート感覚は強く残っている。『Why Be Blue』の「Jukebox Baby 96」的な要素に惹かれるリスナーに適している。
4. Soft Cell – Non-Stop Erotic Cabaret(1981)
Suicideの影響をポップなシンセポップへ展開した重要作。ミニマルな電子音、都市の欲望、性的な倒錯、夜のクラブ文化が結びついている。Suicideほど荒々しくはないが、電子音と猥雑な人間性を結びつける点で強い関連性がある。
5. Nine Inch Nails – Pretty Hate Machine(1989)
インダストリアル、シンセポップ、オルタナティブ・ロックを結びつけた作品。Suicideのミニマルな電子パンクとは異なり、より重層的でロック寄りのプロダクションを持つが、機械的なビートと個人的な痛みを結びつける点で、Suicideの後継的な文脈にある。『Why Be Blue』を90年代電子ロックの流れで理解するために有効な関連作である。



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