アルバムレビュー:Welcome to the Pleasuredome by Frankie Goes to Hollywood

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:1984年10月29日

ジャンル:ニューウェイヴ/シンセ・ポップ/ダンス・ポップ/Hi-NRG/アート・ポップ

概要

Frankie Goes to Hollywoodのデビュー・アルバム『Welcome to the Pleasuredome』は、1980年代英国ポップを代表する作品であり、同時に「ポップ・アルバムそのものを巨大な人工世界として作る」という発想を極限まで押し進めた作品である。

1983年の「Relax」、1984年の「Two Tribes」「The Power of Love」という一連のシングルによって、Frankie Goes to Hollywoodはデビュー・アルバム発売前の段階ですでに英国ポップ界の中心にいた。特に「Relax」は性的な内容をめぐる放送規制や論争によってさらに注目を集め、「Two Tribes」は冷戦と核戦争への不安をダンス・ミュージックへ変換した。

その二つだけでも、Frankie Goes to Hollywoodというバンドの特徴は明確だった。

セックス。

戦争。

宗教。

消費。

快楽。

恐怖。

そして、それらすべてを巨大なポップ・スペクタクルにする。

『Welcome to the Pleasuredome』は、その美学を2枚組という当時の新人バンドとしては異例な規模にまで拡張した作品である。

中心人物はヴォーカルのHolly Johnson。そこにPaul Rutherford、Brian Nash、Mark O’Toole、Peter Gillが加わる。しかしアルバムの音響を語るうえでは、プロデューサーTrevor Hornの存在を切り離すことができない。

HornはThe Buggles、ABC、Yesなどとの仕事を通じ、1980年代前半のスタジオ・プロダクションを大きく変えた人物である。

サンプラー。

シンセサイザー。

シーケンサー。

巨大なドラム。

多重録音。

細かい編集。

人間の演奏と機械の境界を曖昧にする。

『Welcome to the Pleasuredome』では、その方法が極端なほど徹底されている。

したがって本作は、通常の意味で「5人のロック・バンドがスタジオで演奏した記録」として考えると理解しにくい。

むしろ、バンド、プロデューサー、スタジオ、最新機材をまとめてひとつの楽器として使用した作品である。

タイトルの「Pleasuredome」は、Samuel Taylor Coleridgeの詩「Kubla Khan」に由来する「pleasure-dome」のイメージとも結びつく。

快楽の宮殿。

現実から隔離された人工的な楽園。

しかしFrankie Goes to HollywoodのPleasuredomeは、単純なユートピアではない。

快楽の裏には暴力がある。

セックスの裏には規制がある。

政治の裏には核戦争がある。

愛の裏には死への恐怖がある。

この二重性が作品全体を支配する。

一方で、本作にはBruce Springsteen、Edwin Starr、Dionne Warwickで知られる楽曲、さらにはハード・ロック系の楽曲まで複数のカヴァーが含まれる。

そのため作品は一貫したオリジナル・ソング集というより、1980年代の巨大なジュークボックスのようでもある。

ロック。

ソウル。

バカラック/デヴィッド型ポップ。

ディスコ。

ファンク。

ニューウェイヴ。

Frankie Goes to Hollywoodは、それらをTrevor Hornのスタジオ技術によって同じ「Pleasuredome」の中へ取り込んでいく。

全曲レビュー

1. Well…

アルバムの入口となる「Well…」は、通常の完成された楽曲というより、Pleasuredomeへ入る前の短い導入である。

Frankie Goes to Hollywoodは本作を単なる曲の集合ではなく、一種のショーとして構成している。

そのため、オープニングからすぐヒット曲へ向かわない。

まず空気を作る。

何かが始まる。

観客を別の場所へ誘導する。

この演劇的な構成が、アルバム全体の過剰さを最初から予告する。

2. The World Is My Oyster

「The World Is My Oyster」は、「世界は自分のもの」という若々しい万能感を示す短い楽曲である。

英語の慣用句“The world is your oyster”は、世界には無限の可能性があるという意味を持つ。

しかしFrankie Goes to Hollywoodが使うと、それは少し傲慢で、享楽的な宣言になる。

世界は自分のためにある。

欲しいものを手に入れる。

楽しむ。

その姿勢はPleasuredomeというアルバム全体の入口にふさわしい。

ここではまだ政治的な不安より、快楽への誘惑が強い。

3. Snatch of Fury (Stay)

「Snatch of Fury (Stay)」は、タイトル通り断片的なインタールードとして機能する。

短い言葉、声、音響。

こうした断片を挟むことで、アルバムは通常のポップLPより映画的になる。

Trevor Hornの制作では、声そのものが歌詞だけではなくサウンド・エフェクトとして扱われる。

意味を持つ言葉。

意味を失った声。

その境界を曖昧にすることが、1980年代のサンプリング文化へ通じる。

4. Welcome to the Pleasuredome

アルバムの中心となる長大なタイトル曲「Welcome to the Pleasuredome」は、本作の思想と音響を最も明確に示す。

シングル的な3〜4分構成ではなく、長尺の展開によって徐々に世界を作る。

ファンク。

ダンス。

シンセサイザー。

ギター。

効果音。

ヴォーカル。

さまざまな要素が重なり、曲というより環境そのものへ近づいていく。

「Pleasuredome」への招待は、単純な幸福への招待ではない。

そこには欲望、人工性、権力、誘惑がある。

楽園へ入る。

しかし、その楽園は誰が作ったものなのか。

本当に自由なのか。

快楽を与えるシステムに支配されているだけではないのか。

この疑問が、華やかな音響の裏に存在する。

Holly Johnsonのヴォーカルは、案内人と扇動者の両方の役割を持つ。

聴き手を歓迎する。

同時に、巨大なショーへ飲み込む。

スタジオ・テクノロジーそのものをテーマ化したような楽曲である。

5. Relax (Come Fighting)

「Relax」はFrankie Goes to Hollywoodの代名詞であり、1980年代英国ポップの最重要シングルのひとつである。

タイトルは「リラックスしろ」。

しかし歌詞の文脈では、性的な緊張と解放を非常に直接的に扱う。

重要なのは、セックスをロマンティックな愛情としてではなく、身体、欲望、コントロールの問題として表現していることだ。

音楽は機械的である。

強烈なベース。

硬質なビート。

シンセサイザー。

反復。

その反復によって、曲はダンスフロアで身体を支配する。

つまり歌詞が身体について歌い、ビートが実際に身体を動かす。

テーマと音楽が一致している。

当時この曲をめぐって放送上の論争が起こったことも、作品の歴史的重要性を高めた。

規制しようとする制度と、それによってさらに拡散するポップ・カルチャー。

「Relax」は性表現だけでなく、メディアと禁止の関係まで象徴する曲となった。

6. War (…And Hide)

Edwin Starrで知られる「War」を、Frankie Goes to Hollywoodは1980年代冷戦期の文脈へ移し替える。

原曲はベトナム戦争期を代表する反戦ソングである。

しかし1984年には、米ソ対立と核兵器による全面戦争への恐怖が強く残っていた。

Frankie Goes to Hollywood版では、ソウルのプロテスト・ソングが巨大な電子的ファンクへ変わる。

ドラム。

シンセ。

掛け声。

音の圧力。

そこには軍事パレードのような規律と、ダンスフロアの快楽が同時にある。

戦争への批判を踊れる音楽にするという矛盾は、次の「Two Tribes」へ直接つながる。

7. Two Tribes (For the Victims of Ravishment)

「Two Tribes」は本作の政治的中心であり、1980年代冷戦ポップを代表する楽曲である。

タイトルの「二つの部族」は、アメリカとソ連という二つの超大国を連想させる。

しかし「tribes」と呼ぶことで、巨大な近代国家の対立を原始的な部族抗争のように見せる。

人類は高度な科学技術を持った。

核兵器まで作った。

しかし、それを使う理由は古代の部族争いと大差ない。

この皮肉が曲の核心にある。

サウンドは極めて攻撃的だ。

ベースライン。

シーケンサー。

オーケストラ・ヒット的な音。

警告放送を思わせる声。

Trevor Hornのプロダクションは、核戦争の恐怖を巨大なダンス・レコードに変える。

ここでFrankie Goes to Hollywoodは、1980年代ポップの重要な逆説を体現する。

世界が終わる恐怖を歌いながら、人々は踊る。

恐怖を娯楽へ変える。

それ自体が、メディア社会への批評にもなっている。

8. Ferry (Go)

「Ferry (Go)」は短い移行部として、アルバムの流れを切り替える。

「War」「Two Tribes」という強烈な政治パートの後、作品は別の領域へ移る。

こうした短い断片の使用は、2枚組という長い作品を一本のショーとして維持するために重要である。

アルバムはここから、政治的緊張だけでなく、ロックやポップの過去へ視線を広げていく。

9. Born to Run

Bruce Springsteenの代表曲「Born to Run」のカヴァーである。

Springsteenの原曲では、閉塞した街から恋人とともに逃げ出す若者の夢が、ウォール・オブ・サウンド的なロックとして描かれる。

Frankie Goes to Hollywoodがこの曲を取り上げると、その「逃走」の意味がPleasuredomeの世界観と結びつく。

現実から逃げる。

街から逃げる。

社会から逃げる。

そして快楽の世界へ向かう。

ただし原曲のアメリカン・ロック的な疾走感を忠実にコピーするのではなく、1980年代英国の巨大なスタジオ・ロックとして再構成する。

カヴァー選曲を通じて、Frankie Goes to Hollywoodがダンス・ポップだけでなく、ロックの神話にも強く惹かれていたことが分かる。

10. San Jose (The Way)

Burt BacharachとHal Davidによる「Do You Know the Way to San Jose」を大胆に取り上げた曲である。

Dionne Warwickの歌唱で知られる原曲は、ショービジネスの夢と挫折、そして故郷へ戻る感覚を扱う。

これは『Welcome to the Pleasuredome』という作品と意外なほど相性が良い。

夢の都市。

成功。

スター。

快楽。

しかし、その世界には失望もある。

Pleasuredomeそのものが華やかな芸能産業の比喩にも見えるためだ。

Frankie Goes to Hollywoodは、このクラシック・ポップを自分たちの人工的な音響世界へ取り込む。

その結果、1960年代の洗練されたポップと1980年代のスタジオ技術が奇妙に交差する。

11. Wish (The Lads Were Here)

「Wish (The Lads Were Here)」は、タイトルに親密な仲間意識を感じさせる。

“The lads”という言葉は、英国的な男性同士の仲間関係を強く連想させる。

Frankie Goes to Hollywoodはセクシュアリティやクィアなイメージを大胆に前面へ出した一方、バンドとしてはリヴァプール出身の男性グループでもあった。

この曲では、巨大な概念より、身近な仲間との共有感覚が中心になる。

Pleasuredomeが巨大で人工的だからこそ、こうした人間的な瞬間がアルバムに別の温度を与える。

12. The Ballad of 32

「The Ballad of 32」はインストゥルメンタル的な性格が強く、アルバム後半の空気を変える。

“Ballad”という言葉を持ちながら、通常の感傷的なバラードとは異なる。

数字の「32」も意味を固定せず、スタジオの記号や暗号のように響く。

本作ではしばしば、タイトルと実際の音楽との間にズレがある。

それによって、聴き手は曲を一義的な物語としてではなく、Pleasuredome内部の一場面として受け取ることになる。

13. Krisco Kisses

「Krisco Kisses」は、本作の性的でキャンプなユーモアを代表する曲である。

タイトル自体が身体性と悪ふざけを強く感じさせる。

Frankie Goes to Hollywoodの魅力は、性を真面目な社会問題としてだけ扱わないことにある。

挑発する。

笑う。

誇張する。

過剰にする。

そのキャンプ的な感覚によって、保守的な価値観そのものを茶化す。

音楽はロック色が比較的強く、アルバムのダンス/シンセ中心のイメージから少し離れる。

性的な挑発とハードなギターを結びつけることで、バンドの雑食性を示す一曲である。

14. Black Night White Light

「Black Night White Light」は、黒と白、夜と光という対立するイメージをタイトルに並べる。

本作全体に存在する二重性を象徴するような題名である。

快楽と恐怖。

愛と戦争。

自由と統制。

身体と機械。

Frankie Goes to Hollywoodは常に両極端を同じ場所へ置く。

黒い夜に白い光が差す。

その強いコントラストは、1980年代のネオン的な視覚文化にもよく合う。

音楽も華やかな部分と陰影のある部分を往復し、アルバム後半のアート・ポップ的側面を強調する。

15. The Only Star in Heaven

「The Only Star in Heaven」は、宗教的・ロマンティックな言葉をポップ・ソングへ変換した楽曲である。

「天国で唯一の星」。

極端なほど相手を理想化する表現だ。

Frankie Goes to Hollywoodの世界では、愛と宗教的イメージが頻繁に近づく。

相手を崇拝する。

欲望を信仰のように扱う。

その境界を曖昧にする。

音楽は開放的で、アルバム終盤に向けてスケールを大きくする。

次の「The Power of Love」で本格化する「愛=救済」というテーマへの前段階としても機能する。

16. The Power of Love

「The Power of Love」は、「Relax」「Two Tribes」とはまったく異なる形でFrankie Goes to Hollywoodの代表曲となった。

ダンス・ビートによる挑発でも、核戦争への恐怖でもない。

中心にあるのは愛だ。

しかし単純なラヴ・ソングではない。

ここでの愛は、欲望より精神的な救済に近い。

闇から守る。

恐怖に対抗する。

人間を支える。

その大きなテーマを、壮麗なバラードとして表現する。

Holly Johnsonの歌唱も非常に重要だ。

「Relax」では挑発的。

「Two Tribes」では政治的。

ここでは圧倒的に真摯である。

つまり『Welcome to the Pleasuredome』を通して、同じ歌手が身体的欲望、政治的恐怖、精神的愛という三つの異なる領域を歌う。

この幅がFrankie Goes to Hollywoodの魅力である。

また、アルバム全体を「快楽の世界」と考えた場合、最後に近い場所で「愛の力」が置かれる意味は大きい。

セックスでも政治でも消費でもない。

最後に残る力として愛を提示する。

これはアルバムの過剰な人工性の中で、最も人間的な瞬間である。

17. Bang

「Bang」は、アルバムを短く締めくくるエピローグである。

タイトルは爆発音。

一瞬。

終了。

長大なPleasuredome体験の最後を、説明的な結論ではなく音の衝撃で終える。

核爆発。

セックス。

ショーの終幕。

ポップ・ソングの一撃。

“Bang”という一語には、本作に登場してきたさまざまな意味を重ねることができる。

巨大な2枚組作品を最後に一瞬で切断する、Frankie Goes to Hollywoodらしい皮肉な終わり方である。

総評

『Welcome to the Pleasuredome』は、1980年代ポップにおける「過剰」の象徴である。

長い。

豪華。

高密度。

スタジオ技術が前面に出る。

新人バンドのデビュー作としては、ほとんど常識外れの規模だ。

しかし、この過剰さは偶然ではない。

Pleasuredomeというテーマ自体が過剰だからである。

快楽とは何か。

欲しいものをすべて手に入れる。

音を増やす。

刺激を増やす。

セックス。

政治。

戦争。

愛。

ロック。

ソウル。

すべてを一つのアルバムへ入れる。

それ自体がPleasuredomeなのである。

本作を理解するうえで最大のポイントは、バンドとTrevor Hornの関係だ。

Frankie Goes to Hollywoodは実際のバンドである。

しかし本作のサウンドは、通常のバンド演奏という概念を大きく越えている。

Trevor Hornはスタジオを巨大な編集装置として使う。

演奏を録る。

切る。

重ねる。

置き換える。

加工する。

プログラムする。

その結果、どこまでが「生演奏」でどこからが「制作」なのかという区別が重要でなくなる。

これは1980年代ポップの大きな変化だった。

1970年代のロックでは、「スタジオでバンドが演奏する」という理想がまだ強かった。

1980年代になると、Fairlight CMIなどのサンプラー、シーケンサー、デジタル機器によって、一音単位で音楽を設計できるようになる。

『Welcome to the Pleasuredome』はその可能性を最も派手に使った作品のひとつだ。

その意味では、ロック・アルバムというより現代的なプロデューサー主導型ポップの先駆でもある。

後のPet Shop Boys。

Seal。

George Michael。

さらに1990年代以降のダンス・ポップやプロデューサー中心の音楽にもつながる。

「曲を書く人」「演奏する人」「制作する人」という役割の境界が薄くなり、完成したレコードそのものが最終作品になる。

本作ではこの考え方が非常に強い。

歌詞とイメージの中心には、まずセクシュアリティがある。

「Relax」はその象徴だ。

Frankie Goes to Hollywoodは、1980年代前半の英国メインストリームにおいてクィアな欲望を強烈に可視化した。

Holly Johnsonの存在、Paul Rutherfordの存在、ミュージック・ビデオ、ジャケット、ZTTの宣伝戦略。

それらすべてが、当時の保守的な性的規範への挑発になった。

しかし彼らは、それを重い社会運動の言葉だけでは行わない。

ユーモア。

キャンプ。

誇張。

挑発。

ファッション。

これらを武器にする。

だから「Relax」は政治的声明であると同時に、最高に機能的なダンス・レコードでもある。

「Two Tribes」では、身体から国家へ視点が広がる。

ここでは別の意味での支配がある。

政府。

軍隊。

核兵器。

プロパガンダ。

人間の身体は今度は欲望ではなく、戦争によって破壊される可能性を持つ。

「Relax」と「Two Tribes」は一見まったく違う。

しかし両方とも「身体を誰が支配するのか」という問いを含む。

個人の性を国家や放送局が規制する。

国家が兵士や市民の身体を戦争へ巻き込む。

その意味で、本作のセックスと政治は実は深くつながっている。

さらに「The Power of Love」がそこへ加わる。

欲望。

暴力。

そして愛。

この三つがFrankie Goes to Hollywoodの代表的なシングル群を形成している。

非常に象徴的な組み合わせだ。

人間を動かす三つの巨大な力。

それらをすべてポップ・ミュージックへ変える。

これが彼らのデビュー期の最大の成果である。

一方、『Welcome to the Pleasuredome』は評価の分かれやすい作品でもある。

最大の理由はカヴァーとインタールードの多さだ。

「Relax」「Two Tribes」「The Power of Love」ほど強烈なオリジナル曲があるため、アルバム全体を同じ水準のソングライティングで統一してほしいという見方も成立する。

しかし、そもそも本作は伝統的な意味の「12曲程度のオリジナル・アルバム」を目指していない。

もっと雑誌的である。

もっとテレビ的である。

もっとショー的である。

途中でカヴァーが入る。

声が入る。

短い断片が入る。

音楽史の別の時代へ移動する。

つまりPleasuredomeとは、好きな文化を全部取り込める巨大なテーマパークなのだ。

Bruce Springsteenの「Born to Run」があるのも、その意味では自然である。

Bacharach/Davidの「San Jose」があるのも自然。

Edwin Starrの「War」があるのも自然。

ジャンルの統一性より、文化的な快楽の収集が優先される。

この考え方は、後のサンプリング文化にも非常に近い。

過去の音楽を引用する。

意味を変える。

別の時代へ配置する。

Frankie Goes to HollywoodとTrevor Hornは、カヴァーという古典的な方法を使いながら、すでにサンプル文化的な思考を持っていた。

アルバム・タイトルの由来にある文学的な要素も見逃せない。

Samuel Taylor Coleridgeの「Kubla Khan」におけるpleasure-domeは、想像力によって作られる壮大な人工世界である。

Frankie Goes to Hollywood版のPleasuredomeも同じだ。

自然に存在する場所ではない。

作られた楽園。

だからこそ、スタジオで人工的に構築されたサウンドがよく合う。

現実には存在しない完璧なビート。

現実にはあり得ない巨大さのドラム。

何層も重ねられた声。

すべてが人工的だ。

しかしその人工性を隠さない。

むしろ誇示する。

この点で本作は、ロックにおける「自然さ」への価値観と正反対にある。

生々しい演奏こそ本物。

加工していない声こそ本物。

そうした考えを拒否する。

人工的だからこそ魅力的である。

これは1980年代ポップの核心的な美学でもある。

同時期のABC『The Lexicon of Love』やArt of Noise、Pet Shop Boysなどにも、その考え方は共有される。

そして本作の影響は、Hi-NRG、シンセ・ポップ、ダンス・ロックだけにとどまらない。

スタジオを極端に使い込んだポップ。

映像や宣伝戦略まで含めたアーティスト像。

政治とセクシュアリティを娯楽へ組み込む方法。

レコード会社ZTTを含めたメディア戦略。

これらすべてが、後のポップ・カルチャーへつながっている。

Frankie Goes to Hollywoodは音楽だけを売ったのではない。

スローガン。

Tシャツ。

映像。

論争。

デザイン。

キャラクター。

つまり一つの文化的パッケージを売った。

「FRANKIE SAY RELAX」に象徴されるその方法は、現在のポップ・スターのブランディングにも通じる。

また、本作には1984年という時代の矛盾が非常に濃く刻まれている。

消費文化は拡大している。

MTVが映像を中心に音楽を変える。

デジタル技術は進歩する。

クラブ文化も拡大する。

一方では核戦争への恐怖がある。

保守政治が強い。

性的マイノリティへの偏見も根強い。

快楽と恐怖が同時に拡大する。

この状況そのものが『Welcome to the Pleasuredome』なのである。

だからこのアルバムは、1980年代を単に明るいシンセ・ポップの時代として懐かしむ作品ではない。

ネオンの裏側にある恐怖まで含んでいる。

そしてそれを深刻な暗い作品にはせず、巨大なショーへ変える。

この姿勢が決定的にFrankie Goes to Hollywoodらしい。

『Welcome to the Pleasuredome』は、簡潔さによって完成したアルバムではない。

過剰であることによって完成している。

曲が多い。

音が多い。

引用が多い。

テーマが多い。

セックスも戦争も愛もある。

通常なら散漫になるはずの要素を、「Pleasuredome」という巨大な人工世界によって一つにする。

その過剰さを受け入れたとき、本作は1980年代ポップの価値観を最も鮮明に示したアルバムのひとつとして立ち上がる。

おすすめアルバム

1. ABC – The Lexicon of Love(1982)

Trevor Hornがプロデュースを手掛けた1980年代英国ポップの重要作。ファンク、ディスコ、ストリングス、シンセサイザーを巨大なスタジオ・ポップへまとめており、『Welcome to the Pleasuredome』に至るHornの制作美学を理解するうえで欠かせない。

2. Art of Noise – Who’s Afraid of the Art of Noise?(1984)

ZTTとTrevor Horn周辺のスタジオ実験を代表する作品。サンプラー、ノイズ、断片的な声、電子的なリズムを使い、ポップと前衛の境界を曖昧にした。『Welcome to the Pleasuredome』の音響実験部分をさらに純化したような関係にある。

3. Pet Shop Boys – Please(1986)

シンセ・ポップ、ダンス・ミュージック、クィアな視点、英国社会への観察を極めて洗練された形で統合したデビュー作。Frankie Goes to Hollywoodほど過剰ではないが、1980年代英国ポップがクラブ文化、セクシュアリティ、人工的なスタジオ制作をどう結びつけたかを比較できる。

4. Propaganda – A Secret Wish(1985)

同じZTTから登場したアート・ポップ/シンセ・ポップの代表作。冷たい電子音、劇的なヴォーカル、文学的な言葉、Trevor Horn周辺の豪華な制作を特徴とし、『Welcome to the Pleasuredome』のより暗くヨーロッパ的な側面と高い親和性を持つ。

5. Grace Jones – Slave to the Rhythm(1985)

Trevor Hornがプロデュースした、ファンク、アート・ポップ、ダブ、スタジオ実験を融合した作品。一つの楽曲やテーマを複数の角度から再構築する大胆な構成を持ち、『Welcome to the Pleasuredome』と同様に「プロデューサーがスタジオそのものを巨大な楽器として扱う」1980年代ポップの頂点のひとつである。

コメント

タイトルとURLをコピーしました