1. 歌詞の概要
「Veronica Mars」は、アメリカのシンガーソングライター Blondshell（ブロンドシェル）が2023年にリリースしたセルフタイトル・デビューアルバム『Blondshell』に収録された楽曲であり、ノスタルジー、依存、そして自己解体的な欲望が交錯する、静かな狂気を孕んだインディ・ロックの傑作である。
タイトルは2000年代に放送された人気TVドラマ『Veronica Mars（ヴェロニカ・マーズ）』から取られているが、この曲が描くのは少女探偵のドラマとは異なる、“大人になりきれない少女”の痛みと、“ヴェロニカ・マーズ”という名前が象徴する幻想への執着である。
語り手は、自分を捨ててしまうような恋愛や性的関係のなかで、「自分が何者であるか」を見失いながらも、そこに居続けることを望んでしまう。
それは自己破壊のようでいて、どこか純粋な愛の形にも見える——この危うさと真実味が、Blondshellの音楽の核心なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
BlondshellことSabrina Teitelbaumは、かつてポップ寄りのサウンドで活動していたが、パンデミック下での孤独や内省を経て、よりギター主導のオルタナティブ・ロックへと転向。「Veronica Mars」はそうした変化のなかで生まれた、彼女自身の“感情のざらつき”を最もストレートに描いた曲のひとつである。
この曲において、“Veronica Mars”という名前は「記憶の中にある過去の理想像」や「無垢で強く、賢く、自立している女性」の象徴として機能する。
だが現実の語り手は、そうしたイメージとは程遠く、誰かに執着し、愛に溺れ、自分の価値すら危うくなってしまうような人間である——その落差と葛藤を、彼女はユーモアと皮肉を織り交ぜながら描いている。
サウンドは90年代オルタナティブ・ロックの美学を引き継ぎつつ、ヴォーカルの距離感がどこか“感情の残響”のように鳴り続ける構成となっており、耳に心地よくありながらも、感情的には不穏な揺らぎが残る。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I think my kink is when you tell me that you think I’m pretty
While I’m crying
私の“性的嗜好”って
泣いてるときに「可愛いよ」って言われることかもしれない
I think my kink is when you show up
And then leave in the same evening
私の“ツボ”って、あなたが来て
その日のうちにいなくなることだったりするのかもね
And I’m your dog, or something
I know that’s not sexy
私はあなたの犬…みたいな存在
そんなの魅力的でも何でもないってわかってる
I watch Veronica Mars
I watch you watch her
And I stay
私は『ヴェロニカ・マーズ』を見てる
あなたがそれを見てる姿を、私は見てる
そして私は、ここに居続ける
歌詞引用元：Genius – Blondshell “Veronica Mars”
4. 歌詞の考察
この楽曲の語り手は、自分の感情がねじれ、壊れかけていることに気づいている。それでも、自分を軽んじるような相手に惹かれてしまう。“セックス”と“存在意義”が混濁し、“愛されたい”という願いが“傷ついても構わない”という諦念に変わってしまう——その崩壊のさなかにある語りが、この曲にはある。
「私はあなたの犬…みたいな存在」というラインは、自己の価値を放棄してでも誰かに従属しようとする姿を、悲劇的というよりは皮肉っぽく描いている。その裏には、「そんな自分が嫌だけど、止められない」という認識がある。
そして「Veronica Mars」は、その理想と現実の間に横たわるアイコンなのだ。
強くて自立していた少女ヒーロー、あの頃のテレビの中の彼女は、今の自分とはあまりにも違う。その落差を見つめながらも、主人公は逃げずにそこに留まることを選ぶ。
この「留まる」という行為こそが、この曲の核心である。逃げることもできたはずなのに、彼女はその関係に居続ける。「I stay」という言葉には、敗北感と忠誠心、未練と自己否定のすべてが詰まっている。
それでいて、この曲は決して“悲劇”として終わらない。むしろ、その壊れた自分をさらけ出しながらもなお、音楽として昇華することによって、Blondshellは「私はこの痛みを知っている」とリスナーに告げる。それは“痛みの共有”という、現代のインディ・ロックが果たす最大の役割のひとつだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Motion Sickness by Phoebe Bridgers
関係性の中での不均衡と自己嫌悪を、ユーモアと痛烈さで歌い切った現代の名曲。 - Your Dog by Soccer Mommy
従属的な恋愛関係へのアンチテーゼを、静かに、しかし確かに突きつけるローファイ・ロック。 - Head Alone by Julia Jacklin
自分の身体と境界を守ろうとする意志を、やさしいメロディに託したフェミニズムのうた。 - Killer by FKA twigs
快楽と自己犠牲のあいだで揺れる感情を、官能と脆さで描き切った幻想的なラブソング。 - Not Strong Enough by boygenius
強さと弱さ、崇拝と現実、そのどちらにも属せない自分を見つめ続けるエモの新境地。
6. “壊れていく私”を見つめる、現代的な自己告白
「Veronica Mars」は、誰かにとっての“理想の私”になれなかったこと、あるいはなろうとしなかったこと、その両方への諦めと哀しみが、毒気と静けさを伴って歌われる一曲である。
それはフェミニズムのうたであり、自己破壊のうたであり、自己観察のうたでもある。
Blondshellはこの曲を通じて、どれだけみじめで、どれだけ依存的でも、「それが今の自分なのだ」と受け入れる。その態度にこそ、現代のオルタナティブ・ロックが示すべき“正直さ”がある。
「Veronica Mars」は、過去の自分が信じた理想像と、今ここにいる脆くて複雑な自分との対話である。そしてその対話を、ためらいながらも歌にするBlondshellの声は、まるで暗い部屋に差し込むピンク色の光のように、静かに、でも確かに私たちの心に触れてくる。
その光は、痛みのなかでしか見えない美しさを持っている。
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