発売日: 2012年3月19日
ジャンル: インディー・ロック、オルタナティブ・ロック、ポストパンク、ギター・ポップ
『Valentina』は、The Wedding Presentが2012年に発表した8作目のスタジオ・アルバムであり、
「喪失」と「回想」を得意とするデヴィッド・ゲッジが、再び恋愛のディテールを鋭利に切り取りながら、
新たな編成によってバンド・サウンドに洗練されたダイナミズムを持ち込んだ作品である。
本作の特徴は、これまでの“失恋の断片”というモノローグ的世界から、より音楽的に解放された感触へと向かっていることにある。
プロデュースはAndrew Scheps(U2、Red Hot Chili Peppersなどの仕事で知られる)が担当し、
サウンドには艶と重みが加わった。エッジの効いたギター、安定したリズム、抑制と爆発を繰り返す構成は、
「過去のパターンに寄りかかるのではなく、円熟した現在の語り口」を体現するものとなっている。
全曲レビュー
1. You’re Dead
イントロから荒々しいギターと共に幕を開けるオープニング。
そのタイトル通り、別れの“死”を宣言するような冷淡さと潔さがある。
だが裏では、未練とやり場のない怒りが噴き出しそうに燻っている。
2. You Jane
恋愛における“役割”や“セリフ”がねじれていく様子を、映画的メタファーで描いた一曲。
「僕=Tarzan、君=Jane」という二項関係が崩れていく瞬間の心のズレを切り取る。
3. Meet Cute
“映画のような出会い”を意味するタイトルに反して、関係の失速と解体がテーマ。
軽やかなメロディと語りかけるようなヴォーカルが、日常の儚さと空しさを際立たせる。
4. Back a Bit… Stop
一度は別れた関係の“ちょっとした寄り戻し”をテーマにした楽曲。
止まったはずの感情が再び動き出す様が、リズムの加速とともにリアルに描かれる。
5. Stop Thief!
前作『Saturnalia』にも登場したタイトルが再登板。
別楽曲だが、テーマは通底しており、“感情を盗まれた”という怒りと喪失の再演。
ギターが鋭く刻まれるたびに、傷の深さが露わになる。
6. The Girl from the DDR
旧東ドイツ出身の彼女との文化的距離と恋愛感情の交差を描いたユニークな一曲。
イデオロギーと感情、国境と心の境界線を軽やかに越えていく。
7. Deer Caught in the Headlights
「ヘッドライトに照らされた鹿」──つまり、恐怖と混乱で動けない状態を比喩にした失恋ソング。
関係の終焉を予感しつつ、何もできない自分自身への苛立ちがギターに刻まれる。
8. 524 Fidelio
“秘密の部屋”“パスコード”“聞きたくなかった会話”──
どこかスタンリー・キューブリック『アイズ ワイド シャット』を思わせる謎めいた空間描写と、
信頼の崩壊を描くドラマティックな展開が秀逸。
9. End Credits
まるで映画のラストシーンのように、“関係の終焉”を静かに観客席から眺めているような視点。
少しずつ音が減っていき、感情だけが残る余韻が印象的。
10. Mystery Date
不意の出会いとそこに生まれた期待が、
ほんの数行の対話で崩れていく残酷なリアリズムを描いた作品。
リズムは軽快だが、リリックは鋭い。
総評
『Valentina』は、The Wedding Presentが**“喪失の語り部”として円熟を迎えつつ、
新しい編成とプロダクションによって、音楽的な強度を高めた一枚**である。
恋愛をめぐる細部へのこだわり、ダメ男的視点、語りの妙はそのままに、
よりバンドとしてのダイナミズムや楽曲の起伏が豊かになっており、
**かつての“3分失恋ロック”の文法から脱却した、“映画的で構築的なロック叙事詩”**とも言える内容になっている。
決して派手ではないが、一曲ごとに小さな物語があり、リスナーの記憶にそっと入り込むようなアルバムである。
おすすめアルバム
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The Divine Comedy / Absent Friends
映画的な語り口と恋愛の不器用さを描いた作品。 -
Jens Lekman / Night Falls Over Kortedala
恋の終わりとユーモア、メロディの融合。 -
Camera Obscura / Let’s Get Out of This Country
甘さと切なさ、ギターポップとシネマティックな視点。 -
Morrissey / You Are the Quarry
成熟した男の恋愛観とアイロニー。 -
Cinerama / Valentina(2015)
The Wedding Presentと同一人物による、本作をよりソフトに再構築した全曲リメイク盤。
特筆すべき事項
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『Valentina』はのちにゲッジの別プロジェクトCinerama名義で全編再解釈される。
同じ曲をストリングスやアコースティックを中心としたアレンジで再構築したこの試みは、
1つの作品に2つの表情を与えた極めてユニークなケースである。 -
歌詞の多くはロンドン〜ベルリン〜ロサンゼルスといった都市の移動と情景描写を伴っており、
Gedge特有の**“地理的恋愛地図”の精密描写**が健在。 -
前作『El Rey』の荒さやローファイな質感に比べると、
本作はよりプロダクションが洗練されており、“過去の喪失”を美しく記録する音像に仕上がっている。
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