発売日: 1990年4月2日
ジャンル: オルタナティブ・ロック、グランジ、パンク・ブルース、ノイズ・ロック
概要
『Up in It』は、The Afghan Whigsが1990年に発表したメジャーデビュー作であり、グランジの胎動とソウルの片鱗が交錯する“荒削りな情熱の塊”である。
Sub Popからリリースされた本作は、同レーベルが育てたMudhoneyやTadらと同様のラウドかつノイジーなギター・サウンドを基本にしつつも、R&Bやソウルに影響されたヴォーカル表現や抒情性を垣間見せる点で、異彩を放っていた。
オハイオ州シンシナティ出身という地理的距離もあってか、シアトル的グランジの“土臭さ”と、“中西部の黒っぽさ”が独特の緊張感で共存している。
バンドのフロントマンであるグレッグ・デュリの粗野ながらもセクシャルで内省的なリリックと歌声は、本作時点ですでに強い存在感を放っており、後の作品で深化するソウル・ロック路線の萌芽も見て取れる。
プロデュースはJack Endino(Nirvana『Bleach』のプロデューサー)であり、音像は非常に荒く、生々しい演奏の勢いをそのまま封じ込めたような質感に仕上がっている。
全曲レビュー
1. Retarded
ノイジーなリフと叫ぶようなボーカルが鮮烈。
“何も感じられない自分”を描写するかのような、内なる無力感が爆発する開幕。
2. White Trash Party
南部文化に対するアイロニーと自嘲を込めたタイトル。
酔いと暴力、快楽と退廃が渦巻くような“底辺の祝祭”が描かれる。
3. Hated
内省的な歌詞と重苦しいリズム。
「嫌われること」と「愛されないこと」の境界をなぞるような情動の吐露。
4. Southpaw
グルーヴィーなベースラインと疾走感のある構成が印象的。
“左利き”というキーワードが、他者と違う視点・立ち位置を象徴。
5. Amphetamines and Coffee
薬物と日常の交差を描く、スピード感のあるダーク・ロック。
夜の都市と中毒性の象徴としての“アンフェタミン”と“コーヒー”が強烈に対比される。
6. Now We Can Begin
ややメロウなトーンで始まるが、徐々に荒々しく展開。
“やっと始められる”という希望と不安の入り混じるタイトル。
7. You My Flower
比較的コンパクトな構成で、愛と怒りが同時に噴き出す。
“花”という比喩が、脆さと執着の両面を内包。
8. Son of the South
ミディアムテンポの中に、デュリの語りのようなボーカルが印象的。
ルーツをめぐるアイデンティティの揺らぎがにじむ。
9. I Know Your Little Secret
不穏なイントロと繰り返されるフレーズがサイコスリラー的。
“君の小さな秘密を知っている”という台詞が、抑圧と暴力の気配を匂わせる。
10. Big Top Halloween
アルバムのラストにふさわしいカオティックな構成。
見世物小屋、仮面、欺瞞――サーカス的イメージに重ねられる、社会のグロテスクな断面。
総評
『Up in It』は、The Afghan Whigsが音楽的にも人間的にも“粗削りであること”を武器として提示した、ロック黎明期の混沌をそのまま封じたような作品である。
サウンド的にはNirvana『Bleach』やMudhoney『Superfuzz Bigmuff』といったSub Popの典型に近く、ラウドで重く、汗と煙草の匂いがしそうな質感が支配する。
だがその中で、グレッグ・デュリのボーカルとリリックだけは、どこか“外れている”――ソウルに近い節回しと、性と痛みを内包した語り口が、早くもバンドの特異性を予感させる。
“ヒーローになれない者たちのブルース”として、本作は90年代オルタナティブの“非主流”の精神を体現した重要作であり、The Afghan Whigsのキャリアにおける「グランジからソウルへの橋渡し」としての意味も持っている。
おすすめアルバム
- Mudhoney / Every Good Boy Deserves Fudge
Sub Pop的ノイズとブルースのミックスが共通。 - Screaming Trees / Uncle Anesthesia
グランジとサイケの混合という点で近い空気感。 - The Jesus Lizard / Goat
ノイズロックとしての暴力性と人間的な叫びの融合。 - Soundgarden / Louder Than Love
重厚なリフと憂鬱な美学を共有。 -
Greg Dulli’s Twilight Singers / Twilight as Played by The Twilight Singers
グレッグ・デュリの後年のソウル〜トリップホップ的進化を知るなら必聴。
制作の裏側(Behind the Scenes)
レコーディングは主にシアトルのスタジオで行われ、プロデュースにはグランジ初期の仕掛け人Jack Endinoが関与。
わずか数日のうちにアナログ・テープで一発録音されたというその制作背景は、生々しさをそのまま閉じ込めることを目的とした“記録性の高いアルバム”としての特質を強調する。
バンドはこの時期、Sub Popのツアーに参加し、MudhoneyやNirvanaとともにステージに立つ中で、その異質性とポテンシャルを磨いていくことになる。
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