
1. 歌詞の概要
Sigur RósのUntitled #1 (Vaka)は、言葉になる前の祈りのような曲である。
アルバム( )の冒頭に置かれたこの曲は、タイトルからして特別だ。
正式な曲名はUntitled #1。
つまり無題その1である。
しかし、のちにVakaという通称でも知られるようになった。
Vakaという言葉には、アイスランド語で目覚め、または見張る、起きているといったニュアンスがある。
ただし、この曲の世界は、はっきりとした目覚めというより、眠りと覚醒の境界に近い。
暗い部屋で、まだ目を閉じている。
けれど、どこか遠くで光が差し始めている。
誰かの声が聞こえる。
意味はわからない。
でも、その声は確かにこちらへ向けられている。
Untitled #1 (Vaka)は、そんな曲である。
この曲には、通常の意味で理解できる歌詞がほとんどない。
Sigur RósがHopelandic、あるいはVonlenskaと呼ぶ、意味を持たない発声によって歌われている。
言葉としての意味ではなく、声の響きそのものが感情を運ぶ。
そのため、歌詞の概要を物語として説明することは難しい。
しかし、曲を聴けば、何かが伝わってくる。
喪失。
祈り。
目覚め。
孤独。
薄い光。
誰かを呼ぶ声。
そして、どうしようもなく美しい静けさ。
Jónsiのファルセットは、人間の声でありながら、少し人間離れしている。
柔らかく、細く、高く、空気に溶けるように伸びていく。
ピアノはゆっくりと和音を置く。
オルガンのような音が空間を満たす。
リズムは急がない。
曲は大きく爆発するというより、霧の中に少しずつ光が増えていくように進む。
Untitled #1 (Vaka)は、Sigur Rósの中でも特に静かで、入り口としての力を持つ曲だ。
アルバム( )は、全曲が無題で、歌詞も意味を持たないHopelandicで歌われている。Pitchforkの20周年再発レビューでも、同作は語彙や文法を持たないHopelandicによって、聴き手が自由に解釈を持ち込める作品として説明されている。(Pitchfork)
つまり、この曲は聴き手に答えを与えない。
かわりに、空白を与える。
その空白の中に、自分の記憶や悲しみや祈りを置くことができる。
Untitled #1 (Vaka)は、意味のない歌ではない。
意味をひとつに固定しない歌なのである。
2. 歌詞のバックグラウンド
Untitled #1 (Vaka)は、Sigur Rósの3作目のアルバム( )に収録された楽曲である。アルバム( )は2002年にリリースされ、8曲すべてが無題で、曲名の代わりにUntitled #1からUntitled #8までの番号で示された。Pitchforkは同作の20周年版について、オリジナル・アルバムが2002年に発表され、20周年版ではリマスターとデモ、B面曲などが追加されたと報じている。(Pitchfork)
このアルバムの大きな特徴は、徹底した匿名性である。
アルバム・タイトルは( )。
括弧だけ。
中身は空白。
曲名もない。
歌詞の意味も固定されない。
ジャケットもミニマルで、聴き手に明確な物語を押しつけない。
これは、非常に大胆な試みだった。
多くのポップ・ミュージックは、タイトルや歌詞によって聴き手の解釈をある程度導く。
失恋の曲。
怒りの曲。
希望の曲。
祈りの曲。
しかし( )は、その案内板を外してしまう。
聴き手は、ただ音の中へ入るしかない。
Untitled #1 (Vaka)は、その入口に置かれている。
この曲が最初に鳴ることで、アルバム全体の空気が決まる。
ここから先は、意味を追うのではなく、音の中で感じる作品なのだと、静かに告げる。
Sigur Rósはアイスランドのバンドであり、Jónsiの弓弾きギター、Georg Hólmのベース、Orri Páll Dýrasonのドラム、Kjartan Sveinssonの鍵盤やアレンジによって、ポストロック、アンビエント、クラシカルな要素を横断する独自の音楽を作り上げてきた。
( )以前のÁgætis byrjunでは、彼らはすでに世界的な評価を得ていた。
その次に、これほど抽象的で、歌詞の意味を取り払った作品を出したことは、バンドの美学をさらに極端な形で示すものだった。
また、アルバム( )は空のスイミングプールで録音されたとも語られており、Pitchforkのレビューでも、その録音環境が作品の疎密と没入感に影響していると触れられている。(Pitchfork)
この空間性は、Untitled #1 (Vaka)にも強く出ている。
音が近いのに遠い。
声がそこにあるのに、空間の奥から聞こえる。
ピアノの一音が、部屋ではなく、巨大な空洞に反響しているように感じられる。
この曲は、音楽というより、場所に近い。
部屋。
礼拝堂。
凍った湖。
夜明け前の空。
あるいは、誰もいない大きな建物。
その中で、声だけが静かに浮かんでいる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Untitled #1 (Vaka)は、主にHopelandic、つまり意味を持たない発声によって歌われている。
そのため、通常の歌詞のように、英語やアイスランド語の文章を引用して和訳することはできない。
ここでは、歌詞の言葉ではなく、楽曲が作り出す感覚を短い言葉として表す。
Ah…
You hear a voice before meaning arrives
和訳すると、次のような意味になる。
ああ
意味が来る前に、声が聞こえる
これは公式歌詞の引用ではなく、曲の感覚を説明するための短い表現である。
Untitled #1 (Vaka)において重要なのは、意味より先に声が届くことだ。
私たちは普段、歌を聴くとき、言葉の意味を探す。
何を言っているのか。
誰に向けて歌っているのか。
どんな物語なのか。
しかし、この曲では、その作業ができない。
できないからこそ、別の聴き方が始まる。
声の高さ。
息の揺れ。
音の余白。
母音の伸び。
ピアノの沈み方。
空間の冷たさ。
それらが、歌詞の代わりになる。
歌詞引用元: 本曲は主にHopelandicで歌われ、通常の意味で翻訳可能な歌詞を持たないため、歌詞引用は行っていない。
権利表記: 楽曲および歌唱表現の権利はSigur Rósおよび各権利者に帰属する。
4. 歌詞の考察
Untitled #1 (Vaka)の考察は、歌詞を読むことではなく、歌詞がないことを読むことから始まる。
なぜ、意味を持つ言葉ではなく、Hopelandicで歌うのか。
その答えは、Sigur Rósの音楽の核心にある。
言葉は便利だ。
しかし、便利すぎることもある。
悲しい、と言えば、聴き手は悲しい曲だと受け取る。
愛している、と言えば、ラブソングとして理解する。
さよなら、と言えば、別れの曲になる。
言葉は感情に名前をつける。
しかし、名前をつけた瞬間に、感情は少し小さくなることもある。
Untitled #1 (Vaka)は、その名前をつける前の感情を扱っている。
悲しいのか。
美しいのか。
怖いのか。
救われるのか。
祈りなのか。
喪失なのか。
目覚めなのか。
そのどれでもあり、どれでもない。
だから、言葉にならない声が必要だったのだと思う。
Hopelandicは、意味を持たない。
しかし、無意味ではない。
Jónsiの声は、意味を持つ単語ではなく、音の形によって感情を作る。
それは、赤ん坊の声や、祈りの声や、泣き声に近い。
人は、言葉を覚える前にも声を出す。
泣く。
笑う。
うなる。
呼ぶ。
その声には、辞書的な意味はない。
でも、強い感情がある。
Untitled #1 (Vaka)は、その原初的な声へ戻る曲である。
また、Vakaという通称も興味深い。
目覚め。
起きていること。
見張ること。
この曲には、確かに目覚めの感覚がある。
しかし、それは明るい朝にぱっと目を開けるような目覚めではない。
もっとゆっくりしている。
長い眠りの底から、意識が少しずつ浮上してくるような感じだ。
最初の音から、曲は非常に静かだ。
ピアノの和音は、はっきりしたリズムで何かを始めるというより、空間に光を置くように鳴る。
そこにJónsiの声が入る。
この声は、歌い出しというより、遠くから聞こえていたものが少し近づいてきたように感じられる。
曲はゆっくり膨らむ。
だが、Hoppípollaのような明るい爆発ではない。
Untitled #1 (Vaka)の高まりは、もっと内側にある。
凍った表面の下で、水が少しずつ動き始めるような高まりだ。
この曲を聴いていると、感情が外へあふれ出すというより、胸の奥で静かに広がっていく。
だから、涙が出るとしても、それは劇的な号泣ではない。
気づいたら目が潤んでいるような種類の涙である。
Sigur Rósの音楽には、こうした静かな浄化がある。
救われた、と言うには早すぎる。
でも、少しだけ呼吸ができる。
そのような音楽だ。
5. ミュージックビデオの世界
Untitled #1 (Vaka)のミュージックビデオは、曲の受け取られ方を大きく変えた作品でもある。
監督はFloria Sigismondi。
映像では、灰に覆われた終末的な世界の中で、ガスマスクをつけた子どもたちが遊んでいる。
彼らは灰を雪のように投げ合い、雪だるまのようなものを作り、無邪気に遊ぶ。
しかし、その世界は明らかに壊れている。
空は暗く、地面は灰色で、子どもたちは外気をそのまま吸えない。
やがて、ひとりの子どものガスマスクが外れる。
彼女は倒れ、周囲の子どもたちが集まる。
最後には目を閉じる。
このビデオは2003年のMTV Europe Music AwardsでBest Videoを受賞した。IMDbでも、Floria Sigismondi監督によるこのビデオが2003年のMTV Europe Music AwardsでBest Videoを受賞したことが記録されている。(IMDb)
この映像は、曲の静けさに強烈な意味を与える。
音だけで聴くUntitled #1 (Vaka)は、祈りのようにも、眠りのようにも、目覚めのようにも感じられる。
しかし、ビデオとともに見ると、そこには環境破壊、戦争、汚染、子どもたちの無垢、そして死の影が浮かび上がる。
灰の中で遊ぶ子どもたちは、痛ましい。
けれど、彼らは遊んでいる。
この対比がつらい。
世界が壊れていても、子どもは遊ぶ。
危険な空気の中でも、雪のように灰を投げる。
無垢は、壊れた世界の中でも消えない。
しかし、無垢だけでは子どもを守れない。
ガスマスクが外れた瞬間、その世界の残酷さが露わになる。
この映像によって、Vakaは単なる美しい曲ではなくなる。
美しさと恐怖が同時に存在する曲になる。
Sigur Rósの音楽は、しばしば美しいと言われる。
だが、その美しさは、いつも少し不安を含んでいる。
Vakaのビデオは、その不安を視覚化したものだ。
白い雪のように見えるものが、実は灰である。
子どもの遊びのように見えるものが、実は死の近くにある。
美しい音楽の中に、終末の風景が重なる。
このねじれが、曲を深くしている。
6. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Untitled #3 / Samskeyti by Sigur Rós
同じアルバム( )に収録された、ほとんどインストゥルメンタルのように響く楽曲である。
Untitled #1 (Vaka)がアルバムの目覚めなら、Samskeytiはその後に続く静かな歩行のような曲だ。
ピアノの反復が淡く続き、音の隙間に祈りのような空気が広がる。
Vakaの静けさに惹かれた人には、Samskeytiの透明な反復も深く響くだろう。
- Untitled #8 / Popplagið by Sigur Rós
アルバム( )の最後を飾る大曲である。
Vakaが静かな入口なら、Untitled #8は出口であり、解放であり、破壊でもある。
長い時間をかけて少しずつ高まり、最後には圧倒的な轟音へ到達する。
( )というアルバム全体を理解するには、VakaとUntitled #8を対として聴くことが重要である。
始まりの祈りと、終わりの爆発。
その両方があって、アルバムはひとつの円になる。
- Svefn-g-englar by Sigur Rós
1999年のÁgætis byrjunを代表する楽曲であり、Sigur Rósの神秘的な音像を世界へ知らしめた曲である。
Vakaの静けさが好きなら、Svefn-g-englarのゆったりした浮遊感も必ず響く。
こちらはより長く、より深く、夢の中を漂うような曲だ。
タイトルは眠りの天使たちを思わせる響きを持ち、Vakaの眠りと覚醒の境界ともよくつながる。
- Starálfur by Sigur Rós
同じくÁgætis byrjun収録曲で、ストリングスの美しさが際立つ楽曲である。
Vakaよりも少し明るく、童話的な質感がある。
しかし、そこにもSigur Rós特有の儚さと透明感がある。
静かなファルセット、広がる弦、ゆっくりとした時間。
Vakaで感じた祈りの感覚を、もう少し温かい光の中で聴ける曲である。
- Jóga by Björk
アイスランドの音楽が持つ壮大な自然感、内面の揺れ、ストリングスと電子音の融合を知るうえで、BjörkのJógaは非常に重要な曲である。
Sigur Rósとは音楽性が違うが、個人的な感情をアイスランド的な風景のスケールへ広げる点で通じている。
Vakaの静かな祈りに対して、Jógaはより激しく、火山のように感情が噴き上がる曲だ。
7. 言葉を失った場所で鳴る祈り
Untitled #1 (Vaka)は、Sigur Rósの中でも特に入り口としての力を持った曲である。
この曲から( )が始まる。
それは、何かが始まるというより、何かの中へ入っていく感覚に近い。
括弧だけのアルバム。
無題の曲。
意味を持たない歌。
白く、黒く、空白に満ちた世界。
その最初にVakaがある。
この曲は、聴き手に準備をさせる。
ここから先は、言葉の意味に頼らないでください。
タイトルに答えを求めないでください。
歌詞を翻訳して理解しようとしないでください。
ただ、聴いてください。
そう言われているような曲である。
そして不思議なことに、その方が深く届く。
意味のある歌詞は、時に聴き手を限定する。
これは恋人の歌です。
これは社会の歌です。
これは死の歌です。
そう示されると、聴き手はその枠の中で受け取る。
しかしVakaは、その枠を作らない。
だから、聴き手は自分の感情を置ける。
失った人のことを思い出してもいい。
朝の光を思ってもいい。
幼い頃の記憶を重ねてもいい。
何も考えず、ただ音に包まれてもいい。
この自由さが、( )というアルバム全体の魅力である。
ただし、自由であることは、空っぽであることではない。
Vakaには強い情緒がある。
それは、言葉で説明されていないだけで、確かに存在している。
曲の最初の静けさ。
Jónsiの声の細さ。
ピアノの冷たい響き。
ゆっくりと広がる音。
遠くで灯るような希望。
それらが、言葉以上に雄弁に語っている。
また、ミュージックビデオが示した終末的なイメージも、この曲の記憶に深く刻まれている。
灰の中で遊ぶ子どもたち。
ガスマスク。
倒れる少女。
無邪気さと死の近さ。
この映像を知ったあとにVakaを聴くと、曲の静けさはただ美しいだけではなくなる。
それは、壊れた世界のためのレクイエムのようにも響く。
しかし、完全な絶望ではない。
なぜなら、声があるからだ。
言葉にはならない。
でも、声はある。
それは、世界が壊れても残る最後のもののように聞こえる。
人は、言葉を失っても声を出す。
泣く。
祈る。
うめく。
呼ぶ。
歌う。
Vakaは、その声の曲である。
Sigur Rósの音楽が世界中で受け入れられた理由のひとつは、この言葉以前の感情に触れているからだろう。
アイスランド語がわからなくてもいい。
Hopelandicに意味がなくてもいい。
むしろ、その意味のなさが、国や言語を越える力になっている。
Vakaは、翻訳される曲ではない。
感じられる曲である。
そして、その感じられ方は聴く人によって違う。
ある人には、冬の朝の曲かもしれない。
ある人には、誰かを失った夜の曲かもしれない。
ある人には、眠りから覚める瞬間の曲かもしれない。
ある人には、世界の終わりに残る祈りの曲かもしれない。
そのすべてが正しい。
なぜなら、この曲は答えを用意していないからだ。
Untitled #1。
無題。
Vaka。
目覚め。
あるいは、まだ眠っていること。
この曖昧さこそが、曲の美しさである。
Hoppípollaが水たまりへ跳ぶ生命の祝祭だとすれば、Vakaはその前にある静かな息である。
世界がまだ完全には始まっていない時間。
光が差す直前。
言葉が生まれる直前。
涙がこぼれる直前。
その直前の時間を、Sigur Rósは音楽にした。
Untitled #1 (Vaka)は、意味を持たない歌ではない。
意味が生まれる前の場所を歌った曲である。
だから、聴き終わったあとも、はっきりした言葉は残らない。
残るのは、胸の中に広がる静かな余韻だけだ。
それで十分なのだ。
この曲は、言葉で説明されるためではなく、言葉が届かない場所で鳴るためにある。

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