
1. 歌詞の概要
Sigur RósのHoppípollaは、雨上がりの水たまりへ飛び込むような、無垢な歓びを壮大な音像に変えた曲である。
タイトルのHoppípollaは、アイスランド語のhoppa í pollaに由来し、水たまりに飛び込むという意味を持つ。実際、曲名そのものがこの楽曲の世界をほとんど説明している。濡れることを気にせず、長靴も履かず、ただ水たまりへ跳ぶ。そこには子どものような衝動と、世界を身体で感じる喜びがある。(Wikipedia)
歌詞は、ほとんど映画のワンシーンのようだ。
笑っている。
ぐるぐる回る。
手をつなぐ。
世界はぼやけていく。
けれど、目の前の相手だけははっきり立っている。
この描写はとてもシンプルだが、強い。
誰かと手をつないで回るとき、視界はぼやける。
空も地面も人影も溶けていく。
でも、手をつないでいる相手の存在だけは、なぜか確かに感じられる。
Hoppípollaは、その感覚を歌っている。
これは恋愛の歌としても聴ける。
友情の歌としても聴ける。
子ども時代の記憶の歌としても聴ける。
あるいは、ただ生きていることの歓びを歌った曲としても聴ける。
Sigur Rósの音楽は、しばしば言葉の意味を超えて響く。
Hoppípollaもそうだ。
アイスランド語がわからなくても、曲が何を伝えようとしているのかは、どこか身体でわかる。
ピアノが跳ね、ストリングスが広がり、Jónsiの声が空へ伸びていく。
その瞬間、言葉は意味ではなく、光のようなものになる。
そして曲の終盤では、転んで鼻血を出しても、また立ち上がるというイメージが出てくる。
これも重要である。
Hoppípollaは、ただきれいな夢の曲ではない。
遊べば転ぶ。
濡れる。
怪我をする。
鼻血も出る。
でも、また立ち上がる。
その明るさが、この曲を単なる幻想的なポストロックではなく、生命力のある曲にしている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Hoppípollaは、Sigur Rósの4作目のアルバムTakk…に収録された楽曲である。Takk…は2005年にリリースされ、Hoppípollaは同年11月28日にアルバムからのシングルとして発表された。楽曲の作詞作曲はJón Þór Birgisson、Orri Páll Dýrason、Georg Hólm、Kjartan Sveinssonのバンド・メンバーによるもので、プロデュースにはSigur RósとKen Thomasが関わっている。(Wikipedia)
Takk…は、Sigur Rósのキャリアの中でも、特に開かれた作品である。
Ágætis byrjunや( )で知られるSigur Rósは、もともと非常に神秘的で、内向的で、霧の中を歩くような音を作ってきた。
長い曲、弓で弾かれるギター、Jónsiのファルセット、アイスランド語と架空言語Hopelandicの混ざった歌。
それらは、世界のどこにもない風景のように響いた。
Takk…は、その幻想性を保ちながら、より明るく、より祝祭的な方向へ開いたアルバムだった。
アルバムタイトルのTakkは、アイスランド語でありがとうを意味する。
その言葉どおり、アルバム全体には、感謝、光、再生のような空気がある。
Hoppípollaは、その中心にある曲だ。
特にこの曲は、BBCの自然ドキュメンタリーPlanet Earthの予告編で使用されたことで、世界的な認知を広げた。2006年のPlanet Earthのトレーラー使用をきっかけに需要が高まり、シングルが再リリースされ、UKシングルチャートでは最高24位を記録した。(Wikipedia)
このPlanet Earthとの結びつきは、曲のイメージを大きく広げた。
広大な自然。
山。
海。
雲。
動物たち。
地球の壮大さ。
Hoppípollaの音は、そうした映像と非常に相性が良かった。
小さな水たまりに飛び込む歌が、地球規模の映像に重なる。
そのスケールの飛躍が、曲に特別な普遍性を与えた。
Sigur Rósは2016年にもPlanet Earth IIのためにHoppípollaの新しいヴァージョンを制作している。Pitchforkは、バンドがDavid AttenboroughによるBBCの自然番組Planet Earth IIのために同曲をリワークしたこと、そして自然の美しさと脆さを伝える番組の使命に賛同していたことを報じている。(Pitchfork)
このことからも、Hoppípollaは単なるバンドの人気曲ではなく、自然、生命、無垢、地球の美しさと結びつく曲として広く受け取られていることがわかる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下は、権利を侵害しない範囲での短い抜粋である。英訳歌詞掲載ページでは、冒頭部分が笑う、回る、手をつなぐ、世界がぼやけるという内容として訳されている。(Lyricstranslate)
Brosandi
Hendumst í hringi
和訳すると、次のような意味になる。
笑いながら
ぐるぐる回る
この冒頭は、非常に身体的である。
考えているのではない。
説明しているのでもない。
笑って、回っている。
その動きだけで、曲の世界が開く。
子どもが遊んでいるようでもある。
恋人同士がふざけ合っているようでもある。
世界が回り、視界がぼやけ、足元が少し不安定になる。
でも、その不安定さが楽しい。
Hoppípollaの歌詞は、感情を抽象的に説明しない。
かわりに、身体の動きを描く。
笑う。
回る。
手をつなぐ。
濡れる。
水たまりに飛び込む。
転ぶ。
立ち上がる。
それらの動きが、幸福そのものとして歌われている。
歌詞引用元: Lyricstranslate掲載のアイスランド語歌詞および英訳情報を参照。
権利表記: 歌詞はSigur Rósおよび各権利者に帰属する。引用は短い抜粋にとどめている。(Lyricstranslate)
4. 歌詞の考察
Hoppípollaの歌詞は、非常に短く、断片的である。
しかし、その断片の一つひとつが強い映像を持っている。
笑う。
手をつなぐ。
世界がぼやける。
ずぶ濡れになる。
長靴はない。
水たまりへ跳ぶ。
鼻血が出る。
でもまた立ち上がる。
これは、子ども時代の遊びの記憶のようだ。
雨の日や雨上がりに、わざと水たまりへ入る。
大人なら避ける。
靴が濡れるから。
服が汚れるから。
風邪をひくから。
あとが面倒だから。
でも子どもは違う。
水たまりは、障害物ではない。
遊び場である。
世界に開いた小さな扉である。
そこへ飛び込むことは、世界と直接触れ合うことなのだ。
Hoppípollaは、その感覚を取り戻す曲である。
この曲が多くの人に響く理由は、そこにある。
大人になると、人は水たまりを避ける。
実際の水たまりだけではない。
面倒なこと、汚れること、転ぶこと、恥をかくこと、無邪気に遊ぶこと。
そうしたものを避けるようになる。
しかしHoppípollaは、もう一度跳ぼうと言っているように聞こえる。
濡れてもいい。
転んでもいい。
鼻血が出てもいい。
また立ち上がればいい。
この明るい無防備さが、美しい。
ミュージックビデオも、この曲の解釈をさらに豊かにしている。
HoppípollaのMVはArni & Kinskiが監督し、レイキャビク郊外で老人たちが子どものようにいたずらをしたり、水風船や木の剣で遊んだりする様子を描いている。老人たちが水たまりに跳び込む場面もあり、曲名のイメージをそのまま映像化している。(Wikipedia)
このビデオの発想はとても重要だ。
水たまりに飛び込むのは子どもだけではない。
老人たちも跳ぶ。
年齢を重ねても、遊ぶことはできる。
身体は老いても、内側の子どもは消えない。
むしろ、年を取った人たちが子どものように遊ぶからこそ、曲のメッセージはさらに深くなる。
無垢とは、年齢の問題ではない。
世界に対する姿勢の問題である。
Hoppípollaは、そのことを教えてくれる。
また、この曲にはSigur Rós特有の言語感覚もある。
歌詞は主にアイスランド語だが、一部には意味を持たない音、つまりバンドがVonlenska、英語ではHopelandicと呼ぶ架空言語的な発声も含まれている。(Wikipedia)
このことも曲の魅力に深く関わっている。
歌詞をすべて意味で理解しようとしなくてもいい。
むしろ、意味を超えた声の響きそのものが、感情を運ぶ。
Jónsiの声は、言葉の意味より前に、光や風のように届く。
高く伸びるファルセットは、人間の声でありながら、どこか楽器のようでもある。
その声がピアノ、ギター、ストリングス、ドラムと重なることで、曲は少しずつ大きく膨らんでいく。
Hoppípollaの構成は、非常に巧みだ。
最初は小さく、親密に始まる。
ピアノの和音が、まるで水面に波紋を作るように鳴る。
そこへ声が入る。
そして徐々に音が増え、リズムが立ち、ストリングスが広がり、最後には空が開くようなクライマックスへ向かう。
この音の広がりは、水たまりから宇宙へ広がるような感覚がある。
小さな行為。
水たまりへ跳ぶこと。
それが、音楽の中では大きな生命の祝祭になる。
ここがSigur Rósのすごさである。
彼らは、小さな感情を巨大な音像へ変える。
しかも、それが大げさになりすぎない。
中心にはいつも、個人的で親密な感覚が残っている。
Hoppípollaも、音は壮大だが、歌われているのは小さな遊びである。
この対比が、曲を忘れがたいものにしている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Glósóli by Sigur Rós
Takk…の冒頭を飾る楽曲であり、Hoppípollaと同じ時期のSigur Rósの開かれた音像を知るうえで重要な曲である。Hoppípollaが水たまりへ跳ぶ曲なら、Glósóliは地平線へ歩き続けるような曲である。
曲はゆっくりと始まり、後半で大きな爆発へ向かう。
Sigur Rósの静から動への構築美を味わうには最適な一曲である。
- Sæglópur by Sigur Rós
Takk…期のもうひとつの重要曲である。Hoppípollaの明るい無垢さに比べると、Sæglópurはもっと海の底のような深さと孤独を持っている。
PitchforkのSæglópur EP評でも、この曲はTakk…の後に出された重要な楽曲として扱われ、同EPにはGlósóli、Hoppípolla、Sæglópurの映像も含まれていたことが紹介されている。(Pitchfork)
HoppípollaでSigur Rósの美しい側面に惹かれた人が、より陰影のある世界へ進むにはよく合う。
- Svefn-g-englar by Sigur Rós
1999年のアルバムÁgætis byrjunを代表する曲である。
Hoppípollaほど明るくはないが、Sigur Rósの浮遊感、長い時間をかけて広がる音像、Jónsiの声の神秘性を深く味わえる。
Sigur Rósの初期の霧がかった美しさを知るには欠かせない曲である。
- Olsen Olsen by Sigur Rós
Ágætis byrjun収録曲で、言葉の意味よりも声の響きと祝祭感が前面に出た曲である。
Hoppípollaのように、聴いているうちに視界が広がり、どこか遠くへ連れていかれる感覚がある。
言語を超えたSigur Rósの魅力がよく出ている。
- Untitled #3 / Samskeyti by Sigur Rós
アルバム( )に収録されたインストゥルメンタル的な楽曲である。
Hoppípollaの高揚感とは違い、こちらはもっと静かで、雪の中に光が差すような曲だ。
言葉を削ぎ落としたSigur Rósの美しさを味わいたい人に向いている。
6. 水たまりから世界を祝福する歌
Hoppípollaは、Sigur Rósの代表曲として広く知られている。
その理由は、単に美しいからだけではない。
この曲には、誰もがどこかで知っている感覚がある。
濡れることを気にしない感覚。
手をつないで回る感覚。
世界がぼやけるほど笑う感覚。
転んでも立ち上がる感覚。
大人になると忘れてしまうが、確かに一度は知っていた感覚である。
Hoppípollaは、それを取り戻す曲だ。
Sigur Rósの音楽は、しばしば壮大で神秘的だと言われる。
確かにその通りである。
アイスランドの風景。
氷河。
火山。
海。
曇った空。
広い荒野。
彼らの音は、そうしたイメージと結びつきやすい。
しかしHoppípollaの中心にあるのは、もっと小さい。
水たまりである。
この小ささが素晴らしい。
巨大な自然を描く曲ではなく、小さな水たまりへ飛び込む曲。
それなのに、聴こえてくる音は世界全体を包むほど大きい。
ここに、Sigur Rósの魔法がある。
小さなものの中に、宇宙を見る。
子どもの遊びの中に、生きる喜びを見る。
鼻血が出るほどの転倒の中に、また立ち上がる力を見る。
Hoppípollaは、そういう視線の曲である。
この曲は、映画やテレビ、広告、ドキュメンタリーで何度も使われてきた。
そのため、ある種の感動を演出する音楽として聞き慣れている人もいるかもしれない。
だが、あまりにも多く使われたからといって、曲の本質が薄れるわけではない。
むしろ、なぜこれほど映像に使われるのかを考えると、曲の力がよくわかる。
Hoppípollaは、何かが始まる瞬間に合う。
世界が開ける瞬間に合う。
人が走り出す瞬間に合う。
自然の映像にも、子どもの映像にも、人生の回想にも合う。
それは、この曲が具体的な物語を限定しすぎないからだ。
歌詞はある。
でも、意味は広い。
声はある。
でも、言葉を超えている。
メロディは強い。
でも、聴き手の記憶を邪魔しない。
だから、さまざまな映像や人生の場面に重なる。
Hoppípollaは、聴き手自身の記憶を呼び出す器のような曲なのだ。
個人的には、この曲の本当の美しさは、鼻血が出ても立ち上がるという部分にある。
もしこの曲が、ただ美しい水たまりの歌で終わっていたら、ここまで深くはならなかったかもしれない。
遊ぶことには、痛みもある。
生きることには、転ぶこともある。
無邪気であることは、安全であることと同じではない。
でも、それでも立ち上がる。
この一瞬に、曲の生命力が宿っている。
Hoppípollaの幸福は、傷のない幸福ではない。
濡れて、転んで、鼻血を出して、それでも笑う幸福である。
だからこの曲は強い。
Sigur Rósは、希望をわかりやすい言葉で語らない。
だが、音で希望を作る。
ピアノが反復する。
声が高く伸びる。
ストリングスが広がる。
ドラムがゆっくりと加わる。
そして、曲は空へ上がっていく。
その上昇感は、まるで水たまりに跳んだ瞬間、足元の小さな水面から空全体が反射するようだ。
水たまりは小さい。
でも、そこには空が映る。
Hoppípollaという曲も同じである。
小さな遊びを歌っている。
でも、その中に人生全体が映っている。
子どもの頃の記憶。
大切な人と手をつないだ感覚。
世界が一瞬だけぼやけ、相手だけがはっきり見えた瞬間。
転んでも立ち上がった自分。
もう忘れていた無邪気さ。
それらが、曲の中で一気によみがえる。
Hoppípollaは、ただの美しい曲ではない。
世界にもう一度触れるための曲である。
濡れることを恐れず、靴が汚れることを気にせず、年齢も体裁も忘れて、水たまりへ跳ぶための曲である。
そして跳んだあと、もし転んでもいい。
また立ち上がればいい。
その明るさが、2005年から今まで、この曲を特別なものにしている。

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